お題:愛と平和
それは先輩と飲みにいった帰り道だった。
街灯が少ない裏通りは普段歩くには怖かったが、隣に先輩がいるだけで不思議と怖くない。
……まあその先輩も女の人なんだけど。
篠崎海鈴という名のその先輩は、仕事のできなくて死のうとしていた私を助けてくれたのだった。
そしてかれこれ1年近くになる。
なんだか遠い昔のことのように思えて、思わずそのことを話そうと篠崎さんの方を向くと、その横顔は能面でも貼り付けたかのような正気のない顔だった。
ギョッとする。
さっきまで酔いに任せて千鳥足のまま、We Are The Worldをほにゃほにゃ歌ってたじゃないか。
それが今や死んだような顔つきで、足だけせかせかと動かしている。
まるでロボットのようだった。
「どうしたんですか?」
早歩きの篠崎さんに追いつきながら問いかけると
「いや、嫌な思い出を思い出して。」
「……?何の思い出ですか?」
問いかけると篠崎さんはぴたっと立ち止まった。
あたりは明かりで満ちている。
いつのまにか駅の改札前階段まで着いていたようだった。
「思い出。どんな思い出なんですか?」
「んー。怖いやつ。」
ざっくりとした返答だった。
明かりの近くまで来て落ち着いたのか、篠崎さんの表情は少し柔らかくなっている。
「世の中平和だなぁってさ。」
酔っ払いのOLに戻った篠崎さんは歌うように言う。
「唐突ですね……。
でも平和って言っても世界はまだまだそうじゃなくないですか?
飢餓や貧困の解消のために作られた歌だってあるんですよ。」
「へぇ、今度教えてよ。」
あなたが歌ってた歌ですよ。
「と言うかね、そんな壮大な話はしてないわけよ。
世界なんてどうでもいいの。
私と私の周りが全て。
あいあむざわーーるどー」
「……。」
篠崎さんがバキバキに折れた鉄芯のような音程で歌う。
篠崎さんもここ最近明るくなった気がする。
……もし、その要因の一つに私も入れたなら、嬉しいと思った。
横の篠崎さんを見る。
普段仕事のかっこいい篠崎さんは鳴りを潜め、少し間の抜けた横顔。
彼女は上機嫌に歌う。
「わたしのーまわりはーっあいでーみちていふー♪」
「ちょっ、うるさいですよ、さすがに!」
3/10/2023, 2:16:11 PM