-ゆずぽんず-

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恋焦がれ密かに想いを募らせていたのか、単なる憧れであったのか。一人の人として好いていたのか、もっと違う何かがそこにあったのか、それは今でもよく分からない。いや、自分の中でもそれがなんなのか理解出来ないでいる。周囲の中で際立ってよく見える彼女は、誰にでも優しく、いつも柔らかな物腰で会話をする。どんなときも分け隔てなく接している彼女の可愛らしく、どこか大人びている顔立ちや、そこに浮かぶ笑顔はまるで女神様のようであった。


小学二年生の時分だったか、私は男女共に友に恵まれていた 。毎朝、登校すれば教室で級友と他愛もない話に花を咲かせる。担任の教師が大きな声で元気よく皆に向けて挨拶をすれば、教室には笑顔と活気が溢れた。朝の会を終え、授業が始まり一日が始まる。楽しい国語や頭を悩ませる算数、時折挟む雑談に時の流れはその勢いを早めたようにあっという間だった。昼休憩で美味しい沢山のおかずに心を躍らせ、食缶に残るご飯をおかわり。誰かが要らないと残した牛乳を貰って一気に飲み干した。午後の授業は、眠気との戦いだった。たらふく食事をして、眠くならないはずは無かった。体育の授業では、皆はしゃいでいた。教師もまた笑顔を絶やさ無かった。放課後には重いランドセルを背負い、背中にシミを作りながら家へと歩く。級友と別れ、同じ方角に向かう仲の良い友と道草を食いながら帰宅。直ぐに宿題を終わらせて家を飛び出れば、友の家に走った。
そんな毎日の中に私の心を掴んで離さない、ひとつの出会いがあった。教室では、仲の良い友や席の近い級友とばかり会話をしていたから気が付かなかった。席替えの機会に、「 H 」さんとのそんな出会いは訪れた。二年生とはいえ、どこか落ち着いていて周囲とは違う雰囲気の彼女の隣に席を移した私は夢中になっていた。他の女子とは違う話し方や振る舞い、節々に見られる品の良さや大人っぽさ。なぜこれまで気が付かなかったのか分からないが、この出会いは私の人生を大きく動かした。毎日のように他愛もない会話をする輪の中には、彼女は参加してこない。だが、私と二人きりの時や私を除いて周囲に女子しかいない時だけは笑顔を見せて話をしてくれた。柔らかく優しい声音と、どこかお姉さんのような雰囲気と惹き込まれそうな笑顔。私は彼女に夢中になっていた。彼女は誰よりも早く登校することを知ったある日を境に、私も朝早く登校するようになった。教室に入って、手持ち無沙汰で退屈をしていても仕方がないので皆の机を拭いて窓掃除をしていると彼女はやってきた。包み込むような優しさを全身から放ち、心が締め付けられるような優しくて可愛らしくて愛おしい笑顔で挨拶をしてくれる彼女に、私も精一杯の笑顔と元気な声で返事をする。二人きりだけで沢山のことを話した。宿題のことや友達のこと、遊びのことや晩御飯のこと。取り留めもなく意味もない話にも、笑顔で相槌を打っては笑ってくれる彼女もまた、普段は聞かない自身のことを話してくれた。親密になって行けば行くほど、彼女がクラスの中で男女共に人気があって、信頼されていて頼りにされているのかを知った。振りまく笑顔や、何があっても否定せず受け入れてくれるその姿勢に皆して惹かれていたのだろう。
三年生、四年生と時が流れていくが、私の彼女へ抱く気持ちは変わらなかった。そして彼女もまた、やはり周囲とはどこか違う雰囲気を纏い、女神のような優しさで誰をも受け入れる振る舞いに変わりはなかった。それどころか、まるで観音菩薩様のような慈愛のようななにかを持っているようにも感じるようになっていた。怒ったところを見たことがなく、不機嫌そうな姿も見せない。誰かと話をする時は眩い笑顔を見せ、誰かを励ますときには優しく寄り添い、誰かが泣いていれば隣で涙を流し、その後にはいつもの笑顔と優しさで包み込んでいた。同い年とは思えない人間味が彼女にはあったのだろう、だから皆は彼女を頼り心を寄せていたのだろう。私もまた、初めての出会いから彼女に強く想いを寄せていた。しかし、その想いの正体は分からないでいた。幼い頃から兄の友達のお姉さんなど、女性と接する事が多かった私は異性に対する認識や感性のようなものが少し周囲とは違っていたのだろう。高学年ともなれば、男子は女子のスカートから覗く下着にはしゃぎ、話す内容も健全な男子といったものだった。しかしそれが私にはよく理解できていなかった。幼い頃からこの時まで、女子と距離が近かったことで性を意識して人を見るということをまだ知らなかったのだろう。
しかし、クラスの男子も女神のような彼女にだけはやはりそのようなことを口にしなかった。男子の間で年相応な下の話をする時、彼女のことは絶対に口にしなかった。今思えば、彼女に対する敬意のような何かが皆の中にあったのかもしれない。尊厳を踏みにじってはいけない、彼女の品格が下がるようなことを口にしてはいけない。そんな何かが、彼女とずっとすごしてきた者の心の中に生まれていたのかもしれない。少なくとも、私にとって彼女の存在はとても大きく偉大なものだった。神さま仏さまのように意識していたかもしれない。

中学に入学して直ぐのこと、私の兄たちが存続してきた研究部に私も入部した。もちろん、仲の良い友人を引き込むことも忘れなかった。おかげで廃部の危機を脱したと、兄や先輩や顧問が喜んでいた。しかし、好奇心旺盛な私はほかの部活動にも興味を抱いた。武道館から聞こえてくる軽く弾む音が気になり、友人と覗きに行けば卓球部という存在を知った。楽しそうな様子に、すぐに数学の教師で卓球部の顧問だった強面の先生に声をかけた。今から夕方までラケットを持って素振りをしていれば入部して良し、との言質をもらって友人と2人で夕方まで素振りをしていた。しかし、数カ月と時が経った頃のこと。いつも朝早くや夕方に聞こえてくる楽器の音色が気になって音楽室へ行った時、そこでも私は衝撃を受けた。たくさんの楽器が沢山の音色を重ねて、バラバラの波紋がひとつの揺らぎになっていくのを感じた。音楽室の外から、開け放たれたドア越しに練習風景を見ていると吹奏楽部顧問の音楽の教師や女子部員の先輩方から声をかけられた。
興味があって覗きに来たことを伝えると手を引かれ、椅子に座らされ、様々な楽器のマウスピースを机の上に並べ始めた。男子部員の皆は渡り廊下や思い思いの場所で個人練習をしており、女子部員は音楽室や準備室、またはその付近で練習をしているらしく、私の周りには女子部員の先輩や同学年の女子しかいなかった。皆が皆、今吹いていた自分の楽器のマウスピースを私の目の前に並べて楽器の紹介と説明が始まる。沢山話しても分からないだろうと、マウスピースを1つ手に取っては私の口に当てがった。金管や木管、大小様々なマウスピースの吹き方を教えてくれた中で私が安定して音を出せたのはトロンボーンだった。トロンボーンは一番最初に私に気がついて手を引いてくれた、可愛らしい顔立ちの先輩だった。結局、そのまま低音パートに参加することになってその日はずっと練習をしていた。
翌日の放課後に、研究部に顔を出すと顧問に声をかけられた。掛け持ちをしていることを怒られるのかとも思ったが、「頑張っいて偉い。研究部の為に入部してくれただけでも嬉しいのに、こうして顔を出してくれて活動にも参加してくれることはとてもありがたい。卓球部と吹奏楽部を掛け持ちしてなかなか顔を出せないと思うけど、気にせず楽しんで欲しい」 と逆に褒められ感謝された。しかし、この掛け持ちは本当に大変だった。研究部には大会などは無いが文化祭で、研究資料の発表がる。卓球部は秋の新人戦があり、吹奏楽部にもコンクールなどがあった。私は朝早くに登校して音楽室で個人練習をして、放課後にはある程度の時間まで吹奏楽部にて合をした。その後研究部に顔を出して、個人的に調べたいことなどの書き出しを共有して卓球部に向かった。暗くなるまで練習をして帰る。これを続けていたが、好奇心だけで乗り切れるものでは無かった。支えてくれる先輩やたまたま同じパートにいたHさん、もとい女神の彼女の存在が私の背中を押していた。

部活動以外にも変化したことはあった。それは、教室で決めた委員会活動だ。私は保健委員になったのだが、これはもちろん誰も委員になりたくないからだ。そして、先生からの指名とHさんの一声で決まった。保健委員会は毎週木曜日に理科室で行われるとのことでその旨を三部活動の顧問に伝えた。そして、木曜日にHさんと理科室に向かいながら、話をした。なぜHさんは保健委員に立候補したのか、なぜ私を指名してくれたのか。質問に対して、中学生になっても変わらない柔らかく優しい笑顔と、さらに惹き込まれそうになるほど磨きのかかった話口調で返事をしてくれた。「誰かの為に、影で何かをするのってとても素敵だからかな」、「〇〇(私)を指名したのは、秘密。だけど、〇〇は私と同じような考え方や物事の見方をしているからかな」と私の頭を撫でながら微笑んだ。
保健委員会に集まったのは、一年生から三年生までの各クラス二名ずつの18名。男子は私しかおらず、不安だった。以前にもこんなことがあったが、それは小学五年生の頃に取り入れられたクラブ活動での出来事だ。私は家庭科部に入部したのだが、ここには他に男子はいなかった。仲間ハズレにされないかと不安だったがこのときは、顧問もクラブのみんなも隔てなく接してくれたことで私は全力で楽しむことが出来たのだ。しかし、性の目覚めがまだない私でも女性は結集すると強く怖いものだとよく知っている。ましてや中学生ともなれば尚更だ。恐怖でしか無かったが、保健委員会の顧問の保健の教師も、委員の女子全員も皆仲良く打ち解けることが出来た。そして、私のことも受け入れてくれたことで不安は払拭された。しかし、それでもやはり男子は私だけであることに変わりはなく、そんな中でたった一人の男子の意見など通るものかと別の不安も芽生えていた。
二回、三回と委員会を重ねるうちさらに委員会の親密度は高まっていた。いつも不安だった私も、Hさんに手を引かれて理科室に入室する。すると決まって、委員長が膝を叩いて「〇〇、おいで」と声をかけてきた。すると他の先輩も「〇〇、私の方が好きでしょ?私、優しいよ!おいで」と調子に乗り始める。どうすればいいのかと戸惑っていると、「〇〇、ほら」とHさんが私の腕を引いて自身の膝に招いた。Hさんの膝に座っていると他の先輩から代わる代わる膝に座るよう促される。結局、顧問の保健教師がくるまで私の心が落ち着くことは無かった。委員会活動をしている者は、委員会開催日は部活動が免除される。この頃になると保健委員会が終わっても皆、理科室で時間を潰してから帰宅していた。私は可能なら吹奏楽や卓球に顔を出したかったが、委員の殆どが吹奏楽部員だったこと、委員長が吹奏楽部の部長だったこともあって叶わなかった。委員会が終わり、理科室を出ようと席を立つと「〇〇〜、どこにいくの?」と先輩や部長(委員長)から声をかけられる。練習出来なくても、挨拶だけはしておこうかと伝えると制止された。曰く、あまりに早い時間に帰宅したり部に顔を出すと委員会活動が緩いものなんだと思われかねない。それに、遅くなる時の方が多く、開催日は部活動が免除されているからそういう時こそゆっくりしていって欲しいということだった。聞こえは優しい。しかし、この女子の中にいると時に恐ろしく思うことがある。それに、女子は集まると怖いものだ。だから一刻も早くこの場を離れたかったのだが、この話をされては部への顔出しはできない。
部への顔出しを制止されたので、せめて御手洗にいったついでに外で時間を潰そうと考えた。御手洗に行ってきますと声を掛けて部屋を出ようとすると、着いてこようとする。一人で行けるからと断ると、「嘘ついて戻ってこなかったら、わかるよね」と脅し文句をかけられる。そんな中、Hさんだけはいつも違う角度から私を引っ張ってくれていた。「〇〇、委員会のことで××先生に報告に来るように言われてるから一緒に行こ」と引っ張り出してくれたりといつも頼もしかった。私を可愛がってくれる先輩たちも、時が経つにつれエスカレートしていきセクハラのようなことまでされるようになった。そんな時もHさんが守ってくれていた。こんな日々の中にあって、私はHさんは本当に 女神様だと強く実感していた。

小学校の頃から親友と信じ、遊んでいた 友人が いじめを受けていた 。私は友人を守るために 必死だった。彼が抱えている病気や、治療薬の副作用など理解を得るために説明したがイジメをするような者にとってそんなことはどうでもよかったのだろう。彼へのいじめはやまず、終に彼は転校してしまった。酷く落ち込んで世の中を恨んだ。教師全員を強く恨んだ。クラスメートを恨んだ。学校に行くのが馬鹿馬鹿しく思い、塞ぎ込んだ時も手を引いてくれたのはHさんだった。教室に行くのは拒否をして、代わりに別の部屋で勉強をしていると、やはりHさんが会いに来てくれていた。家庭科でご飯を作った時は、私の分を持ってきてくれた。仲の良かった友人を引き連れて来てくれたこともあった。私にとって、Hさん、彼女はどんなときも眩しく輝いていた。温かいぬくもりで包んでくれていた。


今、ふと思う。あれは恋だったのかもしれないと。その反面、人としての絶対的な尊敬や憧れのようにも感じる。しかし、彼女のことをよく夢に見る。いつもの変わらない笑顔で呼んでくれる。いつものようにハグをしてくれる。未だにそんな夢を見ることがあるのは、私が彼女に恋をしているからかもしれない。もう二度と会うことは出来ないだろう。この想いや感謝を伝えることは出来ないだろう。きっと最期の瞬間まで、私は彼女に想いを告げられず片思いを続けるのだろう。

4/15/2023, 11:19:37 PM