『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
昨日の貴方のストーリー
バイクで事故したって載ってた
心配でどうしようもなくて
『大丈夫ですか、?』
なんて送っちゃって今もDMしてる
照れさすのが上手な貴方は
私の手をひいてくれたことも
1度もないけど
貴方のワードセンスが好きな私は
隣にいるいるときの笑顔が
絶えないの
貴方の癒しに私はなりたいよ
なれないなんてそんな悲しいこと
言わないでね
早く梅雨終わってほしい
貴方とまた散歩がしたい
長く長く隣にいときたいよ
#私と貴方
「ねえ、おはなすき?」
「うん!すきだよ!」
「そっかあ、じゃあこのおはなあげるね!」
「わあああ!きれいなおはなねえ、ほんとうにいいの?」
「いーよ!きみのためだもん」
優しく笑う顔立ちに思わず見惚れていたら
はっと目が覚めた
そこには、潤んだ瞳の貴女の顔
「私、夢の中で何か言ってたかしら…?」
「いや?君の可愛い寝顔に見惚れていたよ」
「変なこと言わないでっ」
恥ずかしくて、顔を背けると、貴女はふっと一つ笑う
「これいる?」
「なあに。これ」
「花束」
「良いの?これ」
夢のように呟く
「良いよ、君の為なら」
あの頃のように
優しい笑顔で
子供の頃は、ずっと貴方と一緒にいられると思ってた。
貴方と大人になっても一緒にいて、貴方と結婚できると思ってた。
でも、この世界はそれを許してくれなかった。
あたしと貴方は、結婚できない。
夫婦という肩書きは得られない。
なんて苦しい世界なんだろう。
『来世は幸せになろうね。』
子供の頃と言われる度
いつも思い出すのが夏なのは何故
子供の頃はわんぱくで勉強が嫌いで、外で遊んでるような子供でした。昔から周りに大人がたくさんいて、空気を読んだり、面白いことを言わないとという気持ちで知らず知らずにストレスを溜め込んでいた部分もあった気がします。
「子どもの頃は」
子どもの頃、私たちは見えない何かに守られていた。
当時私たちが住んでいた町は、都会へ出るための交通の便が良いと、ベッドタウンとして持て囃され賑わっていた。
町の真ん中には広い公園があり、その周りは樹木に囲まれ、花壇には季節ごとに花が植え替えられ、夏祭りの日には町じゅうの人々が集まった。
そんな公園の奥に大きな樫の木があった。
何人もの大人が両手を広げて並んでやっと一周できるくらい幹が太かった。
その樫の木の公園とは反対側の根元には、草書体で書かれた碑と、神様か仏様かそれとも観音様なのか子どもには区別のつかない御姿が彫られた石が置かれていた。
町の人々は何か気にかかることがあるとその場所を訪れた。
そこへ行くことは誰にも言わなくとも、お供えものや水で洗われた形跡を見て、自分以外の人もこの場所に来て手を合わせているのだと理解していた。
やがて時が経ち、子どもたちは巣立って行き、当時は新興住宅地だったその町は建物の老朽化と住人の高齢化に悩まされ、建物を工事して若い人に移り住んでもらえるよう対策をとった。
結果、公園の樫の木は大き過ぎて周りの家の日当たりが悪くなると切られてしまった。
碑と御姿の石も由来がわからないという理由でどこかへ持ち去られてしまった。
それ以来、その町は瞬く間に衰退していった。
事件や事故が増えて治安が悪いと移住者が来なくなった。予算が回らなくなり、福祉サービスがカットされ、景観は荒れていった。
かつてその町の住人だった私たちは、それぞれ今住んでいる場所で、故郷の町が隣町に吸収される形で合併されたことを知った。
町の名前すら残されなかった。
公園の大きな樫の木と草書体で書かれた碑と御姿の石。
子どもの頃、私たちは見えない何かに確かに守られていた。
「早く大人になりたいな〜。」
昔は今の現状に満足せずに、大人に憧れた。それなのに、今の俺は過去の俺が見たらどう思うだろうか。
〈〇〇小学校 卒業アルバム〉
そう大きく書かれた、分厚い本が目に入る。実家の倉庫の片付けをしている時だった。休憩がてら、アルバムを開く。
〈俺の将来の夢は、格好良い大人になる事です。〉
俺の将来の夢の欄には、そう書かれていた。抽象的すぎる夢に、顔が綻んだ。俺はなれたかな?
子供の頃は、自分こそが世界の主人公だった。そして、大人になったらもっとすごいことが待っている、そう信じていた。しかし、大人になって知った。昔憧れた大人は、存在しないのだと。大人はすごい、格好良いと目を輝かせていたあの頃にはもう戻れない。大人も社会も、薄汚いものだ。きっとその事を知った日から、俺もまた、薄汚い大人になっていったのだ。過去の俺を叱ってやりたい。抽象的な夢を抱く前に、もっと努力しろと。大人になってから頑張っても、もう遅いのだと。そして、教えてやりたい。お前が夢を見ているその日々が一番楽しいと。
あぁ、もう一度やり直したい。そんな馬鹿げた夢、叶うはずはない。ならばいっそ、これ以上汚くなる前に終わりたい。
足が自然と会社の屋上へと向かう。フェンスを越えると、そこには美しい景色があった。世界も上辺だけは綺麗なんだな。俺は少しの勇気と来世への期待を胸に、前へ歩く。
子供の頃は自分が世界の中心だった。大人になったら世界を回す歯車になった。歯車だとしても、俺が死んだら世界が悲しんでくれると期待してもいいじゃないか。
おはなやさん
サッカー選手
公務員
地方零細
ベテラン派遣
【子供の頃は】
努力を知らない人生だ。
これは才能に溢れているとか、どんな事でもそつ無くこなせるとかいう部類の話じゃない。
ただただ努力というものが出来ないだけだ。
夏休みのワークを溜め込むと普通の生徒たちは最終日付近に追い込みをかけて"終わらせようという努力"をする。
中学にあがり部活に入れば最低でも"一試合だけでも勝とうという努力"をする。
高校生になればバイトが出来るようになる、バイトに対する向き合い方は人それぞれだが"バイトで使える人間になるための努力"や"学業とバイトを両立する努力"をするもんだ。
普通の人間はそうする。
俺はそんな努力を経験せずこんなところまで来てしまった。
今は滑り止めで受かった大学で一留している。これもまた俺が努力出来なかった結果だ。"本命の大学に受かるための努力"、"留年回避のための努力"、努力の名称は分かってもやり方が分からない。
きっと俺はこれからもダメ人間なのだろう、これは自論だが努力の仕方は子供のうちに授業や宿題を通して無意識に学ぶものだ。そんな大切な子供時代をひたすら逃げ回って過ごしてきた俺はこの先も努力のやり方がわかることは無い。
きっと惰性で生きるしかないのだろう。
・1『子供の頃は』
デザインベビー初代の私達世代は髪の色は明るく、瞳の色は青が定番だった。肌の色は白が圧倒的に多い。
髪は白く、ダークブラウンの肌で産まれた。
私もデザインされて産まれた子供の1人だった。
そうは思われていなかったようだが。
物珍しい私は
子供の頃はたいそうモテた
【続く】
独白 2024/6/23
知識は人を備えさせ、ゆとりをつくるものだけど
無知でしか味わえない体験も確かにそこにある。
どちらも楽しめるようになりたいね
子供の頃は
子供もの頃は怖いのはお化けだけで
後は何も考えずに好きな事をして
自由に跳ね回って遊んでいたな~
親の後ろを歩いていれば安心で
本当に幸せだった
大人になり窮屈な気持ちと
怖いと思える事も増え
ストレスや病気や責任や
たまに子供の頃に戻れたらなんて
そんな事を考えてしまう始末
人は貪欲ですね…
『子供の頃は』、四季にメリハリがあり
夏は30℃を少し超えただけで暑いと感じ
ていた。
学校にクーラーは無かったけれど、耐え
られない暑さではなく、熱中症なんて
言葉もなかったような...。
この数十年で気候がガラリと変わって
しまったと感じる。
地球温暖化、異常気象...この先地球は
どうなっていくのだろう。
これからの子供達のためにも未来は
明るいものであって欲しいと願う。
〜お題『子供の頃は』〜
子供の頃は
鮮やかな色が好きだった
隣並んで 背中を押す風
不安定な補助輪
道端の控えめな小花
手の加わった小物たちも
すべてが ピンク色だったから
今でも消えない残り香を
薄く広げて 擦り付けたら
つまらない月影も恋しい
香り玉が花濃い弾け
埃被ったフィルターに
懐かしい想いを馳せる
子供の頃は
1966年生まれの丙午。
だいたい、人生で起きる荒波はこの干支のせいにして生きてゆく丙午の女。
さくらももこは1学年上の先輩で、まるちゃんの親父ひろしは昭和の9年生まれで、うちの父親は昭和の8年生まれで黒柳徹子さんと同学年だから酉年で朝から喧しかった。じいちゃんもばあちゃんも明治生まれだけど友蔵さんやこたけさんより歳下だった…と、まあ「ちびまる」を観ていると子供の頃のことを思い出す人は同年代には少なくないはずだ。
どちらかと言えばまる子タイプじいちゃんばあちゃんが大好きだったのも空想好きな変人気質も似ているなと笑わされる。たまちゃんのような親友がいて、野口さんのような親友もいた。
父方のばあちゃんは、みつやのような駄菓子屋を営んでいて、毎日店前で遊んでいた。
その昔映画が活動写真って言った頃に、ちょとの間女優をやっていたばあちゃんは漁師町のばあちゃんとは違った雰囲気だった。背も高く細くて手足が長く、歳をとっても背筋がしゃんとしていた。
ばあちゃんはとても厳しい人だった。
その駄菓子屋の店前でゴム跳びを、たまちゃんのような親友と、野口さんのような親友としていた頃から数年後父も母も亡くしてしまうので
このばあちゃんに引き取られて暮らす訳だけど、まだ、店前でゴム跳びをしていた子供の頃は、ばあちゃんが焼いてくれるイカ焼きが楽しみで毎日学校が終わると通っていた。
自転車のハンドルにレインボーカラーのリボンをつけて3人で走っていた。
たまちゃんに似た子はお嬢さんで高学年になると遊ばなくなった。
野口さんに似ている子とは、馬が合って高校卒業するまで、寄っちゃーくだらないことを言い合っていた。
友達はレストランのバイトのように入れ替わったが、あの自転車に揃いのリボンをつけて走り回り、駄菓子屋の店前でゴム跳びをし、ばあちゃんの焼いてくれたイカ焼きを食べて、三ツ矢ソーダを飲みながら店の中にあるテレビで夕方にやってくるドラマの再放送を一緒に観て、茜色に染まる空に向かうようにまた自転車を走らせる。
「また、明日ねバイバーイ」と手をふり合った
あの一瞬のような屈託のない子供の頃に持った友達には出会えていないような気がする。
あの、子供の頃は大切な宝物
2024年6月23日
心幸
子供の頃
私は小さい頃、感謝豊かな子供だったと思う。
多分幼稚園の頃までは。(もう覚えてないけど!)
私は小さい頃から人より小さくて、できないことが多くて、周りに馴染めなかった。人との接し方が分からなかったんだと思う。その事で一番傷ついたのは母。
私がいつも一人で過ごしていたから、心配で堪らなかったんだと思う。
私は少しずつ成長してやっと人との接し方が分かった気がする。『相手のして欲しいことを読み取って相手に寄り添うこと』、『怒らないこと』、『相手の怒らせることをしないこと』そして『ギブアンドテイクでギブを多めにすること』である。要は「自分を押し殺して、相手に従うこと」だ。でも私は『相手の怒らせることをしないこと』ができない。何らかの失敗で、相手を呆れさせるか怒らせることしかできない。
できないことが多くて迷惑ばかりかけてしまう。
だからいつも一人。多分、周りから疎まれていることだろう。私自身が《いらない子》と思っているから。
未だに母に心配される。大丈夫なのか?と。
私はいつも大丈夫、ありがとうと返す。
そろそろ、一人に慣れて自立していこう。
一人で生きる準備をしていかないといけない。
子供の頃は
(本稿を下書きとして保管)
2024.6.23 藍
子供の頃は
子供の頃は、何も考えなくてよかった。
それが気楽で好きだった。
大きくなるにつれて分かることが増えて、
知らない方が幸せだったことも知って。
… もし、無知で純粋なあの頃に戻れるなら。
もしも、触ればあの頃に戻れる猫が
このスマホにいたら。
貴方は猫を触りますか。
「子供の頃は」
"子供の頃は"
なんてお涙頂戴のエピソードを話したいが、
実際何処から何処までが子供という定義なのか。
成人を超えたら大人?
賢かったら大人?
時を過ぎれば大人になるのか?
実際曖昧なんだ。
決まってるように見えて。
大人にも色々な種類がある。
精神的な大人。
身体的な大人。
例を挙げるならこの2つ。
結局は意識すれば大人なのか、
それとも大人かは他人が決めるのか。
無意識的に自分を守る為子供で居るだけなのか。
そもそも自分で理解出来ないだけで
他の大人という人格があるのかもしれない。
そんな"子供の頃は"
なんての話をする前に壁があるのだから。
俺は大人になれないのだろう。
_________________________
まぁ実際そうですよね。
子供と大人の定義なんて明確ではない
曖昧なまま大人とか言われるんですから。
ちょっと充電がヤバい
あと1%ということで終わります。
子供の頃は____
優しい子だとよく言われていた。
でも、嘘をつく子だとも言われていた。
嘘をつくのをやめれば優しさも消える。
演じて相手に適用しようとすればするほど、私は優しい人間になれるし、それと同時に嘘をつく人間にもなる。
結局、嫌われたくないから嘘をつくのだ。
優しい人でありたいから嘘をつくのだ。
開いて欲しい言葉を与えるだけの為に嘘をつくのだ。
優しい人間である為には、演じるしかない。