『鏡の中の自分』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
鏡の中の自分
嫌い嫌い嫌い
醜い醜い醜い
ブスブスブス
嘘だ!嘘だ!嘘だ!
えっ?えっ?えっ?
自分?自分?自分?
死ぬ死ぬ死ぬ
嫌だ!嫌だ!嫌だ!
鏡の中の自分
顔も歪んで、左右非対称
生きる気力も奪う
まるで死神、悪霊参上
鏡の中の自分
そんなこいつと、とことん付き合う
サイテー最悪だけど
私が愛して、育ててやるよ
鏡の中の自分
小学生の頃、クラスのムードメーカー的な男子が女子の顔面偏差値の話をしていたことがあった。
私は会話の外に居たが、皆に聞こえる声量で話をしていたので勝手に耳に入ってくる状況だった。
席順に〇〇は下の上。〇〇は中の上。と、言っていて、私はというと、中の下だな。と言われた。
何様なんだと心の中で少しイラッとしたが、言ってる本人の顔は学年で上位のイケメン顔なので、私は不利な立場の自覚があり、怒りは燻ってスッと消えた。
それにあくまで一個人の意見であるし、別にそいつになんと思わようが関係ないと思っていたからあまり腹が立たなかったのだろう。
私は人に対して冷めている部分がある。短所であると分かっているが、おかげで今までストレスが根深く残ることなく人生を歩めている。私はそんな自分が嫌いじゃない。
あいつはきっと、鏡の中の自分に自惚れているんだろう。
鏡には映らない自分の良さを引き出せずに、自分のことも、相手の事も表面的にしか見ていないんだろう。
鏡の中の自分
そんなにちゃんと
見ないようにしてる
自分にとって自分は
そんなに特別な存在ではない
鏡の中の自分
朝の身支度
武装する姿
気持ちを上げる笑顔
直視出来なくなった
愚かさ
鏡の中の自分を長く見ていると、他人のように思える
【鏡の中の自分】
小説
おばみつ
カラン。
染め粉の入った底の浅い皿に、無造作に櫛を落し入れる。
手は染め粉で黒く染まり、爪の中まで色が入り込んでいた。
やおら視線を上げると、そこには顔色の悪い少女がいた。
「……私、こんなにやつれてたっけ?」
ろくに食べず、無理して笑い、もう既に限界は近かった。あんなに食べることが大好きだったのに。あんなに笑うことが楽しかったのに。今はもう、何をしても私でないみたい。
それでも、それが素敵な殿方との結婚へと繋がるのならば。
鏡の中の自分に向かって手を伸ばす。
鏡に触れ、真っ黒に染まった手を下へとずり下げてゆく。鏡面に残る黒線は、さながら涙のようだった。
「……さぁ笑って。そうしないときっと、だぁれも私のことを好きになってはくれないわ」
「君は、とても美しい髪色をしているのだな」
隣に並ぶ彼は、目線を合わせずそう答える。いつものように、私が髪色の話をしていた時だった。初めて会った殿方は皆、この奇抜な髪色に戸惑いを表情に滲ませるのが常だった。今回もそうだと思っていた矢先、彼は予想外の返答をした。
「…え…」
「……すまない。初対面の女性に失礼なことを言った」
初めて家族以外から髪色を褒められた。
その後に一緒に行った食事でも、私は気が抜けて沢山食べてしまったのに「沢山食べることはいい事だ」って言ってくれた。
初めて家族以外からそんなことを言われた。
…貴方と出会ってから、初めのことが沢山あるの。
屋敷に戻り、鏡の中の自分を見つめる。
「……私、こんなに嬉しそうだったの?」
沢山食べ、心の底から笑い、仲間から認められた。
そして、私の髪色を美しいと褒め、沢山食べる姿を優しく見ていてくれる素敵な殿方と出会うことができた。
鏡の中の自分に向かって手を伸ばす。
そこには頬を桃色に染め、一人の青年に恋する普通の女の子がいた。
鏡を避けて生きてきた、今もなお。
姿見にうつし出される枯れ果てた自分を見たくない。
鏡越しにうつる自分を見るたびに心が焼かれるようなつらい感覚に陥る。
化粧なんて、どうでもいい。。。
素顔のまま、ありのままの姿で揺蕩う命。。。
鏡の中の自分
不安そう?なにか悩んでいるの?
大丈夫。。。?
大丈夫だよ。
いつだってそうやって頑張ってきたんじゃない 私。
うん。 いつもの自分にもどれる。
鏡の中の自分
鏡の中の自分は本当の自分だろうか
それは時と場合によると思う
自分が我慢しているのならそれは嘘
自分が満足しているのならそれは本当
『アリス』
布の袋に金貨無し 鏡はひび割れ 離れた友だちに会えないよ ニレの木の上 淋しさだけが雨になる
〜鏡の中の自分〜
鏡の中の自分は
本当に自分なのか
異世界にいる自分じゃないのか……
そんなありもしないことが
あったら 楽しいよね
鏡の中の自分
観音開きの三面鏡。がっしりとした木製の鏡台には、笹本が揃えてくれた基礎化粧品や傷薬、私の肌にあうハンドクリームやリップクリームなどが収まっている。引き出しには石蕗から貰った押し花の栞、そして京史郎様からいただいた爪紅、髪飾り。
幼い頃は苦労して登っていた椅子も、今では普通に座ることができる。お母様も、ここでお化粧したりしたのでしょうか。
お母様は私が生まれた時に体を悪くして、そのまま言葉を交わすことなく儚くなってしまった。
そうして生まれた私も体が弱かった。
せめて男児であればと思ったことが一度や2度ではなかったのではないでしょうか。
せめて男児であれば跡を継げたでしょう。
せめて健康であれば繋がりを持てたでしょう。
せめて母だけでも生きていれば未来があったでしょう。
生まれたのが病弱で女の私でなければ何か変わっていた。
何かもなにも、何もかも違っていたでしょう。
しかしお父様に直接聞く機会はもうなくなってしまった。
お父様も既にお母様と同じ場所にいる。
愛妻家であったから、きっと幸せに暮らしていらっしゃると思う。
鏡に映るは小娘1人。荒れた唇にリップクリームを塗って、豆が潰れて硬くなった手に軟膏を塗る。
私が普通の女の子であれば、きっと母親と笑い合いながらこのドレッサーを使っていたでしょう。髪を結ってもらって、何色のリボンが似合うとか、合わせていたのでしょう。
けれど今鏡に映っているのは、暗闇で刀を振り回し、泥と血と土に塗れた子供である。
お母様。きっと私は死ぬまでこの鏡台に、幸せな親子を映す事ができないです。私では。
どうしようもなく胸の内が空っぽに思えて、堪らず三面鏡を畳んだ。最後に見えた鏡の中には、泣きそうな顔の少女が映っていた。
「鏡の中の自分」
まぶたが腫れていたり、クマが酷かったり。
最近お疲れのようだから、そろそろ休養が必要よ?
#鏡の中の自分
目元の小皺にクマにくすみ
一般的にはアラと言われる類たち
抗おうじゃないか!こんなの嫌いだよ!
おっかなびっくりしながら怒った
美容皮膚科にサプリメント
健康的な食事に運動
生きるって抗うって闘うって 時間もお金もかかるわ
身につけた処世術とすり抜けた修羅場の数だけ
アラがあると思おうじゃないの
誰もが鏡の中の自分はね
生き抜いてきた 洗い晒しの自分だよ
シャワーヘッドを回して、水を掛けた。
白い曇を、透明な水が払っていく。
銀色のシャワーヘッドを写した透明の粒が、透明な水の筋を描きながら落ちていく。
シャワーを止めて、向き直る。
水滴が、ぽたり、ぽたり、と滴り落ちる。
ほっそりと、骨ばんだ身体が写っていた。
曇が晴れた鏡は、水滴を滴らせながら、真実を写し出していた。
鏡の中の自分は、疲れた顔をして立ち尽くしている。
今日も走りすぎたのだろう、足が重たい。
軋む体を引き摺って、シャワーを手に取る。
熱いお湯が、勢いよく流れ出た。
強いお湯を浴びながら、天井を仰ぐ。
白く明るく無機質なタイルが、こちらを見下ろしている。
吐いた分、身体は軽い。
走った分、四肢は重い。
お湯が止めどなく、髪の端から流れ落ちた。
お湯はタイルの間を流れて、排水溝へと落ちていく。
抜けた髪の毛が一本、すうっと水に流されて、見えなくなった。
シャワーを止めて、シャンプーを手に出した。
手のひらを擦り合わせながら泡立てていると、疲れた気持ちがちょっとだけ治るような気がして、鏡をのぞいた。
相変わらず疲れ切った自分が、鏡の中にはいた。
シミと、毛穴が見える頰が微かに上がっている。
私は昔から、食事が苦手だった。
過食で吐き、拒食で吐き。
食べ過ぎては倒れ、食事のしなさすぎで貧血で倒れる。
食事中も、口に入れる物の大きさを誤って、喉に詰めたり、咳き込んだりはしょっちゅうだった。
食事ができないわけではない。
食事が嫌いなわけではない。
ただ、物を口に詰め込むという行為が上手くできないのだ。
口から食べ物を補給して、消化するということが、私は生まれつき、苦手だ。今も。
だから、鏡の中の自分は、いつも痩せていて、不健康で、見窄らしく見えた。
水やお湯を浴びれば、雨の日の溝川の濡れ鼠のようで、肌が乾いていれば、水一つない砂漠に放られたカラカラの骨のように見えた。
頼りなくて、何をしてもグズで、ガリガリな自分がいつもそこにいた。
…蛇口を捻って、シャワーの勢いを強めた。
お湯の蛇口を目一杯に捻って、お湯をますます熱くする。
白い湯気を上げながら、熱いお湯がタイルに叩きつけられた。
私は、鏡の中の自分が嫌いだった。
見ていられなかった。見たくなかった。
だから、だから…
いつもお風呂の時は、熱々のお湯で、一心に体を洗う。
鏡が曇るように。
白い湯気と透明のお湯の熱気が、鏡の中の自分を消してしまいますように、と願いながら。
今日も私は蛇口を捻る。
風呂場は静かだった。シャワーのお湯がタイルを叩く音だけが響いた。
私は顔を背けて、シャワーを浴びていた。
肌が熱さでヒリヒリした。
シャワーの音だけが、風呂場の中に反響していた。
『鏡の中の自分』
鏡に映る自分の顔が、母にそっくりだと思うようになった。人から似ていると言われても「そりゃあ、親子だからね。」程度にしか思っていなかったのに、双子かと思えるほど似てきた。鏡の向こうにいる私が、「親子なんだよ。あの人と。」といろんなトーンで何度も語りかけてくる。左頬に、母と同じ位置・同じ大きさのシミがある。「親子だから?。」と鏡に問いかけると、「そうだよ。遺伝だよ。」と辛そうにあっちの私が答える。私は、耐えられなくなりシミを取った。左鼻筋の少し盛りあがったホクロは、弟と同じ。母が、「姉弟の証だよね。」と嬉しそうに言っていたけど、それも耐えられなくて取った。鏡の中の私はそれでも母とそっくりなのだけど、気持ちが楽になったような感じがする。にっこりと笑った顔が映る鏡に、「あの人より笑顔が綺麗だよ。」と言えたよ。やっと鏡の中の自分を好きになれた。
鏡の中にいる私は、
鏡を眺める私と同一人物である。
当たり前だ。
だけど、それを当たり前だと思えなくなるときが時々ある。
鏡の中の自分が想像より可愛くないように見えることとか、メイクバッチリの状態とすっぴんの状態の差が凄すぎることとかが同一人物に見えなくなる理由ではない(たぶん)。
ただ、私の知らない“私”が、鏡の中にはいるような気がしてならないときがある。
でも、私が違和感を覚える“私”の姿が他人から見た私なのだろう。
そんなことを思いながら今日も鏡を見る。
うん、今日は違和感を覚えない日だ。
#鏡と客観視
: 鏡の中の自分
日々、私に起きる出来事全ては、私の心の写し鏡だ。
嫌な出来事は、私の心にある影の現れで、それらは試練を与えてくれる。
嬉しい出来事は、私の心のにある光の現れで、愛や勇気を を与えてくれる。
人生に何を映し出すかは、私の心のあり方に寄るだろう。もし、辛い出来事があるならば、そこには私の心に手放すべき執着や、向き合わなければならない感情があるから。
鏡の中の自分。自分の人生で会う一人一人が私の鏡だ。
その鏡と大切に向き合うことは、自分を大切にして向き合うのと同じこと。
全ては表裏一体。みんな繋がっている。鏡の中の自分と向き合うこと、それはこの世界をありのまま受け入れることなんだ。
【虚像】
窓からスカイツリーが見えることにも慣れた頃、
終電一本前にゆられて帰った。
ビニール傘を閉じて部屋を開け、
手を洗いに洗面台に立つと、
鏡にはゴツゴツした肌の巨象が写った。
鏡の中の自分
かがみを見て、
口角を上げてみよう!
楽しくなくても、嬉しくなくても、
作り笑顔でも、
笑顔になれば、楽しくなれる。
脳は騙されるんだよって教えられたけど、なかなか作り笑顔も出来なくて。
鏡の中の私は、いつも眉間に縦皺が深く刻まれているのだ。