『桜散る』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
桜散る
ひらひら舞う文字が綺麗。
「今ならまだやり直せるよ」が風に舞う。
桜散る
桜が満開の4月なのに、なんだか、真夏日
そして、言われているのが南海トラフ巨大地震のことだ
昨日の4月17日に愛媛県、高知県で震度6弱を観測したらしい…
2017年に愛媛県で開催された全国障害者スポーツ大会に出場したことがあり、愛媛県、高知県の方が心配だ。
私は東海地方に住んでいて
こっちは、地震は、来なかった
元旦に石川県で大地震、最大震度7を観測
千葉県でも震度5弱を観測
桜が散らないでほしいな
桜が散ると夏になるじゃないか…
この異常気象は、、、なんだんだろうか?
YouTubeを見たら南海トラフは、2024年7月か、
2025年7月に起こるらしいが、きっと、私の予想は、今年に南海トラフ巨大地震が来ると思う
もし来たら、、想像もしたくないが、
私の実家がある地域の予想震度が6弱らしいが………
桜舞い散ることは、良いけれど…桜散ると巨大地震が来るかもしれない…
咲いてるのなんて、ほんの一瞬。
あっという間に移り変わって、
そしてすぐに忘れちゃうんだ。
淡くて儚い、脆い。
薄桃色に青空が透ける。
消えちゃいそうな春。
もう戻らない季節。
桜散る
#22
桜散る
頭の上に桜の花びら
ふと寂しくもあり、新たなスタートも
考えさせられる
また今日もこうやって時間が過ぎてゆくんだね
白い太陽が、天上で光り輝く。
穏やかな暖かさをも通り越す“暑さ”に目が眩み、薄くにじむ汗をぬぐった。
ひらひらと風に舞う花びらは自ずとその光景を減らし始め、同時にアスファルトの一部を覆い隠す様子すらも、とっくに珍しいものとなり始めているらしい。
ここ数年の「春」といえば、まさしく一瞬で駆け抜けていくばかりであり、こうも物足りなさを感じてしまうのも仕方がないだろう。
またもや早々に、あのクローゼット内の色味を整えなくてはならないのかと思えば、出番の頻度と偏り方に気が重たくなった。
四つ区切りの移り変わりと、わずかに二つだけ重なる静かな余韻。
そうやって合間に残る風景を楽しむ間もなく、今度は緑の季節がすぐそこまで見えてきている。
【桜散る】
桜散る
あんなにたくさん咲いた桜、
いっせいに咲いたかと思っていたら
いっせいに散った。
見事なくらいに潔く散った。
咲く前からニュースになり
咲いたらまたニュース、
散ってもニュース、
そんな花は桜だけだ。
それだけ春を待っている、
と言う事なのかなぁ。
散ったあとはもうニュースにもならない。
見向きもされない。
春がもう来たからだね。
【264,お題:桜散る】
桜散る季節となりましたね
あなたはどこかで元気にしているでしょうか
桜散る
春も、もう終わる。
今年も夏が来る。
そうやって、時は何も変わらないままで。
ずっと桜の散り際を見ている。
我が人生、桜と共に咲き誇り、100年先の桜と共に散りゆく。
「桜散る」
咲き誇る桜を眺める度に感じる。
流れる時間の早い事。
いつも思う。美しさと儚さは、二つで一つなのではと、
誰かに出会うって事は、誰かと別れる事もある。
この季節を繰り返す度、人は一歩成長するのです。
咲き誇る桜があるなら散りゆく桜もあるのです。
それもまた一興と言えるでしょう。
二つで一つです。
桜は散りますが、それは青葉の養分となるのです。
出会いと別れの季節
桜が咲き
キレイに散っていく
母が亡くなった時も
良く晴れた桜が満開のときだった
今でもはっきりと頭に浮かぶ
ただただキレイだった
悲しさもあったけど
母も私達も救われた気がした
もう、これで痛くないね…おやすみ…
痛みから解放されて満開の桜を見ながら
空に向かったんだろうな
次はどんな人生だろうね
すごく頑張ったんだからさ…
ごほうびになるような人生になるといいね
【桜散る】
貴方を初めて見かけたときは
まだ桜が咲き始めたばかりで
貴方と初めて言葉を交わしたときは
桜が満開の時だった
貴方とこうして毎日のように笑い会えている今
桜はもう散ってしまい
葉桜になってしまった
私は葉桜も好き
また来年も綺麗な花を私達に見せてくれる
その時私達はどうなっているだろうか
もっと仲良くなっているかもしれないし
もう仲良くできていないかもしれない
目を閉じて思い出すのは
貴方と出会ったあの日のことで
貴方を手放すことは少し難しいことだと実感する
こんな私でも見捨てないでいてくれますか
またこうして貴方と桜を見ることはできるでしょうか
もし未来の貴方の隣が私でなかったとしても
貴方のことを想い続けています
どうか貴方を想うことだけは許してください
私はどうにも貴方を手放すことだけはできないようです
私は今年も桜の雨の下
あなたの事を想い続けています
桜の花びらが落ちる速度は秒速5cmと聞いたことがある。
計算してみるとこれはたかだか時速0.18kmであり、
家の窓からちらと見える車の100分の1以下の遅さなのだ。
やるべき仕事に追われる平日と忙しなく休む休日の往復で、
日々の過ぎゆくスピードは早く、
高速で走る私達に遅すぎる花弁は目に入らない。
幸運にももし桜散る景色に気づけたなら、
走る速度を落として1つの花びらに意識を寄り添えたなら、
今まで見えていなかったものや世界があなたを待っている。
詩『ピクニック』
(裏テーマ・桜散る)
私は勉強が苦手というか大嫌いだ。
当然ですが成績も悪くて高校受験も希望校は落ちて最低の滑り止めの高校にギリギリ入った。
「桜散る」
希望校を落ちたときLINEでみんなにそう送ったけど、お花見してたの?…とか、ヤケ食いする?…とか返信してきた友達もいたけど、母だけは既読スルー。返信の言葉が思い浮かばず祖母の話では泣いていたらしい。
私は期待してなかったから、本当に平気だったから遊び半分で「桜散る」って書いたのに、母のせいで悲しくなった。
何かあると食べられなくなる可愛い女の子は多いけど私はヤケ食いするタイプなのです。そのことを知ってるからなのか合格祝いにもう準備していたためかは分かりませんが、落ちは日の夕食はご馳走でした。
就職も全滅して大変だった。
担任の先生と母がタッグを組んでものすごく頑張ってくれたみたいで思いのほか希望に近い会社に就職が決まったときは、三人で抱き合って喜んだ。
初めてできた彼氏と別れた夜は、生まれて初めて食べられなくなった。二日目には母が気づいて心配して、うるさく食事だけは食べてと言うから怒鳴って母を泣かせた。
「お母さんは卵焼き作って」
「私はおむすび作ったから次は唐揚げ」
桜のお花見にみんなで行く予定だっけど、今年は思っより早く桜は散ったとテレビで言ってた。
私は旦那さんに荷物持ちと運転手をさせて、赤ちゃんの娘に哺乳びんでミルクを飲ませながら母と後部座席で桜の名所の公園を探した。
やっぱり、ほとんど散ってた。
「これじぁーお花見じゃなくて、ピクニックだね」
母がそう言うから、
「うるさーい! ピクニック最高!」
そう叫んでやった。
結局、いつも私の一番の味方は母だった。
少し口は悪くて、おせっかいだけど、どんなときも助けてもらっている。今もそうだ。
なかなか、ありがとうって言えないけれど、長生きして欲しいと思いながら卵焼きを食べた。
母の卵焼きの味を今度は覚えて作れるようにがんばろう。みんな歳を取ってゆくから。
あれ?
私、泣いてる?
花粉症だね。(笑)
桜の季節、私が思い出すのは、風にさらわれる花びらと、花びらの嵐の向こうから現れる私を迎えに来た彼の姿。
状況を理解出来ていなかった私を抱き上げて(多分、あの時の彼からしたらただ持ち上げただけだと思う)、呆れたような困ったような顔をしていた。
そしてため息をついて「仕方ねーな」といった彼は、そっと空に飛び立ち、彼の住処へ連れていかれた。
私と彼はそんな春の日に出会った。
「私を忘れないで」
桜は満開になるまで風が吹いても散らないが、満開になったら何もしなくても花びらは舞い散る。
「桜散る」は、受験に失敗したという表現に使われるけど、個人的には納得がいかない。
精一杯開かないと散らない、でも満開になったら散ってしまうのは、寿命みたいで、努力したけど実らなかった事と結びつけるのは違うのではないかって。
「じゃあ、桜散るっていうのは君にとっては天に召されるってことか」
「あー、うん。そうかも」
だから、私は天に還るのは桜の舞う日がいいと、思っているのかも。
私を失っても、他の誰かと幸せになってほしい。
だけど、桜が散るのを見た時だけ、私のことを思い出してほしい。
この満開の桜をふたりで見たことも。
今のこの幸せな日々も。
年に一度だけ、私のことを思い出してくれればいい。
決して口に出せない。
たったひとつの願いごと。
────桜散る
ついこの間まで満開だった桜はもう緑の葉っぱを生やし、宙に舞っている。
ココ最近は雨も多く、何回も「(あぁ、今日で桜も最後かな…)」と思った。しかし、次の日も桜は咲いている。雨ごときでは桜は無くならない。
一見、儚く一瞬のように思える桜だが案外根強く、この短い春を生きながらえようとしている。
誰かに救われたいと願う訳では無いが、人ではない生命の執念見て何だか背中を押されたような気分になった。
人でなくとも、意志がなくとも、理由がなくとも
『生きながらえたい』
こう思うのは生きているのなら仕方の無いことだ。
誰でもそうであるのだから、生きてさえいれば良いのかと、私は思う。
何はともあれ桜の散る季節になりましたね。
もうそろそろ疲れが溜まってくる頃ではないでしょうか。生きてさえいればいいのだから、寄り道して帰るのはどうですか?
散ってゆく花びらたちに
何と声をかけようか。
少し憂鬱にもなるこの季節に
上を向く機会をくれて
ありがとう。
また、満開の笑顔を見せて。
「桜散る」
なんであんなこと、言ったんだっけ?考えても答えなんてなくて、涙も出なくてこの感情をどこにぶつければいいのかわからない「ばかだなあ」呟いたのは誰に向けた言葉か、腹が立ってるような気もして、でもこの怒りはどこに向けるべきものなのかわかっていない「何やってんの」上からかかる声にふらりと顔を向ければ、寺島が目を細めてこちらを見下ろしている。その表情は蔑むようにも、なにも考えていないようにも見える「終わった」「やっと?」「ハハ、やっと、だわ」全然笑えない「結局家族が大事、なんだってさ。そりゃそうか〜」いつも会う時は薬指の指輪を外してくれたじゃない。君しか愛してない、ってそう言ったじゃん。はやく一緒になりたいね、って「全部うそじゃん」悲しいとか悔しいとかカッコ悪いとか、全部丸めてぐしゃぐしゃになって雫になって落ちる。あんなにカラカラだった瞳から滝みたいに流れる涙は血液「ほんと、バカだよ」本当にバカにしたような声なのに、私の頭を撫でるのは優しくってあったかい手のひら「でもよく言ったね、よくできました」
桜散る
不登校の私。
一年前から自殺を考えている。
この事は誰にも言っていない。
死ななくてはならない。そう思う。だって、生きていけないし、迷惑とか言われてもどうすればいいの。
学校に行けなければ課題もできない。家事も勉強もそんな私にどうしようもなく不安が崩れ落ちて迫ってくる。
その圧迫感は考えただけで、もう、私には言い合わせない感情になるのだ。
実際今無意識にため息をついたらしい。
横の母にため息は幸せを吐いてるんだよぉ
と言われた。
幸せとかもうどうでも良い。
そして、遂には歯磨きやお風呂にも入れなくなり、寝転がって天井を眺めるのすら色々な嫌な感情が出てきて、意味もないのに布団に潜り込んで芋虫になったような気持ちで、億劫になり、無心に近い状態になれるかつ、依存度が高いスマホ、ネット、SNSに何十時間も見てしまった。
そして、なんと言っても、頭が痛いのに、寝れない。
疲れているのに眠れない。眠たいのに眠れない。
とにかくとにかく、眠れないのだ。
布団に入って目を瞑っていれば良いとお思いだろうが、違うんだ。
そんな事すら出来ないんだ。すごくしんどいんだ。
家族とご飯を食べるのも出来なかったし、外に出るなんてもってのほかだった。
精神科から処方された薬も飲めなかった。
外なんて一歩も出れなかった。
詳しい人はお分かりだろうが、これは主にうつ障害の症状と言える。
外傷は目立つが、心の奥底に秘められた気持ちを見透かせる人間なんて居ない。どんだけ血が出てぐちゃぐちゃになっていようが、気づかない。
それどころか、あろうことが本人がだらけていると、思い、その傷口をえぐり、自分が何をしているかも知らず、去って行ってしまう人がいる。それも、大数派だ。
今の言葉を読んでいて、大袈裟だなと笑った人がいると思う。
それは否定させてほしい。鬱は立派な障害なんだ。
目が見えない人の考えてる事、見えているもの、気持ち、分からないでしょう。
理解しようとしなくて良い。でも、傷口に塩を塗る事は絶対に避けて頂きたい。
それと、最初の一人称の「私」には続きがある。
外に出られないまま一年ぐらい芋虫のような生活を送っていると、「フリースクール」という言葉に目が留まった。
フリースクールとは私と同じように、学校に行けなくなった子達が通うところ。
私は一年を通して色んな事を考えた。
いや、実際なんも考えていなかった。
でも着々と経験値は上がっていた。エネルギーは溜まっていた。
私はフリースクールに、行っていることにした。
生徒達は明るくて、かっこいい子もいればギターが凄い子もいるし、パソコンができる子もいた。
先生と明るかった。
正直、アホらしく話している姿を見ていると、ついていけない。やはり私は何をしても駄目なのか。
と思っていると、一人の女の子が、話しかけてきた。
名前はNちゃんとする。
Nちゃんは一つ年上の女の子で優しい子だった。
思えばその日から変わったのだ。
一年間芋虫みたいに生きてしまった罪悪感は、自分の過去を他人として、客観的に見る事ができるようになるにつれて、消えていった。
生きてても良いんだ。
と感じる瞬間は、柄にも泣くような性格をしていないが、目尻が熱くなる。
私は、変わったんだ。今までの自分とは違う。
もう、生きててもいい。死んでもいい。
選択肢はずっとあったけど、ずっとずっと選びそびれた。
私は、人の少ない時間だと、外を歩いても良いということに気がついた。
今では1日に必ず10km以上歩くようにしている。
まだうつ病という精神のハイエナから、身を萎めてしまう時もあるが、
過去の自分に言ってやりたい。大丈夫と。