『幸せに』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
大好きだった場所が今日閉鎖になった。
そこは自分以外は頭オカシイということを勉強する場所だったが、砂漠のようなその場所で1人2人のどうしても去りがたい想いになる言葉を見つけた。
だから大好きな場所だった。
人の言葉が破れた硝子の破片の様に自分に突き刺さるその場所で1人2人のキラキラした言葉に出逢う幸せだった、、そして幸せにと願った。
そんな場所が今日閉鎖になった。
2024年3月31日 心幸
昔、大親友に告白された事があった。
今ほど同性愛がコンテンツ化していなかった時代、彼女は私にとって奇特であり、異常であり、ユダであった。卒業式の日の桜の仄白さと、拒絶後の彼女の顔色は同じだったと思う。順当に縁は切れ、私達は素知らぬ顔で大人になった。何も無かったかのように、今年も春が来て――。
「はがき?」
「ええ。昔よく来てた……何だったかしら? リカ? リノ?」
母親の呟く名前は一文字も掠ってはいなかったが、私に彼女の姿を想起させるのに不足はなかった。
私への手紙? 謝罪なんてのはきっと違う。何も間違ってない。
ああ、でも、関係にヒビを入れた彼女を恨めしく思った日もあった。彼女もそうだろうし、私を恨んだこともあっただろう。じゃあ怒りの手紙? だとしたら怖い。
でも、彼女の思いを聞きたい。私も何かを伝えたい。
名前と住所の書かれた表面をひっくり返す。
「結婚?」
それは私宛ではなく、参列者宛の手紙だった。
載っている写真は、例の親友と知らない女性のツーショット。「この度私達はオランダにて結婚式を挙げることにしました!」なんて文字が踊る。ここ徳島だ馬鹿。
当然出席できるわけもない。合わせる顔がないなんて理由ではない。国といい相手といい、この圧倒的な疎外感に耐えきれない。彼女はこの手紙で私が来ることを何ら期待していない。
私はスマホに手を伸ばし、電話番号をショートメールに追加する。
「お幸せに」そう書こうとして、思いとどまる。
「しあわせにんじん」
三秒で考えたみたいな陳腐さとつまらなさを奴の人生の絶頂に投げつける。
幸せになるな、とそれだけを考えていた。
【幸せに】2024/03/31
明日からまともなもの書きます…いやほんと…
【幸せに】
「幸せになる」ことは、
「幸せに気づく」ということ。
そう教えてくれた、今日は君の門出。
どうかどうか、お幸せに。
「お幸せに」
痛い痛い。死にそうに痛い。言いたくない言いたくない。こんな、心にもない言葉。
「ありがとう」
ああ、だけど。大好きなきみが見たことないくらい嬉しそうな顔で笑うから。これがきっと正解だったんだって言い聞かせた。
私の幸せはきみなのに、きみの幸せは私じゃないんだって。
──見たくもない現実を目の前に突きつけられながら。
幸せになってください
なんて、一生願えないと思ってた。
それなのに、こんな、さいごに、
キミの不器用な笑顔を思い出しながら願うだなんて。
あーあ、失敗しちゃったなあ。
私もキミと幸せになりたかったけど。
そんな願いは叶わない。
だから、お願い。
貴方が、これからの人生をちょっとだけハッピーに
するにはどうすれば良いでしょうか?
まあ、僕の人生はこれから先長いですから、
色々な人と出会い、本を読み考えが変わっていくので過去の自分の文章を読んでると時々恥ずかしくなるのですが、冒頭にあった問いに今の僕がお答えするのならば、
僕は、人生の中でたまたま上手く行った、奇跡的な事に名前を付けてやるといいと思います。
要するに、徳を積んでください。
徳を積むというのは、困っている人を助けたり、ゴミが落ちてたら拾ったり、なんでもいいです。
自己満で構いません。逆に自分はこんなに徳を積んだんだと認識して下さい。
そして、何かが奇跡的に成功したり、たまたま上手く行った時があったら、あの時ゴミを拾ったのが効いたのかな、とか思って下さい。
その成功に理由をもたらすのです。
暗記をする時、ただただ覚えるよりもストーリー
だとか、根拠をつけると脳がその出来事や単語を覚えようとします。
その様に、その奇跡に根拠や理由をつけるのです。
そうすると今後、自分の人生を振り返った時、
内容は覚えていなくても”幸せ”は、他の人より多く、
脳が覚えている事でしょう。
さあ、是非あなたもこの“幸せ向上協会”に
入りませんか?
#幸せに
永遠に遊んでいたいんだ、そんなことを言われた。あなたにとっての幸せとはどんなものかと問いかけたらかと問いかけたらそんな答えが帰ってきた。こちら目もくれずどこか遠くを見ながらぽそりと落ちてきた声は、少し後ろめたさのようなものが滲んで聞こえた。遊ぶ、と釣られるように繰り返すと、小さく頭が上下に動く、子どものように、子供の頃のようにただ何も考えず眼の前の楽しさにだけ没頭していたその幸せは永遠の思い出だからそれがもっと長く、永遠に続いてほしいただひたすらにどこまでも楽しい時間に浸りたい、そう語る声はさながら老人のようで幸せになりたいと願いながら叶なわないことは知っていると暗に語っているようだった。
可愛いね
可愛いね
良い子になんかならなくていいよ
周りに合わせなくていいよ
したいようにしたらいいんだよ
どんな君も大好きだよ
愛してるよ
美味しいご飯食べてね
綺麗な景色見てね
お風呂浸かってね
髪は私が乾かしてあげる
努力が無理ならしなくても良いんだよ
ほかの人がやってるからって関係ないよ
やりたい時にやればいいよ
気付いてないかも知れないけど、いつも頑張ってるんだからね
呼吸できてるのえらいよ
心臓が拍動してるのすごいよ
無意識でやってるんだからすごすぎるよ
褒めてもらいたいなら
認めてもらいたいなら
私が全部してあげるからね
いっぱい遊んでいっぱい寝ていっぱい食べて
幸せに育ってね
お題『幸せに』
幸せになってね。
あなたの音楽を見守り続けたかったけど
私にはもう重荷だったの
ごめんね、ほんとうにごめんなさい
幸せのレベルはいろいろあるし、感じ方も人それぞれだと思う
でも、今の自分が幸せだとは、どうしても思えない
毎日とても苦しい
だからこそ、幸せになりたい
すごくすごくなりたい
どうしたらそうなれるのかな…
お題《幸せに》
月夜の海岸。
波に運ばれる淡いの花。
手を繋いで灯した愛も枯れ果てて。
今頃あなたは――恋人と幸せを語り紡いでいることでしょう、この場所で別れの歌を聴いた日は悪夢だったけれど、今は。
確かに願うのです。
あなたの笑顔が再生される。
記憶の笑顔を道しるべに。
"幸せに"
映画館からの帰りに、ハナを迎えに行った時に聞いてきた。
結果は異常無し、予定通り来週に行うと言われたので安堵し、帰って居室のカレンダーにボールペンで【ハナの避妊手術】と書き記した。
その下に【朝ごはんあげない】【水は朝八時半に取り上げる】と付記事項も書いた。
全身麻酔を使う手術の為、人間と同じように手術前十二時間以上──当日午前零時以降の絶食、水は当日の朝九時以降の絶飲となる。だから間違えて朝ご飯をあげてしまわないようにメモしておく。
書き終えてボールペンをペン立てに戻す。
ふと、ハナを獣医からキャリーケースごと受け取った時の事を思い出した。
────
礼を言って帰ろうとした時肩を叩かれ、耳打ちで「デートどうでした?」と聞かれた。
驚いて変な声が漏れた。
計画を立てた後、獣医に検査後少し預かってもらえないか相談していたのだが、そんな事一言も言っていなかった。ただ少し預かってもらっていいか聞いただけだ。
ただ、迎えに行った時飛彩と一緒だったので変に勘ぐった可能性はある。けど、だからって『デート』はいくらなんでも飛躍しすぎだろう。
まぁ、聞かれた時の俺の反応が図星である事を語っていたので反論はできず「ま……まぁ」的なくぐもった回答をした。
これで獣医にまで関係がバレてしまった。別に隠している訳ではないが。
答えた後「お幸せに」と耳打ちされ、背を押された。
────
思い出すだけでも、頬が熱を持っていくのが分かる。
あの後「何かあったのか?」と聞いてきて「なんでもねぇ」と我ながらぶっきらぼうに答えたが「そうか」と頷いて、その先は聞かれなかったが、あの時の俺は顔が赤かくなっていたと思う。
聞かれたくない事、詮索されたくない事は少し気にかけて軽く聞いて来るだけで、それ以上は聞いてこない所も好きな所。
ある程度は推測されただろうが。
「みゃあん」
いつの間にか足元に来ていたハナの鳴き声で、はたと我に返る。
「あぁ悪ぃ、今昼飯持ってくっからちょっと待ってろ」
ハナに声をかけると、その場から逃げるように早足で部屋を出た。
幸せな人生の旅を
子ども達、友、遠くにある人、この現実を生きる大切な人達。
良き旅路であることを
先を往く親族、家族、友人知人、鬼籍にありながら良くしてくれた方々。
誰も彼も、肉体を纏うときもそうでないときも、その旅路が最良のものであるように。どの事象経験からも、ギフトを見つけることができるように。感謝の想いが、その心の翼になってくれるように。自分以外の人達も自分自身も、等しく敬える心の開きが、いたわりと励ましの源泉であるように。
幸せであってほしいとねがう私の夢を、叶えてくれますように。
どうか、幸せに。
『不幸な幸せ』
今の幸せ以上の幸せに
ならないと分かっているのに
あなたに惹かれている
#幸せに
最近あまり幸せを感じてない気がする。別に悩んでいるとか憂鬱って訳ではないけど、楽しいとか嬉しいみたいな気持ちがあまり心に湧いてこない。ここ一週間を振り返ってみてもたぶん一番幸せを感じたのは、布団に入ってどんどん瞼が重くなってきたときの「もうちょっとで眠れそう!」って、うとうとしながら頭に思い浮かべているときだろう。
生きて欲しい
どうかずっとずっと
僕の目の届かないところでいい
幸せに生きて欲しい
きっと君の目に僕が映ったら
君の人生は最悪のものになってしまうだろうから
だから
どうか幸せに
お題『幸せに』
僕には幼なじみがいるんだ。とってもサッカーが上手な幼なじみ。
気付けば小さい頃からずっと一緒で、
隣にいるのが当たり前になってた。
それは幼なじみの彼も同じだった。
でも、ある日に喧嘩しちゃってそのままバイバイしちゃって。
その出来事のあと、僕は怪我をしちゃって、サッカーが出来なくなっちゃった。
それから月日は流れて、大きなサッカー場で幼なじみの彼がいるチームの試合が行われる事になった。僕はどうしても諦めきれなくて観に行ったんだ。
試合は、彼がいるチームがリードして前半が終了。後半が始まった。彼は、
コートの上を走り抜けていた。あの頃と何も変わらずあの時僕が追い続けた背中。
そしてタイムアウト中。僕は、勝って欲しくて大きな声で応援した。
「僕の分まで頑張って!相棒!」
そう言ったら、彼がこっちを見たんだ。沢山の観客がいるなかで僕を見つけた。
そこからは、彼がいるチームが勝った。最後にシュートしたのは彼だった。
帰り道。凄かったなと思いつつ、駅までの道のりを歩いていると、後ろから呼び止められたんだ。その声は、あの時あの頃から何も変わっていない彼の声。
彼がいった。「応援サンキュ。ありがとな」
その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れてきた。彼は抱きしめてくれた。
それからは、無事に仲直り出来た。
彼のチームメイトにも会った。とても優しい人達で個性豊かな人達だった。
そのチームメイトの人達の話では、
あの応援の時、ボソッと彼が
「まだ、相棒って呼んでくれるんだな。」
と言っていたらしい。
彼のチームメイトとの別れ際。
「お幸せに。アイツを宜しく!」
大切な日々の中
彼が夢を叶える事が
私の幸せでもあった頃
私の笑顔が
彼の幸せでもあった頃
あれからずいぶん月日が経った
それぞれ別の道歩んでるけど
元気にしてますか?
笑顔で毎日暮らせてますか?
ちゃんと自分の道歩んでますか?
あの頃の二人に伝えてあげたいね
どんな道でも幸せになってね
それぞれしっかり歩んできたから幸せだよ
きっと
幸せに
幸せになりたいとかよく言うけど…
幸せの価値観ってみんな違うよね
だから一概に
何が幸せなのかは個々の自由
私自身が思うに
私が亡くなる時
それがハッキリするんじゃないかと思う
自分の人生が幸せだったかどうかが
だから
鬱病になってからの今は
只々、日々穏やかに過ごせることが幸せだし
晴れた日だって幸せ
体調の良い日も幸せ
大切な人と同じ時間を過ごせることも幸せ
そして
何も悪いことや嫌なことがなかった日は
全て幸せな日だと思う様にしている
大切な人たちの幸せを願うことも
幸せ
みんな「幸せに」
毎日が過ごせます様に⭐︎
幸せの形はそれぞれ違う。
私は昔自分が世界一の不幸者だと思っていた。
だが、大きくなるにつれ私の考えは間違っていると知った。
ネットやニュース、教科書に書いてある歴史や本の中の世界。
様々なものを見て聞いてそれを感じとったからだ。
いきなり私の話になってしまうが私の過去について少し話そうと思う。
私は複雑な家庭の中で育った。
私は5人兄妹の1番真ん中に生まれた。
まぁ、子供が5人だなんて普通多いと感じるだろう。
私も同感だ。
母は愛を欲する人間だった。
それとお金も。
後、協会の信者だった。
家を空けることも多く小さい頃からほっとかれていたのを覚えている。
ほっとかれることは別に良かったが家に帰ってきたら機嫌が悪くなるのだ。
暴言を吐き物にあたり私たちにも当たり散らかす。
怪我が絶えなかった。
その暴力は保育園の頃から始まり小学校を卒業するまで続いた。
父はと言うと祖父からの会社を継ぎ仕事を必死にしていた。
家の事は母に任せっきりだったので母はそれで愛を欲する人間になったんだろうと今になって分かった。
だが、父は私達をあまりみてはいなかった。
まるで、私達は透明人間のように透かしてみているようだった。
父は帰ってきてお風呂に入りご飯を食べたら自室へ籠ってテレビを見ていた。
入学式も卒業式も来たことは無い人だ。
私が5年生か6年生だった頃激しいいじめにあった。
幼かった私はどうすることも出来なかった。
私は弱かった。
母に助けを求めたが、神に祈れと無理やり私を学校へ行かせた。
教師に手紙を書いて助けを求めても朝わざわざ家に押しかけ私を無理やり引っ張り出して学校まで連れて行った。
私は絶望した。
小さい頭で考えた結果笑えるかもしれないが、
初めて私は死について魅了されたのはその頃からだった。
でも、いざ実行に移そうにも結局勇気が出なかった。
そうしてる間に月日は経ちもう大人になってしまった。
母は私達からお金を欲すようになったしもう家族なんて形はほぼ無いに等しいが未だに私は親を見捨てられずにいる。
私は今でも取り憑かれているのだ。
親、兄妹、お金、愛、そして死について。
生きている意味を探している。
今でも生きている意味がわからないが死にたくないというのが最近わかったので今も生きている。
無駄な期待はやめ、淡々と生きている。
ここまでダラダラと私の話を書いてきたがこれが私の全ての物語ではないしまだ書ききれないほどあるが内容が内容なので書かないのが得策だろう。
世界を覗いたら私は世界一の不幸者では無かった。
こう考えるようになった。
帰る家もあるし親もいる。
それなりにお金もあるし今働いている職場は人柄がいい。
たまには幼かったあの頃の経験がフラッシュバックするが過去は過去だと割り切れるようになった。
たとえ心がまだ空っぽでも。
でも、世界は戦争や飢餓など沢山の人が生きたくても生きることの出来ない現状に立たされている。
過去の歴史を見ても同じことだ。
だから、私の悩みなんてちっぽけにみえる。
生きていれば何とかなるし何度でもやり直せるが生きていなければ意味が無いのだ。
私達は、まず生きなければならない。
その後で自分にとっての幸せを探していけばいい。
私のことを可哀想だとか悲劇のヒロインだとか笑うのもいると思う。
こんなポエムみたいな馬鹿馬鹿しい言葉を並べているだけのやつかもしれない。
だけど、私は生きるということは幸せになれるチャンスなんだということを伝えたい。
たとえ今絶望していても。
孤独だとしていても。
無気力になって自分はいらない人間だと感じていても。
貴方は素晴らしい。
ここにいていいんだと伝えたい。
貴方が貴方らしくいられる場所がきっとあるはずだ。
決断を急いじゃダメだよ。
だって、まだ幸せになってないのだから。
私のこの拙い文で誰かの力になれたら幸いだ。
【⠀幸せに⠀】