『意味がないこと』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
意味がないこと
創作は私にとって意味がない。最近ずっと感じている。
創作にあてている時間で他にやるべきことはいくらでもある。現実逃避の手段にしているだけだ。お金になるわけでも、未来に繋がるわけでもない。
やるべきことから目を背けているだけなのに、一丁前に意味を見出して価値をつけたがる。
そんな自己嫌悪を抱えながら創作活動していると、本当に意味がないことをしている、もっと言えば、意味がない人生を歩んでいると感じる。
本来やるべきタスクに上書きされて、創作活動に関わるタスクがTODOとして常に伸し掛かっている。本来のタスクと本音のタスクとで板挟みになって、私は身動きが取れなくなる。
そうやって立ち往生している時間が一番意味がない意味がないことだと本当は気づいていて、一層自己嫌悪が深まっていく。そんな意味のない人生だ。
意味がないこと
自分がやってることは
やることは
全部意味がないんじゃないかと
やらない方がいいんじゃないかと思えて仕方がない
誰かにしたことは
相手が意味を決めるし
自分にしたことは
自分が意味を決める
だから
相手のことは割り切って
自分のことは自分で意味を見つけるべきなんだと思う
わかってはいるんだけどね
小学生の頃からの、憧れの人がいた。黒板に解答を書きなさいと先生に言われて、歩いて向かっていた時、俺はある男子に足を掛けられ転ばされた。周りは笑い、先生は見て見ぬふりだったけれど、その人だけ、俺に手を差し伸べてくれた。
「こんなことしても、意味ないのにな。」
その人はそう言って、照れくさそうに笑った。俺はその言葉の意味が分からなかったから、自分の良いように解釈した。きっと照れ隠しなんだと。
その人に会うためだけに、同窓会へ行った。その人の姿はすぐにわかった。精悍な顔立ち、まっすぐに伸びた背筋、まさにエリート然としていて、小学生の頃のイメージがそのまま成長した感じだった。
俺が来ると、「あ、ひさしぶりー。」「元気してたー?」と乾いた笑いで周りは出迎えて、俺が一言返すと、すぐに元の会話へ戻った。
こんなもんだろうと思っていたから、別に傷つきはしない。その人の隣は、常に誰かがいた。席替えしても、割り込む勇気なんてなくて、俺は端に追いやられた。
だけど、好機は訪れた。その人はトイレに立ったのだ。俺は、申し訳なさを抱えつつも立ち上がり、後を追いかけた。
「あのさ、」
廊下を歩く背中に声をかけた。その人は振り向いてくれた。
「俺がいじめられてた時、助けてくれてありがとう。俺、君が助けてくれたこと、今でも思い出して、周りに気を配るようにしてるんだ。歩いてる時、お年寄りや、障害のある人がいたら、真っ先に声をかけるんだ。」
下を向いて、相槌を待たずに、思いを伝える。すると、思いがけない言葉が、頭の上に浴びせかけられた。
「歩いてる時に助けても、意味なくね?」
遠ざかる足音。その人は行ってしまった。
どういう意味か、やっとわかった。小学生の頃も、今も、彼の言っていることは同じだ。
「評価される」=「意味がある」
ということなんだ。彼が、俺のことを助けたのは、善意からじゃなくて、先生や女子の目があるから。そして、歩いてる時じゃ意味がないっていうのは、知り合いが周りにいなくて、評価されないから。
確かに、帰り道では、彼のグループの誰かが小石を蹴って俺に当てた時も、彼は笑うだけで止めていなかった。彼にも人付き合いはあるよねって、良いように解釈したけど、本当は「意味がない」からしなかったんだね。
ああ、来なきゃよかったな。
すぐに店を出た。憧れは潰えて、俺の人生すべて「意味がない」ものに感じる。疲れた。帰り、踏切のある道、通っちゃおうかな。あとは、その時の自分に任せよう。
「あら、あなた!」
突然、パワフルなのにどこか上品な声が聞こえた。そちらを見る。一拍置いて思い出した。この間、重たい荷物を持って歩道橋を上っていたマダムだ。上りと下りの短い間だけど、荷物を持ってあげたんだっけ。
「あの時はありがとうね。こないだは何もあげられなかったからホラ、今買ったものあげるわ。これとかどう、強さ引き出すとかなんとか、美味しいし元気になるわよ。ホラ、疲れた顔してるから。」
そう言って、彼女は何も言えない俺に、乳酸菌飲料を持たせてくれた。何本も何本も、持たせてくれた。最後に、袋を広げてくれたので、中に入れた。流されるまま、袋を持つ。
「……ありがとう、ございますっ。」
俺は顔が見えないよう、俯いて、何度もお礼を言って、頭を下げた。彼女は何かを言っていたけれど、ぐちゃぐちゃの顔を見せないように必死で、覚えていない。
さあ、安全な道を通って帰ろう。明日の朝は、何食べよっかな。
意味がないこと
そんなことして何になるの?
いやいや
意味がないからこそ
人生が豊かになるものです
意味がないこと
そんなことあるのだろうか
意味がないと思ってたって
結果的に意味がつくのではないのだろうか
足跡がつくように必ず何かが残っているのでは……
そう考えないと生きてる意味が死んでしまう
何かがあったんだ、って思ってないと
有象無象の闇に潰されてしまう
だって僕は弱いから
意味を見出さないと 自分の人生を生きられない
機械じゃないもの、サボりたい時もあるのさ。
1週間分の言葉
永遠に、続けられることがどんなに素晴らしいか。
(11/2)
眠りにつく前に、閃いたことはメモをして。(11/3)
鏡の中の自分、最近ちょっと寝不足じゃない?(11/4)
哀愁を誘う、その姿を見て眠りにつく。(11/5)
一筋の光、なかなか手に掴めないや。(11/6)
柔らかい雨、あなたに抱き付くと、たまに頭に降ってくるの。(11/7)
あなたとわたし、どのくらいお互いのこと知ってるかしら?(11/8)
意味がないこと、それは君が興味を失った時だろう。
(11/9)
意味がないこと
誰もいないのに 家に帰ってただいまを言う事
神様なんていないのに 祈ること
どっちも意味がないね。
でも、つらい現実から逃げたいからさ。
意味がないこと…
ぼーっとスマホをみること
ゲームで時間を埋めること
何もしないでいる方が
まだ意味があるかもしれない
床に伏せて外を見ていると寒空に枯葉が舞っている
間も無く閉ざされた冬がやってくる
外を出歩くことすらままならないこの身体
自分の命が永くないことを悟っている
山の中にひっそりと佇むこの家には、旅人や商人が宿を求めて我が家へ顔を出すことがあった
彼らの語る煌びやかな都の様子や珍しい土地や生き物たち、そんな話を聞くのが大好きだった
その後、彼らはどの様な人生を歩んだのだろう
彼らもすでにこの世を去っているのだろうか
チテチテとかわいらしい足音が響く
孫娘の寧音だ
手にもった紅葉や銀杏の葉を、私の枕元に並べる
「とてもきれいね」というと、にかっと小さな歯を見せて笑う
ひとりでこの世にやってきて、ひとりでこの世を去る
孫や子どもが産まれた時、どんなに嬉しかったことか。どんな気持ちで赤子を迎え入れたことか。
私がこの世を旅立った後、先に旅立った家族たちが笑顔で迎えてくれるのではないだろうか
『誰をかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに』
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お題:意味がないこと
「意味があること」「意味がないこと」、それを分けること自体が無意味なのかもしれない
意味がないこと
週に一度、お仏壇の掃除をする。
灰を捨てて、毛払いでホコリを落として、柔らかい布で拭いて、掃除が終わったら蝋燭に火をつけて、お線香に火を灯して、おりんを鳴らして手を合わせる。
数秒拝んだ後はお仏壇を見上げていつもの挨拶をする。
「ど〜もこんにちは〜、今日も程よく元気に生きてま〜す」
手は合わせたまま、語尾を伸ばした間の抜けた喋り方で仏壇に話しかけ続ける。
「今週は〜、料理中に指切ったり手を火傷したりと台所を中心に怪我が多かったんだよね〜、でも料理は見た目も味も大成功〜! 美味しく出来過ぎて毎日ご飯お代わりしちゃってさ〜、来週は体重計乗るのやだな〜」
最初は幼い頃に見たお仏壇に手を合わせながら何かを呟いていた祖母の姿を真似て軽く挨拶する程度だったが、いつしか軽い挨拶がちょっとした愚痴へ、ちょっとした愚痴がそこそこの近況報告へと進化を遂げ、今では小さな蝋燭が燃え尽きる数分間だけの仏様限定雑談ライブ配信というノリでひたすらお仏壇に向かって喋り倒していた。
毎週こんな事をして何の意味があるのかと聞かれたら、ぶっちゃけ神も仏も信じていないので全く無いとしか言えない。
「でさ〜……ってもう蝋燭燃え尽きそうじゃん。
それじゃあ今回はもう終わりま〜す。 また来週〜」
でもまあ、あれですよ、楽しければいいじゃん的な?
祈ることは蝶の羽ばたきいつの日か
だれも戦で死なない世界
#意味がないこと
理性でいくら意味のないことだと説いたところで、本能はやめてくれない。
御伽噺のように、洞窟の暗い奥の奥で討伐される日を待っていたい。
意味がない事は無きに等しい。
いきなり、という事だが、BIGBANGという物から生まれた、BIGBANGがほかにもあるのではないか。
そして、宇宙が出来たのかも知れない、また宇宙は縮んでいるとか、宇宙膨らんでいるとか。
地球が出来たのも、奇跡的な事だろう。
だがというのか、温暖化現象や、ほかの事のもあわせて、ほかの星も、よ太陽のようなものに、歩みよって行き、爆発し、また物が生まれるのではないか。
意味がないこと
貴方は、自分の命を捨て、
私を助けてくれました。
でも、私は。
貴方に生きていて、
欲しかったのです。
貴方のいない世界に、
ただ一人残されて、
生きる事の苦しさに、
何故、貴方は、
気付かなかったのでしょう。
貴方の居ない世界で、
生きていく事なんて、
私にとって、
意味がないこと、なのです。
食べる事も、眠る事も、
息をする事さえ、
今の私には、もう、
意味がないこと、なのです。
だって。
貴方はもう、
この世の何処にも、
居ないのですから。
私は、貴方の元へ行きます。
私はもう一度、
貴方の「愛してる」の言葉が、
聞きたいのです。
もし、再び貴方と出会えたら。
貴方は私を、
抱き締めてくれますか?
意味がないこと
世の中意味のないことのほうが多いと思うんです。
何気ないことが意味を持ってくる。
むしろ意味がないことばかりの中で、段々と意味を持つことが出てくるのではないだろうか?
頭の足りない私には、こういう哲学な感じのことはさっぱり分かりません。
そもそも、こうしてここで日々駄文を書いていること自体意味があるのか?
誰かは読んでくれているのかなとは何となく思えますけど、感想を聞けたり交流があるわけじゃないですしね。
なにか文章を書く習慣は、仕事で書きますからすでに身についていますし。
紹介されたからやっているだけ。
日々のお題に対峙していく意味とは?
皆さんからしたら、なんと無駄な時間を過ごしてるなと思われても仕方ありません。
当の本人も思っています笑
これ書いてるからって、誰かと知り合って友達になるとかじゃないですもの。
誰かに読んでもらうよりかは、この人に読んでもらいたいと相手を特定できたほうが、駄文にも愛着がわきます。
それでいえば、自分に文才があれば意味も出てきたのかもしれません。
自分で意味を見出して、拙い文でも何かしらがこもっていたら。
そう思うと、私の駄文を書く習慣にも、ひとつ意味というか目標というか、意味を勝手につけたくなりました。
他の作品と違って変な文だなぁ。
でも思わず別の駄文も読んでみたいな。
そう思って誰かがハートをつけてくれる。
見知らぬ誰かの心に何かしら響かせることができたとしたら、良くも悪くも私の駄文は、ハートをくれたあなたの心に一石を投じたという意味を持ったのでしょう。
ハートをつけてくれたそこのあなた。
私の駄文に意味を持たせてくれて、ありがとうございます。
感謝ついでにお話できましたら……って我ながらブレませんね笑
知り合うことはないとしても、あなたがつけてくれたハートは、画面の左上にちゃんと届いています。
調べてみたら驚きました。
ハートマークに変わる三本の線。
「ハンバーガーメニュー」というそうですよ。
知ってました?
なるほど、言われてみればハンバーガー。
真夜中に食べ物の話題出すなよ!
抗議の声がお腹辺りから聞こえてきたのはスルーするとして、誰かのハートがハンバーガーメニューの知識へと導いたわけです。
意味あることですね。
意味のないことも、いずれ何かの意味を持つかもしれません。
私の駄文のように。
あなたのハートマークのように。
といってハートの催促してるわけじゃないですからね。
催促してもいいなら、感想聞かせてくださいよって催促します。
あわよくばお知り合いできるかも根性ブレません笑
でここは、そこまで踏み込んだ関わりがない場だからこそ、皆さん思うままに作品を生み出せるんですよね。
意味ありまくりの素敵な作品達の中に埋もれて、ひっそりと駄文をお送りする今日この頃。
気づけばここを始めて1ヶ月経ったようです。
継続は力なり。
駄文も積もれば嵩張って邪魔に……なっていないことを祈るばかり。
ページをめくって、ページをめくって、それから、本を閉じた。五年間書き残されていたそれは、殴り書きの日もあれば、習字の先生が書いたのではないかと思えるほど丁寧な字の日もあった。その日の彼女の気持ちや、表情が嫌でも想像できてしまう。そもそも、嫌なら読まなければいい話なのだ。こんなもの。
「今更、あなたの気持ちがわかっても救ってあげられないのに。」
日記、と書かれたそれを忌々しく睨みながら、冷めた緑茶を飲み干した。ハンガーにかけられた今の私の胸のように真っ黒な服に袖を通していく。
彼女は今日、箱の中で私と間反対の和服を身に纏い、笑っているのだろう。
【意味がないこと】
意味が無いことなんて無いと言う貴方。
私の人生は意味の無い事で溢れていると思っていた。
意味を作ってくれたのが貴方。
君が私の方を見てくれる為にしたこと
例えば…
服装、髪型を君が好きと言っていたものに変えたり
言葉使いや仕草だって丁寧にした。
けれど、君の視線は私に向かなかった。
「結局意味がなかったのかな、、」
そう呟いて私は今日も君を見る。私の事を知らない君を。
意味が無いこと、、、これは人によって捉え方が変わりそうだ、、
私の場合でぱっと頭に思い浮かんだのは『結論が出ないことを永遠に考え込む』かな。
本来私はよく周りが気にしないことが気になったり、言葉や態度の真意や自分の行動の善し悪しを考えては、何が正解なんだろう、とぐるぐる考え始めて勝手に疲れるという節がある。
好きだとか嫌いだとか、感情なんて自分ですら見えないし、時々分からないことがあるのに、人の感情なんてもっと見えないし分からないよね、と思いはするのだけれど。
嫌われたくないって気持ちから気持ちを抑えて建前で話すことや作り笑いをすることも多い昨今、特に難しいことになってるんだろうなぁ。
ここまで来ると『これも建前で本音は、、』とか考えて何を信じていいかも分からなくなるし、、
逆に『意味のあること』ってなんなんだろうって上記を踏まえて考えると、
そういう気疲れや不信を避けるためにも、なるべく素直に、思ったことは言葉で伝えるのは大事だと思ってて、でも言葉の選び方ひとつで傷つくかもしれないって怯えて言えなくなる気持ちもあるのも、そう。
いざ自分が発言する時のために、言葉を多く、深く知っておくことは、相手や自分の為に言葉を選ぶ選択肢が増えるだろうから、大事にするべき意味のある行動だなと思う。
あとは、原因が分からない時は感情任せにしないで、1回しまって自分の内側でなんでなんだろうって考えてから伝えるのもいいのかもしれない。それが考えすぎの元かもしれないけれど、、笑
嫌いじゃないけど波長合わないなって人に好かれた時とか特に大変で、今まさにそういう状態なのだけれど、伝え方や態度に困る中で、自分の中の言葉に選択肢がもっとあればな、と日々思う。
今度の休みは本を読むのにでも使おうかな。
『意味が無いこと』
薄く柔らかな雨が零れ落ち、音色がしみ込む。
まるで絹糸の涙のように優しく頬を濡した。
ふわふわとした柔和に包まれ、暖かさに身を委ねる、と
憤りを感じるほどの濃い音が、荒々しく響いた。
雨は確かに穏やかな表情を見せてくれているのに。
なぜか、心に素手で触れているような
そんな名もない複雑さが鼓膜を揺らしている。
この雨に、意味を見いだしてしまった私
きっと他の誰にも、代わりなんてできない。
あなたなら、傘をさしてしまうのかなあ。
¦意味がないこと¦