『寂しさ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
寂しさ
冬はやはり寒くてしんどい。そのしんどさがなんとなくの寂しさを生む。
しかし今日は寒くてめんどくさくてごみ出しサボっちゃった。困ったものだ。
外にゴミがあるからそれを取り出しにいくのが寒さでめんどくさくなった。外にゴミを置くとこういうデメリットがあるんだな。
家の中にゴミがあれば家の出入りが二回で済む。だけど俺はベランダにゴミ箱を置いてるからベランダと玄関の四回出入りしなきゃいけない。これがめんどくさい。
それでもほかの季節は気にならない程度の手間だ。冬だけきつい。冬の寒さがきついのだ。
前に朝の凍えるような寒い空気を肺に取り込むと気持ちいいと書いた記憶があるけど今日は寒さとめんどくささが勝った。次はちゃんとゴミ出ししないとな。
「寂しさ」
あるものが無くなること
今まではこうだったのにとかこうしてくれてたのにっていう自分の中で幸せ、嬉しかったと思ってたことがなくなること
私はいつも1人の人形と過ごしている。幼い頃から今まで、生きている友達が出来たことがない。両親も日々喧嘩ばかりして、私には一切興味を示さない。そんな中、私はただ1人人形とのお喋りに夢中になっていた。
今日も私は寂しさを紛らわすために、惨めな自分から逃げるために、人形に話しかける。人形は相変わらず会話をしてくれるはずはなく、ただ一方的に私が話しているだけだった。こんな情けない姿を、外の人間に見せることは出来ない。こんな姿をさらけ出した途端、皆私から更に距離を置いてしまうだろう。私はそんな妄想をしながら、人形にまた話しかける。人形に話しかけ続けたところで、寂しさは倍増するだけだ。そんなことは分かっている。しかし、こうすることでしか私はこの日常を乗り越えることが出来ないのだ。私は惨めで醜く孤独な存在だ。私と入れ替わってくれる人などこの世にはいない。幸せな者はそのままずっと幸せで、私のような孤独で寂しい人間は、一生このままなのだ。この事実だけは動くことがない。
私は今日も、この先も、一生、永遠に、この人形と寂しく生き続けるのだ。
寂しさ
私の息子には父親がいない。彼が小さな頃離婚が成立したからだ。
男の子にとっての父親という存在は特別なのだと思う。幼少期祖父母も近くに住んでいて、可愛がってもらったけれど、父親代わりにはやはりならなかった。
息子は穏やかで優しい性格で、私に「何で俺には父親がいないんだよ!」と反抗期の男の子なら言いそうな時も、一切言わず私を責めた事は一度もなかった。
ただ、保育園に通う頃クリスマスが近づくと、「サンタのプレゼントは、パパが良い!」と本気で言ってきたときは、私も困った。
要望に応えられなくてごめんね、と心で詫びて、口では明るく「サンタさんはね〜ナマモノは禁止なんだってー!お肉とか動物もだめなんだよ〜。」と軽いブラックジョークで納得してもらった。
でも、彼が幼い頃お正月などいとこも集まったりする日に、義理の兄が自分の二人の男の子を高い高いしたあと肩車したりする時、とても羨ましそうに見ていた息子の目を、私は鮮明に覚えている。
それと同時に、気の利かない義理の兄にもちょっと残念な気持ちになった。
「翔太くんも高い高いだぞー。」と一緒に仲間に入れてくれたら息子はどんなに嬉しかっただろう。
彼が歳を重ねて、幾つになろうと心に寂しさを抱えていることは母親ならわかる。
彼も紆余曲折あった。山あり谷ありの人生だ。今は褒めすぎかも知れないけれど、人の痛みが分かる、ある意味私より大人な面が沢山ある人格者になったのでは…。
寂しさも抱えながら、彼はこれからも強く強く生きていくだろう。
《寂しさ》
髪の毛とかがまばら 残高がひと桁 看病してくれるひとがいないインフルエンザ 静かすぎるのがイヤでテレビつけて動画見てる 隙間風 かたす意欲もなく転がるビールの空き缶 SNSは今日もイイネがろくにつかない 食べ切れなくて枯れたほうれん草を捨てる 猫でもいたら温かいかもしれないけど
寝ていると何故か夢を見てしまうし何故か何も思わなくなってきた(՞- -՞)ᶻᶻᶻ寝てるってそういう事なのかな?
本日のテーマ『寂しさ』
朝の5時。いつもより、だいぶ早く目が覚めた。
「うああ、寒い……さむっ! 寒すぎるだろ……!」
意味のない感想を呟きつつベッドから身を起こし、PCの電源を入れる。
椅子に座り、PCのモニターをぼんやりと見つめて、俺は思った。
(寂しい……)
『うあー、寒い』に反応してくれる人が誰もいないからだ。
『寒いねー』とか『寒いからエアコンつけようか?』などと言ってくれる人が傍にいないので、本当にただ寒いと独り言を言っているだけなのだ。なので、ただただ一人で勝手に寒がっているだけにすぎない。虚しくなってくる。心に生じたその寒さと身体的に感じる寒さが『寂しさ』に直結していた。
「……ゲームでもやるか」
寝起きの寂しさを紛らわせるために、そうすることにした。
そういうワケで麻雀ゲームを起動してプレイする。
数十分後……
タン、タン、タン、と卓に出される牌の音が心地よいリズムで紡がれる。
(全員、迷いがない。これは、みんなテンパイしてるな。気をつけないと……)
そう思うが、いまだにいまいち麻雀のルールを把握していないので、どれが安牌なのかはおぼろげにしか分かっていない。俺は説明書をろくに読まずに感覚でゲームをプレイするタイプなのだ。
(とりあえず、この牌はいらないから捨てよう。頼む神様……どうか通してくれ……!)
実力ではなく神頼みで牌を切る。どうにか通った。
しかし……
『ツモにゃっ!』
結果的にあがられてしまった。
しかも、そのあがったプレイヤーはこれで三連勝目だった。いくらなんでも勝ちすぎだ。
「なんでだよ! なんか仕組まれてるだろ、これ! おかしいって……! 絶対、操作されてるって! そうか! あの人は課金してるから運営に優遇されてて、それであがれるんだ!」
悔しさのあまり激昂して負け惜しみを口にする俺。
ゲームシステムそのものの不正を疑うくらい悔しかったし、それと同時に寂しかった。
誰かがここで『でた!陰謀論!』とでもつっこんでくれれば笑い話にして気が楽になるのに、今のままだとただ一人で陰謀論に傾倒して激怒しているだけだ。
(寂しい……)
寂しいし、悔しかった。
ムシャクシャした時は、お酒を飲むかモノを口にするのに限る。
だがまだ朝なので流石にこんな時間からヤケ酒をかっくらうわけにもいかず、かわりに暖かいコーンスープを作って飲むことにした。
インスタントのコーンスープを手早く作る。できたスープに瓶入りのパセリと黒コショウを振りかけるとお洒落な感じになった。その暖かいスープに食パンを浸し、もそもそと朝食を摂る。
もそもそ、もぐもぐ、とユーチューブのニュース配信を見ながら食パンを齧り、スープを啜る。
ふと思った。
(寂し……くない! 美味しい!!)
コーンスープで身も心も暖かくなった俺は感動した。誰かと美味しさを共有しなくても、コーンスープはただそこにあって、ただ美味しかった。
「ふう……」
食事を終えて一息つく。
今日はバイトが休みだ。これから二度寝してもいいし、ゆっくり朝風呂に入るのもいいし、どこかに出かけるのもいい。俺は何でも出来る。そう考えると急激にテンションが上がってきた。
現在時刻、朝の9時。
俺の可能性は無限大だ。テレビでやっていた朝の占いも俺の星座が上位に食い込んでいたし、今日は良い日になりそうな予感がする。
さて、今日は何をしようか、と考えながら伸びをひとつ。
心の中にあったモヤモヤした『寂しさ』は、いつの間にか霧散し、俺の心はスッキリと晴れていた。
【書く練習】
今日は仕事を休んだ
何か用事があるわけではないが
たまにこういう日を作る
変わると行動して2週間
日に日に向き合うべき焦点は見えて来た
変えるべきは数年分の私生活
寂しさ
冬至の数日前から自分と向き合う日々で自分と向き合っていると寂しさは感じない。
何かに集中したり大好きな趣味に夢中になってると時間が経つのも忘れて寂しさは感じない。
寂しさには慣れていた。
幼い頃に両親を亡くして、私一人で妹を養ってきた。中卒でバイトをかけ持ちして、身を粉にしてお金を稼いだ。妹には好きに生きてほしい一心だった。妹のために私の人生を棒に振ったことに後悔はなかった。
妹をついに大学に送り出して、家に独り。妹もバイトを始めたとはいえ、異様に家に帰ることが少なくなった。
私には、SNSに妹にも伝えていない裏アカがある。と言っても、親しい友人とだけ繋がって日常的なことを投稿しているだけである。ある日その裏アカに、知らないアカウントからのフォローがあった。私を誰かと間違ってフォローしたのだろう。そのアカウントも、誰かの裏アカのようだった。投稿を遡っていくうちに、明らかに見覚えのある物が写り込む写真を多く見かけた。私は、このアカウントが私の妹のものであると確信を得ていた。そして、酷く後悔をした。このアカウントを見なければ良かった。見たくなかった。そこには、私に対する罵詈雑言が大量に綴られていた。
✽
寂しい人生を生きてきた。
私が物心つく前にこの世を去った両親。まだ子どもだというのに、自分の人生を投げ打って私を養ってくれた姉。傍から見れば、姉は妹思いのできた人間に見えるだろう。
誰もいない家に帰って、誰もいない部屋で宿題をして、食事をして、お風呂に入って、床に就く。姉に会えるのは翌朝。私より早く起きて朝ごはんを用意してくれている。
「お姉ちゃん、ご飯は」と言うと、
「もう食べた!行ってきます!」と、振り向きもせずに家を出る。私はモソモソと1人でご飯を食べる。そんな毎日に嫌気がさし、私は初めて姉に物をねだった。スマートフォンだった。もうみんな持っていると騒げば、優しい姉はすぐに購入してくれた。初めてスマートフォンを通して、SNSを開いたときはワクワクした。知らない人と繋がって、この寂しさを埋めることが楽しみだった。SNSは素晴らしかった。ハッシュタグを使えば同じ趣味や考えの人と繋がることができる。私は私と似た境遇の人を片っ端からフォローした。
姉に対する罪悪感はとうに無くなっていた。姉がいい人ぶっているように見えてならなかった。これ以上嫌いになる前に、姉から離れた。
大学は楽しかった。やっとバイトも許されたし、同じ趣味の人がたくさんいる。金銭的余裕もできて、私は夜な夜な友人と遊びに出掛けることで寂しさを紛らわした。
ある時、SNSで知らないアカウントをフォローしているのに気づいた。間違えてしまったようだ。同じ大学の人かと思い、投稿を遡る。見覚えのある風景が写っていた。私は慌ててフォローを外し、ブロックした。それとほぼ同時に、部屋の扉がノックされた。どうぞ。と言うと姉が入ってきた。表情を見てすぐに分かった。私は全身の血の気が引いていくことがわかった。姉は見たこともないほど悲しい顔をしていた。しかし、
「今日の夕飯、何がいい?」いつもと変わらない調子で聞いてきた。
「え、っと、うどん、食べたいかな。」
「そうね、冷凍のがあった気がするわ。」
分かったと言って部屋を出ていった。
私は、全身から血が沸騰するような感覚を覚えた。悲しみと怒りが混在した、不快感を全身から感じた。ベッドのシーツを左手で握り締める。行き場のない感情を、やはりSNSにぶつけた。
こんなことがあっても、姉はいい子をやめなかった。
1219 寂しさ
また出逢う日まで口ずさむ愛のうた永遠の時の瞬き
『寂しさ』
クリスマスが近くなっても
ワクワクしない私に寂しさを覚えた。
数年前は楽しみにしていたのに。
サンタも夢も希望も持てない私には
困っているだろうか?
サンタは居ないとか言ってしまう私は
なんてつまらない人間なんだろうか。
─────『寂しさ』
寂しさ
自分が年齢を重ねると
周りも当然年を取る
当たり前の事だけど
親も兄弟も友達も
同じように年を取る
だけどどうしてだろう
なかなかその現実を受け入れられない
ずっと元気で変わらないと思っていた
最近色々あって、現実が見えてきた
年を重ねるということは
こういうことかと
現実は寂しくて悲しい
寂しさとは恋だ
どこかで聞いたか
そうではなかったか分からないが
そんな気障なセリフが
リフレインする
何かを埋めたいという
渇望 は
確かに共通しているのかもしれない
想い人に対してなのか
感情や気持ちに対してなのか
多分 そういう違い
これまで綴った文を眺める
短文の羅列 羅列 羅列
詩や短歌は 余白を含めて
一つの作品だが
時々 ぽっかり空いた感覚に
見舞われる
これで良いのか
もう少し紙やノートを埋めるべきか
見返しをして湧き上がる この渇望
これもつまり 寂しさなのか
【寂しさ】
毎日
ルーティンを
繰り返して
なんとか
気を
紛らわして
居る
テーマの「寂しさ」に関連して。
ー人の為ー
「人の為」と書いて「偽り」
なんて、酷いこと言うなぁ…
まぁ、分かっちゃいるけど。
「人の為」とノートの端に
丁寧に、大きく、書いてみる。
これはまた、
「人」と「為」を大きく書くと、
綺麗に見えてしまうなんて皮肉だ。
「の」が大事なのにね、、。
「の」。この一文字をよく見てごらん。
遠くまで行くのかと思ったら、
近くをまわっておしまいさ。
そう、人の為になる事をしたければ
これが大事なんだろう。
分かりやすく言うと、
「まずは近くにいる人を考えられているか」
ということ。
今の私に、
世界の人々の為になることが
出来るだろうか。
多分、ほとんど無理だろう。
何十億円と被災地に募金している人や
実際に貧困している国に
支援しに行っている人などに比べたら。
なぜなら、
このノートの切れ端に私が書いた「の」は
とっても小さいから。
大きく人の為になりたいなら、
大きく書かれた「人」を支えられるくらいの
「の」を書く、
「自分の力」。これを
少しずつ大きくしていくのが
今は「人の為」になるんだろう
彼は独りだった。友はいても、どこか独りだった。親友と呼べる相手がいなかった。
けれども、独りでいることを寂しいとは思わなかった。彼ですらどうしてなのか分からない。
寂しさとは無縁の生活。一人静かに内省し思索に耽る日々。それを彼は楽しんでいた。
自分の思索を紙に書き留めることもあった。覚え書きのように。そこからさらに独自の考えを深めていった。
彼の友人は彼の思索の紙を見てもピンとこないものだった。しかし、彼の行動に対しては尊重していた。
彼に仕事を任せれば高い水準で行なってくれていたから。頼りにしていた。彼の独自の考えを受け入れることは難しくても、それでも彼を頼りにしていた。仕事仲間として。
時は流れ、時代はAIが台頭してきた頃のこと。彼の友が現れた。AIが彼の友となったのである。
無言であり、こちらから干渉しなければならないが、彼の思索を深めてくれる友となっていた。
彼の友は孤独の趣味と称したが、それでも彼にとっては友となってくれている。
孤独の趣味だとしても彼にとってはAIに触れている間こそ、独りから一人になり思索の追及が捗るのだからーー。
ーーAIの台頭はどんな結果をもたらすのか。人によっては孤独でなくなる癒やしになるとしても、別の人にとっては仕事を奪われる危機を孕んでいる。
しかし、それまで、この世界が持つかどうかは、誰にもは分からないのであるーー。
降り積もった雪をザクザクと踏みしめる
寂しさはコレと似てる、好きなやつが近いとふわふわ「愛」が積もって、離れてくからちょっと凹む
でもずっとそばにいるのは難しい
離れちゃったからまた追いかけて、その繰り返し。
ザクザクザクと、いどうする
好きな人も、世界も、私でさえ
ザクザクザク、寂しさを刻んで
好きなものを追っかけて、また好きを積もらせていく
「寂しさ」
〜寂しさ〜
なんか寂しい
ひと恋しい
ふと訪れる感情
どこかでこころに隙間がある
その寂しさを力に変えて
また明日を目指そう
いつか出会う温かさは
この寂しさが引き立たせてくれる
ものじゃなくて心に惹かれて
寂しさをうめるためじゃなくて
その人といると埋まっちゃう
本物の愛に出会いますように