『子供のように』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『子供のように』
うちのリーダーは基本感情を表に出さない。
淡々と仕事をこなす人だ。
丁寧だし早いし、教えるのも上手い。
ただ教え方が少し怖いのが少し難点ではある。
リーダーが少し表情を出すとするなら困った顔だろう。
仕事が行き詰まってたり、私たち部下のミスの処理等…
仕事の多さに頭を抱えてる時は少し困った顔をしている。
それくらいで楽しそうな表情はあまり見た記憶が無い。
だから私は少し楽しませようと手紙を書類の間に挟めたり、
小さな造花をリーダーの机に置いたりしていた。
全て空回りだった…
そんなある時急にリーダーから呼び出された。
怒られるかなと思いながら入室した。
「本題に入りますが、書類に手紙が挟まっていたり、私の机に花を置いたりしたのは貴女ですよね?」
「あ、私ですねぇ…」
「どういう意図でやったのか分かりませんが、集中してください。」
「いや、リーダーに笑って欲しいなと…」
「わ、私にですか?」
その瞬間、リーダーの顔が少し赤くなったのがわかった。
「リーダーっていつも仕事一筋って感じで楽しいのかなって思ってたので、つい出来心で楽しんで欲しいなと…すみません」
「い、いやそれなら…良くないですけど、ありがとうございます。」
「え?怒らないんですか?」
「貴女がわざわざ私の為にしてくれた行為を怒るなんてしませんよ。むしろ嬉しいですよ」
その言葉と共に見せた笑顔はまるで子供のように明るい笑顔だった。
『子供のように』2023.10.13
「よし、炙りカルビゲームをしましょう」
稽古の休憩中、おもむろにメンバー最年少の彼が言い出した。
「炙りカルビゲーム?」
「炙りカルビを一回ずつ増やしていくゲームです」
「それいいなぁ! やろうやろう!」
すぐに他のメンバーも同意する。
スタートは最年少の彼からだ。そこから最年長の彼、一番身長が高い彼、金髪の彼、そして僕と順繰り順繰り回っていく。
きわめて単純なゲームだが、炙りカルビという似た語感と同じ言葉を繰り返すことでこんがらがってしまい、わけが分からなくなってしまうという、実は少し難しいゲームなのだ。
十回を超えたあたりで、最年少の彼が噛んでしまう。それだけで、僕たちは大盛り上がりだ。
普段、稽古となるとピリピリギスギスしてしまうが、誰かがこうして遊びを提案すると、それに乗っかるというのが僕たちのルールである。
王様ゲームやしりとり、ババ抜きとこれまでいろいろやってきた。
周りの人は子供っぽいと笑うが、そんな子供っぽいのが僕たちが今の距離感を保つ手段なのである。
そんな子供のようにみんなで遊んでいるのが好きです、とファンの方に言われることがある。
二十代の頃は嫌だったが、三十歳を超えると嬉しくなってしまう。
照れ隠しに「そんなことない」と否定するが、それすらもファンのみんなは喜んでくれるのである。
僕たちが六十歳を超えるまで、ずっと子供のようにはしゃいでいようとそう決めているのだ。
「子供のように」
子供の頃は、何かあればすぐ泣いて、嫌なことは嫌だって言えて、わがままばかり言ってなー。
今は、空気を読んで静かにしたり、泣くのを我慢したり、嫌なことも多少は我慢したり、わがままもいつしか言えなくなってた。
子供のようにワガママ言って、泣いて助け求めてれば楽なのかな
子供のように本音を言って弱音を吐いて、誰かにすがりながら思いっきり泣いてみたい
そんなこと、今はもう絶対にできないよね(笑)
細身の体に反して君は、頬を何杯目か分からないご飯で膨らませながら幸せそうな顔をしている。あまりにも幸せそうだから、ついご飯を作りすぎてしまうのもしょうがないよね。空になったお椀を差し出し、おかわりを要求する君の目は無邪気に輝いている。いっぱい食べる君が大好きだ!
[子供のように]
『子供のように』
子供のように、わちゃわちゃはしゃげる純粋な心が欲しいです!!!!!
酔っ払ってます。。。
なぜか涙が止まらない
たまには周りを気にせず
”子供のように”
泣いてもいいですよね。
#子供のように
無条件にすべてを受け入れて
感情を体全体で現す
なんの計算も無しに…
知らないこと
そして疑問に思うことを
口にすることは
恥ずかしいことでは無いんだ…
そんなことを自分の中から
いつのまにか忘れ去って
体裁だのプライドだのと
身につけた虚飾の装飾品で
がんじがらめにしている
すべてを一度には捨てられないから
月明かりの下で
童歌など歌いながら
幼いころの忘れ物と
交換しながら
抱えてしまった哀しみを
空に投げよう
あーした天気になーれ!
「子供のように」
閲覧頂きありがとうございました。
日々は虎のように早く駆け抜けてゆく。
二人の人間がいた。
その速さに戸惑っている内に置いていかれ号哭する人間。
あるいは自らを叱咤し進み続け栄光を勝ち取った人間。
私はどちらに成るのだろうか。大人と子供の狭間で耽っていたとしても、答えは一向に返ってこなかった。
「進路とか知るかよぉ〜…何に成りたいとか…」
前は何になりたかったんだっけ。たしか獣医師だったかな。
家族の一員だった大好きな猫を病で天使に連れていかれてから。
そのとき農業科の高校に入ってみたいとか言ってたなぁ。結局反対されて拗ねた。まだ許してないから。
今、何になりたい…いや、何者に成れるんだろ。
これは後悔かもしれない。……いや、きっとそうだ。
うーん、後悔の悔って梅の字に似てる。種を割ったら小さい豆が出てくるんだよね〜、あれなんだか美味しい。
私が成りたいものに成れないのは、成さなかったからだ。
…私は空から飴を降らすような突拍子な天才な訳でもないのに。
「今努力したら光ってくれるかな、私の鉱石。」
子供のように夢を見たい。
子供の頃に一切の混じり気も無く言った、私の夢。
「……獣医師、っと」
成さなかった辛さと成すための辛さは違うから。
頑張ろうね、私。
菅蛾さんも頑張ります。獣医師さんではありませんが(テヘ)
『子供のように』
子供のように
まるで子供のように無邪気に喜ぶ姿、無邪気な笑顔…私は、貴方のそんな所に惹かれた。今では、もう、その姿が好きで好きで堪らない…その姿を、私は、これからも壊さずに守っていきたい…来月には、いよいよ始まる私達の同棲生活…どんな時でも、私の弱点を、ある意味悪く使う貴方、そして、不意打ちでキュンとするセリフを言って来る貴方…そんな貴方といて、更には、同棲したら、私の心は、何時まで持つのかなぁ…同棲なんかしたら、私は、貴方にきっと、毎日ドキドキされっぱなしになって、幾つ心臓があっても足りない程、何度もキュン死にさせられてしまうのだろう…今からもう既に彼との同棲生活がとても楽しみだ。改めてこれからも宜しくね💕︎未来の愛する旦那様💕︎
子どものように、ものごとを感じることは大事だ。
見たまま、ありのまま、自分の目にバイアスをかけないで認識できるなら希望の糸口も見つけやすい。
子どものように、望みが明確なら、まっすぐそこへ向かう力も出しやすい。
所謂「おとな」になってからも、「子どもゴコロ」は消え去らない。
「大人の分別」で社会的責任や規範意識を保ち
「子どもゴコロ」で生きものとしての思いやりや洞察力を発揮する。
いい歳の大人がとか、大人になれよとか、そんな言い回しのされるときは大抵、「大人とは」「子どもとは」どういう状態であるのかが曖昧に扱われている。
ちゃんと「大人」なら安定感ゆたかだし、すなおに「子ども」なら楽しむことや面白がる達人だ。
なによりも、普段しっかりと安定的な大人でいる人が、ときに子どものように瑞々しく生き生きするのは、とてつもなく魅力的で、一緒に居るとわくわくする。
子どもの様に無邪気になりたい
良くも悪くも大人の世界を見てしまった
大変なこともあると知った
無邪気な心を持つのは大変
どうやったら取り戻せる?
何も知らない自分に戻りたい
何も知らないで
楽しいことだけ考えて
まるで周りなんて気にしないで
自分中心で。
不細工な笑顔が
こんなにも輝いてて
色んなことにときめいてた
目がキラキラしてて
忘れてたか感覚を
取り戻した姿は
まるで初めて
光を得たようで。
その姿は実に
–子供のように–
目の前の子どものように
人様の子どものように
私が私を大事にしたい。
『子供のように』
あっ
あの人が入って来た
「いらっしゃいませ」
こころ弾んでにこやかに迎える
どんな話しようかな?
上手に冗談言ってみようかな?
ふふふ
ずっと昔
あの頃は全然ダメ
ドキドキすると何も言えない
手許さえちゃんと作動してくれない
近づいて来て話しかけられたら
もう気絶寸前…
それを経て今
ワクワクしながらお仕事ができてる
大好きな人が来ても
嫌味な人が来ても
あしらいがうまく出来て
私、大人になったね
経験を積みかさねて
そのまた次のステージに!
お子ちゃまのようには
もうならない!!
「子供のように」
社会に飛び込んでから3年。薄っぺらい人間関係、縮まらない同僚との距離に嫌気がさしてしまった私は心の病を患って治療中だ。
そっと目を閉じて学生の頃を思い出すと、体育祭に文化祭、合唱祭などの楽しかった事が脳裏に浮かぶ。何事にも全力になっていた日々が懐かしく、もう一度子供に戻りたいと思ってしまう。
そんな物思いに耽りながら目を開くと、しんと静まった部屋にゴミが溜まっていた。もう全部片付けて、捨ててしまおう。そう決心して片付けているうちに、部屋の隅にダンボールが置かれているのに気づく。差出人を見ると、母の名前が記されていた。
毒親、親ガチャだとか言われる時代でも母はどっしりと強く、友達のように気楽に話せる存在だった。そんな母からの仕送りもろくに見られていなかった罪悪感に苛まれつつ、ダンボールにカッターを入れて開く。一枚の手紙ともに、お米や栄養のあるパウチなどがたっぷりと敷き詰められていた。
手紙を読み始めるとともに、涙が溢れてきた。私を気遣い、心配してくれる母の文字。最近は、電話もできていなかったな。この優しさを放っておいた自分が情けなくて、どうしようもなく母に会いたくなった。子供のように泣きながら、母の電話番号を入力した。
母は昔と変わらず、軽い口調でもしもし、と答えた。仕事のことや今まで辛かった事を話していると、さっき鎮めたはずの涙がまた溢れてくる。そんな私を急かすことなく話を聞いてくれた母は戻っておいで、と言ってくれた。泣きじゃくりながら答えて、私は荷物をまとめた。
#22 子供のように
手のひらを太陽に透かしてみれば
夢を摑みとる確信がこの手に宿っていた
2023/10/14
家族全員で
旅行に行った。
もう
わたしだって
それなりに
いい歳で
当然
両親も
きょうだいも
いい歳だ。
だけど
家族全員で
集まって
旅行に行ったら
親は
はりきって
楽しませようとして
子供は
子供らしく
甘えようとして
家族は
やっぱり
居心地が良くて
久しぶりに
あんな風に
笑えたかも。
#子供のように
幼い頃、水たまりに映った空の灰色の感じや、自分の姿を不思議に思ったことがある。
特に晴れた日だと、水色の世界が水たまりに広がり、きれいだと感じたものだった。
大人になれば、小さな物事に感動しなくなると世間では言われていたけれど、自分は大人になっても絶対そうはならないと信じていた。
けれど大人になってみて、世間の定説がいくらか正しいことがわかるようになった。大人になるということは、つまらないことなのだ。
誰しも子どものままではいられない。人は成長して、歳をとって、人生という役目をいつかは終えていくのだから。
だから、子どもの頃の思い出は、大人になればなるほど、それが当時どんなにつらいものでも、宝の日々だと感じるようになるのだろう。
大人になる楽しみは、子どもの頃を懐かしがられる、その人生の長さなのかもしれない。
#子供のように #エッセイ