『枯葉』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
温故知新
余計なものを脱ぎ捨てて
空白の状態でもう一度
またこれからを始めてみる
今年か来年か
成長点になるのが
いつになるかもわからずに
もう一度新しいを身につけて
落とした物を集めて燃やして
残った灰を利用して
燃やさなくても時間をかけて
じっくり吸収させていき
選んだものは記憶と力にできる
誰かの恩恵も大切に頂いて
枯葉
高く聳え立つ寸胴が老いてく
パサついた天気の中
あの青々とした木々の思い出が
駆け巡っていく
落ちる秋
枯葉
パリッと音がして
足もとをみると枯葉が破れてばらばらになっていた
色付いた若葉も美しく咲く花もひらひらと落ちて
誰かが踏んだり雨や土で汚くなってしまう
綺麗なものは綺麗な分だけ
脆くてすぐに壊れてしまうものなのかな
梢から落ちた色に馳せる熱
忙しくしている焦燥感、浅い眠り
過ぎ行く秒針に募る
乾いた虫食い穴から覗く恐怖
猫足風が連れて行く、もうすぐ春の泊
枯葉を踏みしめて
優しい眼で見守って
揺れる白いワンピース
そんな貴女が大好きよ
一緒に食べたミルフィーユ
「千年先まで一緒にいましょ」
べっ甲柄のメガネと
ふわりとはねる茶髪を見れば
にっこり笑う影があった
手をつなごう
話をしよう
夜が明けるからじゃ遅いのよ
幾重にも重なる時の葉は
もう土に還ったみたい
冷たい雨と重たい石は
枯葉に隠れて消えちゃった
お題 枯葉
鮮やかに色付き、ひらひらと舞い踊りながら散る様は、儚いのに美しい。
そう言われる反面、散った後ばかりに目を向けられてしまうのは何故だろう?
それはきっと、自分を重ねているからで。
変化を嫌う自分は、華麗に舞い踊る”枯葉”にはなれなくて。
踊ることもなく”木”にしがみついて、”木”を知らないまま終わる葉の成れの果てでしかないのだろう。
枯葉
自然の中で1番仕事してる
朽ち果てても来世へと何も言わずに
ひらひらと落ちて
また新しい命に繋げる。
人なら
蹴落とされて
朽ち果てるのに。
でも蹴落とした人が枯草になるのを
求めてしまうのもまた罪悪感で。
輪廻転生で終わらせよ。
どんなものでも次に繋がる。
でも蹴落とす悪にはなりたくないねえ。
〜枯葉〜
石を拾い
枯葉を拾い
松ぼっくりは離さず
飽きたら捨てるが、また拾う
「君の見る世界は
すべてが宝物なんだね」
とは言いつつも
バレないように
優しく破棄する保護者たち
ちょっと不条理な
公園の日常
🍀枯葉
私、枯葉のパキパキ感が好きでよく踏み潰して
秋が来た感じとか悲しい感じとか
そういうのを音として楽しんでるの。
―枯葉―
色褪せて木から降ってきた枯葉と
くすんだ色をした市販のドライリーフ
見た目は変わらない
それは見分けがつかないくらいに
でも
環境が違う
生まれが違う
目的が違う
一生が違う
待遇が違う
河野裕子さんの「たとへば君ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」という短歌が好きだ。ここに描かれるのは新緑ではなく、落ち葉でなければならなかった。枯れ落ちた葉が立てる乾いたガサッという強い音だからこそ表せた情熱があるのだ。
多くの枯葉は木枯らしに巻かれて落ちるのに、新しい葉が出てくるまで落ちない枯葉がある事をつい最近知った。
柏の葉だ。
家には昔から柏の木があったのにそれに気づかなかったのは、毎年晩秋身内が木の葉をのこぎりで落として丸坊主にしてしまっていたからだった。お陰で私は、柏の葉も秋に落葉するものだとばかり思っていた。
今度、一度でいいから葉をそのままにした冬の柏の木を見てみたい。
でも、雪で埋もれる地域だから無理かな。
木の葉としての大役を終えてもなお、自然のために生きるその姿はとても綺麗で美しい。
『枯葉』
枯葉。
それは「かれは」とも読むが、「こよう」と読むこともある。
意味を辞書で調べてみると、「枯れた木の葉や草の葉」と出てくる。
枯れるには、
「・草木が衰えて命が終わる。
・自然に乾いて材木の水分がぬける。
・多年の修練などの結果、なまなましい鋭気がとれ、
深みのある味をもつようになる。」という意味がある。
人間も草木のように枯れていけばとてもカッコイイのに。
病気や寿命は仕方のないことかもしれない。
しかし、事故や自殺はどうなんだろうか
私も何度も何度も考えたことはあるが、
結局実行出来ずじまいだ。
草木のように真っ当に生きていけるように。
生きることがカッコイイことと胸を張れるように。
枯葉になるまでがんばっていきたい。
『決意』
自分は何に対しても3日続けばいい方なのだが、大抵はその日(始めた日)で終わってしまう。
それの克服と自己表現の練習にと「書く習慣」を始めたが…やはり例に外れなかった。悔しい。
それでも続けたい気持ちはずっと保っている。まずは書きたいと思った時でいい、書く習慣をつけていこう__
枯葉みたいだと思った
最初は青くて、満たされていた
雨の日ですら輝いて
でも最初のそれは長くは続かなくて
どんどん軽くなっていって
最後は粉々になった
君のこと、好きだったよ。
君も同じだったでしょ
枯葉みたいに終わった僕たちの
#枯葉
あなたは人の死に触れたことがあるだろうか。
私が初めて〝死”を目の当たりにしたのは、6歳。
小学校に上がったばかりの時だった。
紅葉舞い散る秋季。祖母の死期が近いという知らせを受け、母と共に田舎の実家に行った。大人が何か深刻そうな顔で話している間、私は祖母が横たわっている部屋にこっそり入った。
祖母はまるで、枯葉のようだった。夏に遊びに来た時は、あんなに元気そうだったのに。人間、こんな短期間でここまで弱々しくなれるのかと思うと、変な気分になった。
人の命は、木のようだと思う。初めは若葉から、やがて幹は太くなり、葉をつけ、花を咲かせる。そしてひっそりと散っていく。
どんなに美しい花を咲かせても散る時はどの木も同じ容貌になるのと等しく、人間もどんなに栄光ある生を送っても、死ぬ時は人間として儚く散るのだ。
これを人の尊さというべきなのか、はたまた愚かさというべきなのか。その結論に至るのはきっと、私が枯葉になる時だろう。
枯葉
私は今日失恋した。ずっと片思いした人にだ。
やっと思いを伝えようとした日彼は隣のクラスのかわいいと噂される子七瀬さんに告白していた、実際二人は前から仲良しだった。
それなのにどうして私はバカなことをしようとしたんだろう?分からなくなった。
辛い好きな人の告白を見ていると苦しかった。
どうして気づかなかったんだろう。最初から分かっていたはずなのになぁ。
私は涙が止まらなかった。そのとき枯葉がヒラリと落ちた。枯葉も同じ気持ちなのかなぁ?
でもなんだか少し楽になってきた。「 大丈夫だよ 」とどこからか声がした。
なんだかその声を聞いて楽になった。
枝から舞い落ちた葉っぱ。
青々しさは無くなり、人に踏まれ、
あるいは雨に濡れ、あるいは再び風に舞い…。
色変わりした葉っぱは、なぜか寂しく
見えてしまう。
私は、秋の穏やかな日差しが苦手だ。
これも、なぜだか寂しく感じてしまう。
これからやって来る冬に、憂いを感じて
いるからだろうか。
枯葉の花言葉は「憂鬱」。
まさに自分と同じだ。
「枯葉」
君と過ごす初めての秋。
落ち葉がいい感じだからお散歩デートしよ!なんて無邪気な君からの誘いで外に出た。
もう秋も終わりだからか、陽が出ていても外は寒くて、時折吹く風が僕の憂鬱な心をさらに冷たくしていく。
秋が終わって、冬が過ぎて、春になれば僕と君は離れ離れになってしまう。
遠距離恋愛なんて初めてだから、上手くいかなかったらどうしようと不安になってしまう。
自分の気持ちや君の気持ちを疑っているわけじゃなくて、むしろ好きすぎるから、離れた場所で1人で過ごせる自信が無いんだ。
…嫌だな。心が、寒いよ。
「見てこれ!」
急に視界に入ってきた黄色と君の声に、ハッとして顔を上げる。そこにはイチョウの葉っぱを手にもって楽しそうに笑う君の姿があった。
「すっごい綺麗だねぇ!だから私秋が大好きなの!」
そう言って落ち葉の中を楽しそうに進む君の姿は、僕のちっぽけな不安なんて吹き飛ばしてしまうほど眩しかった。
「私もちょっぴり不安だけど、きっと大丈夫だよ。枯葉の花言葉はロマンチックなんだって。こんなに素敵な花言葉を持ってる落ち葉の中にいる私達は、そう簡単に離れたりしないよ。」
…数年前の出来事をゆっくりと思い出して、僕は閉じていた目を開けた。僕は今日、あの日と同じこの場所で君にプロポーズをする。
色付いて風に舞う枯葉たち、どうか思いっきり祝福して。
ロマンチック、なんでしょう?