『愛を注いで』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
植物を育てることが上手な人をよくグリーンハンドと呼ぶが、これは和製英語らしく、英語ではグリーンサム(green thumb)という。
反対に植物を育てることが下手な人をどう呼ぶかというとブラウンサム(brown thumb)。
自分はこの茶色の親指の持ち主だ。
枯れる枯れる。
世話がほぼ必要ないはずのサボテンやエアープランツまで枯れてしまった。
どの植物も手入れはしていたつもりなのに、家に悪い気が充満しているのかと疑うくらい息絶えていく。
そんななか、唯一生き残っている植物がある。
ホスタ(ギボウシ)。多年草で冬の間は枯れて根だけになるが、春になると毎年元気に葉を出す。
外にあるのでほぼ放置状態なのが、逆に茶色の親指の影響を受けなかったのだろうか。
これに関しては手を出さないことが愛かもしれない。
『愛を注いで』
植物も、動物も、幼い頃から上手く育てる事が出来なかった。
植物は花を咲かせること無く枯れ、動物はある日突然動かなくなった。
命を育てることに向かない手、というのがあるような気がする。怠けている訳では無いし、面倒だと思った事など一度も無い。なのに何故か死なせてしまう。
まるで底の空いた桶に水を注ぎ続けているような、そんな虚しさを感じる。……それはきっと、私自身が愛情というものを理解していないからだろう。私の母は、私を人間としてでなく道具として育てた。自らの生を彩る為の装置、自らの欲を満たす為の部品として、都合よく働かせる為の我が子だった。そんなものに彼女が愛情などを注ぐ訳がなく、結果出来上がったのは空虚な、底の空いた桶のような私だった。
「簡単な事だよ」
穏やかな声で男は囁く。
「底が空いてしまっているなら、塞げばいいんだ」
頬にひやりとした手が触れる。だが今は、その冷たさが心地よかった。
「私が呪いを解いてあげるよ」
囁きと共に近付いた唇が、私の唇に軽く触れる。
「まずは……君が私とどうなりたいのか、だね」
「……」
望みを聞かれるのは初めてだった。その時胸に沸いた仄かな温かさは、何だったのか。
こんな〝簡単な事〟を、私はずっとずっと欲していたのだと気付いたのは……部屋に置かれた小さな花に、新しい蕾を見つけたある朝の事だった。
END
「愛情を注ぐ」
今思うと私にとって親という存在は
無条件に愛情を注いでくれる人だった。
思春期や反抗をしたくなる年頃の頃は
素直にその愛情を受け止められず
それどころか自分の中で小さな葛藤が無意識に芽生え
自分は愛されていないとさえ、
不思議に、けれど自然に感じていた
“大人になれば、自分が親になったら、わかるよ“
その言葉を未熟で選択肢が限られていた過去の自分に言いたい
あなたは計り知れないほどの愛情を注いでもらって
今日まで、そして明日からも生きているんだよ、と。
情熱的な愛じゃなくても
淡々と細々と永く
そんな愛情を注ぎたいし注がれたい
たっぷりと愛を注いでくれる人がいる
それがたとえ一人だとしても
その愛は自分の親からうけたものよりも
とても暖かかった
今はどこにいるかわからないけど
いつか会えたら、その時は
私は幸せですと貴女に伝えたい
#4 愛を注いで
人の心は、よくコップに例えられる。愛を入れる器。大きければ大きいほど、たくさんの愛を、あますことなく受け取ることができる。
そうして愛で満ちた大きなコップを持つ人は、たくさんの愛を、他の人にも注ぐことができるようになるのだ。
でも、僕のコップは小さい。
暗いところから連れ出してくれたあの人が、毎日毎日僕のコップに愛を注いでくれる。たくさん、たくさん、抱えきれないくらいに注がれて、空っぽだった小さなコップは、すぐにいっぱいになってしまった。
「やめて!」
ぎゅうと、心の中のコップを抱え込む。なみなみになったコップはもう愛が入る隙間なんてなくて、注がれるそばから溢れてしまう。せっかく貰ったのに、僕のコップは小さくて、たくさんの愛を受け取れない。溢れてしまうのが悲しくて、怖くて、申し訳なくて、涙が出てしまう。
もういいよ、勿体無いよ。そんなに勢いよく注がれたら、溜まった愛も溢れて無くなっちゃう。
震えてそう身を固くした僕に、たくさんの愛を持ったあの人は、優しく笑った。
「じゃあ、きみのコップの中身を誰かのコップに注いであげて。その分、きみにたくさん愛を注ぐよ」
彼女の目から大粒の涙が零れ落ちたことで、この実験は失敗したのだと悟った。
本来、『夜景の見えるレストランでのプロポーズ』に対し組まれているのは『嬉しそうにはにかんでOKを出す』というプログラムだ。今までの実験をクリアし、ようやく最終段階──『アンドロイドカノジョ』の1号機として世に出すための、最後の実験まで辿り着いたというのに。
「また作り直しか……」
溜め息混じりに呟く。
「いいえ、それは違います」
真正面から否定の言葉が飛んできて、僕は顔を上げた。大粒の涙を垂れ流したまま、彼女は微笑む。
「これは嬉し涙です。あなたが注いでくれた愛が、私のプログラムを変えたのです」
淡々と、しかし組み込まれたプログラム通りに彼女は泣きながらはにかんだ。
「ぜひ」
その2文字が、設定したはずの返答と違うことに気付くのは、わずか数秒後のことである。
愛を注いで
幼い頃に沢山のものを無くした
それ以来埋まらない私の心の穴を埋めたのは貴方だった
貴方が私に楽しいを取り戻してくれた
貴方は沢山私の忘れてしまったことを取り戻してくれた
そして貴方は私に愛をくれた
愛を注いでくれた
だから私は今あなたの前で白いドレスを着ているのだろう
空っぽのコップに
愛を注いで
貴方にあげるわ
おかわりは如何?
溢れてるって?
当たり前じゃない、愛してるもの
ポットを持つ手が動かないの
仕方ないじゃない、愛してるもの
【愛を注いで】
「暴力と言う愛情で貴方を愛す。」
…
…
…
そんな愛は注いでほしくなかった。
#愛を注いで
例え誰が読まずとも
例え言葉が足らずとも
誰より才の無さに咽いでも
私だけは
私が溢す言葉を愛している。
もし瓶にたくさん言葉を詰められたなら
それは
何より大切な宝物にならないか?
「愛を注いで」
さっき誰かからの手紙をもらって
何気なく読んだ
思いつめた 手紙
暖かい手紙は久しぶり
誰に当てられたのか分からないけれど
勇気もらった気分
不思議な手紙ね
私も昔は臆病ょ!
頑張らないとね
不思議な手紙に愛を注いで……
愛を注いで
中毒…
あなただけ
あなたの愛をたくさん
注いで欲しいの
あなたでいっぱいに
なるくらいまで
満たして…
あなた中毒
「わたしに私に!愛を注いでくれ...あぁ...」
と言って始まったドラマ。このドラマは私のお姉ちゃんが主演をしている。この言葉を発している人は私のお姉ちゃんだ。お姉ちゃんは男を見る目がなく、男運も悪い女性を演じている。見た目はとても美しく、頭の良いという設定だ。とても面白かったけどなんだか何かと似ている気がする。
注いだ愛が溢れていく
どんなにどんなに注いでも
溢れ落ちていく
隙間から溢れ落ちていく
無償の愛とは
溢れても溢れても注いでも注いでも
絶え間なく注ぐこと
ダメかも無駄かも…
そう思えても思えなくても
絶え間なく注ぐこと
注ぎ続けること
ボロボロになっても
歩みを止めない
考えることを止めない
それが愛情だから
あなたは元気ですか?
あなたは笑ってますか?
…。
山頂に雪が降り…
記憶に近い生産者さんが
この土地に滞在されてると知り
暖かくなる今夜の気持ちです
厳しい閑期に活動しないと
春を迎えられませんからね…
…。
冠雪に諭され包まれて
雪降る町に君を思いて
焦がれては笑顔恋しく
背中の体温と記憶に
希望の糧を得て…
大きな背中を思いだしは…
明日も晴れて誰かの背中になり
ここで愛情を注ぐ事を
私は止めない…
あなたの笑顔のように
僕の愛情論はあなたの笑顔です
あなたが歩みを止めないから
その愛が厳しい降雪の季節が
あなたが生涯かけてくださった
僕の愛情の根源です
この街でじゃこ天を食べて食べては食べて…(笑)🍀
「愛を注いで」
愛って、液体なの?
液体に触れても、それは液体の冷たさとか温かさとか、さらさらしてたりどろどろしてたりとかいう感触があるから、触れたって感じてるだけで、実際のところ、自分の体を避けられてその液体は存在している。
と、言ってもいいかもしれない。
愛も、同じなの?
あ、でも、「注ぐ」と言われたなら、私たちの体には空洞があるはず。
それは目に見えない。
それはきっと心の空洞だ。
コップは、空洞に液体を注がれて初めて、コップとしての役割を果たせるのだろう。
じゃあ、人間の心は?
人間の心は、空洞に愛を注がれて初めて、人間の心としての役割を果たせるのか?
もしくは、
人間は、心の空洞に愛を注がれて初めて、人間としての役割を果たせるのか。
あ、多分前者だ。
人間の心としての役割っていうのは、色んなことを感じることだと思う。
愛を注がれたら、色んなことを感じることができる。
注がれなければ、 。
考えてみれば確かにそうかもしれない。
例えば、親からの愛を注がれて育った子と、そうではない子をイメージして比べてみれば全然違う印象だ。
そうか。
植物は、水を注いで生きている。
人の心は、愛を注いで生かされている。
そうでなければ、枯れていくだけなんだ。
愛という言葉に不信感がある。
それはこれまで愛という言葉が持つ力強さの弊害を感じてきたからだと思う。愛だといえば殴っていい、愛だと言えば結果に対して怠惰でいていい、愛だと言えば好意を押し付けていい。愛を注ぎ、汚れていくことがあると思うから私は愛という言葉は使いたくない。愛おしく、深く繋がりたいと思える者と出会ったとき私はそれを愛だとは言わずに、ただその者のため身を捧げよう。
それがこれまで受けてきた愛への抵抗であり、これまで受けてきた愛から生まれた愛である、のかなぁ、、、。
【愛を注いで】
2021.12.30
女の子の日が予定日より1週間遅れていた為妊娠検査薬を使用。陽性判明。
頭の中が真っ白になって仕事も手に付かなかった。
年明け病院に行き妊娠確認、お腹の中でどんどん大きくなる赤ちゃんの姿を見て、「会いたい」の一心で産むことを決意した。
2022.9.2
52cm.3435gで生まれてきた赤ちゃんはとってもとっても可愛くて妊娠中の毎日の嘔吐がしんどくて諦めかけた時もあったけどそんなことも忘れるくらいほんとに感動してただただ涙が出てきた。
2023.9.2
一歳の誕生日を迎え当日は大好きな人たちにお祝いしてもらえて、息子のおかげで沢山の人に出会えて、救われて今があるんだなってすごく感じた。また母になって一年、一年間頑張ったなって思った。
お腹の中にいる時から結婚はせず未婚で産む決意をして、この選択が正しかったのかと思う事も多々あるけど、後戻りはできない。
ダメな親だな、子供に申し訳ないな
最近はそう思うことがすごい増えてきて、お出かけしてもパパ、ママ、子供たちと周りの家族たちがただただ幸せそうに見えてすごく辛い。
泣いちゃダメだってわかってるのに辛くて苦しくてほんとに涙が出てくる。
息子のためにももっともっと強くならないとね
母ちゃん頑張るよ あなたに沢山の愛を注いで
愛を注ぐ対象というのは人によって違うと思うが、私は専ら愛犬に対して並々ならぬ愛情を注いでいる自覚がある。たかが犬、されど犬、私にとっては家族の一員であり、守るべき命である。
たとえ莫大な金額の値段を掲示され、その値段で譲って欲しいと言われようとも、私はそれに応えるつもりはない。それくらいの存在なのだ。
私をどん底から救ってくれたのはいつもこの子なのだから。愛してやまないうちの犬は、今も部屋でまったりと座ってこちらを見ている。そろそろ遊んでやらなければ。
君がくれた愛のようにぼくも
君に愛を注いでゆく。
『僕の愛届いてるかな、?』