『私の当たり前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
お題
『私の当たり前』
私の当たり前は家族がいること。
父がいて母がいて兄がいて妹がいて。
一軒家で夏は涼しくて、冬は暖かくて、
そんな環境
そう願いたい。
湿っぽい洞窟から、鉄格子越しに見える、綺麗なもの。
ーーあそこに見えるのは、なあに?
そう聞いた私を哀れに思ったのか、「あの青い色は、空だ」と教えてくれたのは、年老いた牢番だった。
山の中ほどにある、この洞窟は、入り口に鉄格子がはめられ、牢屋として使われていた。
ーー村を大きな嵐が襲った夜に、生まれた忌み子は、怪異となりて災いをもたらす。しかし手を下せば呪いが返るため、生かして封じるべしーーそんな言い伝えのもとに、私は物心がついた頃から、この牢屋に閉じ込められていた。
一日一回、差し入れられる食事。洞窟の奥の囲いの中で、用を足す。それ以外に、私ができることといったら、外を眺め、牢番に話しかけてみることだけだった。
そんな、変わり映えのない毎日が続いていく。
牢番は、数人の村人が交代でついているようだった。ほとんどの牢番は、私と言葉を交わすと呪われると思っているのか、返事があることはまれだった。
だが、その中で一人、その年老いた番人だけは、私に色んなことを教えてくれた。物の名前も、天候の見方も、村の言い伝えも。
ぼそぼそと、白いひげの下から出てくる言葉は、水のように、渇いた私に染み込んだ。亡くなった孫娘と私の背格好が似ているから、と彼は言った。
私にとって、単なる“外”でしかなかった場所は、空であり、大地であり、鮮やかな色がついている世界なのだと、知った。
そうして、知ってしまったがゆえに。
自分が当たり前だと思っていたものはーーごく一部の切り取られた景色で、私はここから出ることを許されないことが、ひどく苦しくなったのだ。
もっと、たくさんのものを。広い空を見てみたい。
握りしめた鉄格子から、きしむ音がした。
もし、私が、本当に災いであるなら。この牢を砕いて、外に出ることも叶うだろうか。
『その空の先を望んで』
(私の当たり前)
「ただいま!」
誰もいない家の玄関の重いドアを開けると、ほのかに甘い香りが私を呼んでいる。
「あっ!おやつ!」
ランドセルを玄関先に置き、急いで靴を脱ぐ。すぐ目の前にあるキッチンのテーブルには、白い丸いお皿がある。そこには私の大好きなおやつが山盛りに積み上がっていた。
側にはいつものように、白い紙に『しーちゃんのおやつだよ。たくさんたべなさい。』とお手本のような綺麗な字で書かれている。おじいちゃんがどんな顔をしながら書いたのかな?とか考えると嬉しくなって、私の顔も自然と笑顔になった。
「今日は、くるくるおやつだ!手で食べられる!」
ふふっと笑い声も出て、スキップをしながら手を洗いに行く。
おやつはその日によって違ったけど、全部おじいちゃんの手作りだった。ホットケーキの粉は使ってないの、一緒に作るお手伝いをしたことがあるから知ってるよ。でも、もっとおじいちゃんが凄いのは、同じ材料で同じ生地だけどすごーく大きなケーキを作ってしまうこと。
膨らまし粉を入れて、オーブンで焼いた茶色のケーキはバターの味がして、中はふわふわで、外はカリッとしてとっても美味しいの。
今日のおやつはフライパンで、まん丸に少しだけ焼いて、くるくるとロールにするんだ!
材料も知っているよ、トースターで溶かしたバター、砂糖、卵、牛乳、小麦粉、これだけ。
たったこれだけで、こんなに美味しいおやつを作るおじいちゃんは天才!おやつだけではなくて、料理も茶碗蒸し、シチューなんでも美味しく作るの!
おじいちゃんは、あんまりニコニコしないけど優しくて、お勉強も教えてくれて、物識りで何でも知っていて、自慢で大好き。
なんで父娘なのに、お母さんとおじいちゃんはケンカしちゃうのかな……だから、同じおウチのなのにお庭に家を建てちゃったのかな?
大好きな2人が仲良くなりますよーに!
お願いをしながら、今日もほっぺが落ちそうなおやつをパクリと食べた。
『私の当たり前』
【私の当たり前】
変わらず日常が壊れないよう慎重に。
でも変わらなければいけない現実で。
0.5人間のわたしを誰か愛してくれたら。
そんな儚い期待を秘めておきながらも
叶わないと自信消滅させて生きてる。
でも、それがわたしで。
それがわたしの中で当たり前で生きている。
そんなわたしを肯定せず、否定しないで。
朝、目覚ましの音が鳴り響き、私は眠りから覚めた。父と母に「おはよう」と声をかける習慣は、私にとって何気ない日常風景だった。
しかしその当たり前が、わずかな瞬間で壊れてしまった。
父と母が交通事故で亡くなったのだ。父は即死し、母は病院に運ばれて医師たちが命を救おうと懸命に手を尽くしたが、やがて彼女も父の後を追うように息を引き取った。
当時中学生だった私は、その事実を受け入れることができなかった。人生最愛の家族が瞬く間に失われ、深い悲しみに包まれた。
しかし、幸いなことに母方の祖父母が私を引き取ってくれた。彼らは私に愛情を注ぎ、時には厳しく接して、私が自分自身を取り戻す手助けをしてくれた。
それから私は、毎日父と母について色々聞くようになった。彼らの話を聞くことで、私は彼らの存在を再び感じることができた。そして、徐々に彼らがいなくなったことを受け入れることができた。
今でもたまに、父の優しい笑顔や母のやさしい言葉が脳裏に浮かび、胸が痛むことがある。しかし、私は彼らが私の心の中に生き続けていることを知っている。私は彼らを忘れないし、彼らから学んだことを守り続けることを決意した。
「当たり前」という概念が、簡単に壊れてしまうことを改めて思った。そして、その「当たり前」がなくなったとき、人は絶望を感じるのだと痛感した。
この物語はフィクションです。ですがどこかではこのような悲しいことが起きているかもしれません。今を大切に。ですよ。
「私の当たり前」
お雑煮の味付けは地域によって異なりますが、
それがその人や地域の「当たり前」ですね。
それを否定するのではなく、
このお雑煮も美味しいねって食べられる。
そういう「当たり前」を大切にしたいです。
私の当たり前
それは、日々の四季。
あなたのほほえみ。
その当たり前が崩れることに怯えながら、
私の当たり前は歳を経る事に刻々と変化していく。
例えば最近流行りのAIは私に革命をもたらした。
理解する作業も全部AIがしてくれるし、アイデアもAIが出してくれる。
今やそれも私に取っては当たり前。
今度はどんな当たり前が現れるのか今から楽しみだ。
「はじめはちょっといいな
軽い気持ちから始まったこいで
ただ楽しかったのに」
好きになった人のこと
見た目も中身も行動も仕草も全部全部
なんで好きって思っちゃうんだろ
愛おしくてたまらないんだよ
お願い気付いて、
私の当たり前
ちょっとした失敗を過度に気にして、
人と目を合わせて話すことにストレスを感じて、
初対面の人と話すときは声が震えて、
それが私の当たり前。
でも、
推しのラジオを聴いて、
さくらももこ先生のエッセイを読んで、
愛猫と思いっきり戯れて、
それも私の当たり前。
【私の当たり前】
どこへ行くにも貴方が隣にいた。買い物に行ってきますって家を出ると、俺も行くって追いかけてくる。それだけで胸が温かくなるから、単純だなんて笑った。
一週間、一ヶ月、一年。月日を重ねるごとに煩わしく思えて、声をかけずに出かけることが増えた。貴方がいてもいなくても、私の心は揺れなくなってしまった。
ただいま、と口にするのはいつぶりだろうか。電気の消えた部屋に貴方がいるはずもないのに。隣からタイピングの音が聞こえる。心地よかったそれは、苛立ちを増幅させる。
疑問と怒りは溜まる。勝手に解消されることはないから、いつか溢れてしまうと気づいていた。「最近、遅いよね」投げかければ、貴方は笑った。「そうだっけ」
割れたガラスは戻らない。小さなヒビに気づいていれば、何か違っていたのだろうか。貴方はもうどこにも行かない。私がどこかへ出かけても、貴方がついてくることはない。
「ねえ、終わりにしようか」私と貴方が一緒に生きることに意味はないみたいだから。貴方の瞳が揺れる。こんなにきれいな黒だったんだ。きっと、二度と忘れない。
三日目の夜、ようやく実感した。貴方は戻らない。それなら、私も期待するのはやめる。扉は開かない。ただいまは聞こえない。息遣いも感じられない。静かで、穏やかだ。
「さよなら」ぐらい、言えばよかった。
「ありがとう」って、言い忘れていた。
視界が滲んで、世界がぼやけていく。
まるで日常が溶けていくみたいだった。
当たり前という言葉はたくさんの人の中にあるし、それはひとつとして被ることは無い、稀に変だと笑ってくる人もいるだろうが、違うからうらやましくなったり、すごく綺麗に見えたりするんだよ、私が好きな物を信じて進むのが私の当たり前だから。それだけは一生変えたくはない
今日のテーマ
《私の当たり前》
自分にとって当たり前のことが、他人にとっては必ずしも当たり前とは限らない。
私がそれをはっきりと認識したのは小学生の遠足でのことだった。
「うぇー! おまえの家の卵焼き、変な味する!!」
「そんなことないもん! お母さんの卵焼き、美味しいもん!」
「こんな甘いの卵焼きじゃねーし!!」
クラスの子とお弁当のおかずを交換した際、そんな風に文句をつけられて私はひどく腹を立てた。
卵焼きは私の大好物で、実を言えばメインであるハンバーグよりもウインナーよりも一番楽しみにしていた。
同じ班だった彼からおかずの交換を提案されたのはお弁当を半分ほど食べたタイミング。
彼はちくわのチーズ焼きを分けてくれたので、私は卵焼きを差し出した。
彼のことは好ましく思っていたし、だからこそ自分の一番好きなものを分けてあげたいと思ったのである。
母の作ってくれた卵焼きは、別にこの時に限って失敗していたなどということはなく、いつも通りに美味しいものだった。
それを頭ごなしに否定され、こちらの厚意を無にするようなことまで言われたのだから、私が怒るのも当然というものだろう。
私にとっての卵焼きは、母の作る甘い味のもの以外には考えられなかったのだから。
和気藹々としていたお弁当タイムに、突然大声で言い争いが始まったことで、その場はシンと静まり返った。
だけど私も彼も周囲の状況に目を向ける余裕などない。
強い口調での言い争いはエスカレートし、彼が食べかけの卵焼きをビニールシートに投げ捨てたことで私が泣き出すという最悪の展開になってしまった。
彼は食べ物を粗末にしたことを先生から叱られ、私は仲の良い友人達に宥められながらその後の時間を過ごした。
残ったお弁当の味はおろか、午後からの行程がどんなものだったかさえ思い出せない。
帰ってから母にその話をすると、一緒に怒ってくれるとばかり思っていた母は、
「その子のお家の卵焼きは甘くないタイプのだったのね」
そう苦笑いしながら、思い出し泣きしている私の背を優しく撫でてくれた。
その時初めて、世の中には甘くない卵焼きがあること――私にとっては当たり前の「卵焼きは甘い」という認識は、他の家では当たり前とは限らないのだということを知った。
その日の夜は、甘さ控えめのだし巻き玉子や、青のりとじゃこが入った塩味の卵焼きというものを作ってくれた。
彼の家の卵焼きがどういうタイプのものかは分からないが、世の中にはこういう卵焼きもあるんだよ、と。
彼もまた、家に帰ってから甘い卵焼きの存在を親御さんから教わったらしい。
その上で「食べ慣れないもので驚いたにしろ、食べ物を投げ捨てるなど言語道断」とこっぴどく怒られたそうだ。
翌日学校で顔を合わせた私達は、お互いに謝罪をし、無事仲直りをしたのだった。
「あ、卵焼き! おまえの卵焼き好きなんだよな」
嬉しそうに相好を崩して彼が卵焼きに箸を伸ばす。
そして美味しそうに目を細めながらもぐもぐと咀嚼する。
母直伝の、我が家の甘い卵焼きを。
あれから10年の歳月が過ぎ、私達は高校生になった。
当時仄かに抱いていた恋心とも呼べない好意はあの件ですっかり冷めたものの、その後、紆余曲折を経て、今では彼氏彼女の関係に落ち着いている。
たまに私がお弁当を作ってきてあげると、それはそれは美味しそうに食べてくれる。
今では「卵焼きといえば甘いやつじゃなきゃ」などと言うのだから、変われば変わるものだ。
斯く言う私も、彼のお母さんが作る甘くない卵焼きもしっかり好きになっているので、これについてはお互い様と言えるかもしれない。
あの時の卵焼きのように、私の当たり前が彼にとって当たり前だとは限らない。
そういう意見の衝突は、きっとこれからも起こ得るだろう。
だけど、その時は感情的に意見を押し通すのではなく、違いを認め合った上でお互いに歩み寄れたらいいなと思う。
甘い卵焼きを旨い旨いと次から次へと頬張る彼を見ながら、そんなことを思うのであった。
「私の当たり前」
文句言いながらも変わらぬ毎日を過ごせる
それを当たり前と思ってたらダメなんだ。
わかっちゃいるけど……
人間出来てないもんで
私の当たり前は、あなたの当たり前では無い。
私の常識はきっと、あなたには通用しない。
私の価値観は黙ってちゃ、あなたにはわかって貰えない。
私の悩み事は、あなたにとって悩むことの無いもの。
私の心の傷は、あなたにとってかすり傷。
あなたの当たり前は絶対、私の当たり前では無い。
みんな、当たり前のように学校に行く。
僕も、学校に行くのを当たり前だと思っている。
でも、思うのと行動するのは別物なんだ。
だって僕は、今日もまた、学校をサボった。
どうしてだろう。
別にいじめられているわけじゃない。
趣味が合う友達だっているし、楽しいって思うことも結構あったと思う。
ただ、たまにすごくめんどくさくなって、周りがうるさくってたまらないことがある。
そういう時、僕はトイレに籠って、家から持ってきた、小さなカッターナイフを腕に押し付ける。
押し付けるだけだ。
それだけじゃ、傷はできないし、血は流れない。ただ、白い線がスッと細く現れるだけ。満足出来ない。でも、もし深く切ってしまったらって考えたら、僕には、それ以上動かすことができない。
毎日、毎日、学校へ行って、そんなこと繰り返して、時々サボって、家でごろごろしながら罪悪感に駆られて、それが僕の当たり前。
私の当たり前。
毎日のように病んで、レポートを終わらせて、バイトと日曜日に学校に行く。
ただ、それだけ。
気がつけば
毎日空を見上げて考える。
辛かったこと悲しかったこと…
あーーーっ!そんなネガティブな自分嫌い!
すぐに脳内でポジティブな自分がしゃしゃり出てきて、逃避行
あの飛行機雲のしっぽはどこー?おっ、あの鳥は何を叫んでるのー?
あーーーもっと楽しいこと考えながら歩こう
毎日そんな感じ。
私は11.5年間愛知県のO市にいて1.5年上海ってとこで暮らしてる13歳の中1だ。
私はすんごい田舎で過ごしたと(*上海が都会すぎるとも言うが)思っている。
初めて引っ越しが上海だ。
今日も友達とど田舎から来たけど…って話とかしてた。
友達MRちゃんは 4組のKが好きって話…最近は、授業中に紙回したり小声で話したりしてる。
MRちゃんは私が理科の植物の観察(スケッチ)する授業で仲良くなった友達の1人である。
ほんとは2人いたが、もう1人とは関係が変な感じになってしまった。仕方ない事dったんだろう。
自然と。クラスメイトなのがちょっとチクっとする時もあるけど、仕方ない。もう2人では話せないと思う。
特に何かした記憶はないけど、なんかしてるかもしれないけど、多分自然とだった。
うまく笑えてないかもな
そう、MRちゃんの好きな人のKの性格にはドsとか色々あったけど“優しい“ともあった。
なんか具体例って挙げてもらったら、
Rちゃんの過去の出来事を一つ聞いた。
『寝転がってたらふんずけられたり、首持ちながら壁ドンみたいな感じのことされたり。』
確か、多分、そんな感じのことを言ってた。
日本の東京の学校の時でのことらしい。
それを話して、Kは‘そんなことしたやつ、ぶっ◯したい‘とか言ったとか言ってないとか。
周りの友達はKはやさしくないでしょとか何とか言ってたからわかんない。
でも、とにかくKってやつは人間としての心はあるんだなってわかった。
Kってやつは心のネジ外れてないみたい。
Rちゃんが心配だけど、こんなこと言ったら流石にキモいかな。
好きなドラマ(BL)(出演者好きでみてた)の話してたら、他の友達から腐バレしたみたいな雰囲気にされたんよな。私。
普通に百合も薔薇もOKだと思うけど、腐女子でも姫女子でも今んところないんよ。なんて聞こうとしないだろうから別にいいんだけどさ。
MRちゃんはそのことを「私はいじめじゃないって思ってるからいじめじゃない。」って言ってたけど、今は一応言えるかもしれないとして、その時もそう思えていたのかなんてわかんない。
ところどころ、危なそうな発言とかあったし、ドMって自分で言ってるけど、Rちゃん大丈夫なのかな。
そこで思い出したけど、Rちゃん、熱がで出た時もめっちゃ辛そうなのに全然保健室に行こうとしなかった。
この前“空腹の後にご飯食べるとお腹痛くなる”って言ってた時も保健室ですら行こうとしなかったし。
Rちゃん、5組のK Kと4組のKなんとかが好きって言ってたのに、(私がどちらか1人をってゴリ押ししたのもあったかもしれないけど)5組のKKは私のこと嫌いだからって回した紙に書いてあったの。
Rちゃん、保体委員もやってて英語係もやってるすごい自慢の友達だけど、無理しちゃう、追い込みすぎちゃう子な気がする。
私が助けって言ったら変だけど、力にでもなれたらいいのにな。
大丈夫って私が言わせてるもん。
1組の親友さんの代わりにはなれないし、なんならクラスの一番の友達って言ってくれても私より仲良い子たくさんいるだろうってわかってるけど、力になれないかな
放課って“昼放課“って言葉が通じないことに今年と去年同じクラスで名古屋(田舎?らしいけど)出身の友達が驚いてた。
愛知県民の皆さん。いたら聞きたいです。
“ほうか“って標準語だと思ってなかったですか?
私は12年間標準語だと思ってました。
でもね、愛知あるあるの、方言なんだよ〜 って。
私はこっちでできた友達に、『ほうかって何分まで?』って聞いたら「ほうか?」『うん』「放火?」「火事とかの、放火?」『?』「放つ火の放火?」って聞き返されたことがあります。
昼休みとも使うけど、私としては昼放課なんよ。
昼放火だったらやばいじゃん?みたいな。
*こう言う会話が通じるのは愛知に馴染みがある、愛知で育った人くらいです。
#方言
#放課
#私の当たり前
私の当たり前は、幼稚園の前を通ってイラつくことだ。駐車場に強引に止めようとする遠慮の無い車、人が歩いてきても止まらない自転車、道路をぶんどって話し込むママ友。なんて無秩序なのだろう。