『閉ざされた日記』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
私自身、半年ほど前から日記をつけている。
その日に感じたことや見た景色など……様々なことについて綴っている。
どうでもいいようなことを書くこともあるが、深い思いを残すこともある。
その一冊は自分の歩みを表しているかのようで。
読み返すと辛くなる時もある。
「閉ざされた日記」ではなく「閉ざした日記」
そう。
意図的に自らその記憶に蓋をすることもあるのだと感じる。
〝閉ざされた日記〟
誰にでも消したい記憶はひとつくらいはあるだろう。
失敗したこと、後悔したこと。
どう頑張っても消えない記憶。
人間という生き物は何故かいい記憶より悪い記憶の方が覚えているみたいだ。
そのせいか未だ忘れられない過去。
忘れられないのは日記のせいでもある。
日記を開き、嫌なことも読み返せば今しがた起こったことのように鮮明に思い出してしまう。
嫌な記憶を閉じ込めるようにいつしか日記を書くのをやめてしまった。
今までマメに書いていた日記はクローゼットの奥深くに隠してしまうようにしまった。
もう目につかないように。
今思えば何故捨てなかったのだろう。
もう見たくない日記、思い出したくない記憶。
捨てるのが妥当だろう。
しかし捨てなかった。
もしかしたら悪い記憶も自分の一部だとでも思ったのだろうか。
捨ててしまえばもう日記は戻ってこない。
日記に書かれた記憶も戻ってこない。
自分の記憶の一部分が欠けてしまう。
そう思ったのではないだろうか。
それが日記を捨てずに奥にしまった理由。
この仮説が合っていれば意外と嫌な記憶も大事な記憶として取っておきたいのではないだろうか。
いい記憶は勿論、何に失敗した、誰に負けた、なにが嫌だった、全部大切な記憶のひとつだ。
ひとつでも捨ててしまえばその記憶は自分の中でなかったことになる。
それは少し寂しい。
今まで大切にしてきた記憶を簡単には捨ててしまえない。
どんなに古くて、嫌な過去でも今の自分があるのはその経験があったおかげだ。
そう考えれば嫌な記憶も、閉ざされた日記も案外悪いものでも無いかもしれない。
そう思える。
今日、あの日記を取り出す。
しまい込んだ記憶を引っ張り出すように。
今ならば悪い記憶もそんなこともあったなと笑い飛ばせだろう。
閉ざされた日記?
うーん
スマホのメモ帳に毎日思ったことを書いているのが
閉ざされた日記といえるかも
そうだ、日記といえば
小学生の頃、父の日記をこっそり読んだことがあります
ごめんなさい
その日記を開いたことがないから、何が書いてあるのか分からない。私への愛か、憎悪か、はたまた両方なのか。シュレディンガーの猫だか日記だか。怖くて開けない日記の中に、何が書いてあるかなど知りたくなかった。もう居ない君の代わりに、閉ざされた日記だけが残っている。
鍵をかけて閉ざされた日記がある。鍵自体は無くしたらしい。
おそらく学生の頃の日記なんだろうが、中身は一体何だったのだろう。覚えているようで覚えてない。
大したことは書いていないだろうが、開かないとなると少し気になる。
当時の私は何を思って書いたのだろうか。あの時のものがあの日記には全て詰まっている。
閉ざされた日記
なんやそれ
なんにも浮かばん
子供の頃に書いた日記的な?
閉ざされたってどんなこと書いたん。
黒歴史なの?
閉ざされた日記 #33
いつからだろう…
私がペンを握らなくなったのは、
いつからだろう日記帳を開かなくなったのは、
最初は亜紀ちゃんにすすめられて買った日記帳。
私の思い出になるはずの日記帳でいっぱい書くつもりで可愛いのを買ったのに、気づけばホコリを被っていた。これは別に悪いことじゃないはずなのに罪悪感を覚えていた。あんなに輝いて見えた日記帳の表紙が今はうるさく見える。秋から冬になって私は亜紀ちゃん以外にも静玖ちゃんという新しい友達ができた。友達になるきっかけなんて些細なことできっかけは、朝の電車であいさつをしたのがきっかけだったかな。そういえば亜紀ちゃんにも六花ちゃんという新しい友達ができたみたいで最近はその四人で集まることが増えて、いつのまにか閉ざされた日記。
最後に書いたのはいつだったかな。
『閉ざされた日記』
誰にも言えなかった恋を綴って、想いも一緒に封じ込めてしまうの。いつかこの日記を捨てることができたなら、その時こそ確かに、ほんとうの意味で、この呪縛から解放されたと言えるのでしょう。
『閉ざされた日記』
人の気配の無い街に人の生活の名残だけがある。金目のものはあらかた漁り尽くされて、割れた食器やこどもの玩具、もういない人たちの写真などが土に還るのを待っている。砂埃の混じる風が可愛らしい表紙の冊子を捲っていく。拙い文章で書かれた日記はある日を境に文字が埋められることはなくなった。風がいたずらに吹き乱したあとの日記をもう誰も読むことはない。
閉ざされた日記…。
決して開くことがないであろう日記をいつも持ち歩く。
その日記にはあなたとの思い出が綴られているから…。
いつか閉ざされた日記が開く時は…。
あなたと一緒に空の上で一緒に開きたい…。
それまで私が大切に保管しとくね。
『閉ざされた日記』
引き出しを開け、6年越しに閉ざされた日記を覗いてみる。当時の自分が感じていた気持ちや経験を読み返すと、すごく若くて青くて微笑ましかった。6年後の私、悪くない生活をしているよ。キミのおかげでね。
______やまとゆう
祖母が亡くなった時、私は祖母の面影を求めて祖母の日記を手元においた事がある。
でも結局焼いた。
そこには祖母の記録もあったが、日頃の愚痴、マイナスのことも多く書かれていたからだ。
閉ざされた日記は、閉ざされたままにしておくのが良い。
閉ざされた日記。要は普通の日記だな。
とはいえ時代は変わった。日記といえば本やノートに手書きというアナログな手法から今はSNSで他人と交流が普通なのかもしれない。
昔も交換日記なんてのがあったけどそれが交換と普通の日記とは違う名前で呼ばれていたように、昔は他人に見せないほうが主流だった。
それがネットの発達で他人に公開して交流するのが普通になった。価値観の変化とは恐ろしいほど速く自然に行われるものだ。
しかし古い人間はその変化についていけない。日記をさらして他人と関わることが怖いのだ。
古い人間、それはもちろん私である。SNS で行われる人々のふれあいに憧れながらもそれに混ざることができない。
めんどくさい他人と関わる意味がない。そんなことを言いながらその実彼らに憧れながら勇気が足りず前に進む一歩を踏み出せない。
必要なのはほんの少しの勇気。ただそれだけが足りないのだ。
最後のほう太宰とかの文学をちょっと意識して書いてみた。私って書くとそれだけでなんか文学っぽい気がする。浅すぎるか。
閉ざされた日記
毎日書こうと思う日記というのは、だいたい3日坊主である。ある意味閉ざされた日記。
それは、埃をかぶっていた。
あの頃、日記や思いつきをメモしていたノートが見つかった。
私は泣きそうになった。
あの頃の、まだ無邪気に夢や幻想を語り合っていた頃の記憶。
あの頃の、友人とテストの点や部活の大会の結果、カードゲームで競い合った記憶。
あの頃の、親や先生に怒られたり褒められたりした記憶。
そんな様々な記憶が、氾濫したように押し寄せてくる。
だが、開きたいとは思わない。
ここで、埃をかぶって永遠に封印しといたほうがいいのではなかろうか?
そっちの方が、今のモノクロのような刺激もない生活、ただただ単位のための勉強や、将来役立つかわからないようなバイト………
そんなモノクロの今を、あの頃の毎日キラキラしていたあの時と比べるような気がするのだ。
だが、好奇心には抗えなかった。
そのノートの、表紙をめくった。
そこには、こう書いてあった。
「卍漆黒を封印せし魔導書卍」
そっと、表紙を閉じた。
2度とこのノートは開かないと決意しながら。
「閉ざされた日記」
今はもう誰も住む人もなく
朽ちかけたままの家に
好奇心旺盛な若者たちが肝試し
見つけた古い日記
懐中電灯のもと何気にパラパラ…
パラパラ…
何が書かれていたのかは…
私は日記が続かない。いつもに三日坊主になってしまう。
なので、続かなかった日記が数冊ある。それが閉ざされた日記にあたるのかもしれない。
日記ではないが、閉ざされた記憶がある。
昨晩…今朝…久しぶりに義父の夢を見た。
義父はなんでも自分の管理下に置きたがる人で、私の携帯のアドレスも、メールの内容も平気で見る人だった。
夢の内容は、義父に嘘をついて人に会う約束があり、会う途中に義父にバレる夢だった。
烈火の如く怒鳴り散らす義父に対抗する術もなく、ただ茫然と立ち尽くすしかなく、また生活の全てにおいて義父の管理下に置かれる絶望感を感じているという内容だった。
今でこそ義父の一挙一動がありえないし、虐待にあたると思うが、当時の私はそれが当たり前だと思っていた。
なんて後味が悪い夢だろう…
そんな義父が嫌で、自立して生活している。義父との様々な出来事をズタズタに切り刻んで心の奥底にしまったはずなのに…
大学進学をきっかけに引越しをすることになって
大掃除をしていた時、押し入れに直していた中学時代の教科書やノートなどを見ては懐かしい気持ちに浸っていた。
数冊ゴム付きのノートがあって気になったら、中学時代描き始めた最初の日記だった。
そんなことあったあった!って当時を振り返る
これは新居に持っていこうかなぁ
当時の私にあって安心させてあげたいな〜
頑張ろう
気合いを入れ直して大掃除を再開した。
No.68
お題[閉ざされた日記]
表紙から裏表紙まで真っ黒な日記があった。
中のページは白いが、書かれている内容は真っ黒――闇だった。
その日あった出来事、そして、「今日もあいつはああだった」「どうしてこれすらダメなのか」「ふざけるな」「許せない」……そんなことばかりが書かれていた。
久しぶりにその日記を見つけた。
「そういやこんなの書いてたなぁ」と感慨深い気持ちにすらなった。
あの時の私は病んでいて、この黒い日記に書き殴ることで精神を保っていた。暫くして限界を迎え、少し休むことになり、今はこうして落ち着いている。
ここに至るまでは大変な道程だったが、今なら「いろいろあったなぁ」と、まるで他人事のように思うことができる。
もう大丈夫。日記は閉ざされ、二度と開かれることはない。
燃えるゴミの袋に投げ入れると、口をきゅっと絞めた。
『閉ざされた日記』
禁酒をしようとしているが続かない
2週間が最高記録
医者に止められてるわけでもないが、何かいい方法は無いものか