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1/19/2024, 3:38:15 AM

誰にでも消したい記憶はひとつくらいはあるだろう。
失敗したこと、後悔したこと。
どう頑張っても消えない記憶。
人間という生き物は何故かいい記憶より悪い記憶の方が覚えているみたいだ。
そのせいか未だ忘れられない過去。
忘れられないのは日記のせいでもある。
日記を開き、嫌なことも読み返せば今しがた起こったことのように鮮明に思い出してしまう。
嫌な記憶を閉じ込めるようにいつしか日記を書くのをやめてしまった。
今までマメに書いていた日記はクローゼットの奥深くに隠してしまうようにしまった。
もう目につかないように。
今思えば何故捨てなかったのだろう。
もう見たくない日記、思い出したくない記憶。
捨てるのが妥当だろう。
しかし捨てなかった。
もしかしたら悪い記憶も自分の一部だとでも思ったのだろうか。
捨ててしまえばもう日記は戻ってこない。
日記に書かれた記憶も戻ってこない。
自分の記憶の一部分が欠けてしまう。
そう思ったのではないだろうか。
それが日記を捨てずに奥にしまった理由。
この仮説が合っていれば意外と嫌な記憶も大事な記憶として取っておきたいのではないだろうか。
いい記憶は勿論、何に失敗した、誰に負けた、なにが嫌だった、全部大切な記憶のひとつだ。
ひとつでも捨ててしまえばその記憶は自分の中でなかったことになる。
それは少し寂しい。
今まで大切にしてきた記憶を簡単には捨ててしまえない。
どんなに古くて、嫌な過去でも今の自分があるのはその経験があったおかげだ。
そう考えれば嫌な記憶も、閉ざされた日記も案外悪いものでも無いかもしれない。
そう思える。
今日、あの日記を取り出す。
しまい込んだ記憶を引っ張り出すように。
今ならば悪い記憶もそんなこともあったなと笑い飛ばせだろう。

1/13/2024, 10:46:11 AM

 現実を見る。
果たしてそれは正しい選択なのだろうか。

 高校3年の夏、僕は進路希望調査を担任に提出した。
担任から帰ってきた言葉は予想通りだった。
「現実を見なさい」
僕が書いたのは叶えるのには何年かかるかも分からない、まさに夢物語のような将来だった。
でも、小さいころからずっと叶えたかった夢だ。
その夢を聞いた周りの大人は現実味のない夢だとか、担任のように現実を見た方がいいと口にする。
でも1度きりの自分の人生だ。自分の夢を叶えたいじゃないか。
自分でもはっきりわかっている。
その夢で人生を棒に振るかもしれない。
もしかしたら自分の手元にはなにも残らないかもしれない。
でも僕は挑戦したい。
なにもやらずに後悔するのはもっと嫌だから。
でも大人が言うことも分かる。
ちゃんと勉強をして、どこかいい職場に就職していい暮らしをする。
現実を見ればそんな人生を送れるかもしれない。
もしかしたら彼女なんかできちゃって、結婚して幸せな家庭を築いているかもしれない。
途中で壁にぶつかるかもしれないけど、乗り越えて人として成長出来ることがあるかもしれない。
考えれば考えるほど色々な可能性が思い浮かぶ。
しかしそれは夢を見たって浮かぶ可能性だ。
現実を見て暮らすよりかははるかに挫折し失敗するリスクが高いだろう。
だが、考えてみれば夢を叶えるために努力し、できることが増えるかもしれない。
夢を叶える道のりでいい人に出会えるかもしれない。
最終的に安定した生活が送れるかもしれない。
考えてみればいくらでも可能性は浮かんでくる。
『現実を見る』『夢を見る』どちらを選んでもメリットはあるしデメリットもある。
どちらを選んだって幸せや不幸はやってくる。
結局どちらを選んでも自分次第だということだ。
そこでもう一度自分に問う。
現実を見る。
果たしてそれは正しい選択なのだろうか。
僕の答えば「NO」だ。
現実を見ることは正しいとは言いきれない。
だからといって夢を見ることが正しいかと言われればそれも正しいとは言いきれない。
ある人には現実を見ることは正しいかもしれない。
しかしほかの人には正しくないかもしれない。
夢を見ることも同じだ。
誰かにとっては正しくて誰かにとっては正しくない。
しかしこの答えは大衆的な考えだ。
主観的な答えとしては『現実を見る』は僕にとっては正しくなくて、『夢を見る』は正しいと思う。
だから僕は声を大にして言いたい。
「夢をみたい!!!!」

1/10/2024, 4:55:50 PM

20歳、それは大人になる年齢。
今まで「子供」に分類され、周りに守られてきた。
しかし、20歳を超えるとそうもいかなくなる。
責任は全て自分にのしかかる。
これまで「まだ子供だから」と許されて来たことが許されなくなることに変わることもあるだろ。
しかし嫌なことばかりでは無い。
自分が稼いだお金で好きなように過ごせる。
子供の時には買えなかった煙草、酒が買える。
10代の時にはできなかった多くのことができるようになる。
そして、新しい発見もあるだろう。
今まで理解し難いルール、守りたくない校則。
なぜ守らなければいけない、なぜこんなルールがあるかなんて知らなかった。理解できなかった。
でも今ならできる。
どうしてルールが必要か、校則で決められたことを守らなければいけない理由、ルールが決められたわけ。
つくづく自分は子供だったなと実感する。
学校のルールなんぞこの生きづらい理不尽な社会に比べたらまだまだ緩いものだった。
でもそんな世の中を今日も一日一日大切に生きていく。
大人として、そして1人の人間として。