初音くろ

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今日のテーマ
《私の当たり前》





自分にとって当たり前のことが、他人にとっては必ずしも当たり前とは限らない。
私がそれをはっきりと認識したのは小学生の遠足でのことだった。


「うぇー! おまえの家の卵焼き、変な味する!!」
「そんなことないもん! お母さんの卵焼き、美味しいもん!」
「こんな甘いの卵焼きじゃねーし!!」

クラスの子とお弁当のおかずを交換した際、そんな風に文句をつけられて私はひどく腹を立てた。
卵焼きは私の大好物で、実を言えばメインであるハンバーグよりもウインナーよりも一番楽しみにしていた。
同じ班だった彼からおかずの交換を提案されたのはお弁当を半分ほど食べたタイミング。
彼はちくわのチーズ焼きを分けてくれたので、私は卵焼きを差し出した。
彼のことは好ましく思っていたし、だからこそ自分の一番好きなものを分けてあげたいと思ったのである。

母の作ってくれた卵焼きは、別にこの時に限って失敗していたなどということはなく、いつも通りに美味しいものだった。
それを頭ごなしに否定され、こちらの厚意を無にするようなことまで言われたのだから、私が怒るのも当然というものだろう。
私にとっての卵焼きは、母の作る甘い味のもの以外には考えられなかったのだから。

和気藹々としていたお弁当タイムに、突然大声で言い争いが始まったことで、その場はシンと静まり返った。
だけど私も彼も周囲の状況に目を向ける余裕などない。
強い口調での言い争いはエスカレートし、彼が食べかけの卵焼きをビニールシートに投げ捨てたことで私が泣き出すという最悪の展開になってしまった。
彼は食べ物を粗末にしたことを先生から叱られ、私は仲の良い友人達に宥められながらその後の時間を過ごした。
残ったお弁当の味はおろか、午後からの行程がどんなものだったかさえ思い出せない。

帰ってから母にその話をすると、一緒に怒ってくれるとばかり思っていた母は、

「その子のお家の卵焼きは甘くないタイプのだったのね」

そう苦笑いしながら、思い出し泣きしている私の背を優しく撫でてくれた。
その時初めて、世の中には甘くない卵焼きがあること――私にとっては当たり前の「卵焼きは甘い」という認識は、他の家では当たり前とは限らないのだということを知った。
その日の夜は、甘さ控えめのだし巻き玉子や、青のりとじゃこが入った塩味の卵焼きというものを作ってくれた。
彼の家の卵焼きがどういうタイプのものかは分からないが、世の中にはこういう卵焼きもあるんだよ、と。

彼もまた、家に帰ってから甘い卵焼きの存在を親御さんから教わったらしい。
その上で「食べ慣れないもので驚いたにしろ、食べ物を投げ捨てるなど言語道断」とこっぴどく怒られたそうだ。
翌日学校で顔を合わせた私達は、お互いに謝罪をし、無事仲直りをしたのだった。


「あ、卵焼き! おまえの卵焼き好きなんだよな」

嬉しそうに相好を崩して彼が卵焼きに箸を伸ばす。
そして美味しそうに目を細めながらもぐもぐと咀嚼する。
母直伝の、我が家の甘い卵焼きを。

あれから10年の歳月が過ぎ、私達は高校生になった。
当時仄かに抱いていた恋心とも呼べない好意はあの件ですっかり冷めたものの、その後、紆余曲折を経て、今では彼氏彼女の関係に落ち着いている。
たまに私がお弁当を作ってきてあげると、それはそれは美味しそうに食べてくれる。
今では「卵焼きといえば甘いやつじゃなきゃ」などと言うのだから、変われば変わるものだ。
斯く言う私も、彼のお母さんが作る甘くない卵焼きもしっかり好きになっているので、これについてはお互い様と言えるかもしれない。

あの時の卵焼きのように、私の当たり前が彼にとって当たり前だとは限らない。
そういう意見の衝突は、きっとこれからも起こ得るだろう。
だけど、その時は感情的に意見を押し通すのではなく、違いを認め合った上でお互いに歩み寄れたらいいなと思う。
甘い卵焼きを旨い旨いと次から次へと頬張る彼を見ながら、そんなことを思うのであった。





7/10/2023, 9:04:06 AM