『届かぬ想い』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
届かぬこの思いを君に伝えるにはどうすればいいのだろうか……
僕が流れ星となってこの藍色の空を泳いで伝えようか……
もうこの世にいない君が恋しくて…恋しくて…
あんなに優しい君がいないなんて…
やっぱり君がいないなんて考えられないよ……
教室の外を見上げている可憐な少女に…
僕を見て微笑んでいる少女に…
僕はまた会いたい……
君がいない世界なんて僕は生きていけない……
ねぇ美香…もうすぐ君がいるその世界に行くからね……
僕が世界で一番愛した君へ…
「愛してる」
#9「届かぬ想い」
同じクラスの女の子が可愛いと思った
新しくVTuberとして活動した女の子
でも同担拒否をしてしまう
古参なんだよって自慢したい気持ちと
有名になるなって、俺のものにしたいと
自分勝手な気持ちと、ファンとしての気持ち
複雑すぎて苦しくて
君は、僕のことを好きになってくれますか?
君は、僕のことを愛してくれますか?
君は、僕のことを…どう、思っていますか?
君は、僕と…一緒に歩んで、くれますか?
僕は……ずっと貴女が好きでした
でも僕の想いは小さくて、彼女には届かなかった
モンブラコン*
幼少~~~~~~~~~~~『届かぬ想い』
息子は何度も、私を呼んでいたのに、
私は、一度も、まともに応えてやれなかった。
仕事から帰ったら7番目の彼氏が、動かない
2歳の息子を気にもとめず、猫を捜してた。
空腹の息子が猫のご飯を食べたから、だから、
私の息子はこうなったのだ、と言う。
隠すのに良い場所がある、と私は提案した。
近くに観光名所もなく、道はあるけど、人が
入らない山奥……息子を5度、棄てた場所。
私は息子より男を選んだ。その度に棄てた。
そしたら今度は男が私を捨てた。
息子を想い出す、なぜか息子が返ってくる。
心が不安定な私は、そんな不思議なことを、
疑問視することもなく、繰り返していた。
──5度目に棄てた時だった、寝ている息子を
大木の根元に置き、帰ろうとした……、ふと、
振り返ったら、3メートル位の熊?がいた。
顔は犬に似ていて、尻尾がやたら長い、
妙に怖くなかった。罰を受けるのが当然と思っていたからなのかもしれない。
熊?は、優しい人間の様な手つきで、息子を
抱えた。そうか、私が棄てていた息子は、
この熊?に生かされていたのか…。
その時、息子が目を覚ました。
寝起きはぐずる、「マー」と息子が私を呼ぶ。
熊?は長い腕を伸ばし、手の中の息子を、
私の前に差し出した。思わず息子を抱きしめて、
顔を上げたら、熊?は消えていた…。
思えばあの熊?は何度もチャンスをくれていたのだ、私がまともな人間でいられるチャンスを。
それを、全部無駄にしたのだ。
息子を埋めて、
彼氏の運転する車の助手席に座ってる、
私が。
瞬間、記憶が飛んだ。
私は車の窓から飛び出そうとしたはず、なのだが、なぜか無傷で道路に座ってて、目の前には
車に“噛みつかれている”彼氏が呻いている。
車を上から、そんな変形を、させているのは、
あの熊?ではなかった。形は似ているけど、熊?より小さくて、白くて細い、大きな狐みたいだ。
「あのぼぅずはもらうど」
狐?が喋った。
「おみゃぁ、よぐやってくりたな」
狐?に責められるか、仕方ないよね…。
「おみゃぁが、あの場所に、あしゃく埋めで、
くりたおかげで、ぼぅずをギるギる助けられだ」
何?何か私のおかげって??
「意味が分からない…ですけど」
「む、しょれよぐ言わりる…まぁ、おみゃぁは
いつも、ぼぅずを生かして置いてでくりたば?
そこが、ありがてぇて、言うでるんよ」
「ありがたい…て」
私は息子の求める私には、なれなかった、
だから私は感謝されるような人間では…。
「をぃ、ぼぅずもらうかんな、えぇなっ」
狐?は遠くの山にひとっ飛びで消えてった。
息子は助かったんだ…多分。でも、何か
のみ込みきれない気持ちがあって、歩いていた。
山の方から小さな人影が近付いて来た。
それは息子だった。
が、獣耳と犬の尻尾が生えていた。
そして2歳児とは思えない覇気のある顔と、
聴いたことのない元気な声で話しかけてきた。
「ママっキャラメル持ってたよね?ちょーだい」
ポケットにいつも入れてる、溶けかけのキャラメルを手渡すと、息子は山の方に体を向け、
「ありがとママっまたねっ」
手を振りながら、走って行ってしまった。
……ますますのみ込めない。
もう、笑うしかなかった。
【届かぬ想い】
離れても想う貴方のこと
気持ちは膨らむのに
言葉にできなくて
貴方に伝えたくても
伝わらないこの想い
あなたに出会えてほんと良かった
あなたを永遠に忘れることはない
小さな思い出が重なり合って
すごく大きな思い出になりました
今でもあなたが好きです
これからも、、、ずっと
でも、お互い幸せになりましょうね?
それは約束ですよ?
君の作品について、ここが良い!だとか、そこが良い!だとか楽しそうに話す部員と、それを聞いて満更でもない顔をする君を部室の片隅で邪魔しないように見守る僕。
あの人のように楽しく話せたら、といつも思ってしまう。作品への熱量は同等にあるつもりだ。でも言葉が上手く出ない。
「話さねぇと、始まんねぇぞ?」
突然後ろから頭に衝撃がはしり、持っていたスマホを取り落としそうになる。頭を小突かれたらしい。
振り返りながら抗議の意味を込めて睨みつけると、犯人は間違えて当たったと言わんばかりの実に白々しい表情で肩をすくめてみせた。
「全員が全員俺って訳じゃねぇんだから、努力はしろよな」
そう言い残し教壇へと向かう親友の背を前に僕は、無理だろとぽつりと呟いた。
「届かぬ思い」
この気持ちは君にはもう
届かないだろう
だから、この気持ちは
この想いは
僕の中にずっと隠そう
届かぬ思い
それは、ほとんどの人があるだろう思い。
私にもある。
付き合いたい、謝りたい、でもこの思いは届かない。
でもね、生きてる以上、絶対に届かない思いはないんだよ。
頑張ろう。
今ここから見ている
この青空もどこかで
あなたと繋がっていて
別々の場所にいても
同じ時間を生きているのに
きっとあなたは、
わたしの知らない誰かと
この週末を過ごしてる。
わかっているけど、
その事実だけが
わたしの心とこの晴天を
ほんのちょっと曇らせる。
悲しいけれど、
さびしいけれど、
仕方のないことだけど、
胸がぎゅっと痛くなる。
遠すぎて、
届かなすぎて、
こんな切ない想いは
風に吹き飛ばされて
消えてしまえばいいのに…
と、思う。
- 届かぬ想い -
日の光が、格子窓からこぼれ落ちてくる朝の日。
見張り役がうっかり落とした小さな羊皮紙の欠片を拾って、love youとだけ書き残し、紙飛行機にする。名を書いたらばれてしまう。
格子窓から手をそっと出し、紙飛行機をサッと投げた。順調に見えた飛行機は、3秒もすれば斜め左下に脱線し、カサッと小さな音をたて、落下した。
「…届くはずが…ないものね。」
何日も飛ばして来たけれど、あの人の元へ飛んでいったものはもはやなく、すぐそこの草原にも届かなかった。もう、あの人に会うのは、無理なのかしら。
地面に落ちた、羊皮紙の紙飛行機は軍隊の列にグシャッと踏みにじられ、拾おうとするものなど誰一人いない。
哀れな飛行機の上を、鳥が静かに飛んでいった。
お題
届かぬ想い
亿万富豪们的11个日常习惯,普通人也可以借鉴
第一财经•2016-04-22 13:02
责编:仇芳芳
世界上那些白手起家的富豪身上有些什么共同点?有哪些是我们普通人也可以学习的?如果你想变得富有,就从学习富豪的行为习惯开始吧。
1. 冥想
科学研究表明,冥想对身心健康有诸多好处,可以改善记忆、提高免疫等。
Bridgewater Associates公司的创始人达里奥(Ray Dalio)说:“冥想是我生活中最重要的东西,也是我所有成功背后的最大助力。”
其他推崇冥想的亿万富豪还有Twitter和Sqaure首席执行官多尔西(Jack Dorsey)和媒体大亨、著名脱口秀主持人奥普拉(Oprah Winfrey)。
达里奥身家160亿美元。图片来源:Business Insider
2. 做慈善
彭博媒体公司CEO迈克尔·布隆伯格(Michael Bloomberg)迄今已经捐赠了30亿美元。
还有巴菲特和比尔·盖茨发起的“捐赠承诺”计划,邀请全球最富有的人承诺在生前或死后向慈善事业捐赠自己半数以上的财富。有些富豪甚至承诺将捐赠自己99%的财富。
布隆伯格身家450亿美元。图片来源:Business Insider
3. 早起
俗话说:早起的鸟儿有虫吃。富豪往往都是早起的人。比如Twitter CEO多尔西每天早晨5点起床,先冥想后工作。维珍集团创始人布兰森(Richard Branson)5点45分起床锻炼,然后开始一天的工作。
相关研究显示,近半数的富豪会在日常工作开始前至少3个小时起床。
多尔西身家10亿美元。图片来源:Business Insider
4. 自有一套雷打不动的“仪式”
美发产品大亨德约里亚(John Paul DeJoria)每天早晨都会进行5分钟的安静思考。他说:“无论我在哪里——家里或是酒店,我醒来第一件事就是静静地思考上5分钟。”
德约里亚身家30亿美元。图片来源:Business Insider
5. 生活节俭
银行账户里有大量金钱并不意味着他们会肆意挥霍。事实上,有些全球顶级富豪甚至过着极为节俭的生活。
Facebook CEO扎克伯格的座驾是一辆3万美元的本田讴歌,比尔·盖茨坐飞机时总是坐商务舱。大名鼎鼎的巴菲特至今还住在价值3万多美元的房屋中,而且连智能手机也没有。
比尔·盖茨身家780亿美元。图片来源:Business Insider
6. 追寻激情所在
乔布斯曾经说过:“你必须要找到自己热爱的东西,做出伟大成就的唯一方法就是热爱你所做的事。”
乔布斯身家100亿美元。图片来源:Business Insider
7. 阅读
全球最成功的人士中,大部分都热爱阅读。巴菲特每天有80%的时间在阅读,他每年写给股东的信中都要推荐书籍。当有人问科技富豪埃隆·穆斯克(Elon Musk)是怎么学到造火箭的知识时,他的回答是:“读书”。
巴菲特身家690亿美元。图片来源:Business Insider
8. 开源
维珍集团创始人布兰森名下大约有500家公司,他希望尽可能地拓展维珍品牌和自己的收入来源,他很早就知道了“开源”的道理。
布兰森身家50亿美元。图片来源:Business Insider
9. 为自己打工
扎克伯格19岁开始就为自己打工:2004年,他还是哈佛大学大二学生时创办了Facebook。 世界上最年轻的亿万富豪、照片分享应用Snapchat 的CEO斯皮格尔(Evan Spiegel)也是如此:他和两名斯坦福同学创办了这家公司,之后就一直是该公司的老板。
扎克伯格身家490亿美元。图片来源:Business Insider
10. 坚持锻炼
科学研究表明,锻炼有助于提高记忆力、注意力,并保持思维敏锐。达拉斯小牛队老板马克·库班(Mark Cuban)坚持每周6到7次、每次至少1小时的有氧训练。布兰森也表示,锻炼能帮他提高工作效率。
库班身家30亿美元。图片来源:Business Insider
11. 和成功人士交朋友
富豪乐于和成功人士交朋友:乔布斯和史蒂夫·沃兹尼亚克(苹果公司联合创始人)、比尔·盖茨和巴菲特,等等等等。
比尔·盖茨和巴菲特是长期好友。图片来源:Business Insider
『届かぬ想い』
この想いは届かない
わかってるから
だから
僕の心の中に留めておこう
「君は幸せになってね」
届かぬ想い?
(お題が恋愛系に全振りされてる感あると萎える。書く気にならない)
想いが全て届いて叶ってたら多分飽きる
(飽きた)
想い通りにならないからこそ燃える
(萌える)
頑張り方次第で想いは届く
叶うかは別モノ
ん?なら届かない想いって?
届ける気が無いのか?
努力不足か?て事?
届かない場合の相手が人外?
動物は届くハズ
虫は無理かなぁ
幽霊も無理かも?
関係性によるんぢゃない?これ
飼ってる生き物なら届いてる気がする
食べてる生き物には届かない
とかさ
面白いやん!
届かぬ想い!
届かぬ想い。思ったが体に何らかの不調が起きた時はお題を無視して体調などを記録しておくべきだ。
そうすれば病院に行ったときに問診とかいろいろスムーズになりそうだし。ただ今回起こった胃炎らしき体調不良は薬が効いてきたのか急に良くなってきた。
まだ違和感などは残っているので一週間ほど様子見かな。今回は病院に行かなくてよさそうだ。
とりあえず今日の体調は喉の違和感、腹の張り、あとはつばを飲んだ時に時々痛みが走るくらいか。
なんか明日には良くなってそうなくらい急に治ったな。よかったよかった。
届かない思いなんてない。
思いは言葉にすれば必ず届く。
だから初めから“届かない”って思わないで
“届ける”って思ったら、きっと
自分の思いは届くはず。
あの子にも あの人にも
あの彼女にも あの彼にも
たくさん たくさん
クチに出してはいけない
そんな想い
届け
#届かぬ想い
『神様へ』4/14→『届かぬ想い』4/15
外に出られない。
私は、閉じ込められていた。
真っ白な部屋で、ずっと不自由で
いや、不自由ではないかな?
それは、外を教えてくれる友達がいたから。
私に優しくしてくれる友達がいたから。
「でも、そっか、、、
君は私よりも大切な人が出来たんだね」
信仰が無くなった、私を想う人が0になった。
体がパラパラと崩れていく。
もう二度と会えないけど、
せめて君の幸せを想うよ
「幸せになってね」
届かぬ想い
言葉では表せないほど、想っています。
届かなくても、想っています。
いつか会えたとしても、話せるとしても、きっと声は出ないでしょう。
出るのはきっと涙だけ、そしてそれは止まることはないでしょう。
それだけ想っていて、それだけ苦しくて、それだけ...。
その時までは、届かぬ想いを想い続けて、必ず、逢いに行きます。
どんな試練も、運命も、乗り越えて必ず。
貴方にとっての幸せ、でいてください。
いつもいつも、想っています。
一言の勇気
ただ一言言葉にするだけでいいのかもしれない
だけどその一言がなかなかでないのだ
その一言で
嫌われてしまうかもしれない
そんな事を考えるととても言えそうにないのだ
たった一言 かもしれないが
私にとっては 大切な一言なのだ
この一言を言うために
今日も勇気を振り絞っている
「そんなこと言われなくてもわかってる」って良く言ってたけど
例えば「今やろうと思ってたのに」とか
言われなくてもわかるようなことをわざわざ親切に教えてくれる人こそ信頼できる人だと思った
恋焦がれ密かに想いを募らせていたのか、単なる憧れであったのか。一人の人として好いていたのか、もっと違う何かがそこにあったのか、それは今でもよく分からない。いや、自分の中でもそれがなんなのか理解出来ないでいる。周囲の中で際立ってよく見える彼女は、誰にでも優しく、いつも柔らかな物腰で会話をする。どんなときも分け隔てなく接している彼女の可愛らしく、どこか大人びている顔立ちや、そこに浮かぶ笑顔はまるで女神様のようであった。
小学二年生の時分だったか、私は男女共に友に恵まれていた 。毎朝、登校すれば教室で級友と他愛もない話に花を咲かせる。担任の教師が大きな声で元気よく皆に向けて挨拶をすれば、教室には笑顔と活気が溢れた。朝の会を終え、授業が始まり一日が始まる。楽しい国語や頭を悩ませる算数、時折挟む雑談に時の流れはその勢いを早めたようにあっという間だった。昼休憩で美味しい沢山のおかずに心を躍らせ、食缶に残るご飯をおかわり。誰かが要らないと残した牛乳を貰って一気に飲み干した。午後の授業は、眠気との戦いだった。たらふく食事をして、眠くならないはずは無かった。体育の授業では、皆はしゃいでいた。教師もまた笑顔を絶やさ無かった。放課後には重いランドセルを背負い、背中にシミを作りながら家へと歩く。級友と別れ、同じ方角に向かう仲の良い友と道草を食いながら帰宅。直ぐに宿題を終わらせて家を飛び出れば、友の家に走った。
そんな毎日の中に私の心を掴んで離さない、ひとつの出会いがあった。教室では、仲の良い友や席の近い級友とばかり会話をしていたから気が付かなかった。席替えの機会に、「 H 」さんとのそんな出会いは訪れた。二年生とはいえ、どこか落ち着いていて周囲とは違う雰囲気の彼女の隣に席を移した私は夢中になっていた。他の女子とは違う話し方や振る舞い、節々に見られる品の良さや大人っぽさ。なぜこれまで気が付かなかったのか分からないが、この出会いは私の人生を大きく動かした。毎日のように他愛もない会話をする輪の中には、彼女は参加してこない。だが、私と二人きりの時や私を除いて周囲に女子しかいない時だけは笑顔を見せて話をしてくれた。柔らかく優しい声音と、どこかお姉さんのような雰囲気と惹き込まれそうな笑顔。私は彼女に夢中になっていた。彼女は誰よりも早く登校することを知ったある日を境に、私も朝早く登校するようになった。教室に入って、手持ち無沙汰で退屈をしていても仕方がないので皆の机を拭いて窓掃除をしていると彼女はやってきた。包み込むような優しさを全身から放ち、心が締め付けられるような優しくて可愛らしくて愛おしい笑顔で挨拶をしてくれる彼女に、私も精一杯の笑顔と元気な声で返事をする。二人きりだけで沢山のことを話した。宿題のことや友達のこと、遊びのことや晩御飯のこと。取り留めもなく意味もない話にも、笑顔で相槌を打っては笑ってくれる彼女もまた、普段は聞かない自身のことを話してくれた。親密になって行けば行くほど、彼女がクラスの中で男女共に人気があって、信頼されていて頼りにされているのかを知った。振りまく笑顔や、何があっても否定せず受け入れてくれるその姿勢に皆して惹かれていたのだろう。
三年生、四年生と時が流れていくが、私の彼女へ抱く気持ちは変わらなかった。そして彼女もまた、やはり周囲とはどこか違う雰囲気を纏い、女神のような優しさで誰をも受け入れる振る舞いに変わりはなかった。それどころか、まるで観音菩薩様のような慈愛のようななにかを持っているようにも感じるようになっていた。怒ったところを見たことがなく、不機嫌そうな姿も見せない。誰かと話をする時は眩い笑顔を見せ、誰かを励ますときには優しく寄り添い、誰かが泣いていれば隣で涙を流し、その後にはいつもの笑顔と優しさで包み込んでいた。同い年とは思えない人間味が彼女にはあったのだろう、だから皆は彼女を頼り心を寄せていたのだろう。私もまた、初めての出会いから彼女に強く想いを寄せていた。しかし、その想いの正体は分からないでいた。幼い頃から兄の友達のお姉さんなど、女性と接する事が多かった私は異性に対する認識や感性のようなものが少し周囲とは違っていたのだろう。高学年ともなれば、男子は女子のスカートから覗く下着にはしゃぎ、話す内容も健全な男子といったものだった。しかしそれが私にはよく理解できていなかった。幼い頃からこの時まで、女子と距離が近かったことで性を意識して人を見るということをまだ知らなかったのだろう。
しかし、クラスの男子も女神のような彼女にだけはやはりそのようなことを口にしなかった。男子の間で年相応な下の話をする時、彼女のことは絶対に口にしなかった。今思えば、彼女に対する敬意のような何かが皆の中にあったのかもしれない。尊厳を踏みにじってはいけない、彼女の品格が下がるようなことを口にしてはいけない。そんな何かが、彼女とずっとすごしてきた者の心の中に生まれていたのかもしれない。少なくとも、私にとって彼女の存在はとても大きく偉大なものだった。神さま仏さまのように意識していたかもしれない。
中学に入学して直ぐのこと、私の兄たちが存続してきた研究部に私も入部した。もちろん、仲の良い友人を引き込むことも忘れなかった。おかげで廃部の危機を脱したと、兄や先輩や顧問が喜んでいた。しかし、好奇心旺盛な私はほかの部活動にも興味を抱いた。武道館から聞こえてくる軽く弾む音が気になり、友人と覗きに行けば卓球部という存在を知った。楽しそうな様子に、すぐに数学の教師で卓球部の顧問だった強面の先生に声をかけた。今から夕方までラケットを持って素振りをしていれば入部して良し、との言質をもらって友人と2人で夕方まで素振りをしていた。しかし、数カ月と時が経った頃のこと。いつも朝早くや夕方に聞こえてくる楽器の音色が気になって音楽室へ行った時、そこでも私は衝撃を受けた。たくさんの楽器が沢山の音色を重ねて、バラバラの波紋がひとつの揺らぎになっていくのを感じた。音楽室の外から、開け放たれたドア越しに練習風景を見ていると吹奏楽部顧問の音楽の教師や女子部員の先輩方から声をかけられた。
興味があって覗きに来たことを伝えると手を引かれ、椅子に座らされ、様々な楽器のマウスピースを机の上に並べ始めた。男子部員の皆は渡り廊下や思い思いの場所で個人練習をしており、女子部員は音楽室や準備室、またはその付近で練習をしているらしく、私の周りには女子部員の先輩や同学年の女子しかいなかった。皆が皆、今吹いていた自分の楽器のマウスピースを私の目の前に並べて楽器の紹介と説明が始まる。沢山話しても分からないだろうと、マウスピースを1つ手に取っては私の口に当てがった。金管や木管、大小様々なマウスピースの吹き方を教えてくれた中で私が安定して音を出せたのはトロンボーンだった。トロンボーンは一番最初に私に気がついて手を引いてくれた、可愛らしい顔立ちの先輩だった。結局、そのまま低音パートに参加することになってその日はずっと練習をしていた。
翌日の放課後に、研究部に顔を出すと顧問に声をかけられた。掛け持ちをしていることを怒られるのかとも思ったが、「頑張っいて偉い。研究部の為に入部してくれただけでも嬉しいのに、こうして顔を出してくれて活動にも参加してくれることはとてもありがたい。卓球部と吹奏楽部を掛け持ちしてなかなか顔を出せないと思うけど、気にせず楽しんで欲しい」 と逆に褒められ感謝された。しかし、この掛け持ちは本当に大変だった。研究部には大会などは無いが文化祭で、研究資料の発表がる。卓球部は秋の新人戦があり、吹奏楽部にもコンクールなどがあった。私は朝早くに登校して音楽室で個人練習をして、放課後にはある程度の時間まで吹奏楽部にて合をした。その後研究部に顔を出して、個人的に調べたいことなどの書き出しを共有して卓球部に向かった。暗くなるまで練習をして帰る。これを続けていたが、好奇心だけで乗り切れるものでは無かった。支えてくれる先輩やたまたま同じパートにいたHさん、もとい女神の彼女の存在が私の背中を押していた。
部活動以外にも変化したことはあった。それは、教室で決めた委員会活動だ。私は保健委員になったのだが、これはもちろん誰も委員になりたくないからだ。そして、先生からの指名とHさんの一声で決まった。保健委員会は毎週木曜日に理科室で行われるとのことでその旨を三部活動の顧問に伝えた。そして、木曜日にHさんと理科室に向かいながら、話をした。なぜHさんは保健委員に立候補したのか、なぜ私を指名してくれたのか。質問に対して、中学生になっても変わらない柔らかく優しい笑顔と、さらに惹き込まれそうになるほど磨きのかかった話口調で返事をしてくれた。「誰かの為に、影で何かをするのってとても素敵だからかな」、「〇〇(私)を指名したのは、秘密。だけど、〇〇は私と同じような考え方や物事の見方をしているからかな」と私の頭を撫でながら微笑んだ。
保健委員会に集まったのは、一年生から三年生までの各クラス二名ずつの18名。男子は私しかおらず、不安だった。以前にもこんなことがあったが、それは小学五年生の頃に取り入れられたクラブ活動での出来事だ。私は家庭科部に入部したのだが、ここには他に男子はいなかった。仲間ハズレにされないかと不安だったがこのときは、顧問もクラブのみんなも隔てなく接してくれたことで私は全力で楽しむことが出来たのだ。しかし、性の目覚めがまだない私でも女性は結集すると強く怖いものだとよく知っている。ましてや中学生ともなれば尚更だ。恐怖でしか無かったが、保健委員会の顧問の保健の教師も、委員の女子全員も皆仲良く打ち解けることが出来た。そして、私のことも受け入れてくれたことで不安は払拭された。しかし、それでもやはり男子は私だけであることに変わりはなく、そんな中でたった一人の男子の意見など通るものかと別の不安も芽生えていた。
二回、三回と委員会を重ねるうちさらに委員会の親密度は高まっていた。いつも不安だった私も、Hさんに手を引かれて理科室に入室する。すると決まって、委員長が膝を叩いて「〇〇、おいで」と声をかけてきた。すると他の先輩も「〇〇、私の方が好きでしょ?私、優しいよ!おいで」と調子に乗り始める。どうすればいいのかと戸惑っていると、「〇〇、ほら」とHさんが私の腕を引いて自身の膝に招いた。Hさんの膝に座っていると他の先輩から代わる代わる膝に座るよう促される。結局、顧問の保健教師がくるまで私の心が落ち着くことは無かった。委員会活動をしている者は、委員会開催日は部活動が免除される。この頃になると保健委員会が終わっても皆、理科室で時間を潰してから帰宅していた。私は可能なら吹奏楽や卓球に顔を出したかったが、委員の殆どが吹奏楽部員だったこと、委員長が吹奏楽部の部長だったこともあって叶わなかった。委員会が終わり、理科室を出ようと席を立つと「〇〇〜、どこにいくの?」と先輩や部長(委員長)から声をかけられる。練習出来なくても、挨拶だけはしておこうかと伝えると制止された。曰く、あまりに早い時間に帰宅したり部に顔を出すと委員会活動が緩いものなんだと思われかねない。それに、遅くなる時の方が多く、開催日は部活動が免除されているからそういう時こそゆっくりしていって欲しいということだった。聞こえは優しい。しかし、この女子の中にいると時に恐ろしく思うことがある。それに、女子は集まると怖いものだ。だから一刻も早くこの場を離れたかったのだが、この話をされては部への顔出しはできない。
部への顔出しを制止されたので、せめて御手洗にいったついでに外で時間を潰そうと考えた。御手洗に行ってきますと声を掛けて部屋を出ようとすると、着いてこようとする。一人で行けるからと断ると、「嘘ついて戻ってこなかったら、わかるよね」と脅し文句をかけられる。そんな中、Hさんだけはいつも違う角度から私を引っ張ってくれていた。「〇〇、委員会のことで××先生に報告に来るように言われてるから一緒に行こ」と引っ張り出してくれたりといつも頼もしかった。私を可愛がってくれる先輩たちも、時が経つにつれエスカレートしていきセクハラのようなことまでされるようになった。そんな時もHさんが守ってくれていた。こんな日々の中にあって、私はHさんは本当に 女神様だと強く実感していた。
小学校の頃から親友と信じ、遊んでいた 友人が いじめを受けていた 。私は友人を守るために 必死だった。彼が抱えている病気や、治療薬の副作用など理解を得るために説明したがイジメをするような者にとってそんなことはどうでもよかったのだろう。彼へのいじめはやまず、終に彼は転校してしまった。酷く落ち込んで世の中を恨んだ。教師全員を強く恨んだ。クラスメートを恨んだ。学校に行くのが馬鹿馬鹿しく思い、塞ぎ込んだ時も手を引いてくれたのはHさんだった。教室に行くのは拒否をして、代わりに別の部屋で勉強をしていると、やはりHさんが会いに来てくれていた。家庭科でご飯を作った時は、私の分を持ってきてくれた。仲の良かった友人を引き連れて来てくれたこともあった。私にとって、Hさん、彼女はどんなときも眩しく輝いていた。温かいぬくもりで包んでくれていた。
今、ふと思う。あれは恋だったのかもしれないと。その反面、人としての絶対的な尊敬や憧れのようにも感じる。しかし、彼女のことをよく夢に見る。いつもの変わらない笑顔で呼んでくれる。いつものようにハグをしてくれる。未だにそんな夢を見ることがあるのは、私が彼女に恋をしているからかもしれない。もう二度と会うことは出来ないだろう。この想いや感謝を伝えることは出来ないだろう。きっと最期の瞬間まで、私は彼女に想いを告げられず片思いを続けるのだろう。