『奇跡をもう一度』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
私は3億分の1の奇跡により、今ここで息をする。
今日もまた、地球の何処かで同じ奇跡をもう一度。
新しい笑顔が生まれることをただ願って。
【No.5 #奇跡をもう一度】
【奇跡をもう一度】#63
その瞳を見る時は
もう二度と刻まれることはなかろう。
眩しいと目を瞑るには
十分すぎるくらいの光の輝きに覆われた
あの奇跡の瞬間をもう一度、もう一度
そう心に願いながら奇跡を待つ。
だが運命というもの
いくら待っても訪れない。
必要なのは、自分にそれを引き寄せること。
奇跡は待っていたって起こらないよ 。
貴方が起こすの。
たとえ困難が待っていても、 貴方ならやれるから。
だからもう一度 __ 。
昔科学博物館で地球の始まりの展示を見た時
その途方もない年月と確率をくぐり抜けて
今こうして存在している地球や
その中の細胞のような僕が確かに存在する事に
畏怖の念を抱いたのを覚えている
容易く想像できない可能性の中で
こんな僕の生まれた少し後に
遠くの街で君が生まれて
たまたま僕の町へやってきて
それからもう20年近くも変わらず側に居て
そんな星屑みたいな奇跡を思うと
僕は怖くなってしまうと同時に
その奇跡を守り続けたいと願ってしまう
もう一度なんて言わないから、要らないから
この奇跡が一分一秒でも長く続きますように
「奇跡をもう一度」
公園で見かけた親子
記憶の中の私と同じ
その次に思い出す記憶は
今でも続く地獄だ
いつから変わったのかあの人も私も
いつから崩れ落ちたのだろうか
戻れないとわかっていても
あの日に戻れると期待している
私が何処かにいる
「奇跡をもう一度。」
奇跡はそう簡単には起こらない。
分かっているのに
ずっと願ってしまう自分がいる
それぐらい君のことが大好きでした。
奇跡をもう一度くれるなら、どうか私を過去へ飛ばしてください。
今の私を知っている人が一人もいない、そんな世界へ。
雨が降ったら普通に傘をさして。
虹が出たらはしゃいで写真を撮って。
家に帰ったら今日の出来事を両親に笑顔で話して。
夜はただ明日が楽しみだという気持ちで寝た。
そんな日々をもう一度。
どうか、お願いですから。
奇跡をもう一度
ただ、祈ったのだ。
寂れたその扉を開けた先で、私は別の世界を体験した。どことなく同じようなのに、全然違うその世界はひどく優しくて。
不意に戻ってきたあのときはショックで思わず泣いてしまった。でも、それくらいあの場所が大好きで、大切だった。
何度も何度も、この扉訪れては何も起こらないと肩を落とした。
それでも、信じ続けたのだ。あの世界は絶対に存在する。夢なんかじゃ、ない。
奇跡を、もう一度。そう祈って、寂れた扉を開ける。
その先には、懐かしくてあたたかいあの世界が広がっていた。
心地よくない感情を手放す作業
これは目を覚ましていくには
必要なことなんだ
玉ねぎの皮むくような地道な作業
でもこれを習慣にしてみよう
嫌なことが起こった時だけでなく
心地よいか?心地よくないか?
100%自分の感情に向き合っていよう
そうしていればね
今年の冬至を過ぎても
手放す作業をした分
玉ねぎの皮はちゃんと剥がれてくれる
気が向いた時だけやるみたいに
中途半端にやっているとね
冬至を過ぎると
いくら手放す作業をしても
自分では玉ねぎの皮を
むいてつるつもりでも
ちゃんと剥がれなくなっちゃうんだ
やった分だけ
かろやかになる
つらい上り階段にも
踊り場がやってくるから
そこで一息ついて
また上っていこう
奇跡?
すべて自分が創り出している世界
だから奇跡なんて…ね
〜奇跡をもう一度〜
#奇跡をもう一度
【創作BL】旭と日野2
「なんで」
いつもの日野の、明るく朗らかな声とは大違いの、指先から冷えていくような声。旭は余計なことを訊いてしまったと後悔したがもう遅い。道の隅に自転車を放り出した日野が旭に詰め寄ってきた。ひったくるような勢いでハンドルを掴まれ、逃げ出すこともできない。
「なんで、旭が、いま、そんなことを気にするんや」
さらに一歩、距離を詰めた日野に壁際へと追い込まれた。さっきまでの夕日は、真上からやってきた夜に侵食され飲み込まれてしまった。旭より頭半分高い日野を間近で見上げると、ひそやかに星が瞬いている。
「なんでって……その、朋哉、が築山を」
「朋哉は女子校に彼女できたやろ。俺は、なんで旭が俺と築山のことを気にするんかってきいてるんぞ」
無理矢理ひっぱりだしてきた言い訳はあっという間に役立たずになった。
「き……気に、なるから」
「なんで」
月のまだ出てない薄暗がりの中、眉間にぎゅっとしわを寄せた日野は、強い口調とは裏腹に今にも泣きそうな顔をしている。
「お前が……旭が、友だちでおりたいって言ったんやろうが」
そう。夏のはじめ、旭は日野に言った。
部活後のロッカーで練習後の暑さだけでない熱気に顔を真っ赤にして「好きだ」と言ってくれた日野に対し、旭は確かにそう言ったのだ。
「ごめん」
「謝って欲しいわけやない。なんで、や。理由を、聞かせろ」
ハンドルを掴んでいた日野の手は、いつのまにか旭の左手を握っていた。
(続く)
帰宅し今までの事を振り返ってみる。
今まで自分は何をしてきたのか、
何かやり遂げた事はないか。
ふと考えた時、彼はある事を思い出す。
その時は深く考えなかったが、
今思うと奇跡的な出来事が彼には起こっている。
あの奇跡をもう一度。
彼はそう思い、眠りにつくのであった。
『奇跡をもう一度』
私は願った、ただ家族みんなで温かいご飯を食べながら
今日の事について話して笑っている時間が
もう一度欲しかったと。
兄弟と手を繋ぎ買い物に行くなど、兄弟が居る人なら
多くの人が経験した、兄弟だけでの買い物。
その時間がもう一度欲しかった。
私達人類は今、目の前に大きな神獣たちの遊びに付き合わされ何人の人が命を落とすだろう。
昨日まで平和だったあの奇跡をもう一度…私は懇願する。
「奇跡をもう一度」
ここぞという時に奇跡をもう一度と思った経験は、誰にでもあるだろう。そういう私だって何回も思ったことがある。一度奇跡を目の当たりにすると、その後またあの時みたいに上手くいかないかなという思いがよぎり「奇跡をもう一度」と願ってしまう。しかし残念ながら、そういう様に強く奇跡を願っている時に限って奇跡は起きてくれない。なんともじれったいものだ。
このように考えていくと、再び奇跡的な現象が起こることを願っている時点でその現象はもはや奇跡ではないというようにも捉えることができる。奇跡というものは起こる確率が非常に小さいから奇跡と言われるのであって、願ってそんなに短いスパンで「奇跡」が起こってしまえば、それはもう奇跡ではない現象と化してしまう。
まあ、ここまでたくさん語ってきたが、私はこれから奇跡を望むよりも、起こった奇跡を見つけて楽しむ方に焦点を当てて過ごしていきたい。
奇跡をもう一度
あれから、どれほど月日が過ぎたろう…あの日、何処迄も続く真っ青な空と海、何年も募らせた想いを、君に告げた…君は、小さく微笑みながら、小さく横に首を振ると、そのまま行ってしまった…真っ白なワンピースが風に靡く姿が少しづつ小さくなっていくのをずっとずっと見守っていた…
ふっと気付くと、真っ暗なベッドの上で…あゝもしもあの時に戻れるなら…
「奇跡をもう一度」
運命は決まっている。
レールの上を生きている。
そう思うから。
あの奇跡はきっと必然で。
もう一度、起こる未来も想像してみたりする。
#33
#103【奇跡をもう一度】
笑っちゃうくらいに運動が苦手だ。
特に球技。
運動神経悪い芸人を笑えないくらい下手。
バスケットボールをゴールに入れられた記憶がない。
重い。ボールが重すぎる。
あんたがったどこさ♪は出来ても
ポスポスしながら走れない。
ボールが先走る。
おい、待て。先を急ぐな。
なんだか飼い犬に引っ張られる飼い主のように
ボールを追いかける羽目になる。
カッコ悪い。
でも、走るだけなら人並みにいける。
50m走は7秒台後半だったし
マラソンも真ん中あたりで走れてた。
球技と柔軟以外はいける。
あと、走り高跳び。
なんと、中学の体育祭で3位だった!
奇跡!レベル低すぎるけど奇跡ですっ!!
走ることしか出来ないと思われたワタクシですが
跳ぶこともできました!わーい!
…
ってなわけで、過去の栄光です。
今はもう無理。
あんな棒、跳べなくても生きていけるんで。
えぇ。
あんなもん、日常生活では
ある程度の高さの棒があったら
下をくくればいいんですよ。
ふんっ。
「奇跡をもう一度」
死んだはずだった。
脳腫瘍の診断を受けて
吸った息を吐けて
四秒生きられて安堵した。
それを繰り返した2年間
いつ息が止まってもいいように
毎日遺書を書き換えた。
それが今年の検査で
脳腫瘍が消えていたなんて
奇跡をもう一度だなんて
もしも、もう一度
信じられないことが
起こったとしたら、
それは私にとっては
腫瘍の復活なのだから
私はもうこの世にいない
死んだはずだった私は
いま こうして生きている。
奇跡はたった一度で充分すぎる祝福だ。
「奇跡をもう一度」
起きっこない。
そう顔を伏せる君。
長い髪の毛に隠れ表情が見えない。だが震える声から君がどんな顔をしているか如実に感じ取れてしまう。
もう一度、今度は耳をすまさなければ聞き逃してしまうようなか細い声で。
「起きる。この奇跡は必ず起きる」
君がそう否定するならその度に言おう。
奇跡をもう一度
願うことは幾つもある。
すでに起きたこと、起きてはいないこと、起きるかもしれないこと。
どれを願ったとしても、どれも奇跡な訳で。
”奇跡をもう一度”と願う時点で、どっち付かずの迷い道。
ただ願わくば、願った奇跡の先が、幸福でありますように。
奇跡をもう一度
『奇跡をもう一度』2023.10.02
本日もますますのお運びをもって、恐悦至極に存じます。ありがとうございます。
などと、かたっくるしい挨拶をしなければならないのが、私ども落語家でございます。本当は、今流行りのお笑い芸人のネタを拝借してご挨拶をしたいところではありますが、同じ芸人としてそれはどうよと思ってしまいますので、今回が遠慮しておきます。でも、言ってみたいですよね。おっはよろりーん!
はい、やめておいて正解でしたね。若い頃ならもしかしたら許されたかもしれませんな。こう見えて若い頃はそれなりにヤンチャをしておりました。何人か頷いてらっしゃる方も、ひのふの……。ええ、私の若い頃のことは内緒にしておいていただけると嬉しく思います。……フリではございませんよ。
しかしながら、そんなヤンチャをしていた私がこうして今も高座に上がらせていただいているのも、奇跡としか言いようがありませんな。普通の師匠なら即破門ですよ。嫌でしょう、仮にも真打が髪を紫に染めてピアスを二個だ三個だ開けてたら。それをうちの師匠は個性だからいいんじゃない、と言って許してくださったのだから。私だったら、そんな弟子は即破門にしていますよ。
奇跡といえば、博打があります。博打というと賭け事ですな。パチンコやスロット、競馬などのことを言います。私も社会勉強の一環として、これまでいろいろやってきましたが、この博打というものは恐ろしいもので、一度当たるともう一度、当たると信じてしまうわけですな。「あの奇跡をもう一度」というやつです。
のめり込みすぎると身を亡ぼすのが、この博打の恐ろしいところ。昔は花札やサイコロを使った遊びが流行っていたというわけです。サイコロはお釈迦様が説教のとき、人集めのために賭博場を思いつきその道具として考案したものだそうで。みごとその企ては成功。そしてお釈迦さまはそのお金で、祇園精舎というお寺を建てたそうでございます。このことから、博打で使うお金のことを「寺銭」と言い、負けることを「お釈迦になった」というようになったとか。
まぁ、私はお釈迦になったことはないですけどねぇ。