『子供のように』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子供のように
俺は、彼女が好きだ。
大切な存在で、全てを捨ててしまっても構わない。
だから、戦のない世界で、2人だけで生きて行きたいと思うのに。
周りがそれを許してはくれなかった。
何もかもが限界だった。
否、とっくに限界だったのかもしれない。
子供のように、自分の本音を彼女にぶちまけて、彼女の心を傷つけてしまった。
それは、いくら謝っても許されることではないとわかっている。
けれど、彼女は優しかった。
あれだけ傷付けてしまったにも関わらず、彼女は俺の元から去ることはなく、ずっと俺のそばにいてくれる。
そんな彼女を、俺は生涯愛し続けると心に決めたのだった。
「子供のように」
子供のように無邪気に笑い 子供のように純粋で 子供のように 遊び回る 行動を起こしながらでも いつもの笑顔 そんな今を送りたい
子供のように、はしゃぎまわりたい。
子供のように、
たたたっと、
地面を蹴ってただまっすぐ目の前の空に吸い込まれるように駆けていきたい。
心はいつまでも子供なのに、
心のなかの深いところの感覚は、からだの感覚は子供なはずなのに、
なぜ知識ばかりが蓄積し、
嫌なことばかり覚えていくの?
子供みたい、子供っぽい。
わたしにとっては褒め言葉。嬉しい。
だって、そのままの、自分の中にいる、残っている感覚を世界に写すことができたみたいだから。
「子供のように」
いつかは大人になってしまう
どれだけ子供のままいたいと望んでも、願っても時間は流れていく
けれど、ひとくちに「大人」といっても色々あると思う
世間一般的には年齢で大人か子供かを区別することが多い気がする。
年齢で言うなら18歳、20歳を大人とするところもあれば、中学生や高校生から大人とするところもある。
どこからを大人とするかは人次第のように思えるが、そしたら私はどうなのだろう。
世間一般的に考えれば
子供…とは言われないかもしれない。
だが私は自分を子供のようだと思う。
加えて言うのなら、こう言っては失礼かもしれないけれど周囲の人も子供に見える瞬間がある。
くだらない喧嘩、はしゃいで遊ぶ姿、ゲームや遊びなのにやけになったり、謎のこだわりがあったり、理由は様々だがそういう時、子供のようだと感じる。
子供な様子を一切感じさせない大人なんてあまりいないのではと思う。
子供は人生の基盤で子供の頃にしてたことのレベルが上がったり、派生したりは当然あるのだろうけど、やっている事自体はあまり変わらない気がする。
なにより子供心がいつまでも胸の内にあるから色んなことを楽しめるのだと思う。
子供のように様々な事に興味を持ったり、何度も何度も挑戦したりしたりする事はとても大切な事で、成長して尚、そのような才能があるのは何処までも成長する事ができ、無限の可能性を秘めているから、いつまでも夢を幸せを追いかけるためなんじゃないかと思った。
燦々と笑って そよ風を
わっと怒って 閃光を
いじけてどんより べそを掻く
子供のように めまぐるしく
すこし愛しい 今日の空合い
/ 子供のように
『子供のように』
あの頃は、何も知らなかった。
純粋に遊び、純粋に人を好きになった。
いつからだろう。
色々考えて、堕ちていったのは。
いつからだろう。
子供のように、笑えなくなったのは。
「子供のように」
無邪気にはしゃぐ姿。
クシャッとした笑顔。
泥だらけになった貴方の掌。
全てが愛おしく可愛らしい。
君の子供らしい姿も、可愛い姿も全部好きだよ。
一生護ってあげたいと
僕はそう思うのでありました。
子供のように
自分のことをまだちゃんとした大人とは言い切れない。
でも、子供のように思いのまま夢を描けなくなってしまったのはいつからだろう。
理屈なしで恋ができなくなってしまったのはいつからだろう。
世間のしがらみから逃げられなくなってしまったのはいつからだろう。
考えてもどのタイミングかはわからない。
知らず知らずに絡みついた価値観や人から言われた無数の否定。夢を追うな、普通はそんなことしない、できるわけない…
そして普通から外れただけで冷たくされる世界を見てしまったからかもしれない。
過去ってある意味呪いなのだろう。無垢な子供時代に受けたものは無くすのは難しいからだ。
子供のようにまっすぐ希望を描く力を取り戻しにいけたらと何度も願った。今はまだ取り戻している最中だ。
子供のように。
子供のように
いつも
はしゃいでる。
子供のように
サプライズを
仕掛けるのが
好き。
子供のように無垢で無邪気なことと、精神的に未熟であることは違う。
私は、「子供のよう」と誤魔化して言い訳し成長しようともしない大人が嫌いだ。
これはそんな、私の話。
あの子と出会ったのは中学生の頃。心身の成長に皆が戸惑い、差がついてくる季節。
あの子は皆の中でも背が低く、格好によっては小学生にも見えた。真新しい制服に着られているよう、というのが初印象。もしかしたら向こうから見た私もそうかもしれないが。
あの子への初印象なんて語ってはみたものの、この際これといって関わりがあったわけではない。お互いにお互いが、道端に落ちているコロンとした石ころみたいなもの。きっとその程度の印象だ。
結局、あの子と初めて関わったのは三年の秋だった。もう卒業間近のシーズンはまるで既に別れが訪れているかのように、皆がどこか感傷的で、とても新しく友達を作る人なんかいない。
毎年この季節には合唱祭が行われる。あの子は隣のクラスでピアノを担当していた。
とある日の昼休み、私はいつもの場所へ訪れた。この季節だけの、特別な場所。
「あ、聞こえる」
耳をすませて、響いてくるピアノの音を聞く。
音楽室でピアノ担当の人が練習しているのだ。人通りの少ない階段のこの踊り場でそれを聞くのが、ひそかな楽しみだった。
だが、なんだか今日は様子がおかしい。聞こえてきたと思ったピアノの音はすぐに止まってしまったし、音楽室からは教師と思しき男性の怒鳴り声。
そして、バンッという鈍い音。たぶん、ドアが勢いよく開閉した音だ。耳をすましていた私はその音にびっくりして硬直し、こちらへ駆けて来る足音にも反応できなかった。
「あっ……」
「え?」
現れたのは、涙で頬を濡らしたあの子。今は私と同じ、学校指定の体育ジャージを着ている。相変わらず、これまた私と同じで、石ころみたいな子だった。
「ごめん」
そう呟いて踵を返すあの子に、慌てて口を開いて言葉を返す。
「頑張って」
あの子の背中に向けて言ったら、意外と声が響いて自分で驚く。そんな情けない私を置いて、あの子は消えてしまった。
早いこと、当日、本番。
私は自分のクラスの発表よりも、あの子のことが気になっていた。まだ名前すら知らないあの子のことが。
まあ私の心配なんて知らんこと、あの子は練習のかいあって見事に曲を弾きあげた。それはもう、素晴らしい。
そして嬉し涙を流すあの子のまわりのは、多くの友人達が集まってあの子を褒めたたえている。私もひそかに「おめでとう」と呟いた。
中学生なんてまだまだ子供だろう。子供らしく笑って、遊んで、泣いて、大人になっていく。
「大人になる」ということを考えるたびに、私はあの子のことを思い出す。
子供らしい小さな体でありながら、大人っぽい真面目さで、大人のように悲しい涙を隠し、嬉しいときは子供らしく泣く。そんな、ちぐはぐなあの子のことを。
子供のように
どうせなら、小さい子供のように自由極まりなく行きたいなぁ。
楽しい事をずーっと。
この歳になると、やっぱり昔が懐かしくなる。
最近よく思い出すのは、高校生の頃の思い出。
ほとんどの同級生が卒業後に社会に出るため、大人になる準備をする3年間だった。
でも僕らにはそんな思いはほとんどなく、美しくも切ない、甘酸っぱい青春時代を謳歌していた。
泣いて、笑って、怒って、傷ついて。
そんな事の繰り返し。
それは集団生活を始めた幼稚園児の頃から変わらない。
高校生になっても、幼い子どものように美しい日々を過ごしていた。
もう戻れない美しき日々。
〜幼い子どものように〜
僕達はいつから時間と言う枠に縛られ。
僕達はいつから社会と言う組織に縛られたのだろう。
忙しくなればなるほど。
僕達は心を無くした。
まるで働く機械だ。
何もなくても全てが楽しかった幼き日々。
今もあの時の子供のように笑えるだろうか。
無邪気で毎日が冒険だった。
あの時のように。
君の選んだ世界に、僕はいなかった
君の望んだ未来に、僕はいなかった
ただそれだけのことが、あまりにも苦しい
子供のように駄々をこねるつもりもない
行かないで、と泣きわめくつもりもない
それでも過ごした日々を思い出す
もう二度と戻ってこない愛しい時間が
優しくなれた自分を
童心に戻った自分を
そして、純粋な思いに気づいた自分を
ひたすらに抱えて、二手に別れた道を歩んでいく
歩いて歩いて
どこまで来たかわからないほど進んで
躓いて転んで
全ての荷物を地面に落として空を見上げたとき
また子供のように、君を求めるだけ
ドレスのスカートが空中を花のように舞う
ステップステップここでターン
くるくるくるくるくーるくる
綺麗に整えられた髪も、おろしたての靴もボロボロになるくらい踊りたい
昔みたいに
子供みたいに
子供のように
みんな大人のふりしてる
でも本当は12歳を隠してる
隠し続けて、鈍くなって
彼らの12歳はもう心の底で
気づかれないほど深いところに
きっと深いところに隠すしかなかっただけ
大人の世界を乗り切るためには
でももう彼らには
12歳の目を通して見える
優しい世界を
見ることはできない
「子供のように」
大人になっても、心から子供がいなくなることは無いんじゃないかと思う。
だってほら、大人になるにつれて、大人をあまり見なくなっていったから。
証明しようの無い、個人的な感覚の話だけど。
言動や行動が少女であったり、赤ん坊であったり、幼稚園児であったり、みたいな感覚。
吐き気がすることもあるけど、僕はそれが心地よくもある。
心を許せば許すほど覗かせる子供が特に面白い。
見物だ。それが酷ければ酷いほどいいネタになる。
それこそ僕はその時、子供のようにはしゃいでるだろう。
あーぁ、性根の曲がったクソガキになっちゃったな。
子どものように
ヤッター頂上に着いたー
子どものように喜び
子どものようにはしゃいだ写真を撮る
子どものようにオニギリを頬張って
子どものようにお菓子の交換をする
私ってすごいでしょ
よく頑張ったでしょ!
えらいでしよ!
子どものように自分を褒めてあげる
子供のように
昼食を済ませ、午後の予定を考えている時、
今日中に済ませる用事を思います。
あれとこれと‥あっ、あれもあったわ!
頭の中では、全部済ませたら、夕方にはクタクタだわとうんざり‥。
仕方なく、今日でなくても大丈夫な用件を明日に廻すことに。
若い頃は、勢いつけて済ませられたのに、自分で自分にがっかりです。
子供のように、明日の疲れなど考えずに暮らせたらと思います。
私は仕事の帰りには
いつも公園の前を通り帰っていた。
そこでは、子供のはしゃぐ声が聞こえ楽しそうだなといつも思っていた。
私「今日も怒られちゃったな」
私「……辛いな」
いつからこんな感情が出てきたのかな、
始めたばかりの時はあんなに楽しかったのに
なんのために仕事しているのだろう。
子供「やめてよォwww」
子供「待てってwww」
……あの頃のように。
子供のように何も知らないでいたいな
?「そんなことできないよ」