幸せの形はそれぞれ違う。
私は昔自分が世界一の不幸者だと思っていた。
だが、大きくなるにつれ私の考えは間違っていると知った。
ネットやニュース、教科書に書いてある歴史や本の中の世界。
様々なものを見て聞いてそれを感じとったからだ。
いきなり私の話になってしまうが私の過去について少し話そうと思う。
私は複雑な家庭の中で育った。
私は5人兄妹の1番真ん中に生まれた。
まぁ、子供が5人だなんて普通多いと感じるだろう。
私も同感だ。
母は愛を欲する人間だった。
それとお金も。
後、協会の信者だった。
家を空けることも多く小さい頃からほっとかれていたのを覚えている。
ほっとかれることは別に良かったが家に帰ってきたら機嫌が悪くなるのだ。
暴言を吐き物にあたり私たちにも当たり散らかす。
怪我が絶えなかった。
その暴力は保育園の頃から始まり小学校を卒業するまで続いた。
父はと言うと祖父からの会社を継ぎ仕事を必死にしていた。
家の事は母に任せっきりだったので母はそれで愛を欲する人間になったんだろうと今になって分かった。
だが、父は私達をあまりみてはいなかった。
まるで、私達は透明人間のように透かしてみているようだった。
父は帰ってきてお風呂に入りご飯を食べたら自室へ籠ってテレビを見ていた。
入学式も卒業式も来たことは無い人だ。
私が5年生か6年生だった頃激しいいじめにあった。
幼かった私はどうすることも出来なかった。
私は弱かった。
母に助けを求めたが、神に祈れと無理やり私を学校へ行かせた。
教師に手紙を書いて助けを求めても朝わざわざ家に押しかけ私を無理やり引っ張り出して学校まで連れて行った。
私は絶望した。
小さい頭で考えた結果笑えるかもしれないが、
初めて私は死について魅了されたのはその頃からだった。
でも、いざ実行に移そうにも結局勇気が出なかった。
そうしてる間に月日は経ちもう大人になってしまった。
母は私達からお金を欲すようになったしもう家族なんて形はほぼ無いに等しいが未だに私は親を見捨てられずにいる。
私は今でも取り憑かれているのだ。
親、兄妹、お金、愛、そして死について。
生きている意味を探している。
今でも生きている意味がわからないが死にたくないというのが最近わかったので今も生きている。
無駄な期待はやめ、淡々と生きている。
ここまでダラダラと私の話を書いてきたがこれが私の全ての物語ではないしまだ書ききれないほどあるが内容が内容なので書かないのが得策だろう。
世界を覗いたら私は世界一の不幸者では無かった。
こう考えるようになった。
帰る家もあるし親もいる。
それなりにお金もあるし今働いている職場は人柄がいい。
たまには幼かったあの頃の経験がフラッシュバックするが過去は過去だと割り切れるようになった。
たとえ心がまだ空っぽでも。
でも、世界は戦争や飢餓など沢山の人が生きたくても生きることの出来ない現状に立たされている。
過去の歴史を見ても同じことだ。
だから、私の悩みなんてちっぽけにみえる。
生きていれば何とかなるし何度でもやり直せるが生きていなければ意味が無いのだ。
私達は、まず生きなければならない。
その後で自分にとっての幸せを探していけばいい。
私のことを可哀想だとか悲劇のヒロインだとか笑うのもいると思う。
こんなポエムみたいな馬鹿馬鹿しい言葉を並べているだけのやつかもしれない。
だけど、私は生きるということは幸せになれるチャンスなんだということを伝えたい。
たとえ今絶望していても。
孤独だとしていても。
無気力になって自分はいらない人間だと感じていても。
貴方は素晴らしい。
ここにいていいんだと伝えたい。
貴方が貴方らしくいられる場所がきっとあるはずだ。
決断を急いじゃダメだよ。
だって、まだ幸せになってないのだから。
私のこの拙い文で誰かの力になれたら幸いだ。
【⠀幸せに⠀】
3/31/2024, 1:03:38 PM