『旅路の果てに』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
とある世界のとある村に、とある青年がいた。剣と魔法、人間と魔物が存在するこの世界で、彼は魔物が村人たちを襲っていることにとても憂いていた。
自分の前にも魔物が出現れた。なんて凶悪な姿だろう、このままでは自分も襲われてしまう。咄嗟に掴んだものは、なんてことないただの枯れ木の棒だった。しかし彼はこの棒で死に物狂いで闘い、「生」を勝ち取った。
この出来事をきっかけに、青年は魔物を統べる魔王を倒す旅にでた。村を出て、王都で信頼出来る仲間たちに出会い、南の海で海賊を倒し、東の火山でドラゴンと友達になり、北の大地で魔物を倒し街を救い、西の森で勇者の剣を手に入れた。
そんな紆余曲折と数多の冒険を経て、ついに彼は魔王を討ち取った。そして国から勲章をもらい、綺麗なお姫様と結婚し、幸せに暮らしたとさ。
彼の冒険は、伝説として後世に語り継がれた。
それから数千年後、子供はパタリと本を閉じた。よい冒険劇だった。ドキドキワクワクが止まらない。1番お気に入りのシーンは、やっぱり魔王を討ち取るところだろうか。僕もこんな風に世界を救ってみたい!
「お、こいつ人形なんか持ってるぜ!」
「やだ、返してよ!」
家の外から、この辺では有名な、体の大きな男の子が、女の子から人形を取り上げた声が聞こえてきた。ふと視線を落とし、今まで読んでいた勇者の伝説が書かれた本を見る。子供は立ち上がった。手に持っているものは勇者の剣、ではないが、何かできることがあるだろうか。
とある世界のとある街に、とある男がいた。科学が発展し、生活を豊かにしているこの世界で、彼は優しい両親のもと、伸び伸びと成長していった。そこそこの大学をそこそこの成績で卒業し、そこそこの企業へ就職した。可愛い恋人もいて、その彼女とは20代半ばくらいで結婚した。プロポーズするときは緊張したけれど、妻が泣いて喜んでくれたときは俺も嬉しかったな、と目を細めた。
息子を授かり、俺がこの家庭を守っていくのだとやる気が募ったその矢先、30代入ったところで、彼が病に侵されていたことが分かった。それは早期発見で治る病気だったが、彼の場合はもう病状が進んでしまっていた。
仕事を辞め、手術とリハビリを繰り返す闘病の日々。医者に入院を勧められて数年、ついに身体が思うように動かなくなり、近々訪れるだろう最期を悟った。妻と子が彼の横で泣きながら自分を呼んでいる。彼女たちと過ごした時間を思い返し、幸せな人生だと微笑んだ。それが、彼の最期の記憶だった。
熱を失う父の姿に、彼は決心をする。長いようで短かった父の闘病生活は、どんなに辛くとも諦めていなかった。父のような人を助けたい。こんな結末を迎える人を1人でも多く減らしたい。
将来、多くの人の命を救う名医の「始まり」だった。
『旅路の果てに』
勇者の魔王を倒す旅は、子供に「勇気」を与え、
父の「人生」という旅は、息子に「きっかけ」を与えた。
長い長い旅路の果てに手に入れたのは1枚の地図だった。女神は私に告げる。
「あなたは旅に出るのです」
何を馬鹿な……。
私はこれまで身を擦り減らして旅をしてきたというのに。山の女神が持つ宝を求めて、ここまで来たというのに。その宝が、地図だと……?
「この地図の赤い矢印がある場所に、本当の宝が眠っています」
さぁ、お行きなさい、彼女は洞窟の出口を指差す。
そんな……これからまたあの危険な旅をしなくてはならないのか。そんな、そんなことあってたまるか!?
私はきっと女神を睨んだ。
すると彼女は微笑みを浮かべたまま言った。
「人の子よ、神に反抗するとは、愚かですね」
彼女は持っていた杖を回し始めた。すると時空が歪み、別の世界が見える。これは……。数多の金銀財宝、あぁ、これこそが……宝なのか。
私が手を伸ばそうとした時、彼女は杖を振り上げた。振り下ろすと同時に財宝は崩れ落ち、形をなくしてゆく。総てが塵になった後で、微笑みを崩さぬまま彼女は言った。
「あなたのこれまでの人生は、今、総て、無意味なものになりました」
私達は、東京の夜の街を練り歩き、カプセルホテルに泊まった。コンビニが近くに有ったため、そこからWi-Fiをひき、知人に、近日中に海外にいけないかお願いした。なんと、明日には行けるそうで、一緒に乗せていってくれるらしい。パスポートは、私も彼も持っているので、幸運だった。知人曰く、ヨーロッパまで行き、海洋汚染についての研究があるらしい。私にとって、ヨーロッパは願ったり叶ったりだった。私は、イギリスのロンドンのシャーロック・ホームズ博物館に行ってみたかった。フランスのルーブル美術館にも行ってみたい。パリのレストランに行って半日潰してみたい。今の年齢じゃお酒は飲めないが、それでも充分すぎる程に楽しめる筈だ。仕事もしてみたい。知人の手伝いも良いし、私と彼で、その研究所を借りて、新たな研究をしても面白い。仕事をしながら、学校に行くのも、なかなか刺激的な事だろう。良い地域があれば、戸籍を移して住んでしまうのも、ありだと思う。こんなことを思いながら、私達は別の部屋で眠りについた。
きっと、彼とだったらいろんな事が出来ると思う。
世間一般では、よく人生を旅に例える事が多いと思う。苦難も、苦痛も、星の数程あると思う。愉快さも、のどかさも、歩いて来た数だけあると思う。その旅の果てには、死しか無いとしても。それでも、今私達は生きている。いつ死ぬか分からないのに、平気で土日に遊ぶ約束をする程に。私は、本当に彼に会えて良かった。彼が側にいてくれて、本当に感謝している。いつか、私の旅が終わる時、彼が隣に居てくれるのなら、良い人生だったと心の底からそう言える。愛している人が側に居ることがこんなにも温かくて居心地の良いものだと知れて、嬉しい。私の旅と言うのは、発見の連続で、退屈なんて感じる暇が無いことを指している。もし、その隣を彼が歩んでくれるのなら、私は彼が私を選んだことを正解だと言えるように、証明し続ける事を彼に誓うよ。
旅路の果てに、遂に辿り着いた。
これまで、本当にしんどかった。
苦しくて、投げ出したくて、仕方なかった。
でも、それでも人間が好きだから、なんとか食らいついて生きてきた。
人間が好きな人は、いつか報われる。
しんどくたって、その頑張りを見ている人は見ているし、評価してくれる人は思っていたより多かった。
そういうふうに見れなかっただけで。ただ、自分が悲観的になっていただけだ。
ありがたい。
この旅はまだまだ続くし、いつ終わるかも分からない。
この旅路が過去の私のような、さすらう人々へ届け。
旅路の果てに、私が手にしたものはなんだ?
仲間?技術?力?それとも、全部?満足するもの全部?
……答えは、分からない。
一番だめな答え。
でも、これは言える。
手に入れるものも多かったけど、
失うものの方が多すぎた。
でもそんなんじゃ、
まだ旅は終われない。
終わっちゃいけないんだ。
〜旅路の果てに〜
生まれてきて多分大きな宿題を貰ったんだよ。
それをなんで?!だとか、
誰かのせいにするとか、
何でも無い人たちを羨むだとか、してきたんだ。
どうして?
それはみんなと同じ様に行動できないから。
いつかは手術をしなければいけないって
言われてた。
忙しいとか、今じゃないとか、費用がかかる
とか、言い訳にして後回しにして来た。
長かったね、
体のあちこちの細胞や筋肉や骨が、私の弱い部分を今まで守ってくれた。
ありがとう、もう、自由に動いていいよ。
ようやく宿題が終らせられる。
長い、旅路の果てに、だったね
先日勝手に公開したプレイリストにもあったが、私は生粋のJAM'S、要するにMrs.GREEN APPLE好きである。
今回のお題、「旅路の果てに」と聞いて、アルバムSoranjiに収録されている、「フロリジナル」という曲を思い出した。その中の一節が、こちら。
「目で見てみないと 冒険しないと ワクワクが腐るから外へ出たい」
ワクワク、という可愛らしい響きに、「腐る」という印象的な言葉。
優しい歌声に癒されるもよし、一つ一つの言葉に着目してみるもよし。もし機会があれば、上の一節にも注目してみてほしい。
工場で働く1人の青年がいた。
コンベアから流れる小さな部品たちを眺め、青年は考える。
(俺は今のままで良いのだろうか)
今の生活は平坦だがそれなりに安定している。
しかし、目の前で流れる部品たちを見ていると、所詮、自分も社会の歯車という部品の一部でしかないことを思い知らされているような気がして、とても不安になった。
形容し難い不安感に襲われて、自分を見失いかけた青年はある一つの提案を思いつく。
(そうだ、旅をしよう。そこで本当の自分を見つけるんだ)
次の日、青年は仕事を辞め、小さなバッグに荷物を詰め込むと、世界一周の旅に出た。
世界一の大都市を見て周り、異国の言葉と文化に触れ、貧しい国の生活を知ることもできた。
長い旅路の果てに、青年は自宅へと帰還する。
そして、ある一つの事実に気づいてしまう。
「なんということだ。来月の家賃を支払うお金がない」
慌てて知人から日払いの仕事を紹介して貰うのだが、そこは以前勤務していた工場だった。
自分なりのゴールに到達。
そこから先の移動手段が無い。
路銀が尽きた。
命が尽きた。
やんなっちゃった。
旅路の果ては色々だろう。
まあ、誰かの旅行に付いてったことしかない私は
誰かの旅路の果てしか知ることはないので。
とりあえず、自分の旅に出ないとな。
(旅路の果てに)
旅路の果てに
旅路の果て…?
そんな壮大な旅行したことないが。
たかだか1泊2日や2泊3日くらいの旅では
果てなど感じないだろう。
自分のような小者が経験する
果てのある旅路など
人生くらいだろうな。
人生を旅路に置き換えると、
私の旅路はどう考えても後半に入っている。
果てがいつ来るのかは知らないが、
旅路の果てには何か待っているのだろうか。
何かご褒美的なモノが待っててくれると
ありがたいな。
paki
『旅路の果てに』
もうすぐ私の旅が終わる
そこを乗り越えたら
いったい何が待っているのだろう
希望や夢、暗闇かもしれない
もうすぐ答え合わせの時間だ
私は進む
旅路の果てに
【#5】
旅路の果てに、間違いも何もかもを「愛してる」と笑える人間で在りたい。
私は斜陽で御座います。
つか思ったんだけど、ちゃんと
推理してんのか?皆は。
確かに俺が頼ンだ側だけど、
頼まれてくれたのにしねェなんて
そりゃアねえだろ~~?
まぁいいや、そう言えばさ、
俺また、昔の事思い出したんだよ。
俺、愛してた奴がいてさ。
それ、……ボロッちィ本だったんだ。
此方はフィクション作品です。
大変遅れ馳せました。
:斜陽のひとこと。
お題:旅路の果てに
旅路の果て
その時どんな状況でどう感じているのか
そんなもの知らない
知っていたら面白くないじゃないか
知らないからこそ、もっと冒険したくなるし、頑張れる
今日も自分の描く未来を想像して楽しく生きよう
どんな時でも笑顔は大事♪笑
2024/02/01/(木)
旅路の果てに
魔王を倒す聖剣を抜いて、旅立って十年
ついに魔王を打ち倒し 平和を取り戻した
我々パーティーは、王都に帰りたくさんの
人に感謝された。
馬車で国中を周り凱旋パレードをして
都の人達に恭しく挨拶をされ
握手を求められ
一日が終わりに近づいた夜は、
酒や食事や踊りを供され
ささやかな宴の中心になった。
この日を我々パーティーは、
待ち侘びていた。
長年 混沌に苦しんでいた
都の人達は、肩の荷が降りた様に
安堵の息を吐き笑顔を見せていた。
これで、我々の冒険は、終わった。
この宴が終わったらパーティーは
解散し また新たな道をそれぞれに見つけ
旅立つだろう...
旅路の果てに得た経験を財産に
また新たな旅路を進め
それぞれの安住の地の果てを見つけて
辿り着くまで...
我々パーティーのそれぞれの冒険は、
続いて行く。 .....。
『旅路の果てに』旅路の果てって、本当の旅とか、命尽きる時を想像する。
死ぬまでに何を学ぶか、理想どおり学ぶことができるのか、病気になるのか、看取ってくれる人はいるのか、天の川は実在するのか、輪廻転生があるならば自分は転生するのか、転生したらまた君に会いたいとか、たとえ人の脳が作る創造物だったとしても心救われるために良いものなのかもとか、いろいろ考えると旅路の果てなんか有りはしないと考えた方が楽になる。今あるままに生きていればいい。
[旅路の果てに]
この先には、希望がある。夢や目標を叶えるために、一歩一歩前に進む。この先の未来は、どんな新生活が待っているかな。楽しみだ。
「ラッシャッセーぃ」
威勢のいい掛け声が店内に響く。
「ここ若者の店なんじゃないの?いいおっさんが来て大丈夫?」
「そんなことねーよ。おでんとか焼き鳥とかも充実してるしさ。おでんで何がうまいと思う?ここは芋よ、絶対」
同僚の高柳が熱弁する。
「おれは大根と卵が好きだけど」
適当に答えながら、カウンター席に並んで座る。椅子席が三席、あとはカウンターの狭い店である。店内は満席だった。
「どう、移動後の営業は」隣に座った、高柳が聞いてくる。
「どうってか…まあまあ慣れてはきたよ」
そうは言っても、畑違いの移動は、孝則にとって晴天の霹靂だった。
もともとは入社後から開発部に所属しており、そこでずっと太陽光の発電に携わってきた。それが四十をこえて、いきなり営業に回されようとは思わなかった。
もちろんすぐ仕事に慣れるはずもなく、この年にして新しいことばかりで四苦八苦している。
「まあ会社が決めたことだけどさ。とりあえず、そんな悩まないでやってみろよ。」
中学からの腐れ縁の高柳は、物事を深く考えすぎない性格であり、なんでも深読みしては悩んでしまう苦労性の孝則にとっては、一緒にいて気楽に過ごせる相手だった。
「生ビールふたつ」孝則が頼むと、
「はい喜んで~!」と店員が叫ぶ。
孝則は面食らいながらも、いつもちょっと笑ってしまう。
「高校のとき、山崎っていたじゃん。山崎達哉」
「ああ、確かB組にいたな。」
「そうそう。文集で担任の石山の悪口書きまくった、伝説の山崎」
「そうだったな。あれは笑ったわ。石山はまず口が臭い、ではじまるやつな。あいつがどうしたって?」
「会社興したらしいよ。それがこないだ倒産したって」
「まじか」
とりとめもない会話をかわしながら呑む酒には、罪がない。
「文集って言えば、“旅路の果て”っていう詩書いたよな、おまえ。」
小ばかにしたように高柳が俺を見る。
書いたかもしれない。当時どこかからそのフレーズを耳にして、雰囲気で書いた気がする。文集で書きたいことが、特になかったから。
「どこにいくかわからない。
なにになるかわからない。
旅路の果て、それがどこなのか、僕にはなにも見えない。…ははは、わからなすぎだろ」
「なんで覚えてんだよ」
「昨日山崎思い出してさ、文集読んだんだよ」
「あんのかよ家に」「ある」
物好きなやつだ。
ひとしきり思い出話をして、その日はおひらきとなった。
ひとり居酒屋の帰り歩いていると、月の輪郭がやけにくっきりして見えた。少し肌寒い。そういえば秋になるのか、街路樹の葉が赤く色づきはじめている。
月にみとれながら歩いていると、高校生とおぼしき若い男性にぶつかりそうになった。
「あぶねーな、おじさん」
おじさんじゃないもん。娘の結実の口癖を心で真似る。
もちろん実際には顔は無表情で、すっと会釈して避ける。
おじさんになっちゃったんだよなぁ。
おじさんと言われても、自覚がない。ここからおじさんだよ、のラインが見えない。
ふと鏡を見て、増えた白髪や目じりのしわに気づいたり、朝起きたらやたら腰が痛かったり。若い後輩と話がずれたり、そんなときに思うだけだ。年をとったんだなあと。
ただ、今でもはやりの曲は耳にするが、心が動かされるのは10代20代によく聴いた曲だ。
新しい曲をいいとは思うのだけれど、曲の中に何かの答えを探すような、心の奥底で何かが共鳴するような、そんな感覚に久しく出会っていない。
10代、20代のころは、自分のことだけ考えていればよかった。
30代、結婚をして子供ができた。その時から、孝則の一番は自分ではなくなった。
40代、親も年老いてきた。昔は何にも揺るがなかった親という存在。それが、いつしか守るべきものに変わってきている。
どんどん世界が加速してきているように感じる。いつもは目の前にある仕事をこなすだけで精一杯なのだが、突然歩き出せないような疲れを感じることがある。
こんなふうに、月を見上げることなんてなかったな。
旅路の果てってどこなんだろう。
そもそも、なんの旅路なんだろう。
俺は、どこに行こうとしているんだろう。
こんなことをこの年になっても、考えてしまう自分がいる。
どこにいくかわからない。
なにになるかわからない。
旅路の果て、それがどこなのか、
僕にはなにも見えない。
過去に適当につづった言葉が、酒のせいか何やら胸に迫ってくる。
わからないものは、わからないままで。
とりあえず今は、もう少し月をみていよう。
音もなく吹いた風が、そっと街路樹の葉を
一枚散らした。
旅路の果てに
彼らの旅路は、どこまで続くのか。
私が書かなければ、果てには届かない。
彼らが帰ってくるまでに、為すべきことを為す。
これが私のするべき使命だ。
彼らの命は私が握っている。
私が投げ出すわけにはいかないのだ。
“旅路”で“果て”だとどうもシリアスになる。
旅の終わり……そういえば沢木耕太郎の『深夜特急』、大昔に読んだけれど内容をほとんど忘れてしまった。最後はどうなったのだろう。
沢木耕太郎より時代は下るが、私がまだ若かった頃も若者の海外一人旅が流行った。
東南アジアやインド、南米など、当時の個人旅行先としてはマイナーな国を目指すバックパッカーが結構いた。
飛行機のチケットだけ取ってホテルも決めず日本を飛び立つ。お金をかけず安い宿で寝起きし、土地の人と同じものを食べ現地を巡る。トラブルはつきもので、それすら楽しんでいるようだった。
当時は海外の物価も安かったので、日本でバイトをして稼いでは旅に出る、を繰り返す人もいた。
旅行記を書籍やホームページで発信する人も少なからずいて、私はそんな彼らを無鉄砲だと思う一方で、羨ましさも感じていた。
旅に出たら自分も変われるかもしれないと思っていた。
いまやインターネットが全世界に普及し、良くも悪くも便利な時代、バックパッカーの醍醐味が非日常なら昔ほどは味わえなさそうだ。
私も今さらこの年で無謀な旅はしたくない。
それに、もう何も変わりはしないと分かった今、いわゆる「自分探しの旅」に出る理由もなくしてしまった。旅に出ずして果てを迎えそうである。
『旅路の果てに』