『旅路の果てに』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
〖旅路の果てに〗
目標のために旅をした人も
なんとなく旅をした人も
短い旅だった人も
とてつもなく長い旅をした人も
それぞれが旅路の果てに何を望んでたとしても
結果が思ってたのと違ったり
もしくは望んだ結果になったり
結果がどうなるかわからない
でも旅をしたという事実と経験は確か
だから旅路の果てに明確な『答え』は
期待しない方がいい
旅ができたことが素晴らしい
旅をした自分を褒めることが大切。
終わりは考えたくない
馬鹿の顔でずっと笑っていたい
果てなんて無くていいよ
地図なんかずっと間違えて見ようよ
2024 1/31 (水) 12『旅路の果てに』
春、夏、秋、冬。
春、夏、秋、冬。
何度も何度も四季を超えて。
冷たくてアルコールのような汗を燃料にして。
走って。走って。走って。
ついたのは、一つの花瓶。
私がただ愛した、たった一つの花束。
その花束に触れて、愛を吸って。
軽くなった足取りで、小さな旅は終わりを告げた。
たった一つの愛するべき物が、人があるなら。
私はなんだってできる―
旅路の果てが
人生の終着点なのか
自分が、幸せだと感じられる
場所に辿り着いて
生きてゆくことなのかは
分からないけれど
他人や家族が…だとか。
自分が駄目だからとか。
誰かや、何かに理由をつけて
最悪な人生だった。なんて事には
したくないなぁと思う。
頭と心だけは、柔軟でありたい。
それが、私の旅路には必要だから。
【お題:旅路の果てに】
長い旅をへて
色々な経験や
色々な感情を学んできた。
最初は自分勝手に動いていたのに
徐々に場の空気を読めるようになったり
最初はなんとも思っていなかった
彼女のことが
愛おしくなった
プログラムにいれられていない
新しい物や感情を知れた
とても嬉しいことなのに
彼女が居なくなるだけで
僕は
今までのように接することができない
やはりまだ
僕は
出来損ないの機械にしか
過ぎないのだ。
#お題 『旅路の果てに』
旅路の果て。それは日常である。
何かを成し遂げてもそうじゃなくても。
旅路の果て
誰も見てなかったんだな。
【…】
「あれ、明日どっか行くの?」
「あぁ笑…俺、親父と山を登ってくるんだぜ!羨ましいだろ!!色々持ってくるわ!!」
【何か…、見たことある…、】
「____っ!!!!!!!!」
【ん…?】
「な、なぁ、山ー、さ…いかないでくれないか?」
「ん?笑何でだ?」
「お前がさ、その…山に登ろうとしてる日にさ、暇、になるんだよ。親も帰ってこなくなるっていうかさ…、寂しいって言うかさ…。」
「…んだよそれ!!笑まぁ、多分そういう事だったら親父も良いって言うと思うぜ!」
【俺は何を見ていたんだ…?】
「本当に…、すまんな、」
【いや、誰も見てなかったんだな。】
ハッピー・エンド2 亡くなった記憶
_____________
ちゃっかり、
行かないでくれないか?と
逝かないでくれないか?を
かけてました。次も楽しんでってなー
20日目【旅路の果てに】
去年はずっと30代の頃を振り返っていた。
失敗ばかりで苦しかった30代。
もちろん、楽しかったことも、良い思い出もあったけど、全部苦しさが覆い被さっていた。
30代振り返りの旅路の果てに、一つわかったことは、「失敗」と捉えず、「学習」と捉えること。
「失敗」だと落ち込みになり、「学習」だと前向きになるんだから。
私の人生は、あと40年は続く予定だけど、人生の旅路の果てに、間違いなく30代はターニングポイントと思うだろう。
いい旅か悪い旅かなんて
終わってからじゃなきゃわからない。
なんか最近、待っててね、とか、そうゆう系が多かったので今回は持論を語りたいと思う。
のなめの持論なんか興味ねーよって人は飛ばしてね
今世界では、発展途上国の問題について熱心に議論されている。どうすれば助けられるのか、なんでここまで差がついたのか、その他いろんなこと。
日本という国は、歴史で学んだように、さまざまななことを経験してきた。
縄文時代から始まり、卑弥呼という女性の王による統治。
飛鳥時代には聖徳太子が活躍し、奈良時代になると大化の改新って言って、ある種の運動みたいなものが起こった。
その後、平安時代になると、国風文化が栄え、今に通じるような仮名文字や平等院鳳凰堂なんてものが作られてきた。
鎌倉時代には、源頼朝が鎌倉幕府を開き、義経との争いも勃発した。東大寺南大門とか、金剛力士像はこの時代に作られたものの代表として挙げられる。
室町時代、安土桃山時代になると、豊かな文化が栄え、みんなに人気な織田信長が登場するなど、大きな変化の時代となった。
そして、江戸時代になると武家諸法度が制定され、大名は幕府に統治された。いろいろな改革が行われて、たくさんの政治的な遺物が現代まで残っている。また、鎖国なんてものも経験し、自ら外国との関わりを断つなど、政策は多岐に渡った。
ペリー来航。開国。そして、二度の大戦を経験し、今の日本、つまり、令和の日本があると言えるだろう。
そして、今、発展途上国について騒がれているのだ。
ここまで、ただ歴史を辿ってきただけになってしまったが、私が言いたいのは、
「発展途上国というものはなく、まだ、その国が日本でいう江戸時代、明治時代を生きているだけなのではないか。周囲の国が発展しすぎた結果、遅れているように見えているだけではないのか」
と、いうことだ。
現に、今アフリカの多くの国では人口爆発が起きており、これは日本の江戸、明治時代に起こっていたことと重なる。
もちろん、まだ江戸時代だから、放っておこうというわけにはいかないのはわかる。支援は必要だし、その国に気を遣っていくことも大切だ。
しかし、今私が言ったような考え方で捉えてみるのも一つの手であると言える。江戸時代はとても長かった。そんな時代が続くこともあり得るだろう。
日本には、俳句という文化があるのはもちろん知っているだろう。5・7・5の音で表され、自然を詠んだり、感情を読んだりと様々な技法がある。
だが、その俳句を英語にしようという動きがあるのはご存知だろうか。5・7・5の音なんてありはしない。私は正直言って反対派だ。
このように、その国にはその国の文化があり、侵害されたと感じる場合もある。
発展途上国を、江戸時代、明治時代の日本を辿っていると考えるのは必要だと考える。そして、その国の支援を続けていくことも大切だ。
だが、その国の文化、宗派、言語、信仰、に寄り添い、支援を続けていくことが「真の支援」になるのだろう。
旅路の果てに
手を伸ばせば届きそうな雲。アスファルトを焦がす太陽。
少しほこりを被った街。錆びたやかん。手付かずのカップラーメン。
静まり返ったここに来たのは1ヶ月前のことだ。大きなリュックに未来と過去を背負って、この街までやってきた。
初めこそ1人であることが怖かったが、今ではそれが心地いい。
久しぶりに友人に連絡を取ろうとハガキを出す。彼女がくれた万年筆で文字を綴る。書き進めるうちにまとわりつく暑さに嫌気がさしたので、窓を思いっきり開ける。
すると普段聞こえないはずの、歌が聞こえた。
それは私を動かすのに十分だった。音を辿るうちに見つけたあなたの姿は、
私に旅をして良かったと思わせる力があった。
迷ってきたね
すごくまわり道してきた
大変だったかもしれない
振り返れば 遠かったかもしれない
だけど宇宙から 俯瞰すれば
ほんのちょっとの道のりだった
目先の数センチが長く感じられたね
ちょっとしたことなのに 重かったね
不安だったよね
必ず振り返られる時があると信じて 進んでたよね
そう思えば 今も 俯瞰できるかなんだ
別の次元から自分を観てみる
そして 別次元から 自分を操作できるようになる
自分軸の私
現実の次元の私は 他人軸に巻き込まれる
逃れられないこの次元
だから 別次元で自分を操作する
時間と空間を感じる大事な場所
潜在意識を感じる 大事な場所
そこから見る私は素晴らしい
旅路の果てにあるものがはたしてなんなのか
分からないから日々旅に生きているのである
長年の疑問や当たり前に思っていた心の癖や習慣が解放されるなんてことあるのだろうか
罪悪感や自己嫌悪から逃れるため本心を偽り続けてきた生き方。
それがある日何か腑に落ちる思想が生まれて、まるでもうありのままの自分として人生を新たにやり直すみたいなことなんて‥あるのだろうか
人生という長い旅路の果に心の解放はあるのだろうか
私はどうにもそんなことはないように思える
人生、映画のようにはいかないのではないかしら
誰しも何かしら窮屈なものを抱えたまま生き、何とも言えない心苦しさを胸に押し込め、人には伝わらない鈍痛を心に閉じ込めているのではないだろうか
そしてそれは解決もなく、解放されることもなく、モヤモヤを抱えたまま死んでいく
悟らない、完結しない…からいいのでは
仮に悟り、完結し、解放されたらまた新たなモヤモヤが生まれる
人間とはそういうものではないだろうか
僕は、米川 泰雅中学3年生だ。
このお話はある一本の電話が始まりである。
ガチャ、僕は受話器をとると「米川泰雅くんのお電話電話よろしかったでしょうか?」とかしこまった感じで聞き覚えのある女性の声だった。
それは僕が転校する前の学校の担任をしていた吉田先生だったのだ、この先生はどんな生徒にもとても優しかった。そのため僕も皆も好きな先生である。
しかし、そんなある日の事だ僕が中学1年生の時だった。僕はクラスの皆からいじめを受けていた。僕はこのいじめに対してあまり気にしないようにしていたがある時、吉田先生も面白がって僕をからかってきたのだ。それを言われた時には冗談だ気にしなくてもいいと思っていたがそれに対して僕はいつも以上に傷ついた。
だがそれを1人で「何とかなる」「何とかなる」などを言って自分は大丈夫と猫を被ったかのように自分を騙し続けてきた。
だが中学2年生になる頃にはその騙しも通用しなくなってきたのだ。そして僕は、1人泣いて、泣いてを繰り返していた。また、学校では我慢してきたが同じように泣きたくなる日々が続いたこともあった。
そんなことあってもいいのか?
こんなに弱くてどうする!
お前なら行けるだろ!!
と、自分の中で前を向いて進もうとした。
長い道程だった。
ここまでくるのにどれほどの時間を費やしたことか。
さあ、思い出に浸ってばかりもいられない。
ここからが本当の始まりなのだ。
「あ、そうだ」
やっと手に入れた大事な相棒を残し始まりの部屋に踵を返す。
「リセットなんだから消えりゃあいいのに、なんで残っちゃったんだろ」
大量に積み上げられた始まれなかった自分たちが闇い目でこちらを見ているのに笑顔で手を振り、閉じた扉に鍵を掛けた。
♯旅路の果てに
旅路の果てに
「着いた〜」 「長かったなー」
「いろいろあったけど、楽しかったね」
僕たちの旅は終わった。
ここという目的地は決まってなかったけど、なんとなく旅は終わりになった。
旅の途中、仲間と助け合い、人に出会い、世界を見た。
ーこの仲間だからこそ、できた旅だ。
そう思えた。
「ねぇ、また旅に出たらついてきてくれる?」
「当たり前でしょ」 「仲間だろ?置いてくなよ!」
僕たちの旅はいったん休憩。
またいつか、冒険の旅路へ・・・
前回の仲間の続編です。(みけねこ)
旅路の果てに
何があるのだろう
出会いと別れを繰り返し
今一人
多くのものを見てきた
多くのものを軽々してきた
多くの感情を感じてきた
その最後の、その果て人愛があるのだろう
何を持って了りたというのだろう
わからないけれど
この旅の中に答えはあるのだろう
もしないのであれば
誰にも最後がどこかわからないのだろう
そんな気がしてきたこの頃です。
『旅路の果てに』
…どのくらい遠くに来ただろう。
いくつもの月が頭上を通って過ぎていった。
何もかもから逃げ出したくて、
無我夢中で歩き続けた。
お気に入りの鞄に
ポチ袋に入ったままの貰ったばかりのお年玉と、
ため続けていた貯金を財布に入れて、
スマホと充電器も入れて、
折り畳み傘と、
唯一好きになれた数学の教科書をいれて。
長袖と長ズボンとアウターを着て
親も親友も友人も先生も近所の人も誰にも見つからずに
18年間住み続けた街を抜け出した。
……筈だったのに。
「あ、見つけた。ここに来ると思ったよ。」
アイツはいつも、私の行く先にいる。
親でも親友でも友人でも先生でも近所の人でも
なんでもないのに。
アイツはいつも、私の心を見透かしてくる。
「ねぇ、何処に行こうか。
誰にも見つからない場所を探そうよ」
そう言って、私の心に上がり込んでくるのに
いつもいつも、コイツだけは許してしまうんだ。
旅路の果てに
そこに何があるのだろうか?
何を目指して歩んでいるのだろうか?
見つけられるのは 希望?絶望?
絶望の中 歩みをとめてしまえば
そこが旅路の果てになるだろう
それでも歩み続ければ
そこはまだ旅の途中
寄り道 まわり道 休憩したってかまわない
振り向いて『いい旅だった』と思えるときが
旅の終りになりますように