『心と心』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
人は心と心で話してるんだと思う。
相手に意見を言いたいという気持ちが強いから、言葉がある。
そして、その言葉にちょっと加えるのが心だ。
ごめん、なんか語っちゃってるけど、気にしないでね笑
魂を燃やすように恋をしているおまえ。
それは、祟りと紙一重で、おまえは申し訳なさそうにしている。
おまえは、いつも火元を見せてくれない。見えるのは、煙だけだ。
俺の気持ちが、段々とおまえに傾いていることを、おまえは知らない。
『心と心』
心の交わり
言葉を超えて
想いはひとつ
繋がる魂の
深い絆を感じ
『心と心』
心と心を繋ぐのは
心から紡がれる言葉と
心から溢れ出る表情と
心から響き渡る声と
繕わない 飾らない ありのままの振る舞い だけ
だから、心こそが 最も大事で
心こそ 最も
時間をかけて 育てていきたい 磨いていきたい
心と心
・瞑想している時、心が二つあるように感じることがある。
一つは、考えるのをやめようと思っている心。
もう一つは、それを邪魔する心。
考えるのをやめて無になろうとしても、もう一つの心があれこれ喋り出して遮ってくる。
…まるで人格が二つあるように聞こえるが、これは瞑想してると誰でも起こることだ。というより、誰もがそうなってしまうのだ。
情報が溢れかえっているこの現代は、私たちは何も考えたくなくても色んな情報が入ってきて考えざるを得ない。これでは心がいくつあっても足りないと思う。
そういう時は自分の思考を観察することが大事だとよく言われる。自分の心を客観視するのだ。
やがて自分の内の相反する二つの心は落ち着き、ようやく自分を取り戻せる。そうなれば、他人との心も繋がりやすいのではないだろうか。
私はグチャグチャだ
床にすわりこんで
何がおかしいのか考えてみた
ボッサボサの頭で
物干し女のようだ
ちゃんとしなきゃいけない
いつもそう思っていた
まじめに生きてきた
私の心と心の中が食い違っているみたいだ
体と心も全く合わない
眠っていても自分じゃないみたいに
空気になりたい
風に吹かれてふわふわと
重力なんか感じないくらいに
掴めないくらいに
テーマ・心と心
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久しぶりに書きにきたらこれまたえらく抽象的だな
個人的にはこういうネットとかも見た目関係なく
心と心で繋がってると思うけどな
心と心
互いの心と心が通じ合うのは難しい
通わせようと努力してもできなかった
何のために頑張っているかわからなくなってしまいました
#心と心
直ぐ打ち解けられる人もいれば
いつまでもわかりあえない人もいる
心と心を繋げるのは難しい…
メンタリストやら何やらのように
人の心が覗けたり
操ることができたら
人との関わりも楽になるのかもしれないね…
🌈黒猫のつぶやき🌈
心の中のテリトリーに
ズケズケ グイグイ入ってくる人苦手…
とか言っても
グイグイきた人が以外に良い人だったりもする
人付き合いって紙一重~
近くにいても隣にいても
いつまでも遠い場所。
#心と心
心をかさねて見比べる
灼けた大きな頼もしい心
白く柔らかな美しい心
全然ちがうねと笑うきみ
/ 心と心
それは姿を見せることは無い
でも、感じることはできる
こころと心
見えないからこそ大切にしたい
自分の心に手を当てて感じてみる。
このもやもやや悲しみや不安、
怒りや憎しみ、
後悔や罪悪感、
それらも全て、自分の心と誰かの心との摩擦で生じた感情なのである
僕らは自分の心だけでいきているのではない
生きていく中で出会った人たちとの心と触れ合い、
そしてまた心が反応し合う
そんな中で心と心がぶつかり合うこともある
心と心で温め合うことだってある
そんな日々には嬉しい、楽しい、幸せだ
そんなふうにかんじて、心は潤う
どちらにせよ、
僕たちは常に心と心を通わせている
そんな日々は、まるで他人との境界線などないのではないか、とも思わせる
どんなに離れてても
近くて
側にいても
遠い
『心と心』
No.11『無題』
散文 / 掌編小説
心と体だってバラバラになるんだから、心と心が一緒になるなんて到底無理な話で。そんなよく分からない理由で俺はフラれた。13年間付き合ってきて、今日、プロポーズしようと思っていた恋人に。
ちょっと待て。心と体がバラバラだとか言っているけど、最近は体の相性だけは最高なんだけど、とかなんとか言ってたじゃん。俺より体の相性がいい男が現れる前に、急いでプロポーズしようと思っていたのに。
こんなこともあろうかと、彼女の裏アカを探し特定していた。最近になってチラホラ現れる男のにおわせツイートで、こんなにも心と心が一緒の相手は云々かんぬん言っている投稿を見つけて。
体が心に負けた瞬間だったが、その感情がいつまで持つのか疑問に思いながら、俺はSNSを閉じた。
お題:心と心
「恋心と心拍数は連動しててもいいよね?だとか人体の構造を雑に決めた神を必ず探し出し息の根止めてやる」
よく分かんない理屈だけど、そんな決心をしたのは私の曾々々々々祖父、つまり七代前のご先祖様だ。
名前は弥五郎。レトロだよね。
我が家に伝わる話では、その(略)じいちゃんと彼の嫁さん、(つまり私の曾(略)祖母)は二人相思相愛の仲だった。
毎朝毎晩毎分毎秒、じいちゃんの顔を見る度にときめいてやたらドキドキしていたばあちゃんの心臓はすっかり弱ってしまい、子供を産んですぐに心臓が止まって死んでしまったのだそうだ。
で、恋女房を不意に亡くしたじいちゃんは、その悲しみを怒りへまるっと転換して「神殺し」なんて大それた計画をぶち上げて……本当に神の国まで行ったって。
神の首根っこ引っ掴んで剣を突き立てたまでは凄い。まるで物語の主人公だよ。でもさ、そう簡単に死なないしやられた分だけやり返すのが神様って奴だよね。
七代前のとんだご先祖様のおかげでうちの一族は、どれだけ好きな相手にも一切心がときめかないなんて、わりと通好みな感じの呪いを受けてしまったんだ。
ねえ。
好き。
心の底から大好き。
愛してる。
やっぱり伝わりにくいかな。
何言っても、何言われても、顔色ひとつ変わらない無愛想だけど、貴方のことを思っているのは本当だよ。
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「心と心」
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所感:
ドキドキしているのを好きだと勘違いするのが、吊り橋効果でしたっけ。
心と心
職業柄、他人の悩みを聞くことが多い。改善の可能性を探り、無理強いはしないが、ご提案をする。気持ちに寄り添うこと。寄り添いますよ。と見せかける演技力が必要とされる。
自分のことですら何が正解か分からないことも多いなか、他人に正しいアドバイスができているかどうか分からない。
初めて会う年齢も若い相手に対して、「お願いします。どうにかしてください。」「おまえはプロだから分かるだろう」と言う人もいる。
藁をも掴みたいほど、困った状況の人の心に真正面から向き合い、寄り添えば共倒れする。ただ、若い人ほど、仕事と割り切って、私のできるのはここまでです。とはっきりラインを引くことができない。だからこそ、心の弱った人間は自分の気持ちをもっと理解し、解決に導くのがおまえの仕事だと頼ろうとする。
家族や愛する人のために心を砕いて尽くしても、仕事においては、自分が果たして適任か?身を削る思いで応じるべきか客観的に考え、自分の心の守るべきだ。みんなに愛され、好かれようとするのは無理なのだから、大事な人のために自分を大事にしなければ。
心と心
本当の友達。親友。そんなの私には夢物語だ。
ドラマや映画やエピソード集で描かれる人間ドラマは全部幻想。
真夜中の呼び出しにも駆けつけてくれたり、好きな人を奪い合うったり、励まし合ったり、泣き合ったり。
友達ならそういうことをするものだと思いこんできた。
それならば、きっと私には友達がいない。
学生時代、同じクラスというだけで連絡先交換をしまくっていたクラスメイトに混じって、私のリストにもそんなに仲良くない子の名前で埋まっていた。
でも、彼らは結局一度もやり取りしないまま卒業していった。
学校ではそれなりに人付き合いはしていたと思うけど、学校で話せる人たちとわざわざ家に帰ってまで話したいこともなく、たまに来る「今は何してる?」のメッセージも翌日返すということをやっていたから私に連絡してくる人もいなかった。
下手に即レスポンスをしようものなら、そこから怒涛のメッセージ会話が始まってしまう。家にいるときくらい好きなことをして休ませてくれ。
そうして私の連絡アプリには家族と親戚のアドレスだけが残った。
ただ、ひとりだけその内輪の中に混じっている人がいる。
幼少時代から一緒に過ごしてきた彼女。
あの子だけは、一度もぶれずにアプリの一番上に名前を残し続けていた。
小学生のとき、すごく仲良しの子がいた。
上辺のなあなあな関係じゃなくて、お互いに理解し合って、何でも話せて、一緒に行動できる関係。少なくとも私は思っていた。
だから、その子とは常に一緒。班決めも、体育のペアも、教室移動も。
それが友達の証で、ひとりでいる子は友達のいない可哀想な子。
だから、私はその子と一緒にいないといけなかった。周りに可哀想な子だと思われたくなかったから。
でも、その子は私以外の友達関係があった。
当然だ。その子は私ひとりだけのものじゃない。だから、私以外の子と仲良くしても、一緒に遊んでも全く関係ないはずなのに、私は子どもだった。
私以外といるのが嫌で、執拗にその子を束縛した。私といて。一緒にいて。
べったりすればするほど、その子は離れていって、私はひとりになった。他に話せる人もいたけど、いつもどこか上辺な関係だった。
人を気を遣いながら、一定の距離にあった私は、いつの間にか
思い描いていた友達像は嘘なんだと悟った。
気を遣うのが疲れるならひとりでいいと思ったのはその頃だ。
だから意味のない友達ごっこはやめたのに、未だに私に連絡してくる彼女が不思議だ。
学区が一緒だっただけで、別に仲良くもない。
彼女はひとりでいるのが好きなのか、遊びに誘っても断られるし、メッセージ上だと素っ気なくて冷たい。
けれど、彼女とは定期的に会ってはどうでもいい会話をして、適当に時間を過ごして別れを惜しむことなく解散している。
学生時代を終えた後、疎遠になっていく同級生たちの中で彼女だけが唯一の繋がりでいるのだ。
真夜中の呼び出しにはきっと来ないし、恋愛話もしないし、落ちこんだときも一緒になって落ち込んではくれまい。
それでも、彼女とのこの距離感が心地よい。
『次休みいつー?』
新規のメッセージを受信した。彼女からだ。
『今週は土曜日なら空いてるよ。あとは他の日は時間によるね』
『そー。昼は仕事なんだけど夜会える?』
『大丈夫だよ』
『お、ありがと。じゃあ6時にいつものとこで』
彼女からのメッセージにスタンプで返す。
最近仕事が忙しいって言ってたのに、人と会ってる場合かよと心の中で呟いた。
息抜きだろうか。自惚れだろうが、彼女の頭の中の片隅で私を思い出してくれてたのだったら嬉しい。
歳を重ねてきてみると、今まで考えていた交友関係の在り方が思い込みだったのだと感じられる。
何でも打ち明けられる関係がいい、友達は多い方がいい、ひとりは寂しい奴。嘘ではないが、正しくもない。。
秘密もあるし、言いたくないこともあるし、ひとりの時間も大切だ。
たとえ友達という関係であっても、そちらの事情まで干渉しない。
それでも、なにかずっと繋がっているような感覚。
見えないご縁に恵まれて今があるのかもしれない。
身構えて行った初めての海外。
まともに話せた言葉は
「Yes」「No」「Thank you」ぐらいのものだった。
それでも。
面白いことがあれば顔を見合わせて笑う。
いいことがあれば一緒になって喜ぶ。
困ったときには助け合う。
その時にその場にいる人々とのあたたかな交流を
これでもかというほど経験させてもらった。
たとえ、言葉が通じなくても。
表情とジェスチャーと、伝えたいという気持ちさえあれば
心と心は十分通じるのだ、と知ることができた。
心に国境はない。
あたたかく、幸せな数日間だった。
心と心
結局は
寄り添えないもの
だと思ってる
-心と心-