なんか最近、待っててね、とか、そうゆう系が多かったので今回は持論を語りたいと思う。
のなめの持論なんか興味ねーよって人は飛ばしてね
今世界では、発展途上国の問題について熱心に議論されている。どうすれば助けられるのか、なんでここまで差がついたのか、その他いろんなこと。
日本という国は、歴史で学んだように、さまざまななことを経験してきた。
縄文時代から始まり、卑弥呼という女性の王による統治。
飛鳥時代には聖徳太子が活躍し、奈良時代になると大化の改新って言って、ある種の運動みたいなものが起こった。
その後、平安時代になると、国風文化が栄え、今に通じるような仮名文字や平等院鳳凰堂なんてものが作られてきた。
鎌倉時代には、源頼朝が鎌倉幕府を開き、義経との争いも勃発した。東大寺南大門とか、金剛力士像はこの時代に作られたものの代表として挙げられる。
室町時代、安土桃山時代になると、豊かな文化が栄え、みんなに人気な織田信長が登場するなど、大きな変化の時代となった。
そして、江戸時代になると武家諸法度が制定され、大名は幕府に統治された。いろいろな改革が行われて、たくさんの政治的な遺物が現代まで残っている。また、鎖国なんてものも経験し、自ら外国との関わりを断つなど、政策は多岐に渡った。
ペリー来航。開国。そして、二度の大戦を経験し、今の日本、つまり、令和の日本があると言えるだろう。
そして、今、発展途上国について騒がれているのだ。
ここまで、ただ歴史を辿ってきただけになってしまったが、私が言いたいのは、
「発展途上国というものはなく、まだ、その国が日本でいう江戸時代、明治時代を生きているだけなのではないか。周囲の国が発展しすぎた結果、遅れているように見えているだけではないのか」
と、いうことだ。
現に、今アフリカの多くの国では人口爆発が起きており、これは日本の江戸、明治時代に起こっていたことと重なる。
もちろん、まだ江戸時代だから、放っておこうというわけにはいかないのはわかる。支援は必要だし、その国に気を遣っていくことも大切だ。
しかし、今私が言ったような考え方で捉えてみるのも一つの手であると言える。江戸時代はとても長かった。そんな時代が続くこともあり得るだろう。
日本には、俳句という文化があるのはもちろん知っているだろう。5・7・5の音で表され、自然を詠んだり、感情を読んだりと様々な技法がある。
だが、その俳句を英語にしようという動きがあるのはご存知だろうか。5・7・5の音なんてありはしない。私は正直言って反対派だ。
このように、その国にはその国の文化があり、侵害されたと感じる場合もある。
発展途上国を、江戸時代、明治時代の日本を辿っていると考えるのは必要だと考える。そして、その国の支援を続けていくことも大切だ。
だが、その国の文化、宗派、言語、信仰、に寄り添い、支援を続けていくことが「真の支援」になるのだろう。
1/31/2024, 2:16:03 PM