『懐かしく思うこと』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
いまでこそ職場で同僚や上司と気さくに話すことができるが、当時はいまの職場に移動してきたばかりで不安と緊張が大きく、人見知り全開だった。
新しい人が入ってくるたびに、自分も最初はこんな感じだったなぁと懐かしく思う。
逆に過去の自分が今の自分をみたら、その関係性が羨ましいと感じるに違いない。
懐かしく思うこと #12
懐かしいって、何年単位だろう?
季節だったり
曲だったり
場所だったり。
それぞれの想いが宿ってて、
ふとした瞬間に思い出す。
できれば、いい思い出を思い出したいが、
人はハプニングのほうが覚えているそう。
いまはもう食べることがかなわないけれど、
もう一度、お母さんのご飯が食べたい。
懐かしく思うこと自分のなにかをなくしてから
誰かがまだなにかと一緒にいるのを眺めた時
懐かしく思うことは悪くない
きみとのことはどこか昔のようなきがして
ずっと思い出として残っている。
どうもむず痒い
冬の夕陽は
いつも同じで
どこか懐かしい
【 懐かしく思うこと 】
某漫画にあった近未来が、現実になった時代。
人は機械の体を持てるようになっていた。
生命の誕生すら、もはや装置で行われている。
文献では『海』という大量の水が眼前に広がる光景に、
機械の体がむず痒く感じた。
機械なのに、と言いたいところだが、
人であることの証明のため、感覚は残されている。
だからなのか?
ただ貯まって波打っているだけの海なのに、
なぜかむず痒く…いや、心がざわつくのは。
海とやらの知識も何も無いのに、
一体どこから湧き上がるのか。
きっと、『私』というヒトの遺伝子に組み込まれた、
人間の記憶なのだろう。
そう納得できたら、不思議とざわつきが収まった。
こうして、受け継がれるものなのかもしれないな。
「『懐かしく思うこと』っつってもよ……」
パッとすぐには出てこないんだが?
某所在住物書きは迫る次の題目配信の刻限を前に、打開策を探してスマホをいじり続けている。
「アレか?『小学校の頃、遠足で◯◯に行ったとき、運悪く土砂降りだったね』とか?『修学旅行、ぶっちゃけ特に思い出無かったよね』とか?」
俺の執筆スタイルじゃ、書きようがねぇだろって。
物書きは呟き、他者の思い出をガッサガッサと漁っては、どうにも物語として組めず途方に暮れる。
「やっぱ俺、エモネタ、不得意よな」
一番難関だったネタ、今までで何があったっけ。
4月20日あたりの「もし未来を見れるなら」?
たいして懐かしがりもせず、物書きは昔の投稿作をスワイプで探す。
――――――
いつも一緒にランチ食べてる職場の先輩が、珍しく休憩室のテレビ画面を、じっと観てる。
「ポカン顔」がしっくり来る。いっそプチ絶望かもしれない。
なんだろうって気になって、私もテレビを観たら、東京の今年の11月に関するニュースだった。
「じゅうよねんぶり、」
先輩がポツリ呟いた。
「そういえば、上京最初の年の、11月……」
先輩は、雪国出身だ。
5月の夏日とか、晩春初夏の30℃とか、だいたい溶けて、ぐでんぐでんになってる。
つまり「東京は今年の11月、25℃以上の日が何日か続きます」って報道だった。
「懐かしい?」
雪国出身者じゃなくても、11月の夏日は正直驚く。
画面の週間予報には、26℃とか、25℃とか、秋にあるまじき数字がズラって並んでた。
それでも「11月の夏日は14年ぶり」って報道から、私も昔、ハロウィンの後の夏日を経験してた筈だった。
記憶にございません(事実)
「懐かしいものか。散々だった」
「やなことでもあった?」
「暑さにやられて、おまけに風邪までひいて」
「インフルは?大丈夫だった?」
「風邪が治った後でな」
「わぁ」
「これを懐かしいとは思わないだろう」
「納得」
弱ったな。夏物など、ほぼ整理し終えた後なんだが。
諸事情で、今月いっぱいで東京を離れる予定だった筈の先輩が、頭をガリガリかいてスマホを取り出した。
多分、すぐ買えて、かつ安めの、良さげな夏服でも探してるんだと思う。
「誰かさんが、『東京離れるの、待って』と言ってくれたお陰でな」
「だって恋愛トラブルの責任をさ、被害者の先輩がとって、田舎に引っ込むとかおかしいもん」
「事実だろう。私が居るせいで、この職場にあのひとが押し掛けて」
「出禁だもん。もう大丈夫だもん」
ため息ひとつ吐いて、スマホをポンポン操作して、ポケットにしまって。
ひいきにしてるお茶っ葉屋さんの子狐が、朝買ったティーバッグのオマケでくれたっていう、ひとくちサイズのポテトパンケーキを、ぱくり。
私も2個貰ったけど、おいしかった。子狐の冗談はよく分かんない。
「甚平でも買いに行く?新品のやつ、一緒に?」
「6月22日に、お前が『会計する』と言って、結局残高足りなくて私が払ったやつか?アレなら、まだ部屋にある」
「今回は私が払います、ちゃんとはらいますー」
懐かしく思うこと
USJのマリオのアトラクションは最新で、すごいなぁと思うが、弟とやったマリオのテレビゲームは、何度も何度もやってクリアして本当に楽しかった。
懐かしく思うことの一つである。
懐かしく思うこと
それはもう戻れないのを理解しているということ
僕にはどうしようもないこと
どんなに願っても、望んでも諦めるしかないことなんだ
今回のテーマ「懐かしく思うこと」
めっちゃいい言葉だなって思って
何か書きたいなって思ったんだけど
頭が回らない時はびっくりするくらいなんも出てこない
いつもなら、スラスラ書けてるのにな…
最近は何もしたくなくて
体も思うように動かなくて
…生きてる価値すらわからなくなって
1人になりたいんだ
でも、周りが1人にしてくれないんだ
人がいると、少しでも気を使っちゃうから余計に病みが悪化していく
誰も僕のお願いなんて聞いてくれない
最近、悲しくないのにずっと涙が出てる
最近、ちょっとした事でイライラがすごくて
最近、死ぬ事しか頭に浮かばなくて
自分の存在意義を考えたところで
考えたら終わりだと思って
なのに、頭が勝手に考え出して
…どうした、自分…落ち着けよ
僕はさ…そうだよ、元々病みやすい人間なんだよ
頑張って安定を保ってるんだよ
他の人が当たり前にできてる安定を、僕は頑張らないと保てないんだよ
僕ってさ聞き上手なんだって
でも、実際僕は人の話聞くのも得意じゃないし
人と話すのも得意じゃない
なのに、ポジティブな話やらネガティブな話しやら
いろいろ話してくれてさ
たまにならいい
たまにならいいさ
ほとんど、毎日ネガティブな話されたら
こっちだって辛いに決まってるじゃん
相手はいいさ
話して楽になって
僕は…?ねぇ、僕は…?
なんで得もしないデメリットしか与えない話を僕にぶつけてくるの?
「RNLしかいないもん」じゃないんだよ
それ、僕に甘えてるだけなんだよ
嫌だ、もうやだよ
誰も僕の事なんて考えてくれない
…僕はサンドバッグじゃない
もう、誰とも関わりたくない
1人でいい
このまま1人でいい…
僕も誰かに甘えたいや…
高校時代、ソフトテニス部に所属していた。
県大会優勝は当たり前。平日は4時間、休日は11時間練習。オフは2ヶ月に1回あればラッキー。
監督に怒られて怒られて、できない自分が嫌。コートで流した汗と涙は数えきれない。
「今日何時までかなー。」
「監督来るん早すぎやろ。」
「まじで部活やめたい。」
そうやって愚痴をこぼしながらも、家族より長い時間を過ごしたチームメイト。時にぶつかり、大嫌いって思った日もあったけどやっぱりみんながいないとだめだった。コートで流した涙以上にコートで咲かせた笑顔は数えきれないね。
最後の試合のメンバーに入れなかった私はチームのために動き続けた。全ての感情を抑えて、
メンバーには
「大丈夫、あなたは強い。」
と言い、
選ばれずサポートになった子には
「サポートがメンバーを勝たせるんよ。」
と言い続けた。
全てが終わった引退の日。
みんなからの
「ありがとう」
その一言で私は今まで抑えていた感情が溢れ出した。声をあげて泣いた。やっと、選手とサポートから同期に戻れた。支えさせてくれてありがとう。
彼女は彼との思い出を懐かしく思い出していた。あの日、二人で散歩をしていた時、道端で見つけた小さな花を彼が彼女にプレゼントしてくれたこと。そして、あの時、彼が彼女の手を取って、強く握りしめてくれたこと。
彼女は彼に会いたくて、彼を探し始めた。彼女は彼の友人に聞いても、彼の行方が分からなかった。そんな中、彼女は偶然彼と再会する。彼は彼女のことをまだ愛していた。彼女も彼を愛していた。二人は運命的な再会を果たし、再び愛し合うことになった。
彼女は彼と過ごした日々を懐かしく思い出し、彼女の心には彼への愛がいつまでも残っていた。彼女は再び彼と一緒にいることができて、幸せに満ちた毎日を送ることができた。懐かしく思うことは、彼女にとって幸せな思い出であった。
懐かしく思うこと
ここにはよく父さんと来た、毎年毎年、私の誕生日に必ず。
ここには私の思い出がある、嫌なものも良いものも、ずっとここに閉じ込めてる。
またあの日が帰ってきたら、考えなかった夜は無かった。 また家族が元に戻るなら、死んでもいいと思った。
でも、もう終わる
あと少しの辛抱だよ
待っててね、父さん
懐かしく思うこと、と思い出の数々を巡ってみた。
「たぶん二度と再現も出来ない」であろうけれど、時代の温度を今でも思い出す、子どもの頃のもの。
春の雪解け水が、土の道の端に掘られた細く浅い、明るい色の草がまばらに生えてきている溝を奔るさまを、長い時間しゃがみ込んで眺めたこと。
水は澄んでいて、それが流れる溝の底のでこぼこに当たっては持ち上がり、落ち気味に流れの底へ沈み、またすぐ次のでこぼこで持ち上がって…を繰り返す。午前の陽の光を、澄んだ水全体にあかるく受けていながら流れの躍動がきらきらと表面で跳ね踊っていて、そこに光が当たらなくなるまで、ずっと見ていた。水はどんどん流れて、一瞬前の水はもうそこには無い。すごい速さで新しく違う水が流れて来るのに、「どの水も」キラキラしい躍動を次々と放つ。
条件が揃えば当たり前に現れる光景なのに、水の振る舞いがなんとも綺麗で、この記憶は何故かとても鮮烈に残っている。今思い出しているが、土・草・枯れ草・水・光と水が返すきらきら・空気の匂い、それらすべての気配が目の前にある気さえする。そして、目を離せずに飽きることもなく見ていたあの水のすがたの、「何」にあれほど惹きつけられたのか、今もって言葉に表せないのだ。表せるなら誰かと分かち合いたいんだけどね…あれ? この感覚は「懐かしい」じゃないな…?
夏休みから秋口にかけて、薪割りは手伝う仕事のひとつだった。小学生だった私にとって、ただ面白く取り組めた数少ない作業だ。縦置きした木材に、斧を低い位置から「カッ」と食い込ませて、そのまま今度は高い位置から振り下ろして薪にする。風呂を焚く釜やストーブに火をつけるための焚き付けは、鉈で細く、木材の繊維方向に沿って割くようにつくる。冬が来る前までに充分な支度をする、暮らしの季節作業だが、豊かな思い出だ。
落ちた胡桃を拾って集める。リスよりも早く。一斗缶いっぱいに集めて、外皮が腐って無くなるのを待つ期間も楽しみだった。外が雪深くなった頃、胡桃を割って取り出す作業をする。一度に少しずつしか食べられないが、冬のおやつだった。私は松の実も狙っていたんだが、これは木の上で食べてしまうリスに勝てなかった。
田んぼの収穫も終わって、朝晩冷え込む霜柱の頃に、毎年餅つきをやっていた。大きな木から削り出した大きな臼と杵で、大量の餅をつく。正月のためのものは勿論、冬の間に食べる保存食でもあった(寒い土地なので、出来た餅を凍らせるのだ)ので、それはもう、大臼に7~8杯ぶんは作っていた。この日だけの楽しみは、つきたて餅を食べられること。きなこ・磯辺・納豆(ネギ入り)・味噌汁へ投入などなど選んで食べた。餅はつきたてが最高ですよ! これが終わると、正月の支度へなだれ込んでゆく。
厳冬期の朝、毎日ストーブに火を入れる。薪ストーブを使う年もあれば、石炭ストーブを使う年もあった(石炭ストーブを使う年は、秋に小型ダンプカーが石炭を配達してくれていた。「ねこ」にスコップで石炭をざらざら積んで、納屋へ運ぶ)。薪ストーブの扉を開けて、通気口に捻った新聞紙を差し込み、そこに架かるように焚き付けを置いて、さらにその上に薪を置く。上手く火が回れば、扉を閉めて完了。
社会人になってから、「焚き付け使ってたよ」などと言う話になったとき、「お前はいつの時代の人間だ。実は100歳なんじゃ…」と、ドン引きされたことがある。でも本当の話だ。
私が懐かしく思うことは、どうやら生活の歳時記のものばかりのようだ。今振り返ると、なんて豊かな物事だったろうかと、正直驚く。人の温度が、暮らしの温度に直結していたことに、今になって気づいた。
じいちゃん、ばあちゃん、ありがとうね。
毎日の日々を懐かしく思う。
当時は今を生きるのに精一杯で、お金も地位も名誉も経験もなかった。
だけど、過ぎてから思い返すと、その全てが懐かしく思う。
必死で悩んでいたことも、さまざまなことに触れた今から思うと次第にちっぽけなことに見える。
ハロー過去の私。今もそんなに変わらないけど、それなりにはハッピーだよ。
ほんの子供の頃、訳もわからず今はなき祖母の育てていた花胡椒の実をよくもいで遊んでいたことを思い出した。
当然お仕置きはされたが、懲りるということを知らなかった私は、ただ綺麗だったから、それで実をもぐなんて、なんて我儘だったんだろうと思い出す。
大切に育てていた祖母の気持ちを思うと、悪い事をしたとは今でも思う。
今では切ない、懐かしく思うこと。
懐かしく思うこと
「小学生の頃怜の家の庭でキャンプごっこしたよな〜。」
「したね…まあ今やってるのも日帰りキャンプで本格的なやつじゃないけど。」
「ふは…未だにキャンプ飯の後はマシュマロ浮かべたココアだもんなぁ。」
湯気が漂うマグカップの中でマシュマロを揺らす。一緒に星を見上げた頃、僕たちは純粋だった。一番の仲良しだって、疑うところもなく信じてた。
だけど、晶が先に中学に上がって、やっと僕も中学生になったと思ったらたった一年で晶は次高校に上がって。その頃の僕らを取り巻くのは、誰か異性と付き合うのが正義という風潮だった。晶ももれなく中学では女の子に告白されて付き合ってた。
僕にとって、ただの友人の枠を超えて一番になりたいと思ったのは庭でキャンプの真似をいていた頃から晶一人だ。
それがなんだかんだ時を経て、また星空の下に二人きり過ごせている。
「…一件落着すると、なんか全部が懐かしく思えるね。」
「一件落着?」
「…僕たちが互いを一番に選んだってこと。」
「あぁ、ははは。…そうだな〜、随分遠回りした。懐かしい。」
『懐かしく思うこと』
真夏のランドセルを背負った時の背中の蒸れ感。
日に当たって握れないほど暑くなった鉄棒。
冬になるとカイロ代わりになる。
スカートの下に体操ズボン。
ごちゃごちゃした柄の入った膝下までの靴下。
真っピンクの運動靴。
金曜日に給食セットと一緒に揺れる白いエプロン。
25分間の「ぎょうかん」
当時は心底どうでもよかった昔の流行を目にすると気分が上向きになる ただ あったな というだけの懐かしさで
ただのその流行がある時代の文化社会を受動的な姿勢で体験してきただけでもその感情が芽生えてくる
通り過ぎただけのものにわずかに親しみを感じる
むしろその時代の最中よりも通り過ぎた方が近さを感じる
目にした何かに対してどうでもいいと無関係を感じたとき
それは既に無ではなく遠さを持った関係を結んでいる
そして後に知りもしなかった過去の出来事と比べたとき
その無関係という関係性に相対的な近さを感じる
無関係性にでさえ遠ざかる時が心を近づけていく
時間的距離に反比例するように心的距離が縮まる
時計の針が示さないものが左回りに渦巻いていく
懐かしさは反時計回りの力を持っている
『懐かしく思うこと』
大人になってから日常を過ごしているとほとんどのものが
マンネリ化してしまう。
食事や睡眠、仕事…これらの繰り返しになってしまう。
ならば何かを変えてみようと思うが
結局いつもしている事の延長線になってしまう。
休日の日、何気なく外に散歩へと向かった。
歩いてる途中、子供や高齢者など色々な人と出会ったが、
特に感情が動くことは無かった。
歩いていると喉が渇いたなとコンビニへと入った。
そのコンビニは何も変わらないコンビニだった。
一つを除いて。
駄菓子屋コーナーがあったのだ。
幼き頃の私が親にお願いして何度も足を運んだ駄菓子屋
のようなレパートリーのお菓子たちが並んでいた。
気づいたらコンビニの籠いっぱいにお菓子が入っていた。
これだけかって1000円行かないのだから駄菓子には
頭が上がらない。
私はワクワクして帰宅した。
帰宅してから幼少期の思い出を思い出しながら、
夢中で食べていた。
緑茶を片手にテレビを見ながら食べているとなんだか
懐かしいなと思ってしまっていた。