『愛言葉』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
#愛言葉 2024 10 26
少し肌寒くなってきた今の時期は月が綺麗に見える
夜は夜で綺麗な月だけど、私は昼間の月が好きだ
私の町では神社が1番綺麗に月が見える
おばあちゃんが作っていた、三色団子とみたらし団子、
おいなりさんをもって神社へ向かった
鳥居の前の大きな階段をゆっくり歩く
神社の椅子に腰をかけると少し強い風が吹いた
『こんばんわ』
目の前には背丈の高い人間のような姿がある、
腕を組みながら、こちらを見ている
「こんばんわ」
言葉を返すと、それは私の隣に座って、
私の持ってきた おいなりさんをゆっくり食べ始めた
昼間の月はやっぱり綺麗だ
鳥居の前にあった狐の置物が1つ無くなっていた。
愛言葉
「好き」だなんていくらでも言える
自分が気になっている子に「好き」なんて言われたら嬉しいよね
けどその好きは本当に好きなのかと、私は考えてしまう。
愛を伝える言葉に「好き」はいるのかな。
愛を伝えるのなら「愛してる」でいいんじゃないかな。
けどそんなことをみんなに言っても、相手になんかされない
しなくてもいいんだよ。私個人の意見なんだから。
「好き」って言葉は、もちろん恋人に伝えてもいい
だけど、友達に好きって、恋人みたいに言える?
[「男として」「女として」「友達として」]を略して好きって言ってもいいと思うんだ。
愛言葉って、難しいね
<好きな子の かがやくひとみを みつめたら 海辺の景色 ふと思い出す>
<あの日から わすれられない 君の顔 夏きたる日の 今夜告白>
<好きな子の あまいかおりが 波打たす 我が心臓を 突き破るほど >
【書く練習】
緊張の糸が切れて今日はお休み
愛言葉。
愛言葉は
【愛】。
今日は
たくさん
楽しかった。
愛言葉は
青。
青ハートなの。
「愛してるぜ」
ウィンクをしながら言ってみた。
目の前には小さなクマのぬいぐるみ。ぶっちゃけ俺の趣味じゃない。だが、愛しのあの子がきらきらしい笑顔でくれたプレゼントなのだから、大切にしないなんてありえない。
そうとも、これはただのクマじゃない。もはやあの子そのものだ。だからこうして練習に付き合ってもらっているんじゃないか。サンキュークマ吉、恩に着るぜ。
腕組みをしながら、さっきの自分の言動を評価してみる。
今のはちょっとキザ過ぎる気がするな。逆にダサい。
「月が綺麗ですね」
これはどうだ。授業でやった有名なやつだ。ちょっと教養のある知的な男も演出できる。
いや、だが彼女はかなり鈍感だ。純度百パーの笑顔で「ほんとだ! きれーだね!」なんて月を指して返された日にゃ、その意味をどうとっていいのか分からない。九十九パー伝わってないのは確実なのに、わずかな希望を期待して悶々と悩むのは不毛すぎる。
てか、そもそも明日は新月だった。やめよ。
「……君の瞳に乾杯!」
いつかどっかで見た古くさい映像から。これはどうだ。むしろ逆に新しくないか?
なんだか今度こそ行ける気がして、これまたあの子に貰った小さな手鏡にテイクツーをかましてみたら、あまりの自分のキモさに真顔になった。だめだこれ、なし。却下。
「むっずぅ……」
万策尽きてベッドに沈む。枕の上に置いていたクマが、ぽてっと倒れて頭に乗った気配がした。
明日はあの子の十六回目の誕生日だ。
誕生日に告白しようと思い立ってからはや五年。明日がだめならまた来年に持ち越すしかない。
別に誕生日じゃなくても、と思わなくもないが、特別な日にかこつけないと勇気が出ないんだ。どうしても足がすくむ。
ヘタレな自覚はある。でも無理なもんは無理だ。無理。
ああ開き直りだとも。なんとでも言えちくしょう。
誰と言わずに脳内で言い訳を並べ立てては、吐いたため息がシーツに沈む。ちらっと時計を確認すると、もう二十三時だった。嘘だろ、あと一時間で明日じゃねぇか。
いったい何が悪いんだろう。妙に気取るからだめなんだろうか。
だったらなんだ。もっと自然に? むしろ、ありきたりなセリフの方が言いやすいか?
例えば、あなたが好きです、とか?
……そんなの。
「直球すぎて一番恥ずい……」
/『愛言葉』
「愛言葉」
愛を伝えるような相手がいない
愛を伝えるキャラじゃない(という言い訳をするけど、本当は恥ずかしいだけ)
親に伝えようにも、学生時代の反抗期がまだなお続いている、、というか反抗期をきっかけに色々な嫌なことが見えて関わりたくなくなった。
多くの人が愛の言葉を伝える場面といえば結婚式だと思う。親への、育ててくれた感謝や結婚相手への言葉などを伝えるのが定番化されている。しかし私はそういうことはしたくない。理由は最初に述べたことである。
じゃあ私は何を伝えようかと考えて、出した結論は
友達への言葉 70%
結婚相手への言葉 20%
親への言葉 10%
さすがにやりすぎな例であり、常識的に(?)変であることは分かっているし、結婚式をするとなったら本当にここまま言うつもりはない。でも現時点ではこんな感じがいい!という、定番に反抗したい気持ちだ。
本来の合言葉という単語は
特定の団体や関係性の人同士で伝わる言葉
という意味だと思う。
つまり愛言葉とは
特定の関係性の人同士で愛を伝える言葉
となるのではなかろうか。
好きだよ、とか愛してる、とかは愛は伝わるが誰にでも伝わるので愛言葉にはならないのか。
そんな難しいことはともかく
今日は月が綺麗ですね。
おっと。
(愛言葉)
好き。
愛してる。
ずっと一緒にいたい。
そんなことは言えないけど、これだけは言葉にして言わなきゃいけないって思ったの。
「あなたが生きててくれて私は幸せ」
#愛言葉
傍観者に祝福の花束を。
私は何時も見ているだけだった。
誰が何をしようとしても、誰がどんな事を言おうと見ているだけ。
そう、見ているだけだったんだ。
私「……………………………」
クラスでは流石に酷すぎるイジメが起こっていた。
変な格好をさせたり、噂を学年を超えて広げたり、虐められている男の子にとって生き地獄も同然だろう。
だけど、それでも私は何も出来ない。
ただ、見ているだけだった。
そんな時に一つの事件が起こって、私は身震いした。
"此処のクラスから一人ずつ死んでいっている。"
次の日、また次の日と来る度に私の友人やクラスメイトの子は皆、後日死体となっていたのだ。
クラス内ではイジメではなく、次は誰なのかと好奇心が湧いている人や怖がっている人が居たのだ。
だけど、それでも私はクラスメイトを見ているだけ。
そんな事を繰り返していく内に、私が最後の一人だけになっていたのだ。
担任の先生は勿論、他の学年の人も殺されてしまっている人は少なくは無かったのだ。
「やぁっ…と最後だ。俺はずーっとこの日を待ち侘びてたんだ。」
私「……貴方、だったんだね。まぁ何となくは分かってたけど。」
やっぱり犯人はあの時イジメられていた男の子。
男の子は私の姿を見るなり、嬉しそうに表情を緩めていたのだ。
「だろうなぁ??お前は何時も見ているだけだったんだから……、まあそれが一番頭が良いかもしれない。」
私「私を殺すなら早く殺して。もう私は何も失いたく無いのよっ…………」
私は思わず涙を流してしまったのだ。
ずっと、見ているだけだったんだ。
だからこそ、人の死や苦しみを沢山目の当たりにして、でも何も解決が出来ない自分が憎くて。
何回も自殺を選んで、友達のもとに行こうとしてた。
私なんかが天国に行けるわけ無いと思って。
「違う……俺はお前の涙を見に来たわけじゃない。これ、お前に渡したかった。頑張って選んだんだぞ?"スノードロップ"。」
男の子はそう言って、顔を上げた瞬間に私の目の前に花束を差し出して来たのだ。
男の子は私に受け取るように、私の手を握って、花を渡した。
私が受け取ったのを見た男の子は私に微笑み、凶器を上から下にやった。
グシャッ、
その瞬間に私は死んだ。
愛言葉
愛するって、感情以上に意思だし、行動で示すものだとおもう。相手を信じたり、醜いところも受け止めたり、背中を押してあげたり。。。与える力がないと、愛することは難しい。。
愛の表現っていろんな方法があるけど、ことばとふるまい、どっちも成長てきたらなって思います。
愛の言葉
愛の言葉と言えば
美しい人生よ 限りない喜びを
この胸のときめきを あなたに
二人に死が訪れて
星になる日が来ても
あなたと離れはしない… と、歌い上げる訳だが。
神父様の前で
その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、貧しきと時も、これを愛し
これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を誓いますか?
アーメン
アーメン
アーメン…とはヘブライ語で起源は「信じる」と言う言葉らしい、転じてキリスト教では一般的に、真に、確かに、そうなりますようにの意味らしい、最後のそうなりますようにが真に的を突いているのでしょう、神様の前で愛の言葉を誓い合う二人の日本では3組に1組実にアメリカでは2組に1組が離婚しているそうで、真似しなくても良いのに肩を並べる勢いです。
確かに、結婚に打算はつきものですが、結婚相談所でも、マッチングアプリでも昔懐かしい近所の世話焼きババアが持って来る縁談でも、打算傾向の強い御婦人は、健やかで富める時は良いけれど、悲しくなったり貧しくなったりすれば、敬うことも慰めることも助けることも出来なくなり、愛の言葉何処へやらな訳ですが、実際長い人生悲しみが押し寄せたり、貧しくなったりすることは誰にでもあり、そこを乗り越えるからこそ、真実の愛は見つかるのではないでしょうかね?
はじまりから、打算づくしで、障害は嫌、貧しさも嫌、悲しみも嫌では、本物になれない気がします。
愛のはじまりも終わりもきっと「無」なのだろうと思います、何も知らない何も分からない者同士が出会い育み、求愛がはじまる。しかし、雨に打たれ風が吹き互いに背中合わせで互いの温もりを何時も感じながら、共に戦い共に生きる、そして最後は相手に何も求めない、ただそこに二人あれることに歓を感じることが出来る、100ある甘い愛の言葉より、相手に何も求めず、相手の悲しみ貧しさ痛み荷物を自分のものの様に感じることが出来たなら、人生勝ったも同然の圧勝の素晴らしい神の祝福を受けた幸せが詰まった愛の言葉なのではないだろうか?
言葉を憎むくせに、言葉を連ねるこんなところに、、悲しいね、そんな人がいたなら実に悲しい。他人に差した人差し指は自分に向けろかな、この人の世で生きる限りみんな誰かを傷つけそして誰かをそれでも愛するものなんだ、だから尊く敬うそれが愛するってことだよ、愛に破れた人よ。とかちょっと付け足し(笑)
はじめから、打算づくしで計算高い人生では
本物には出逢えない…そう子供たちには教えたつもり。
それが、愛の言葉だ(笑)
心幸
─── 愛言葉 ───
言葉はいらない
それでも時々は聞きたい
わがまま
世界にはあなたが思いつく以上に多くの愛言葉があるけれど、
難しく言わないでいい。
自分の思いを言葉にしようとしなくていい。
ただ、
"だいすき"
この4文字だけでいい。
この4文字にものすごい愛の力が詰まってるってこと、知ってるから。
いつも当たり前のように私も、て返すけど、
影でこっそり喜んでますのよ?
愛してる、とも好きだ、とも言えない関係だった。
言えるわけがない、言ってはいけない関係だった。
多くのものを傷付けて、多くのものを失った。
そうして互いしかいなくなって、それでもいいと思ってしまった。
そんな地獄のような関係を、愛だの恋だの甘やかな言葉で飾っていいはずがなかった。
だから愛してる、とも好きだ、とも、言わずに二人で歩き続けた。
それでも互いが必要だと、互いが手放せないのだとどうして確信出来たのか。
「·····」
愛を語る言葉より、互いの全てを受け止める強さを信じたからだ。醜い心も、弱い部分も、全てを受け止める強さがワタシを惹き付けて、決して放さぬと決めさせた。
愛してる、とか好きだ、とか、千回言うよりたった数回腕を伸ばしてくれたことが、ワタシにとっての〝愛言葉〟だった。
END
「愛言葉」
作品No.209【2024/10/26 テーマ:愛言葉】
あなたからの言葉を待っている
私だけに与えられる
愛の言葉
でも
あなたはいつも
私が欲しい言葉をくれない
私ばかりが
与えているような気がする
もう いいか
求めるのはつらくなるだけ
だから
もう やめようか
愛言葉
らぶちゅっちゅ
らぶちゅっちゅ
推しの魔法くらえ♡
【愛言葉】
「好き」
「すき」
「愛している」
「あいしてる」
うすっぺらいことばばっか。てきとーにかえすのも、めんどくさい。
「ばっかじゃないの」
だから、そのときはおどろいた。こっちがあいそよくわらってるのに、なに?
「あんた、それでいいの?」
なにそれ。わからないしらない、てきとーにいきててきとーにわらって、てきとーにしていたらそれでいいとおもって、
(なんで)
「嫌なんじゃ、ないの?」
こんどはしずかに、そいつがきくから。
「……わかんない」
したをむいて、そうこたえたら。そいつはティッシュをさしだしてきた。ティッシュ?
「泣きたかったんじゃね?」
(そっか)
なみだとはなみずがでて、やっとじぶんのきもち、すこしわかった。
(だれかに、そういってもらいたかった)
ティッシュでかおをふいて、のこりかえしながら、ありがとといっしょに、
「あんたのこと、好きかも」
いったら、ものすごくいやそうなかおされた。
難しいお題が来たもんだ。ここ最近、恋というものをしていない。単純に出会いが無いのはもちろん、過去の出来事から少しトラウマ気味になっている。
しかし大好きな相手から愛の言葉を言われる憧れはもちろんある。公共の場でイチャイチャしたいだとか、誕生日に特別なプレゼントが欲しいだとか、そんな派手な体験は要らない。ただお互いに日頃からの感謝とともにもうひとつ愛のこもった言葉を紡ぐ。それだけで生活が華やかになること間違いなしなのだ。まずは相手から見つけないとね。
例えば、「ただいま」には「おかえり」が返ってくるように、「好きだよ」に「大好きだよ」が返ってくる会話を永遠とする人々がいる。
恋人同士の暗黙の了解といったものだ。
カップルの数だけ、そういった掛け合いが世界には存在しているはずだ。
勿論、恥ずかしいから皆、普段そんなこと1ミリも知りませんといった顔ですましているだけで、恋人の前ではそういうイチャイチャを常日頃からしているものである。
だが、私はというと、そんな愛に溢れた合言葉とは縁遠い人生を送っている寂しい人間で、そういうコミュニケーションは空想の産物に過ぎないとわりと最近まで本気で思っていた。
若い頃は恋愛なんてしょうもないと目にもくれずただ仕事に邁進していた。ところが、三十路を超えてくると人肌恋しい気持ちが自然と湧いてくる。
しかし、もう無理かもしれない。私は所詮「売れ残り」なのだ。人生のパートナーもいない私にとって、仕事が唯一の恋人だった。
「私が死んだらこの仕事君に任すね」
酒の勢いに任せてかわいい後輩にそんなふうに弱音を吐いた。いつもの如くだる絡みされた後輩は嫌そうな顔をしている。そうすると、いつものようにこう言った。
「いやですよ。何遍言わすんですか。死んだら困ります」
その言葉が聞きたくて毎度弱音を吐く私も、十分合言葉に縋っている人間だ。
お題/愛言葉
「愛言葉」
大好きだよ。
うん、僕もだよ。
出会った時の愛言葉。
これが私たちの合言葉。
【#106】