誰にでも消したい記憶はひとつくらいはあるだろう。
失敗したこと、後悔したこと。
どう頑張っても消えない記憶。
人間という生き物は何故かいい記憶より悪い記憶の方が覚えているみたいだ。
そのせいか未だ忘れられない過去。
忘れられないのは日記のせいでもある。
日記を開き、嫌なことも読み返せば今しがた起こったことのように鮮明に思い出してしまう。
嫌な記憶を閉じ込めるようにいつしか日記を書くのをやめてしまった。
今までマメに書いていた日記はクローゼットの奥深くに隠してしまうようにしまった。
もう目につかないように。
今思えば何故捨てなかったのだろう。
もう見たくない日記、思い出したくない記憶。
捨てるのが妥当だろう。
しかし捨てなかった。
もしかしたら悪い記憶も自分の一部だとでも思ったのだろうか。
捨ててしまえばもう日記は戻ってこない。
日記に書かれた記憶も戻ってこない。
自分の記憶の一部分が欠けてしまう。
そう思ったのではないだろうか。
それが日記を捨てずに奥にしまった理由。
この仮説が合っていれば意外と嫌な記憶も大事な記憶として取っておきたいのではないだろうか。
いい記憶は勿論、何に失敗した、誰に負けた、なにが嫌だった、全部大切な記憶のひとつだ。
ひとつでも捨ててしまえばその記憶は自分の中でなかったことになる。
それは少し寂しい。
今まで大切にしてきた記憶を簡単には捨ててしまえない。
どんなに古くて、嫌な過去でも今の自分があるのはその経験があったおかげだ。
そう考えれば嫌な記憶も、閉ざされた日記も案外悪いものでも無いかもしれない。
そう思える。
今日、あの日記を取り出す。
しまい込んだ記憶を引っ張り出すように。
今ならば悪い記憶もそんなこともあったなと笑い飛ばせだろう。
1/19/2024, 3:38:15 AM