『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子供の頃は
将来自分のことを好きになってくれる人と結婚すると信じてた
好きな人は自分のことを好きになってくれると信じてた
だけど
私はもう子供じゃなくなった
君の目が私を写すことがないのも
この恋が報われることがないのも
君とは結婚できないことも
もう分かっちゃった
《子供の頃は》
#49
【子供の頃は】
子供の頃は信じていた。真摯に祈りを捧げれば、神様は必ず叶えてくれる。真面目に努力を続ければ、いつか必ず報われる。そんな幼い幻想を。
「――今はもう、信じていないの?」
カラリと音を立てて、アイスティーに浮かんだ氷が崩れる。ざわざわと少しだけ騒がしい、土曜の夕方の喫茶店。頬杖をついた君は、くるくるとストローで溶けかかった氷を混ぜた。
「信じてないよ。それが大人になるってことじゃない?」
社会の現実を知って、世界の不平等性を受容する。年齢を重ねれば誰だってそうだろう。けれど君は攪拌されて波立つアイスティーの水面を見つめながら、淡々と口を開いた。
「これは持論だけど。祈るのも努力するのも結局、自分自身を納得させるためのものだと思うんだよね。これだけ祈ったんだからいつかは叶うはず、努力したんだからそのうち良いことがあるはずって」
「そんな未来は絶対に来ないのに期待するって、時間の無駄じゃない?」
吐き捨てるように問いかけていた。自然と湧き上がってくる苛立ちを鎮めたくて、目の前のアイスコーヒーに手を伸ばす。長袖のTシャツの袖口がめくれて手首の包帯が見えかかったのを慌てて隠した。両利きだとこういうミスをするから嫌だ。普通ならカッターを持つ手と無意識に使う手とが一致するから、こんなやらかしはしないだろうに。
めざとい君が気がつかないはずはないのに、君は包帯については何も触れてこなかった。ただ氷が溶けて色の薄くなってきたアイスティーを見つめながら、静かに話を続ける。
「無駄だとは思わないかな。だってその未来が来るか来ないかは、死ぬ瞬間までわからないでしょ? だったら期待しておくほうが、私は息がしやすいし、頑張ろうって思えるから」
ああ、と。小さく息が口の端から漏れていた。伏せられた君の瞳が、アイスティーの水面を反射してキラキラと輝いている。その視線がゆっくりと持ち上がり、真っ直ぐにこちらを見据えた。
「楽観的すぎるかもしれないし、こんなの大人の考えじゃないのかもしれないけど。でもそれなら、私はずっと子供のままで良いや」
困ったように微笑んだ君の姿が、幼い頃のそれに重なった。悪意に満ちた『悪戯』で体育倉庫に閉じ込められた君を、偶然見つけた時。それでも君は、泣くことも怒ることもなく、「見つけてくれてありがとう」と笑ったのだ。
あの頃はずっと、君のそういうところが理解できなくて、他人と衝突することを恐れるだけの女の子だと思っていた。大嫌いで、腹立たしくて、そんなか弱い君の側にいることで仄暗い優越感に浸っていた。だけど。
(君より強い人には結局、出会わなかったな)
しなやかで、気配りができて、明るい未来を心から信じ抜ける。誰かからの評価に依存することは決してない。そんな君が今では――。
(まぶしくて、仕方がないよ)
弱く醜い自分自身を隠すように、Tシャツの袖をグッと引く。塞がったはずの傷跡が、ズキズキと切ない痛みを訴えた。
「子供の頃は」
確かにそんなことは
全然考えてないよ
たばこを吸うような人に
俺がなるって思ってないよ
一度習慣化すると
それは喫煙者になる
吸わない自分を思い出せない
汚れてない体って大事なんだなぁ
刺激が記憶なることが多いが
まだ経験していない状態を
どこで切り取るかも分からないけど
それを記憶として残す
一度汚れてしまうと
もう懐かしいってならない
自分の体なのに
これが自然体なのかなぁ
って想像するって変な感じだ
純粋って理解出来るけど
もう体感出来ない
こんな俺も純粋だったんだろうなぁ
子供の頃は。
子供の頃は、沢山夢を持っていたし、将来にすごい希望を抱いていた。
でも、それは高校に入って打ち砕かれた。
私が想像していたキラキラな高校生活は待っていなかった。
これから、何か変わっていくのだろうか。
「なあ!こいつだけはやめてくれよ!!」
「たのむ!!!」
「おれたちなんにもしてねぇだろ!?」
あれは忘れられない、夏のある日。
大切な、大切な、大切な仲間を失った日だ。
あいつとおれを離れ離れにさせた犯人はとっくに知っている。顔も名前も覚えている。
だが、復讐は未だに出来ていない。
おれは犯人に監禁されているからだ。今もーーーー
「たかし何書いてんの!もうすぐご飯よ!」
「ちっ、分かったよ、母さん」
「そういえば、押し入れであんたが昔大事にしてたぬいぐるみを見つけたのよ」
「捨てたと思ってたのにねぇ、不思議ね」
おれの復讐はいつのまにか終わっていた。
子供の頃は
臆病で 甘えっ子で
わがまま 子供
だった
親には いちくらしい
子供と陰口を言われ
叱られることばかりで
褒めることもなく
心の病気になってしまった
中学生、高校生たいした学校は
行ってはいないが
いろんな優しい人と恵まれて
今は 幸せだ
私子供頃は感情的になる事がほとんどなかった
でも今はちょっとした事にイラつく悲しくなる
落ち込む、とかが激しいまるで赤ちゃん返りをしてるみたいに…。
子供の頃は遠い遠い昔のようで、ふとした時近くなる。何故だか自分でも分からないのに、無性に恋しくなるというおまけ付き。
こんなこと言っておいて、成人したばかりなのだから、酷いホームシックを患っているらしい。
蝶が苦手だった。
私は、不規則に飛び回る蝶が苦手だった。
なんだか、彼らをみていると、私の人生そのものをばかにされているように思えてくるから苦手だった。
「ほら、見て。わたしたちは、こうやって自由に、どこへでも空を飛び回ることができるけれど、あなたはかわいそうね」
人は彼らを「優雅」と表現するけれど、ひねくれた私は、そんなことしか考えられない。
子供の頃は
子供の頃は自分の中に
正義のヒーローがいた。
自分が信じた信念ってヤツを
例え一人っきりになろうとも突き通せたし
間違っていることには堂々と胸を張って
間違ってるって守れるような…
そんな不思議な強さを持ってた気がする。
だけど中学…高校…って
環境が変わっていく度に
自分の中のヒーローが消えていく…
今まであった信念を突き通す力も
間違ってるって言える正義感も貫く度に
一人になってしまうような気がしたから。
そして大人になった頃には
自分の中のヒーローは影の中にいた
社会の中では個人の信念や正義感など
逆に悪者みたいに扱われてしまうから…
あの頃の自分に顔向けできない
情けない大人になっちゃったなぁ…
なんて、ふとした時に考えてしまう。
もう一度あの頃みたいに
かっこいい正義のヒーローに戻れたらな…。
- Hero inside me -
【子供の頃は】
子供の頃はよかった、なんて。陽に手を重ねて心で愚痴る。俺は子供の頃の話をよく思い出す。大人になってからは休憩なんてなくて。子供の頃の無邪気さなんてない。あの配信者はいいな。自由そうだ。少しだけ歩き疲れたから休憩してもいいじゃないか。月並みな表現の人生っていう長い道を。子供の頃は夏祭りでりんご飴を買って、雨が降ってきたことがあった。
「子供の頃は」
嫌な記憶には蓋をして。
少しの希望を夢に見て、生きる日々。
あやふやな記憶。
夢なのか現実なのか、今の僕には分からない。
今日の事も過去になる。そして消えていく。
手のかかんねー子供だったと思うよ。顔色伺いまくってたもん。よくさ、お前は橋の下から拾ってきたとか言うじゃん。昭和。めちゃくちゃ言われてたし、怒られて玄関から放り出されたこともあるし、ベランダに出されて鍵かけられたこともあるよ。まともに育つやついるのかな。理由は確か飯時にテレビ見てたとか、言うこと聞かなかったとかそういう類のやつ。一般家庭だよ。外から見たらそう。殴られたりとかはないし。
小学校上がってたかな。そのくらいの頃。どっか出掛けた時にね、駅で知らねーうちに知らねー親の隣歩いていたことある。自分の親と思って。服似てた。で、途中で気づいて、向こうも気づいて二人で見つめ合ってびっくりして、駅だからめちゃくちゃ人がいて、でもその時はたまたま走り回って券売機の前でちゃんと親見つけられた。ほんの数十秒だったのか数分なのかも分からない。
でもさ、こっちから見つけられたから親は知らねーの。「何してるの行くよ」それだけ。あの時の焦燥。二度と会えないかもとか恐怖とか何も知らねーの。こっちも言わなかったけどさ。言葉に出来ねーくらい毛穴開いてたんだよ。それでさ、「あ、今一瞬そばから居なくなったことさえ知らねーんだ」ってなんか、いなくなっても分かんねーんだなって。こっちが気をつけなきゃいけねーんだなって吾輩は悟りを開いたという訳です。
とっとと大人になって働いて、独りで生きていこう。
そう思った。
たくさん勉強をして大学に行って、手に職つけて社会に出た。
ヘドロみたいな世界に浸って、定時までぼんやりと仕事をこなしていった。
代わり映えのしない日々に満足していた。
たとえ安月給でも、ブラック企業でも、もうなんでも良かった。
あの“檻”から、一秒でも早く脱出したかったから。
今は幸せだ、誰が何と言おうと。
テーマ「子供の頃は」
お題「子供の頃は」
不便が不便じゃなかった
それが当たり前だったから
何処へ行くにも自転車で
100円の楽しみ方を知っていた
テレビは別世界へ連れて行ってくれて
マンガは空想の世界を捗らせた
時間は有限なんだと思いもせず
このままいつまでも続くと信じていた
子供の頃は とても幸せだった
何不自由なく愛され、自分にとってありふれた生活だった。
だがそれは世間的に見れば、常識からも希望からも外れきった、異常な形だったのかもしれない。
#子どもの頃は
子どもの頃は、虫を捕まえたり川で遊んだり、友達と他愛のない話をした、時には、意味のわからない遊びや、話、子どもの柔らかい頭で考えた遊びが大人になってからは理解ができなくなり
話すことも、遊ぶことも無くなった。
子どもの頃のように無邪気に走り回っていたあの日が懐かしい
大人になった今、子どもの頃を思い出しながら過ごす日々
それはそれで幸せな事だ。
子供の頃は楽しかった。
春は野原を走った。毎日毎日、よくもまぁ飽きずにやったものだ。つくしやたんぽぽ、桜。蝶々、鉢。暖かな春の風。兎に角心地好かった。
夏はまず梅雨が来た。梅雨が来ると野原を走れない。だけど、梅雨には梅雨の楽しさがあった。傘に雨粒が当たる音、水溜まりと靴がぶつかる音。。蛙に蝸牛。梅雨がシーズン真っ盛りの紫陽花。雨音が好きだった。
夏が本番になった。夏といえば夏休み。クラスの皆とは少しお別れ。沢山持ち物があって大変だった。
夏はおばあちゃん家に遊びに行く。おばあちゃん家には畑があって、季節に合ったものを植えるので、毎年スイカをくれた。おばあちゃん家はうちより更に田舎だったから、カブト虫もクワガタも、セミも。沢山虫が居た。夜中におじいちゃん、お父さん、お兄ちゃん、俺で懐中電灯構えて虫取りに行くのが楽しみだった。
秋は少し寒くなって、山も色付いた。どうやらイチョウが沢山生えているらしくて、銀杏の匂いが少し臭かったけど綺麗で好きだった。
秋は毎年ストーブの上で焼き芋を焼いて食べた。お母さんに「どのくらいで焼ける?」と何度も聞いた。平和な秋が、好きだった。
冬は本格的に寒くなって、雪かきをしたり雪だるまを作ったり、ソリで山から滑ったりした。怖がる僕をお姉ちゃんが無理矢理乗せて滑ったソリが俺の初めてだったけど、凄く楽しかった。山の前にあるデカイ公園には、沢山雪像が作られた。夜の石像は蝋燭が置かれていて綺麗だった。寒いけど凄く楽しかった。
楽しかったな、何も考えず、ただただ駆け回るのは。
楽しかったな。
「子供の頃は」
波がひたひたと脚を濡らしている、輪郭のないひかりがとろとろと溶けだす、わたし、あのとききみとの思い出が永遠でないことを恐れてた、わたし、きみを冷たいとこに沈めるためにここにきた
地面が近かった
タンポポをよく見てた
ダンゴムシを手に乗せて
ツツジの蜜を吸った
今では見えなくなってしまったものを
彼女は目を輝かせて見ていた。
『子供の頃は』