『鏡』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
~鏡~
鏡よ鏡世界で1番美しいのはだぁれ?
有名なセリフ
した事は帰ってくる
いい事も、悪い事も
だから私はいいことをしたい
朝起きて、顔を洗って、歯磨きをして、朝ごはんを食べて、行ってきますと誰もいない家に向かって言って、学校へ行く
学校ではおはようと言い、勉強をして先生の手伝いをして、ご飯を食べて勉強をして帰る
繰り返し繰り返し
ずっと同じ事の繰り返し
ある日風邪で学校を休んだ
朝から夕方までずっと寝てた
夕方通知音で目が覚めた
それはいつも勉強を教えてる人からだった
「大丈夫?今日のノート録ってるから安心してね治ったらまた勉強教えて」
あぁやっぱりした事は帰ってくるんだな
これはある物語です 狼は鏡を見て言いました「うーん今日のオレはハンサムだな」でも彼女がいないからなそうだ魔法の鏡に相談しようそしたら顔はいいけど力がないと言われただからミラーワールドで修行しようそしたらライオンの獣人が彼女になりハッピーエンドになりました
作 神風
「水鏡、鏡文字、鏡餅、鏡面反射、魔境現象、合わせ鏡に内視鏡に心理学としてのミラーリング効果、脳科学のミラーニューロン。三種の神器に『白雪姫』に『鏡の大迷宮』、あと夢の鏡。……書きづらい」
やっぱ8月は手強いお題ラッシュだったか。
某所在住物書きは鏡という鏡を検索で探し回り、己の引き出しの無さを再認識して早々に力尽きた。
「『田んぼの水路とかため池とか、風の無い日には空だの風景だのがよくリフレクションして、エモい写真撮れる』ってネタは知ってるが、知ってるが……」
前々回で、そういう田舎の帰省シリーズ、「最終回」って断言しちまったもんなぁ。物書きはタイミングの悪さに視線を下げ、長いため息を吐き……
――――――
都内某所に勤務する、人間嫌いと寂しがり屋を併発した捻くれ者、藤森。
結婚経験も無いのに「旧姓」持ちであり、8年前から藤森を名乗っていて、その前は名字を「附子山」といった。
詳しくは7月20日投稿分参照であるが、諸事情として割愛する。
以下は附子山/藤森が、初めて恋した筈の人と、
8年前、バッサリ縁切り離れる直前の話。
――「相変わらずスマホで田舎の写真なんか見てる」
年号のまだ平成であった頃。都内某所の、ありふれた職場。ありふれた終業直後。
「ねぇ、あのレッドカーネリアンのミラーピアスは?いつになったら付けてくれるの?」
帰宅の準備をする、当時まだ旧姓であった頃の「附子山」。隣に寄り添い話しかけてくる者がある。
附子山がつい先月先々月まで、心を寄せ、恋をした筈のひと。名前を加元という。
元カレ・元カノの、かもと。ネーミングの安直さはご容赦願いたい。
「絶対似合うと思う。付けて、見せてよ」
藤森に、表では甘い言葉をささやき、裏では某呟きックスアプリで、毒と愚痴をばら撒いていたひと。
加元は附子山の顔に惚れ、都会の活気より田舎の自然を愛する価値観に解釈違いを起こし、
「ここが地雷」「これはあり得ない」「頭おかしい」と、陰でポストしながら、それでも附子山と決して離れなかったのは、
ひとえに「顔の良い恋人」のアクセサリーを、己を写すためのミラーピアスを手放したくなかったから。
ひょんなことから愚痴は発見され、加元に恋していた筈の附子山の心と魂は壊された。
附子山が姓を「藤森」に変えたのは、珍しい名字を捨て行方をくらまし、加元から逃げるためである。
「耳に穴を開けるのが怖いんだ。痛そうで」
どうせこの発言も、「あいつあの年でピアスも付けてない」だの、「耳に穴開けるの怖がってる。解釈違い」だのと裏アカウントでなじるのだろう。
附子山は予想し得る投稿に軽く短くため息を吐き、最大限の平坦な表情と声で、無知と平静を演じる。
「あなたが、私の贈ったカードミラーを使ってくれたら、私もピアスをつけるよ」
附子山は乾笑した。加元が附子山からの贈り物を、当日のうちに売っ払っていることを、投稿により承知の上での交換条件であった。
――その後数ヶ月もせぬうちに、附子山は離職して、加元との繋がりを「すべて」断ち、「藤森」として居住区も職場も変えた。
8年後の現在、どのような後輩を持ち、誰と帰省バカンスを楽しんで、いかに不思議な子狐と交友関係を持つに至ったかは、
過去投稿分で、推して知るところである。
が、
恋に恋して「附子山」に、己の鏡としての役割を求めた加元。附子山の想定以上に執念深かったらしく、
逃した鏡をずっとずっと、探し続けていたようで……
鏡で見た顔とカメラで撮った顔って圧倒的に違いすぎて嫌んなる。
鏡ってほとんど嘘鏡らしいね。
#鏡
#3『鏡』
好きなアーティストさんのアルバムに
『鏡よ鏡』という歌が入っていた。
恋愛の歌が多いんだけど、
白雪姫をイメージした内容だった。
元々声が好きで良く聴くようになったんだけど
今私がコンセプトとか考える機会が増えて
モノ作りをしている人として見ると
また違った凄さを感じる。
私もいつか何かを形にできるだろうか?
詩歩
『鏡』
「鏡よ鏡、この世でいちばん美しいのは誰?」
少女は今日も鏡へ問いつめる
白雪姫のようなお伽話では無いからもちろん鏡は答えない
だが少女は毎日鏡に話しかけていた
家族だって、クラスの誰だって、道行く人達だって己に勝るものはいないと思っていた
自分こそが1番輝いている、最も美しいのだと
だが自体は思わぬ方向に向かった
今日も少女は鏡へ問い詰める
「鏡よ鏡、この世でいちばん美しいのは誰?」
その瞬間、鏡が勢いよく割れた
ガラスの破片が勢いよく飛び散り、そのひとつが少女の目に飛び込んだ
『何が起きたのだろう?』
『目の前が真っ暗で何も見えない』
少女は酷く混乱していた
そして割れた鏡に誰かの姿がうつる
それは、自分が最も美しいと過信していた少女であった
今の姿とはとって違う、誰からも愛されて常に1番上に立っている己だ
そして少女は初めて己の醜さを思い知った
作 有栖川
鏡を見るといつも同じ自分が写っている。だがいつも違う自分の顔が鏡の前の自分をのぞいている、私は陸上部に所属している高校生だ。種目は競歩と長距離走をしている。シーズン中は競歩に専念していて戦績も悪くはない、今年からは2年生で県高校総体で1位、東北大会はあと少しのところで入賞を逃してしまったが、コロナ明けにも関わらず自己ベスト更新した、その後の大会でも大人とのレースだと3位とかになってしまうが高校生のレースになると1位を守れていた、そして県記録も持っている。自分言うのもあれだが、私は強いほうであろうこれからも頑張らねばならない。そんな私は常自信を持つことができない。「そんなの当たり前だろ」と思うかもしれないが、私は他の人より人一倍自分に自信を持てていない、普段友達の前などではふざけて、自信を見せたりしてはいたが一人になったりレース前は本当に自分に余裕を持てない、だかキツイ練習などをこなしたりするとすぐに自信が出てくる、なんで分かるかって❓それを表しているのが鏡だからだ、自分が鏡を見た時向こうにいる自分がどんな面構えをしているか、それで今の自分の自信が読み取れる、おそらく他人から見ても私は色々な顔で見られているだろう、さぁ今の自分はどんな表情をしていて、自信を持てているだろうか
どうしてかな。
鏡の前で何度も確かめて。
よし、この笑顔ならかわいいって。
大丈夫だって。
自分でも思えたはずなのに。
人前に出ると、その自信が揺らいでくる。
鏡の前で見た時と同じように。
私はいま笑ってるはずなのに。
相手の瞳に映る自分が見れなくて。
つい目を下へ逸らしてしまうの。
【鏡】
鏡に映るもう一人の私
ただの光の反射なんて人は言うけど
きっと彼女は私と同じ考えを持っているはず
ねえ、鏡の"外"の私
完
お題:鏡
【鏡】
鏡を見ることが嫌いだった。暗く澱んだ目を見返すことを、美しさとは縁遠い鏡像を突きつけられることを、恐れていた。
今もその思いは完全には拭えていないけれど、以前ほどには鏡と向き合うことは苦痛ではない。大切な人が繰り返し投げかけてくれる言葉が、勇気をくれる。
「今日もとても素敵だね」
醜くて嫌な自分が映る
眩しくて好きな貴方が映る
どうしたらそんな風になれるのか
眩しくて
誇らしくて
いつも
いつも
私の中にある後ろめたさが清算されたら
私もそんな風に貴方の瞳に映るのかしら?
貴方の鏡に映る私
私の鏡に映る貴方
潮の引いた浜辺を歩いていたら、なめらかな砂に白く光る欠片が埋もっているのをみつけた。拾い上げるとそれは薄く光を吸い込んで、桃色の朝焼けに照り映えているみたいだった。
ナルキッソスの鏡だな、と君がいう。
僕は適当に笑った。なんでこれをみてナルキッソスが出てくるのかよくわからなかったから。貝殻の破片にも、薄く削がれたガラスにもみえるこの欠片が不思議だった。
昔から美しいものに吸い寄せられていく君だ。
そっと僕の手のひらから欠片をすくいとり、しばらく丹念に見つめている。その小さくきらめくものから、自己陶酔に溺れ死んだ人間の姿を見いだそうとでもしているんだろうか。僕は少し危うげな気持ちになりながら、恐ろしく端正な君の横顔に視線を送る。
そのとき、君がふいに顔をあげる。遠くの波のゆらめきに、花束が漂っていた。
「誰か死んだんだろうか。」
君があまりに自然に呟いて、僕も思わず頷いた。
青い水仙の束だった。胞子のような泡の粒に呑まれながら、それはどこか切なげに、冷たい海水に漂いつづけている。
私は鏡が好き。なんでかっていうと、鏡は私の大事な「今」を映してくれるから。
小さい頃、お母さんが仕上げてくれた可愛い髪型の自分を、鏡越しに見るのが楽しかったなぁ。
中学生の頃は、毎朝、お姉ちゃんと洗面所の争奪戦をしていたっけ。寝癖が跳ね放題の私達が、お互いに押しのけ合いながら髪をとかしたりドライヤーを取り合ったりしている姿を、鏡はしっかりと映していた。
高校生になった時、初めて彼氏ができて、一生懸命メイクの練習をしてたんだよね。日に日に上手くなっていくメイクを、鏡は毎日見守っていてくれた。
そして、今。ヘアメイクを終えて、白いドレスに身を包んだ私が、鏡に映っている。
「新婦様、そろそろ……」
式場のスタッフさんが私を呼ぶ。
「はい。今行きます」
私は立ち上がり、鏡を見つめた。幸せそうな花嫁が、鏡の中に立っている。
「私の幸せな今、見ていてね」
私は鏡の中に咲いた一輪の花に、微笑みを返した。
【鏡】
ピンを手に取って、鏡を見ながら頭飾りのティアラをとめていく。クラシックバレエを始めてから10年。やっと、憧れだったティアラの飾りを付けることができた。
自分に才能なんてものは無いのだと、小学校低学年くらいからなんとなく分かっていた。他の人よりも硬い身体。ほんの少しの体力と自給力。余裕が無いゆえの、醜い踊り。バレエは好きでも何でもなく、寧ろ嫌いだった。母が言うには、小さい頃に自分からやりたいと言い出したらしいが、そんなの記憶にない。
できないなりに、研究もした。ステップをどんなに頑張っても成長しないから、綺麗に見える手の動かし方や、ポーズなどの細部にこだわった。結果的に綺麗になった。でも、そこまでだった。
私は今回の発表会でバレエをやめる。先生もなんとなく分かっていたようだった。
コンクールでどんどん賞を取って、上手なお姉さん達に仲間入りした同い年の子。めきめき上達してあっという間に私を追い越した後輩の子。見ていて本当に苦しかった。でも、なんだかんだ言って楽しかった。たった一人きり、綺麗な衣装で照明を浴びて踊ることが気持ち良かった。でもそれが『苦しい』に勝てなかったんだ。
鏡の中の私の瞳がゆらゆら揺れている。だめだ、メイクが落ちてしまう。
くっと歯を食いしばって上を向いたら目の端から、一粒にも満たない涙が零れ落ちた。
「鏡」
いつからだろう
鏡に映る私を見つめなくなってしまったのは
光を遮ってしまうから?
反射するのは醜い上っ面の姿だけ
笑顔もこんなお面の様じゃなかった
好きな物も嫌い、嫌いな物は好き
自分に嘘をつき過ぎて
話す言葉全てはマウントに捉えられ
必要以上のヘイトで心はヒビ割れだらけ
映りたくない、見たくない
見られたくないの
人に合わせて繕った鏡に映る私
鏡は自分自身と、その心を映し出す。
自分を直視するのは、嫌だ。だけれども改めて自分を眺めると、わかることもある。
自らの心を律するために、今日も自分自身を覗き込もう。
鏡に映る自分は、自動補正されてちょっと良く見えるらしい。
自分自身で補正するなんて優れた機能だなあと思うとともに、人体って不思議だなあとも思う。
自分で自分がちょっとよく見えるだけで、他の人からは加工前の姿が見えてるのはバグですか。
学生時代に比べて、太ったなあ……
自分の頬を引っ張りながら心の中で独りごつ。
洗面台の前で、そこに映る顔の角度を変えてみる。
自分の顔、
好きでも嫌いでもない。どちらかといえば好き寄り。
ただ、やっぱり私も一般大衆の美醜の価値観が刷り込まれて育ってきた一人の人間であるわけで。
痩せたいな、とかそういうことは考えるものである。
結局努力はしないのだが。
そういえば、最近見た心霊系のYoutubeで、
「幽霊は最初は生身の人間と同じ姿をしているが、
時間が経つにつれて、徐々に顔からぼやけてくる。
これは自分の身体の中で、手足は肉眼で常に目に入るが、
顔は鏡に映さない限り見ることができず、
自身の意識の中で一番記憶があやふやになりやすい部位
だからである」
……と、某人が言っていたことを思い出した。
内容の真偽はともかくとして、
確かに自分の身体の中で一番ハッキリ思い出せないのって
顔だよな、と思うなどした。
これだけ顔の善し悪しがどうこう言われてる世の中の癖に、
結局自分の体の中で一番覚えられないのは顔で、
もし本当に死んだら顔からぼけて分からなくなるとしたら、
なんか皮肉な話である。
前の鏡を見る
鏡には何も映らない、見えない
後ろの鏡を見る
鏡に映るは過去の自分
前後に挟まれる自分は、今の自分
前が見えない
読めない
鏡よ鏡
未来の自分は
どうなりますか?