NoName

Open App

心と心

本当の友達。親友。そんなの私には夢物語だ。
ドラマや映画やエピソード集で描かれる人間ドラマは全部幻想。
真夜中の呼び出しにも駆けつけてくれたり、好きな人を奪い合うったり、励まし合ったり、泣き合ったり。
友達ならそういうことをするものだと思いこんできた。
それならば、きっと私には友達がいない。

学生時代、同じクラスというだけで連絡先交換をしまくっていたクラスメイトに混じって、私のリストにもそんなに仲良くない子の名前で埋まっていた。
でも、彼らは結局一度もやり取りしないまま卒業していった。
学校ではそれなりに人付き合いはしていたと思うけど、学校で話せる人たちとわざわざ家に帰ってまで話したいこともなく、たまに来る「今は何してる?」のメッセージも翌日返すということをやっていたから私に連絡してくる人もいなかった。
下手に即レスポンスをしようものなら、そこから怒涛のメッセージ会話が始まってしまう。家にいるときくらい好きなことをして休ませてくれ。
そうして私の連絡アプリには家族と親戚のアドレスだけが残った。
ただ、ひとりだけその内輪の中に混じっている人がいる。
幼少時代から一緒に過ごしてきた彼女。
あの子だけは、一度もぶれずにアプリの一番上に名前を残し続けていた。

小学生のとき、すごく仲良しの子がいた。
上辺のなあなあな関係じゃなくて、お互いに理解し合って、何でも話せて、一緒に行動できる関係。少なくとも私は思っていた。
だから、その子とは常に一緒。班決めも、体育のペアも、教室移動も。
それが友達の証で、ひとりでいる子は友達のいない可哀想な子。
だから、私はその子と一緒にいないといけなかった。周りに可哀想な子だと思われたくなかったから。
でも、その子は私以外の友達関係があった。
当然だ。その子は私ひとりだけのものじゃない。だから、私以外の子と仲良くしても、一緒に遊んでも全く関係ないはずなのに、私は子どもだった。
私以外といるのが嫌で、執拗にその子を束縛した。私といて。一緒にいて。
べったりすればするほど、その子は離れていって、私はひとりになった。他に話せる人もいたけど、いつもどこか上辺な関係だった。
人を気を遣いながら、一定の距離にあった私は、いつの間にか
思い描いていた友達像は嘘なんだと悟った。
気を遣うのが疲れるならひとりでいいと思ったのはその頃だ。

だから意味のない友達ごっこはやめたのに、未だに私に連絡してくる彼女が不思議だ。
学区が一緒だっただけで、別に仲良くもない。
彼女はひとりでいるのが好きなのか、遊びに誘っても断られるし、メッセージ上だと素っ気なくて冷たい。
けれど、彼女とは定期的に会ってはどうでもいい会話をして、適当に時間を過ごして別れを惜しむことなく解散している。
学生時代を終えた後、疎遠になっていく同級生たちの中で彼女だけが唯一の繋がりでいるのだ。
真夜中の呼び出しにはきっと来ないし、恋愛話もしないし、落ちこんだときも一緒になって落ち込んではくれまい。
それでも、彼女とのこの距離感が心地よい。

『次休みいつー?』
新規のメッセージを受信した。彼女からだ。
『今週は土曜日なら空いてるよ。あとは他の日は時間によるね』  
『そー。昼は仕事なんだけど夜会える?』
『大丈夫だよ』
『お、ありがと。じゃあ6時にいつものとこで』

彼女からのメッセージにスタンプで返す。
最近仕事が忙しいって言ってたのに、人と会ってる場合かよと心の中で呟いた。
息抜きだろうか。自惚れだろうが、彼女の頭の中の片隅で私を思い出してくれてたのだったら嬉しい。

歳を重ねてきてみると、今まで考えていた交友関係の在り方が思い込みだったのだと感じられる。
何でも打ち明けられる関係がいい、友達は多い方がいい、ひとりは寂しい奴。嘘ではないが、正しくもない。。
秘密もあるし、言いたくないこともあるし、ひとりの時間も大切だ。
たとえ友達という関係であっても、そちらの事情まで干渉しない。
それでも、なにかずっと繋がっているような感覚。
見えないご縁に恵まれて今があるのかもしれない。

12/13/2022, 7:24:39 AM