14歳になった底辺

Open App

不登校の私。
一年前から自殺を考えている。
この事は誰にも言っていない。
死ななくてはならない。そう思う。だって、生きていけないし、迷惑とか言われてもどうすればいいの。
学校に行けなければ課題もできない。家事も勉強もそんな私にどうしようもなく不安が崩れ落ちて迫ってくる。
その圧迫感は考えただけで、もう、私には言い合わせない感情になるのだ。
実際今無意識にため息をついたらしい。
横の母にため息は幸せを吐いてるんだよぉ
と言われた。
幸せとかもうどうでも良い。

そして、遂には歯磨きやお風呂にも入れなくなり、寝転がって天井を眺めるのすら色々な嫌な感情が出てきて、意味もないのに布団に潜り込んで芋虫になったような気持ちで、億劫になり、無心に近い状態になれるかつ、依存度が高いスマホ、ネット、SNSに何十時間も見てしまった。
そして、なんと言っても、頭が痛いのに、寝れない。
疲れているのに眠れない。眠たいのに眠れない。
とにかくとにかく、眠れないのだ。
布団に入って目を瞑っていれば良いとお思いだろうが、違うんだ。
そんな事すら出来ないんだ。すごくしんどいんだ。
家族とご飯を食べるのも出来なかったし、外に出るなんてもってのほかだった。
精神科から処方された薬も飲めなかった。
外なんて一歩も出れなかった。

詳しい人はお分かりだろうが、これは主にうつ障害の症状と言える。

外傷は目立つが、心の奥底に秘められた気持ちを見透かせる人間なんて居ない。どんだけ血が出てぐちゃぐちゃになっていようが、気づかない。

それどころか、あろうことが本人がだらけていると、思い、その傷口をえぐり、自分が何をしているかも知らず、去って行ってしまう人がいる。それも、大数派だ。

今の言葉を読んでいて、大袈裟だなと笑った人がいると思う。
それは否定させてほしい。鬱は立派な障害なんだ。

目が見えない人の考えてる事、見えているもの、気持ち、分からないでしょう。
理解しようとしなくて良い。でも、傷口に塩を塗る事は絶対に避けて頂きたい。


それと、最初の一人称の「私」には続きがある。

外に出られないまま一年ぐらい芋虫のような生活を送っていると、「フリースクール」という言葉に目が留まった。
フリースクールとは私と同じように、学校に行けなくなった子達が通うところ。
私は一年を通して色んな事を考えた。
いや、実際なんも考えていなかった。
でも着々と経験値は上がっていた。エネルギーは溜まっていた。
私はフリースクールに、行っていることにした。
生徒達は明るくて、かっこいい子もいればギターが凄い子もいるし、パソコンができる子もいた。
先生と明るかった。
正直、アホらしく話している姿を見ていると、ついていけない。やはり私は何をしても駄目なのか。
と思っていると、一人の女の子が、話しかけてきた。
名前はNちゃんとする。
Nちゃんは一つ年上の女の子で優しい子だった。
思えばその日から変わったのだ。
一年間芋虫みたいに生きてしまった罪悪感は、自分の過去を他人として、客観的に見る事ができるようになるにつれて、消えていった。

生きてても良いんだ。

と感じる瞬間は、柄にも泣くような性格をしていないが、目尻が熱くなる。


私は、変わったんだ。今までの自分とは違う。
もう、生きててもいい。死んでもいい。
選択肢はずっとあったけど、ずっとずっと選びそびれた。

私は、人の少ない時間だと、外を歩いても良いということに気がついた。
今では1日に必ず10km以上歩くようにしている。
まだうつ病という精神のハイエナから、身を萎めてしまう時もあるが、
過去の自分に言ってやりたい。大丈夫と。

4/17/2024, 2:05:19 PM