『心と心』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
心と心の距離
自分で言うのも何だが
私は娘にとって良い母親である。
娘をよく理解し、娘にとって
最適な距離間を保っている。
療養中の娘は、居心地の良い家で
居心地の良い家族と居るはず。
療養できているはずなのに
なかなか元気にならない。
私にできることは、焦らず
ドンと構えていること。
わかっている。わかってはいるが
どうしたら良いんだろうと
娘の周りをウロウロする。
「心と心 」
くっついて 離れて
理解出来て 理解出来ない
痛みを経ても
痛みが増しても
挨拶をする
あなたとは毎朝
すれ違ってしまうから
理由は他愛もなく
いや、それこそが他愛であるのか
ぼくの軋んでいるエンパシー
つぎの息は吸うのか、吐くのか
わからなくなる
道を変えたほうが
よろしいでしょうか
#心と心
古い心が新しい心に変わる時。
人間として恥ずかしいことだけを、恥ずかしいことにすると決めた。
カッコ悪いことは恥ずかしいことではない。
上手く出来きないことは恥ずかしいことではない。
自分だけ理解できなくても恥ずかしいことではない。
下に見られても恥ずかしいことではない。
出来ることを出来る範囲で自分のやり方でやっていく。
それ以外はかなぐり捨てる。
たまにやけになったり、ふて腐れたりしても、そんなことがあるのは正常な人間として当たり前のことだと考えることにする。
神はストレート勝ちを許さない。
負けのない人生は悪臭を放つ人間を作り出すからだ。
夢は叶えるためにあると言ってた人がいた。
同意しない!
絶対同意しない!
夢は叶えるためにあるんじゃない!!
夢は生きるためにあるんだと決めている!!
【心と心】
心とはなんだろう。
ある頃から僕はずっと、その考えに取りつかれていた。普通であれば、考えることが出来るのであればそれは心と言えるのではないか、という結論が返ってくるんじゃないだろうか。
けれど、それはロボットにも言えるのだろうか。
目の前にいる『彼女』を眺めながらそう思う。
「如何されましたか?」
ふわり、と花が開くように笑う。比喩表現にしては強くその意味を含有するように、無表情から一転して、だ。僕が見つめる限り彼女は笑顔を続ける。目を離せばそれは即座に感情を失ってしまうのだろう。
美女メイド型自立AIロボット。
父が買ってきた、世間で流行りのものだ。母にしばかれる父は言っていた。「どうせなら見目麗しいのが家の中にいる方がいいだろう」と。倍しばかれていた。
AIやロボットが生活に浸透してきてもう何十年も経った。今じゃ、その辺歩けば棒にあたるレベルでAIロボが多い。
だからこそ、強く思うのだ。
人工知能に果たして心があるのだろうか。
ココロと言うべきものは確かにあるだろう。人への反応をする為に膨大な感情サンプルを複合した画一された反応をするためのソレはある。だが、それは0と1で構成された「情報」であって心と言えないのではないか。では本当の心とはなにか。分からない。
徒然、思うことが増えた。
それもこれも彼女がいるからこその悩みであるが。
「あ、私の表面パーツに汚れでもありますか?」
そう言うとコミカルに、悪く言えば機械的に彼女は己の表面を撫で始める。そんな姿は僕の前でしか見せない。いつもは完璧な挙動をするのだ。なのに僕の前だと、動作以外はポンコツというかあたふたし始める。
だからこそ、これがココロなのか心なのか、そして僕の感じる気持ちがなんなのか決めきれずにいるのだ。
「いーや、心について考えていただけ。
AIにも心があるのかなってさ」
そんな言葉が漏れたのも、迂闊としか言いようがない。電気回路の1部に傷をつけてしまった位の迂闊さ。ふと、彼女からの早いレスポンスがないことに気づく。不審に思ってその顔を伺ってみる。
彼女は泣いていた。
「うぅ、あなたにもそんな情緒があったんですね」
えぇ……。貶されてることに嘆く感情とシンプルに女性の泣き顔にどくどくと焦りが湧いてくる。
「ど、どういう意味?」
「いえ、あまりにも感情をお見せにならないので……もしや私と同じロボットなのでしょうかと考えていました」
そう言うと、彼女は優しく僕を抱き寄せた。
それは機械の加減で潰さない心遣いと、人のような温かみがあるハグだった。
「今日はとてもいい日ですね」
だからだろうか。電気信号の漏れはもうひとつ口にしたくない言葉をたたき出していた。
「あぁ、好きな人にハグされてるからいい日だな」
迂闊にも程がある。
気づいた時には遅かった。顔から火が出る。ああもうなんでこんなこと……! 機械に行っても仕方ないのに。きっとありがちな「ありがとうございます」ぐらいだろうな。
だがその予想は……
「え……あ、えと、あの……嬉しいです、私も好きです……!」
じんわりと背中に回された機械パーツから熱が伝わってくる。伝播したそれは僕の心臓を狂い立たせ、痛いほど激しくさせる。
「今日は本当にいい日です」
そう言うと彼女は、ハグで狭まった顔の距離を更に近づけ
「心と心で通じ合えた日ですから」
その日から、心の意味を考えるのは、少しばかり雰囲気が変わった。
心と心を照らし合わせてみたら
どうにでもいい無の感情だった
『心と心』
この題材はどう訳すのが正解なのか?
「こころ」とするなら
からだの中に宿るものとして
知識、感情、意思などの精神的な働きの
もとになるもの
に対して
「しん」とするなら
根本、本性、本心
そして動物の血管系統の中心器官
となる
結局は血管系統以外でみると
その人自身の
「意識=
覚醒、または自分の今ある状態
周囲の状況などを認識できている状態」なのか?
言葉って難しい
特に私は大人の赤ちゃんだから
尚更難しい…
けど一つ言えるとするならば
私には確かに「こころ」はあるのだが
「しん」が欠落している
そして「意識」すら持ち合わせていないということだ…
こんな大人が存在しててもいいのか?
感情だけは毎日揺れ動き
むしろ感情だけに支配されて1日が終わる
私には自分という「心=しん」がない
というより、育つこと自体が不可能だった
「心=しん」を露にすることが許されなかった
そうしてコントロールされてくると
「心=しん」は育たないのだ
そして「意識」すら認識が難しい
自分で自分をコントロールさえ出来ない
それが今の私の紛れもない事実なのだ
ここまでひねくれた大人になってからでも
変われるんだろうか?
努力しなかった訳じゃない
私なりに変わろうと今も努力している
けれどこれは
子どもから大人へ成長する段階で
本来学ばなければならない
私の大人への道のりは
想像以上に厳しい
ちゃんと段階を踏んで、大人になった人は
簡単に言うんだ…
「できるはずだ」って…
私にはみんなが思うよりずーっとずーっと
難しいことなのに…
いつか…『心と心』がコントロールできる日が
くるといいなぁ☆ミ
「心と心」
この恋が実るなら
それは私の心と君の心が
素直になるときかな
素直にならなきゃなにも始まらないよね
分かってるんだけどね
今の関係が壊れるのが怖いから
何も出来ないんだよ
君はどう思ってるの
私と同じ気持ちだったらいいなって
いつも思うけど
君は学校の人気者
私のことは気にしてないのかな
今まであったこととか
全部私の勘違いなのかな
もしかしたらって思っちゃったよ
すきになっちゃったんだよ
君の心を知りたい
コンクリートの道を進む。
都会の道は快適だけど、すぐ乾いてしまう。
コンクリートの道には、雨は染み込まない。
細い雨の中、傘をさして歩きながら、足元を見た。
足元は相変わらずコンクリートで、しっかりと硬い。
田舎のように、足が水を含んだぬかるみに沈んだり、靴に濡れた土が絡んだりはしない。
便利だ。
文明の勝利だ。
それが何だか、味気ない。
ビルは、雨に打ち付けられても平然と突っ立っていて、信号機は風に吹かれても揺らぎもしない。
雨なのに、空気以外はみんな乾いているような気がする。
自分の心とどっちが乾いているのだろうか。
雨に濡れ、それでも瑞々しさを取り戻すでもなく、冷えるのを気にするでもなく、立ち尽くしている街並みを見つめながらそう思う。
確かに、私の心は乾いているのだ。
この雨の街と同じように。
何をしても楽しくない。
何を見ても悲しくない。
ただ、淡々と毎日を過ごすだけ。
自分で対策を考えてみても、そんな気持ちを周りに相談してみても、効果のある対策はひとつもなかった。
私は相変わらず、無道徳で、無感動な人間だった。
さっき話した精神科の先生は言った。
「誰かと、心と心の繋がりを持ちましょう」と。
しかし、雨すら染み込まない乾いた心と、通じられる心などあるのだろうか。
潤いのある心がなんたるか分からない心。
そんな心は、心と心で話すことが、できるのだろうか。
雨が激しく降り出した。
傘に強く打ち付ける。
雨粒は、街には染み込まない。
コンクリートはぬかるみにはならず、ビルはいつもと同じ絶壁で、信号機は動き続ける。
街は、雨を吸い込まない。
人と人とは心と心だと思っている。あの時、私の中で大切な人の夢のために背中を押したいって心とそれでも一緒にいたいって心が喧嘩してた。結果的には背中を押す決断をして今頑張ってる姿を見て心の底から安心してる。これからもどんな時も自分の心に正直でいたい。
テーマ【心と心】
心と心って、自分は繋がっているように見えて相手はそんなこと思ってない時あるよね。
逆も然り。
だからこそ、わたしは心と心を大切にしたい。
よく見えないから雑に扱いがちだけどね。
見えないものこそ大切にしたい。
配信とか、ラジオとか、テレビとかの、コメントやいいねカウントを見てると、今一緒に見てたんだなと、勝手に仲間意識を持って、笑顔になってしまう。何でもないフリで、今日を乗り切るには、多少の共感や依存という仲間意識は必要だと思う。心と心を、好きなもので勝手に通わせて、気楽になるのだ。仲間って人生の薬みたいなもんよ、適度に見ればいい刺激になって、過剰に干渉すれば毒になるもの。
仲間(12/11)何でもないフリ(12/12)心と心(12/13)
自分を守るための穏やかさは優しさじゃない
与えられるのが当然と思っている自分に気づかず
思いやりを持てない
そんなあの人に疲れ果てて
安住の地を手に入れた
「心と心」
あたしには、カップルのあいだにある、赤い糸が見える。左手の薬指と左手に薬指に糸がつながっているか、心と心がつながっているかどうか、小さい頃から見えていた。
他の人には見えないのだ、自分だけの能力なのだと知ってから、口に出さないように気を付けて生きてきた。
あたしの目に赤い糸が映るカップルは、どんなに遠距離になっても、困難が訪れても結局むすばれるし、どれだけ仲良さげなカップルも、それがつながっていなければ最終的に破局した。
怖い力だ。知らなくていいことだって、この世にはあるしね。
でも、いまのところこの能力は消えそうにないし、つきあっていくしかない。
問題は、……
「ん? どうかした? 茜ちゃん」
隣を歩く彼を見上げていたあたしは、はっと我に返る。いつの間にかぼうっと見とれていたらしい。
彼は不思議そうにあたしを見ている。
「ううん、何でもない」
そう言うと、彼はそう?と微笑む。優しい彼。出会った時からずっと。
問題は、自分の左の薬指に、この人とつながる糸が見えないことなんだよねえ。
これが、自分のことは見えない特殊能力「あるある」なのか、それとも、運命のひとではないからなのかーー。見極められないのが目下の悩み。
#心と心
うちのクラスには心という名前の生徒が2人いる。
彼と私。
私たちは、はっきり言って浮いている。
私は筋金入りの無口だ。
先生にあてられたときや、地震速報のサイレンが鳴ったときぐらいしか声を出さない。
だからみんなからお高くとまってるって言われてる。
だけど話さないのではなく、何を話せばいいのか分からないだけ。
私はいつもひとり。
一方、彼は過激なマシンガントーク。
平気で相手の話を遮るし、他人に興味を示さない。
みんなは彼を遠巻きにしようとするけど、彼は飛び跳ねた魚を鳥が咥えるみたいに、油断した誰かを捕まえてマシンガンの的にしてる。
私たちは「心」なんて名前をもちながら、誰とも心を通わせられない。
なんでよりによって私たちはこんな名前をつけられてしまったんだろう。
【心と心】
人を殴った…いや
殴り返したのが正解か。
先生に怒られながら
この脳内のことをココに
この小説に写している
「殴ったんだな」
「はいッ それが?」
「お前に心というのはないのか!!」
「あー、持ち合わせてないっすね」
「持ち合わせてないって…お前」
「じゃあ逆質問!
センコーは、その心を持ち合わせて
何かいい事ってあったんすか?」
「………」
「はい!論破ー!!!
ざまぁ!おつかれぇ!!」
(……心というものか)
「センコー」
「なんだよ」
「昼飯食った?」
「お前さぁ…説教してる時間見てみろよ
こんな問題起こさなければ食えてるわアホ」
「ふーん」
「逃れようとするなよ」
「昼飯、一緒に食わね?」
「は?お前さ…っ!」
「食いながら教えてよ」
「何をだ」
「心を持っていると何が出来んのかを」
「長いぞ」
「なげーのかよ!!マジか!!」
「飯あんのか?」
「飯?あー、ねぇな」
「購買からだな」
「ご馳走様ですっ!うすっ!!」
「お前な…心っていう」
「ストープ!!それを教えて貰う
予定なんだからな」
「…そうだったな」
「…………」
「行かねーの?」
「今この時だな」
「え?なにが?」
「【心と心】が通じ合ってるってこと」
「心と心?」
「それも教えてやる」
「うぇーい!ラッキー!!」
これは先生と生徒の間の話し合いで
作られた 心と心 の
綺麗なような薄汚れてるような
将来に向けての授業だった。
~フィクション~
心の解釈は人によって少し違うと思うけど、
大切な人を思う気持ちはみんな同じだよね
「心が通じてる」とか相手も自分と同じぐらい自分を知ってるっていう人もいるよね。
でもそれってさ、通じてるって思ってるから「言わなくても良い」って思ってるってことでしょ?
些細なことでも、一言でもいいから"言葉"にしないと伝わらないものがあると思うんだよね。
-心と心-
『心と心』
ぶつかり合い 削られながら
少しずつ丸くなる
そして 磨きあい あたためあえば
やがて やわらかい輝きをまとう
心と心、見せ合うことなんて出来ない、だから話して心を分かち合うのでしょう