『愛を注いで』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
わたしの瞳を見つめて、愛の言葉を囁いてちょうだい。それがたとえ偽りであっても、それだけで生きていける。
足りない!足りないよ。もっと。もっと。あいして。
そう願ってもあなたは離れていくのに、、、
ひとこと言ってしまっただけ。それであなたは変わってしまった。私の余計なひとことさえ無ければ。
でも、もう後悔しても遅い。彼はもういない。
この満ち足りなくなった器に誰か愛を注いで?
愛を注いで____
2023.12.13
愛を注いで
君はこの先の未来をどのように考えて、どう過ごしていく?
この先、同じような景色は無くなっていくかもしれない。
1つ、また1つと変わり、今から産まれてくる子供たちが大人になる頃、または100歳を迎える頃かもしれないが、近未来的な世界が広がっているかもしれない。
例えば、ドラえもんのような科学が発達した世界で、どこもかしこも、機械になってるのかもしれない。はたまた、ドラゴンボールのような“都会”と称されているような雰囲気で、まさに、ポイポイカプセルが開発されているかもしれない。車やバイクなどもタイヤがなくて宙に浮いてるシステムになってるかもしれない。
もしかすると、ドラゴンボールのような世界からドラえもんの未来の世界に変わっていくかもしれない。
それとは逆に、世界各国で戦争が絶え間なく起こり、荒れ果てた地となって、生活が困難になるかもしれない。また1から、技術を培っていこうという物語が始まるかもしれない。
そのようなことは今の私達では想像もできないし、このような考えは、異端だと思われるかもしれない。
そう思う人は遥か遠い未来、自分の知らない・生きてない未来のことは考えたくないのだと、私は考えておこう。
どれだけ、想像を巡らしたとて、それは視覚的情報となる。
それでは、心理的情報はどうだろう。
【他を思いやる心】は、いつの時代でも、どのような状況でも、なくしてはならないと私は思う。どれだけ余裕がなかろうと、最低限、自分の身内、家族や家族のような関係の人に対しては、大事にしているであろう。親世代は自分の子供に、はたまた信頼のできる友達に対して、思いやる心で接しているのではないだろうか。
信頼できる人が居なかったとしても、動植物に対してへ愛を注いでいるのかもしれない。もしかしたら、前の生活を取り戻したくて、猛勉強して、ものすごい発明をする人だって現れるかもしれない。
いついかなる時でも、自分以外の誰かに対してでも、自分に対してでも、人ではなく動植物でも、無機物でも、過去でも思い出でも。何かに対して愛を注いで、思いやる心を大切にしていきたいと私は思う。
私は、沢山自分の好きなことをして、お金も必要なので働いて、今と大幅に変わることなく過ごしていこうと思う。
これを読んでくれている君は、この先、どう過ごしていくんだい?
とりあえず今は、知識、希望、心を忘れずに。生きていこう
小さい生き物は
愛情がなくては生きていけない
誰かからの愛を感じなければ
いつか生きる意味を問う
あなたは誰に望まれたのと聞かれて
何も答えることが出来なければ
その子供はきっと
死を選ぶ
生まれてきたのなら誰でも
愛して愛されるべきだよ
⚠
押し倒し馬乗りになって首に手をかけていた
与える苦痛に苦しむ顔は心を満たしていく
オレの背中に生える真っ黒い羽根は
オレの中の君への想いが歪んだ愛に変わってしまった証
なんで?
なんでって、君がオレのことをみてくれないから
これから積りに積もったオレの愛を注いであげる
『愛を注いで』2023,12,13
胸元にそっと手を差し込み、感触を確かめる。硬い胸骨、小さく揺れる肺、激しく揺れる心臓、その更に奥へと手を進める。指先は血液で濡れ、さらさらとした真っ赤な血と、どろどろとした赤黒く濁った血とが混ざり合う。確かな感触を捕らえて、思い切り引っ張り出した。机の上には小さく脈打つ何かが生きていた。両手で丁寧に形を整えると、それは時間を飲み込むような彫刻になった。これを、君の所へ持っていこうと思っている。
君は何を感じ、何を思い、何を言うんだろう。ああ、明日が楽しみだな。明日が来るといいな。
#愛を注いで
愛を注ぐということは
決して恋愛だけではないと思う
家族や友達、大切な人たちへ
注ぐこともあるだろう
人によって愛の形は様々だ
相手とぴったりハマるピースを探し
少しずつ合わせていく
相手を思いやる心こそが愛そのものであり
注ぎ方はいろいろあっていい
注ぎ注がれ
満たし満たされ
愛し愛され
幸せになりたい
……いっそ溺れてしまえばいいのに、とアタシは思うの。
いつでもアタシを一番に気にかけて、何でも率先してやってくれるアナタ。
だからアタシも精一杯、愛を注ぐの。
全身で、全力で。
アタシの愛で、アナタが溺れてしまうくらいに。
「ちょ——愛ちゃん! ステイ、ステーイ!
愛ちゃん重いからッ! パパ潰れちゃうから!!」
……レディに対して失礼ね。
仕方ないでしょ、アタシは由緒正しきセント・バーナード犬なんだから。
ムッとしつつも指示には従って、ちゃんとアナタから引き下がってお座りしてあげるの。
これも愛よ、わかっているのかしら。
「あああ、せっかくスタイも取り替えたのにビショビショじゃないか……」
ボヤきつつ。
アナタはビショビショになった洋服姿のまま、アタシの口周りを拭ってくれるの。
嬉しそうに。
だからアタシはまた愛を注ぐの。
……アナタが溺れるほどに。
大丈夫、もしもアナタが本当に溺れてしまっても。
アタシがきっちり助けてあげるから、何にも心配いらないわ。
だってアタシは由緒正しき、優秀な救助犬たるセント・バーナードですもの!
「ミニトマト?」
準備室でまるで自分の家のようにくつろいでいると先生が仕事用の鞄からちいさな袋を取り出した。
袋からはぼんやりと真っ赤が覗く。
中身は先生が育てたミニトマトだという。
「そう。俺トマト苦手なんだけど自分で作ったら食べられるようになるかなって、」
でもやっぱり苦手なものは苦手みたい、と少ししゅんとした様子で言った。
眉を下げてトマトをみつめる先生は今日も可愛い。
でも大好きな低音だけは健在で、可愛いとかっこいいのバランスに狂いそうだ。
「先生のトマト…なんだか緊張しますね…」
「ふふ、ただのトマトよ?」
袋に手を入れて一粒真っ赤なそれを手に取る。
まんまるの形に目を逸らしたくなるほど綺麗な赤。
先生の手間がかけられて育てられたトマトを食べていいなんて前世の私は相当な得をつんだのではないだろうか。
「いいえ…先生の愛が注がれて作られたものなんです…ミニトマトさえ尊いかも…、」
「貴方って時々分からない……」
2023.12.13『愛を注いで』
愛を注がれた結果、優れた人間になれるのならば私ほど不出来な人間はいないだろう。
どうしたって人を羨んでばかりいる。
その癖、どうしても努力しようという気になれない。
あれがほしいそれがほしい。そればかり。惨めで嫌になる。嫌になっても朝は来るし腹も減る。
生きている間に、満たされたいのだ。
憧れが、私を繋いでいる。
愛を注いで
『愛を注いで』
街道の隅に、美しい女性が立っていた。
女性は透明なグラスを両手で抱え、それを少しはだけた胸元まで運ぶと、こう呟く。
「私に愛を注いでくれませんか」
その時、たまたま通りかかった酔っ払いが彼女の顔を覗き込む。
酔っ払いは気持ちの悪い笑みを浮かべると、いやらしく鼻元を伸ばし、グラスに並々と札束を満たしていった。
「ありがとうございます」
女性はにっこり微笑むと、札束をポケットに詰め込んで、酔っ払いを置いて1人で何処かへ去っていった。
その様子を遠くから眺めていた自分は、こんなに簡単にお金を稼ぐ方法があるのかと感銘を受け、翌日、早速これを実践することにした。
「私に愛を注いでくれませんか」
空っぽのグラスに並々と愛を注いでくれる紳士を求め、昨日女性が立っていた街道へと足を運ぶ。
しばらくすると、通りかかった酔っ払いが、うすら笑みを浮かべながらこちらへ歩いてくる。
アルコールの匂いを漂わせ、酔っ払いは顔をぐいと近づけると、空っぽのグラスへと視線を落とす。
「おろろろろろろ」
そして、空っぽだった俺のグラスはあっという間に満たされたのだった。
この溢れた人々の群れは
お互いに
見えているのに
まるで見えていないかのよう
それぞれがどこかに
愛を注いでいるのかもしれないし
愛を注がれたがっているのかもしれない
それでもそれぞれは
ただのそれぞれだから
寂しんぼうは
ずうっと寂しいまま
ぎゅうっと丸めて
ぎゅうっと抱きしめられたらいいのに
「愛を注いで」
愛を、注いで下さい。
もっともっともっともっともっともっともっともっと、注いで下さい。
これだけじゃ足りないの。
もっともっと、愛を注いで
愛を注いで
さぁ、愛を注ぎましょうね。
コポコポ
愛してもらったらここのコップに愛を入れてもらえるのよ。
『白くん笑顔が素敵ね。愛してるわよ。さぁ、愛を注ぎましょうね。』
コポコポ
『黒くん、あなたのことは…ごめんなさい愛してないわ。愛されるように努力しなさい。』
「やったぁ!こんなにたくさん愛を入れてもらえるなんて思わなかった…!!嬉しい!!」
白くんはいいな、
「そう?黒くんも笑顔でいれば愛を入れてもらえるよ!」
そ、そうかな…?
『今回も白くん愛してるわよ。』
コポコポ
『黒くん、あなたはどうしてそんなに醜いの。気持ち悪い。愛したくないわ。』
ど、どうして、?僕、笑ったよ?どうして、?
前の白くんと同じようにやったのに、どうして
どうして…
「黒くん!今回どうだった!?愛入れてもらえた?
僕はもちろん、今回は笑顔でいたから入れてもらえたよ!」
そうなんだ、よかったね。
「次はどんなことしたら愛を入れてもらえるかなぁ…!」
どうすれば、僕はどうすれば白くんに勝てる、どうすれば、あいつより僕は愛してもらえるんだ…!
愛を注いで
どんどん欲張りになってゆく…最初は、偶然でも出会えるだけでも、ドキドキしていた…その内、毎日逢いたいって思っていて…初めて挨拶交わした日から、側に居たいって…今は、友達になったけれど、それ以上になりたい…あなたの愛に、包まれていたい…私だけの…私だけを…日に日にあなたに溺れていく…
『愛を注いで』2023.12.13
普段は優しいあの人の、ギラギラとした一面をこうして垣間見ることができるのは役に入っているときだ。
彼はデニーロアプローチを得意としている。メゾット演技法を発展させた技法の一種で、かの有名なハリウッド俳優の名前からきている。
ブロードウェイ時代、彼はそういった技術を師匠から学び、こうして日本に舞い戻ってきた。徹底した役作りは、彼を実力派ミュージカル俳優と言わせるだけの力がある。
今回の役はとにかく『悪い人』である。ドが付くお薬屋さんで、ヤのつく職業の人ともつながりがある。そういう役だ。
もともと少し近寄りがたい雰囲気を持っている人だから、髪を短くしてサングラスをかけてヒゲを伸ばすだけで、さらにそれが強くなる。
休憩になってもすこしトゲトゲしいが、話しかけるとあの人懐っこい笑顔を見せてくれるのだから、その切り替えはすごいと思う。
彼は役に愛を注いでいるのだ。
どんな役であっても手はけっして抜かない。
外見やバックボーンを自分なりに研究して、そのうえで稽古場や板の上でのせてくる。
本当に尊敬するし、今のオレにはとてもできない芸当だ。
それを相談すると、彼は冷静に人には向き不向きがあるのだと言った。
だから無理に真似をする必要はない、とまで言われてしまっては素直に頷くしかない。
いつだって彼は冷静に物事を見ていて、その上でアドバイスをしてくれる。
先輩として役者とはなんたるかと、彼は愛情をもって教えてくれるのだ。
どこに行っても馴染めない私を辛抱強く支えてくれてありがとう。
あなたが世界と私を繋いでくれたから未来に希望を見出せたの。
とんでもなく育てづらい子どもだったと思う。
当時はあなたの言葉を理解できずに憎んだこともあったけど、私の未来を本気で考えてくれたからこそだったと今なら分かる。
あなたが溢れんばかりの愛を注いでくれたから、私は自分の力で未来を歩んでいける。
#愛を注いで
愛ってなに?
私は大人になった今も愛を知らない。
施設育ちであるからなのかよく分からないけど。
愛って言うものを知ってみたい。
そんな私は最近彼氏ができた。
私は愛を知らないから好きかは分からないけど。
彼はとっても優しい人。
私は愛を知ってみたくて、感じてみたくて、
彼に寄り添ったり、デートしたりもした。
だけど分からなかった。
ある日突然彼に別れようと言われた。
私はただの道具に過ぎなかったと。
私は何故か彼にすがった。嫌だ、別れたくないと。
お金も払う、なんだってすると。
道具でもいいから、愛を注いで欲しいと。
#『愛を注いで』
No.5
努力しても裏切られる時もあるけど、やらないよりはやった方がいい。
努力してること自体が自分に愛を注いでることなんじゃないかなと最近思う。
その愛が自分の未来を変えるかもしれない。
だからこそ自分を大切に。
テーマ:愛を注いで
愛を注ぐが故にあるもの
職人が仕事に愛を注ぐと、いいものが創られる。農家さんが愛を注いで作物を育てると、豊かに美しく実る。音楽も芸術も、科学の研究開発も、販売の現場や土木建築の現場も、医療の現場や子ども事業も、愛を注ぐところには、長く続く「よき枝葉」が伸びてゆく。むしろ、愛がなければまったく続かなかったり、質がねじくれて大変なことになる「場」の方が多い。
「好きこそものの上手なれ」と言うが、好きなこと、愛してやまないものに注がれるエネルギーはすごいものがある。そういうところには、自覚の有る無しにかかわらず、「決意」と「情熱」がある。
新しい「もの」も、何かの分野の進化洗練も、愛を注ぐからこそ生まれてくる。
さて、私は自分自身の日々に自分の愛をちゃんと注いでいるだろうか…
今日食べたごはん、私が稲を育てたわけでもなく、収穫も脱穀も精米もせず、流通に乗せたわけでもないお米を、私はただお店で買って来て、洗って炊いただけだ。炊飯までも機械がやってくれてる。誰かが作った飯茶碗によそって、ほかほかと湯気の立つごはんを美味しく食べて、満足している。これは、ある意味で奇跡みたいなことだ。暮らしの「システム」の中にすら、誰かの愛が注がれたからこそ、私でも温かいごはんを食べることができるとしか思えない。
何人もの、何段もの、誰かが注いだ愛でできてるほかほかごはんを食べている私は「ひとり」じゃない。
自分自身をどれだけ、愛をもって処しているかを考えると何だか及ばずで申し訳ない気もする時があるけど、ありがたく「いただきます」と拝む。美味しくいただいて、幸せや安心を少しでも感じることが、注がれた愛への感謝を豊かに広げられるような気がするからだ。