『愛と平和』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「もう知らない!」
そう言って彼女が部屋を出て行った。
あー、やってしまったと自己嫌悪。
怒らせるつもりはなかった。
ちょっとしたイタズラのつもりだったんだ。
楽しんでくれるかなと思ったんだけど、
まさかあんなに怒るとは、やってしまった…
そうやってヘコんでいたときだった
コンコンコン
ガチャ
「えへへっ、ごめんね。子どもみたいに怒っちゃって」
そう言って笑いながら彼女が戻ってきた。
俺の好きなお菓子を持って…
可愛すぎんだろ!俺の嫁!!
あぁ、今日も平和だなぁ……
愛と平和
多分、望むものはそれなのかもしれないね。
愛されたいのは、自分が居ることを確かめたいから。
頑張って、成長して、認めてもらって、生きていることを実感したいから。
例えば周囲にどれだけ否定されても、バカにされても、愛されていることを理解していれば、どうでも良かったりするんだろうねぇ。
愛されているだけで、きっと平和なんだろう。
(誰かに)愛されたかったと嘆く時点で、(心の)平和にはほど遠い。
愛と平和。確かに納得できる話だ。
愛と平和
愛と平和
シンプルで純粋なお題ほど
頭の中が無になる
無
それが愛と平和のカタチなのか
難が無い
有り難い
それが愛と平和なのか
愛と平和は私とは程遠い言葉だ。
愛されてないし、平和でもない。
むしろ不幸の連鎖だ。
いつになったら、愛と平和という言葉が、近い言葉になるんだろう
やっとウクライナとロシアの戦争が終わった。
私が平和を望む理由は、愛する人、大切な人とずっと一緒にいたい。生きていきたい。そう思うからだ。正直私は愛する人、大切な人、こう思える人がいなければ平和は望まない。だから愛とはとても人間の心を動かす特別な感情だと私は思う。
愛と平和
ジョン・レノンとオノヨーコが浮かんだ。
「イマジン」
著名な人がたくさん平和を唱えてる。
何年も何十年も。
愛を持って、皆が平和であること願い。
だけどね
戦争は、なくならないんだ。
純真な子供だったはずの大人たち。
でも愛を説き平和を唱えながら
戦争できる大人も必ず現れる。
愛と平和。 アイトヘイワ。
信じられない響き。
人間は、怖い。
お題:愛と平和
それは先輩と飲みにいった帰り道だった。
街灯が少ない裏通りは普段歩くには怖かったが、隣に先輩がいるだけで不思議と怖くない。
……まあその先輩も女の人なんだけど。
篠崎海鈴という名のその先輩は、仕事のできなくて死のうとしていた私を助けてくれたのだった。
そしてかれこれ1年近くになる。
なんだか遠い昔のことのように思えて、思わずそのことを話そうと篠崎さんの方を向くと、その横顔は能面でも貼り付けたかのような正気のない顔だった。
ギョッとする。
さっきまで酔いに任せて千鳥足のまま、We Are The Worldをほにゃほにゃ歌ってたじゃないか。
それが今や死んだような顔つきで、足だけせかせかと動かしている。
まるでロボットのようだった。
「どうしたんですか?」
早歩きの篠崎さんに追いつきながら問いかけると
「いや、嫌な思い出を思い出して。」
「……?何の思い出ですか?」
問いかけると篠崎さんはぴたっと立ち止まった。
あたりは明かりで満ちている。
いつのまにか駅の改札前階段まで着いていたようだった。
「思い出。どんな思い出なんですか?」
「んー。怖いやつ。」
ざっくりとした返答だった。
明かりの近くまで来て落ち着いたのか、篠崎さんの表情は少し柔らかくなっている。
「世の中平和だなぁってさ。」
酔っ払いのOLに戻った篠崎さんは歌うように言う。
「唐突ですね……。
でも平和って言っても世界はまだまだそうじゃなくないですか?
飢餓や貧困の解消のために作られた歌だってあるんですよ。」
「へぇ、今度教えてよ。」
あなたが歌ってた歌ですよ。
「と言うかね、そんな壮大な話はしてないわけよ。
世界なんてどうでもいいの。
私と私の周りが全て。
あいあむざわーーるどー」
「……。」
篠崎さんがバキバキに折れた鉄芯のような音程で歌う。
篠崎さんもここ最近明るくなった気がする。
……もし、その要因の一つに私も入れたなら、嬉しいと思った。
横の篠崎さんを見る。
普段仕事のかっこいい篠崎さんは鳴りを潜め、少し間の抜けた横顔。
彼女は上機嫌に歌う。
「わたしのーまわりはーっあいでーみちていふー♪」
「ちょっ、うるさいですよ、さすがに!」
『愛と平和』
すぐ近くで銃声音が轟いている。
…なんてことはなくて、今日も窓の向こうにはつまらなくて酷く平穏な日常の風景が続いている。惰性で数学教師の安眠を誘う声を聴きつつぼんやりと何処までも続く空を眺めた。
_二年前、丁度こんな風に暖かな陽射しの落ちる中、海を隔てたうんと遠い国が軍事侵攻を始め、ものの一瞬で三分の一もの地域が武力によって堕とされた。画面の向こうでは自分と然程変わらない年頃の者たちが涙を流し必死に逃れようとしている映像が垂れ流されていて、そんな様子を自分は迫り来る時間に急かされながらご飯を掻き込んだ。
何処までいっても僕らには他人事だった。
漫画にありがちな主人公とやらは、いつだって観るものに希望を与える。まるで、自分たちこそが主役であるかのようによりリアルな非日常を味わわせてくれる。
彼らは言う、愛は世界を救うと。
なんて陳腐な言葉だ。でもこんな何処かで聞いたような台詞を意気揚々と宣っても、それすら涙を流し聞き惚れる者もいる。なんて不思議な世の中だろうか。
馬鹿げた世の中だ。
もし自分たちが彼らと同じように、ある日突然、自分たちの住む場所が大国によって進行され滅茶苦茶にされたのなら、そんなものを信じられるのだろうか。本当に愛は救ってくれるのか、全てを元通りにしてくれるのか。
愛なんて不確かなものにどうにかされる訳がない。
でも、誰かをいとしく思う思わなければ心を保っていられないこともまた事実。人は独りでなど生きられない。誰かに依存しながら生きていく。結局どっちが真実なのかわからないんだ。
でも本当は思うんだ。気障ったらしくて認めたくはないけれど、愛は凄い力なんじゃないのかと。だって皆が手を取り尊重し、互いを愛せば争いなんて生まれないのだから。
愛と平和はイコールなのだと。
そう窓の向こうをぼんやりと見つめ考えていたら、
後ろに迫った数学教師の鈴木に宿題を増やされた。
愛と平和
女性専用車両 も 酒くさい
〃 も だらしない
〃 も 居酒屋の料理くさい
愛と平和を願い、幸せに暮らす。
それが神様から与えてくださった願い。
愛と平和を願い、共に頑張ろう。
「愛=平和?」
愛があれば平和になれると言う
本当だろうか?
世の中には愛憎ゆえの諍いが絶えなく起こっている
したがって平和に必要なのは愛ではない
少しの譲歩と少しの理性さえあれば諍いなど起きないのに
3.10
無数の腕がおまえを掴む
まるで我が子を抱き締めるように
私の知らない顔を知るように
おまえが冷めた飯をかきこむ頃には
人々が心をそこに 捨ててゆく
愛すものには罪がないのに …
今日 窓に黒い影はへばり付いていない
耳が遠くなる 足も 自然と遠く
分厚い天文学の辞書 表紙を撫でる
もう何も知りたくない
愛と平和が全てって、何もかもを持っている人が言う言葉だよね。
お金を持っててたり、容姿が良かったり。
何かを持ってる人じゃないとそんな楽観的でのんきな言葉出てこないよ。
ほんと、人生って不公平だよね。
って言ってる私も、誰かから見たら何かを持っている人間かもしれない。
〜愛と平和〜
愛と平和なんて言うけどよぉ
俺たち平和に暮らせてるけどよぉ
愛なんかひとつもねぇんだよちくしょう
だけどなんにも不自由なく暮らせてる事が
今一番の悩みなんだよちくしょう
何が愛と平和だよちくしょう
愛なんかひとつもねぇよ
「愛など必要ないのだ」とまでは
言わないけどよぉ
愛が無くても生きていけてるんだよ
悔しいけど
何が愛と平和だよ…ふざけんじゃないよ
言われなくても平和だよ。ずーと平和だよ、
泣きたいくらい平和だよ。
誰か愛をくれぇ。
愛と平和
当たり前に語られること。
その在り方は人それぞれ。いろんな形がある。
誰かの愛は、誰かの依存。
誰かの平和は、だれかの不公平。
対義語は何だっていい。
形が変わっていくそれを「愛」と「平和」だって、本人が言うならそれで良い。
完全なものなんて、この世界には無いでしょう?
ただ、気を付けて。受けとり方は人それぞれ。
それを語る時、誰かにとっての「愛」は「嫉妬」を呼び起こすかもしれない。誰かの語った「平和」は、やがて誰かの「憎悪」に変わるかもしれない。
人の心の中なんて、見えないのだから。
「当たり前」を語るなら、向かい合ったその人の「当たり前」に耳を傾けて、心に寄り添い、よく考えて、絶妙なタイミングで相槌を打つんだ。
それが、君と僕との間にある「愛と平和」の作り方。
どんな形になるだろうか。楽しみだね。
《過ぎ去った日々》
季節は移ろぐ。
そうやって幾星霜の時が流れた。
なのにどうしてだろう。
僕の心の穴はぽっかり空いたままだ。
何がいけなかったのだろうか。
出会いを見つけて、
別れを惜しんで、
また出会う。
そう繰り返してきただけなのに。
そう繰り返してきたからだろうか。
引き止められたらよかったのか。
手を振るわけではなく、
腕を引っ張って、
泣きじゃくって、
行かないでと言えたなら。
僕の隣には誰か居ただろうか。
過ぎ去った日々はもう戻らないのに
願ってしまうばかりだ。
また誰かが僕を見つけてくれることに。
また誰かが僕に手を差し伸べてくれることに。
そうしたら今度は
離れないようにしっかり繋ぐからさ。って。
そうやってずっと、
願ってばかりだ。
この冬とうとうこたつを買った。
猫達のためだから
あいつはそう言い訳する。
一緒に暮らし始めた初めての冬、あんなにこたつを買おうと言ったのに。
部屋が狭くなるし掃除の邪魔だしなんか湿っぽくて不潔だから嫌だ
そんな偏見に充ちた意見で絶対に承諾しなかった癖に。
去年の春、二匹の猫が我が家に来てから状況は一変した。
猫達の為にこたつを買う
初霜が降りた朝、猫の背を撫でるとゾッとするほど冷たくて、すぐさまあいつは高らかに宣言した。その週末、さっそくホームセンターへと車で急いだ。
今、ふたりで肩を寄せ合い、こたつに足を突っ込んで、ミカンを食べながらテレビを見ている。
気がつけばそういう時間が増えた。
こたつの中には二匹の猫が収まっている。
何がとは分からないが、嬉しくなる。
このつつましい空間には、愛と平和が結集している。
昔 昔 昔
大好きだった歌に 再会したの。
とても 真っ直ぐで 真っ直ぐな 素敵な歌なの。
私って
なんでこんなにどうしようもない人間になってしまったのかなって
泣いた。
歌を何回も聴いて
何回も泣いた。
私の心の中の
愛とか 平和とかが
呼吸を してないんだよね。
#愛と平和
銃声を覆うように
祈りの声が鐘を打ち鳴らす
世界中の歌や文字や絵の中に白い鳩が飛ぶ
血と硝煙でけぶる空が青く染め上げられる
嘘くさくてもいいではないか
できるだけ多く愛をうたおう
世界中のカナリアたちが終末を叫んでも
凍土を耕し種を植える
多くの先人たちがそうしてきたように
子供たちの手が柔らかなまま
いつか白銀に輝く
オリーブの葉を受けとれるように
人々が祈りを忘れる朝が来るまで
世界中の鳩がただの鳩になるまで
『愛と平和』
・愛と平和
それは本当にあるものなのか。
無いのではないかと思うことがある。
目に見えないものだから。
人によって価値も基準も違う。
ある人は、
「自分は愛されている」
「今日も平和だ」と思っていても。
またある人は、
「自分は誰からも愛されていない」
「今日も嫌なことばかりだ」と思っている。
自分が愛されていることを自覚したくない。
争いがないことが本当に平和といえるのか。
今、この瞬間にも泣いてる人がいて。
涙は出なくても苦しんでいる人が大勢いるのに。