『始まりはいつも』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【始まりはいつも】
始まりはいつも楽しい
だけど
だんだん飽きてつまらなく感じてくる
最終的には興味すら全くなくなって
その繰り返して私たちは生きているのなら
それほどつまらないゲームはないだろう
題:始まりはいつも
始まりはいつも貴方だった。、
【お題:始まりはいつも】
始まりはいつも
興奮と ささやかな責任、
そして勢いがあって
スタートできる
いっぽう
終わりはいつだって
覚悟が必要になる
映画「ギター弾きの恋」
派手好き、女好きの
天才ジャズギタリスト
エメット
今回のお相手は
成り行きで
関係が始まった、
素朴な人柄のハッティ
そして そのうち
エメットは
派手な美女と
あっという間に
結婚してしまう
しかし彼にとって
なんてことはない
そう、いつものこと
始まりはいつも そうなのだ
しかし
彼の計算違いは
ハッティと過ごした期間
そこには
たしかに幸福感があった
そのことに
気づいてしまったことだろう
当初の彼にとって
ハッティとの関係は
いつも通り
終わりだとか
終わらせるとかいった
意識さえ
なかっただろうが
やがて
エメットは ハッティに
また 共に過ごしたいと
持ちかける
人も 長く生きていれば
自分の気持ちとは裏腹に
突然 物事に
終わりがやってくることがある
でも
自分がその終わりを
認めさえしなければ
永遠に
自分の中だけでは
終わりは回避できる
たとえ
実質的には
終わっていても、である
事実としての終わり
という場所までは
自分が何もしなくても
勢いや流れが
連れていってくれるが
自分自身の中の、
終わりに関しては
自分が 何かしらを
手放す必要があり
相当な覚悟がいる
胆力、精神的な強さが
どうしても
必要になってくる
そしてまた
皮肉なのか
ご褒美なのか
自分が腹を決め
終わりを決断したことで
物事は 終わりを告げても
相手の中では
自分が永遠に生き続ける
そんなことが
起こりうるのも
現実にある話だ
自分が本当に
求めるのは何なのか
終わりにするのか
それとも続けるのか
たしかに
ただそれだけの話なのだ
でも なかなか割りきれず
踏ん切りが
つかないからこそ
数多の物語が
そこかしこに
生まれては消え
または漂い続けるのだろう
始まりはいつも雨が降る
新しく何かを調達した時に限って
雨が降る確率が高い
あれなんなんすかね
始まりはいつも楽しさが溢れてて
終わりはいつも悲しさに溢れてる
毎回悲しむための始まりじゃないって信じたいのに
わたしの中にあなたが残ってるうちは
その始まりすらないってこと
気づきたくなかった
ああ、明日から
どんな顔して彼に会えばいいのだろう
気が重くなったと同時に、あなたに会いたくなった
お隣の娘さんがかなり正義感強い
子供に尽く注意してくる、前は連絡帳がなくなったから新しいのにしたらそれ使ったらいけないんだぁーと言ったり算数のノートを新しくしたときもいけないんだぁーと言ったりして子供はかなり嫌な思いをした、でも大体そういう子は1人では絶対に行動しないし注意しにいかない。何故か、弱いから、1人だと絶対に行動ができないから
そういう子供は高学年になるとハブられていくのをあたしは子供の頃から見ている、きっとその子もいい加減正義感強いのも大概にしないといつかしっぺ返しが必ずくる。人にやって嫌なことなどは必ず自分に違う形で返ってくる、それが何年先になるかは不明だが、必ず、返ってくる。
忘れるな、因果応報は必ず訪れる。
自分にも家族などにも返ってくる。返ってきたときに初めて己の過ちに気がつければ花丸。
だが、大体の人間は気づかないで生涯を閉じるだろう。
「始まりはいつも」
ありがとうと言ってくれて
ありがたいと思う
申し訳ないと言わせてしまって
申し訳ないと思う
私があなたの傍にいられて嬉しいというと
あなたは私が傍にいてくれてよかったという
同じことを考えている
同じものを見ている
同じ言葉を同時に発している
同じ未来を見ている
あぁ 始まりはいつも
そう こんなふうに
いつの間にか
誰かに導かれるように
気づいたときには
すでに恋をしている。
【始まりはいつも】
他人から促されて、始まっていた。
産まれてから、親に物事を決められ、
あれをしたら、これをしなさいと、そう言われた。
私はそれに従って、成長した。
親の影響でダンスを始め、親に進められ、バレエを。
それに従えば、間違いは無い。
『期待しているからね。』 期待させた。
『期待してたのに。』 私は謝った。
『なんで頑張らないの。』 頑張った。
『頑張りすぎ。』 適度を意識した。
『サボらないで』 全力になった。
従いとは、一種の会話。
従いとは、問題と答え。
感情による喧嘩はあっても、最後には従った。
反発をしても、最終地点は従って決めた。
反論をして、最終地点がズレて、
私は後悔した。 もっとああすれば良かった。
信じれば良かった。 と。
従いとは、私を裏切らないと、そう信じていた。
それに従って私は塾に入った。テニスをした。
中学受験をした。バレエを辞めた。
受験に落ちた。 親が喧嘩をした。 離婚をした。
私は母親についていった。 母親は正しかった。
小四から中一まで、不登校だった。
『もう恥をかかせないで。』 従った。
中学二年生になった。 半年は学校へ行った。
勉強が出来なかった。 怒られた。
勉強しろと言われた。 従った。
『勉強はパフォーマンスじゃない。』
『パフォーマンスしないで。』
私の音読、口ずさみの勉強は間違っていたらしい。
従った。 親の前では勉強を辞めた。
自室で勉強をした。 成績は上がらなかった。
『サボらないで。』
『アニメばっかり、勉強しなさいよ。』
従いたかった。
そこには到底自我とは言えない自我があった。
私は勉強をしていたら、それを否定された。
だから、一人で勉強をしていた。
けれどそれさえも疑われた。
従えることに従ったら従いでは無いと、そういう事。
従う?従うとは。従いの意味。従いの結果。
人は『人生は自分の為に生きる』と云う。
けれど、私は周りに従う為、質問人間になった。
なってしまっていた。
中学三年生。 現在。
私は質問人間のまま。 私のする事は、全て疑う。
成績不振。人間不信。
ふしん したがう 言葉が脳に溢れ
目から零れ落ちる。
自分の為とは他人の為。
感情で言うならば、幸せ。
幸せを感じる前は、誰かに幸せを渡している。
幸せを渡す理由として、
相手が好きだから、相手を励ましたいから。
そんな理由こそ様々あるが、
結局これは感情に従っているだけなのだ。
人間は、上手いことにそう出来ている。
長年の歴史から、そうあるべきと何かに従っている、
学校の道徳は、人としての道を学ぶのと同時に、
感情、歴史、そんな位置付けられたものに
どう従うか。多い手順を用いて説明しているだけの事
趣味や、社会もそう。
自分の功績は周りに回って他人へ。
リーマンは公共に。
先生は教え子に。
定員は客に。
金も入るがそれは結果論、経済を回す道具である。
ものを買わずとも、税がある。
そのサイクルのせいで自分に物が入って来る。
けどそれは他人からすれば自分には帰って来ないもの
だからそれを他人が補う。
補い合いの、他人行儀。 ギブアンドテイク。
これが始まり。
人の最終地点は、支え合いではなく、
物事の始まりと従いなのである。
かすみがかった場所である。照りつける日差しで目も開けられないような場所である。街灯も月も星もない闇深い場所である。はたまたあなたと夕食を囲むいつもの毎日である。始まりはいつもそのようなところから起き上がっている。劇的な場所であった日など果たしてあっただろうか。あるかもしれない。どうだろう。あなたの記憶にはある?
「あなたを愛している」
この些細な劇物が毎日私とあなたの喉を通る。真の終わりが訪れたときに、どうかこの夕餉を思い出しながら、無音の福音の鐘を聞き届けられますように。
#始まりはいつも
始まりはいつも
心に大きな穴が開く
その穴が時を経て
少しづつ塞がれていく感じがする
終わりはいつも
心にぽっかり穴が空く
その穴は満たされることなく
少しづつ消えていく
始まりは
なんだか苦しくて
終わりは
なんだか懐かしい
自分でもわかっている
私はかなりの臆病者だ
できるだけ落胆しないように
”始まりはいつも” ダメな方を想定する
少しでも良い方に進むと
喜ぶことができるから
「始まりはいつも」
最初は何もかもきらきらして見えた。
どんなに辛いことだと言われても盲目的に憧れた。
いつか自分も、と輝かしい姿を想像しては気分が高揚した。
でも、始めてみて実感する。
経験が浅い。知識がない。技術が拙い。
気持ちでは負けてません、なんてみんな思ってること。
いわば負け惜しみに近い言葉だ。
ほんとはわかってた。
実際はきらきらなんてものじゃないこと。
憧れだけで辛いことが辛くなくなるなんてないこと。
輝かしい姿になれる可能性はとてつもなく低いこと。
それでも、私はいつも思ってしまう。
「新しいことを始めてみたい」と。
始まりはいつも天気で変わる。
晴れの日はワクワクで、雨の日は憂鬱。だから私は晴れの日が大好きだ。学校に行けば、友達に会える、「きょうは何しよう」と楽しみが増える。
始まりはいつも…
始まりはいつも…
と、考えて、敢えて「始まり」と感じる何かがあったかどうかいまいち判らないことに気づいた。新たなフェーズに入った実感がビシビシ感じられるようなことは少なかった気がする。しかも、それは自分自身の考え方が急に新しい方向へ開いたり、明確な気付きが意識に啓いたりした時で、そこから色々な物事が必然的に展開してゆく流れになる。
…と、ここまで書いて気付いた。「始まり」はいつも、後からついてくる。自分自身の中で変化や変容が起こった後からだ。逆のパターンは無いようだ。
さて、じゃあ何を以て「始まり」とするのが適切なのだろうか?
気付きの前に何かがある。何も無いなら気付きも導き出せない。
新しきへシフトする展開を「始まり」とするならば、その前に自分の内に変化変容があり、その変化変容を導いたのはそれ以前の物事だから…やっぱり、どこが「始まり」かわからなくなる。すべては「ひとつながり」なのかもしれない。
始めの無い始めから、
終わりの無い終わりまで。
「私はアルファであり、オメガである」って、大昔に誰かも書いていた、そういえば。
始まりはいつも真っ暗闇で、僅かな光も見えない。
私の頭の中に巣食う虫達が、じわじわと脳内を駆け巡り、侵食していくのだ。
「助けて!ここから出して!」何度叫んだだろう。
モニター越しで笑っている。あいつは何者なのか。
なぜ私はここにいて、いつから閉じ込められているのか、記憶が曖昧で分からない。
始まりはいつも俺。
俺はいつも学校で誰かに絶対あてられる。それはなぜだろう?
いつもあてられるからみんなからするとすごいと言われる。
でも俺はそれを言われるのをあきた。なぜそんなに言うのだろう?
だから、次は他の人をあててください。といっているがそんなに簡単にいっても先生には伝わらない。それはどうして?
千冬
始まりはいつも期待しているものではないか?
私は今後の展望を胸にわくわくしたりしている
なかなかかわいいものだよね
嘘です。ごめんなさい
ただその期待というのもほんの一瞬物で
誰だって経験あったりするかな?
ノートの使い始めは頑張って綺麗に書くけど3日もすれば元通りみたいな出来事
そんな感じでどれも期待以上になったことはなかったように思う
それなのにまた始まりは高揚して期待してしまうのだ
※一応ホラーです。そこまで怖くはないと思いますが、苦手な方はご注意ください。
『始まりはいつも』
皆様、都市伝説とは何かご存知でしょうか?
口裂け女やトイレの花子さん。
きさらぎ駅やくねくね。
最近のトレンドは陰謀論系でしょうね。
このように都市伝説というのは、簡単に言えば怖い噂話の事です。
初めに誰かが言い出した噂話が、多くの人に認知され、そのまま都市伝説として語り継がれる。
何だかロマンがありますよね。
話は変わりますが、実は私も過去に心霊体験をした事があります。
丁度いい機会ですから、お話しますね。
……ね?((^ᵕ^))[圧]
(´ρ`*)コホンッ
あれは私がまだ小学生の頃の話です。
丁度いまと同じぐらいの時節で、彼岸も過ぎて『少し肌寒くなってきたねー』……なんて事を家族で話していた覚えがあります。
当時からお風呂好きだった私は、涼しい日が増えていていくにつれて、お風呂に浸かる時間も長くなっていきました。
肩まで湯船に浸かって目をつむり、上を向いてぼーっとするのが日課でした。
そんなある晩の出来事です。
その日も変わらず、お風呂で湯船に浸かって目をつむり、ぼーっとしていました。
しかし何時もと違い、長風呂をする気にはなりませんでした。
理由は簡単です。
友人から学校で、お風呂に関する怖い話を聞いてしまったからです。
……正直もう覚えていませんが、当時の私はお昼に聞いたその話が頭から離れなかったのです。
そんなこんなで何時もよりも短いですが、そろそろお風呂を出ようかと思い、目を開けようとしたその時。
ひた……ひた……ひた……ひた……
微かに、しかし確実に。
何かの音が聞こえてくるのに気が付きました。
目は閉じていましたが、音が聞こえてくる大体の位置というのは分かります。
自分から見て右後ろ……そう、ちょうどお風呂の扉の辺り。
ひた……ひた……ひた……ひた……
湿った壁に何かを張り付けるような……それこそ『手のひらを貼り付けたら、こんな感じの音が出るのではないか』と、怖い想像をしてしまう気味の悪い音。
(怖い話を聞いてしまったから、今日は少しのことでも敏感になっているのだろう)
そう思い込もうとしても、やはり少し怖いので固まってしまっていると。
……音が場所を移動し始めたのです。
ひた……ひたひた……ひたひたひた……
右後ろから右の壁へ。
ひた……ひたひた……ひたひたひた……
右から前の壁へ。
ひた……ひたひた……ひたひたひた……
そして最後に──
ひた…………
──私のすぐ前で音が止まりました。
目を閉じたまま、恐怖で動くことが出来ません。
それからどのくらい経ったでしょうか? 自分ではとても長い時間、動けずにいた記憶があります。
しかしながら、何時までもこのままではいられません。
音が消えた事を何度も確認してから、恐る恐るゆっくりと目を開いていきました。
すると目の前には……何もありませんでした。
いつもと同じ、見慣れたお風呂の壁があるだけです。
自分は白昼夢でも見ていたのではないかと考えました。
事実、お風呂で睡魔に襲われて、船を漕いでいたことはこれまでにもありましたから。
怖い事を考えていたから、怖い夢をみた。
(なんだ、考えてみれば当たり前の事ではないか)
そうやって自分を安心させていた、その数瞬間後……私は裸なのも構わず全力で風呂場から逃げ出しました。
何なら悲鳴も上げていたかもしれません。
しかし、それも仕方がないと思うのです。
だって一息ついたその瞬間に、耳元でこう囁かれたんですから。
"あえたねぇえ"
……どうしてそんな言葉を言われたのかは分かりません。
少ししゃがれていて、しかしハッキリとした女性の声で、確かにそう言われたのです。
その後は親に何をしているんだと叱られて、先程あった出来事を説明しましたが、ろくに取り合ってはもらえませんでした。
自分がお風呂に入ってからの時間も、たったの15分程度しか経っておらず、まさに"狐につままれたような"感覚です。
これで私の心霊体験はおしまいです。
駄文での長文語り、失礼しました。
信じるか信じないかは、アナタ次第です! (責任丸投げ)
【追伸】
そういえば、当時に友人から聞いた怖い話を少し思い出しました。
確か……そう。
最後にこんな事を言っていた気がします。
『この話を聞いてしまった人は、一週間以内に"ソレ"が会いに来るらしいよ。
……もちろん、お風呂に入っている時にね』
まぁ、どうでもいい情報ですね。
「始まりが無かったら、終わりは無くないか?」
「急にどうした?」
「そもそも人類が誕生した、という"始まり"が無かったら、オレたちも出会うことは無かっただろう?」
「……そうだな??ん??
………………ドユコト?????」
「まあ、平たく簡単に言えば……、
"奇跡"
……だよなあ、って話だぜ」
始まりはいつも、終わりの始まり。
_2023.10.20「始まりはいつも」
絵を描くのが嫌いだった。
いつになっても上手くならない自分の絵を見ると虚しくなってた。
でも、いつからだっけ、絵を描く事が好きになったのは。
そうだ、貴方に会ってからだ。
私が会ってきた人の中で一番絵が上手かった。
これに加えてすごい優しくて、親身になってくれる人だった。
そんな貴方を最初は妬んでた。
でも、貴方と話していく中で妬みが無くなっていった。
その代わりに芽生えた感情が『憧れ』だった。
それから私は貴方のようになりたくて、必死に絵を描いた。
絵の本を何冊も買って勉強した。
それを家族は笑ってた。
「上手くない」だの「私の方が上手く描ける」だの、何回も言われた。
でも私は、私は諦められなかった。
貴方に認められたい、貴方のようになりたいから。
それから自分でも分かるくらい、絵が上手くなった。
あぁ、そうだ。
嫌いなものを好きにさせたのは貴方だった。
私に新しい景色、絵を描く楽しさを教えてくれたのは貴方だった。
──絵だけじゃない。
色んな事を貴方は教えてくれた。
だから、私は色んな事が好きになった。
始まりはいつも貴方だった。
そこまで、手を引っ張ってくれたのも貴方だった。
私は、貴方がいるから色んな事を知っている。
貴方がいなかったらどうだっただろう。
……考えたくもない。
私に色んな事を教えてくれて、光をくれた貴方にお礼を言いたいけど
面と向かって言うのは恥ずかしいからここで言わせてもらうね。
色んなことを教えてくれてありがとう。
私、毎日楽しいよ。
これからも色んな事を教えてもらうと思うけど
その時はよろしく。私も出来ることはするよ。
だから、ずっと一緒にいてね。
約束だよ。
─始まりはいつも─