『夫婦』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
今のご時世これから結婚したいヤツってどんだけ色々整ってるの。
議題がスムーズに片付き雑談モードに入ったミーティングルーム。気軽な筈の一言が部屋の温度を下げていく。
「犬猫の日だっけ。ワンワンにゃんにゃん」
「いい夫婦の日だよね」
「偉大なる北欧の至宝の日!」
「追いポッキーの日、なんちゃって」
今日は何の日だと思う?なんて、明快なフラグのついた質問だったのに、ことごとく回避されてしまった。
去年は祝ってくれたじゃないか。
なぜ覚えてない。今日は僕の誕生日だ。
「……」
「……」
うっかり顔に機嫌を出してしまったに違いない。
スタッフ達の顔が固まっている。
「リーダーってそういうとこがほんと」
「何?ほんと、何?」
「分かりやすくて可愛いですよねお歳のわりに」
パッ、と目の前にブーケを差し出された。
「お誕生日おめでとうございます!」
机の下からケーキの箱もいそいそと取り出される。
皆の顔が固かったのは、笑いをこらえていたせいか。
去年朝イチからお祝いしたら「待ち構えられるのは恥ずかしい」っておっしゃったので、今年はサプライズにしてみたんですよー、なんて種明かしを挟みつつ手際よくキャンドルに火が付けられていく。
「……寿命が縮むから、サプライズも却下で頼む」
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「夫婦」
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所感:
きっと日付に合わせたお題だと思ったので、そのまま横スライディングしてみたら、どこかの上司の誕生パーティーに着地しました。そして北欧の至宝、御年57歳!
幾千の時を越え、出逢い
幾千の言葉を交わし
幾千の愛を語る
何時の日か朽ち行く人生の道半ばに
寄り添う二人が立って居る
若き二人は
この道が我等の人生だと
堂々たる態度で示すのだが
時が経ち、道が狭まるにつれて
寄り添い歩む事が不可能となる
それを悟った男が、繋いだ手を優しく解く
そして立ち止まり、振り返る
何か思う事があったらしく、男は目を閉じた
それから、消え入りそうな声でこう告げた
さぁ行きなさい、愛する人よ
女は歩き続けた
そして、孤独を嘆き立ち止まった
なぜならそこから、道が途絶えていたからだ
何より自分の隣に、愛する人が居なかったからだ
夫婦
ずっと解けない謎がある。
世界のはじまり。宇宙の果て。人体の秘密。超常現象。
科学で解明できない不思議な現象や仕組みが、この世界にはいくつも存在している。
人間の感情もまた、その解けない謎に分類されるのではないだろうか。
夕食後のくつろぎタイム。
リビングにはテレビから聞こえる賑やかな音だけが響いていた。
飲み物片手にSNSを巡回していると、もう一人の演者の雑音が混ざる。
目だけそちらへ移すと、帰宅して早々炬燵に潜り込んでいた父がなにやらテレビに向かってぶつぶつ言っていた。
父が小さい頃、祖父(父のお父さん、私にとってお祖父ちゃん)が同じことをしていて、祖父に対してあれこれ文句を言っていたくせに、今、自分もやっている。
親に似るというのか、自分のことは棚にあげて、本当に口ばっかりだなと心の中で呟いた。
短気。いつも怒っている。自身の子どもより手のかかる大きな子ども。自己中心的、相手の気持ちを考えられないし思いやりない否定ばかりする、etc。
もう兎にも角にも、絶対にこうなりたくないと強く思わせる人が、悲しきかな私の父である。
独り言が終了したかと思うと、『なぁ?』と振り返って私に絡んでくる。
『そうだね』
この文句も私に聞かせるためにわざわざ言っていたのかと思うと、本当に性根が悪い。
本人はコミュニケーションの一環で話してるって言うけど、それにしても、もっと他の話題があるだろうに。絶対に娘との良好な会話内容ではない。
悪口ノリの絡み方なんて、今時の小学生でもしないよ、多分。
『ただいま〜』
『おかーえり』
両手に買い物カゴを引っ提げて母が帰還した。
休みの日にまとめて買い物に行ったのに、母はいつもどこかしらで何かしら買い物をしてくる。
真っ直ぐ家に帰りたくないらしいが、細々の出費はお金を使いたくない母のストレスになっている。悪循環だ。
母は仕事が終わっても家のことがある。
共働きなのに、かたや炬燵でぐうたら、かたや体に鞭打って家事。
昔ながらの亭主関白っぷりが、私が父を敬遠する理由でもある。
父と母。
夫婦。
二人が結婚した理由。
これが私の人生最大の謎といっても過言ではない。
結婚するというのは、どんな理由があるなせよ、この人とずっと一緒にいたい気持ちがあると思う。
もちろん好きって気持ちだけじゃ結婚は少し難しい。二人で生活していくのだ、自分の問題だけじゃなくなってくる。現実的に考えていく必要があるけれど、“結婚したい”の根底には“好き”という感情があるはずだ。
だから、父と母も、当時はお互いに“好き”の感情があったと思うのだけれど、にしてもだ。
娘の私から見ても、父みたいな性格の人と一緒になりたいなんて絶対思わない。
クソ野郎だ。
いいところを見つける方が難しい。
この人のどこがいいのか、全く分からない。
永遠の謎。
まずそもそも、私自身、人と付き合うことに疑問をもっている。
世の恋人たちを見て羨ましいと思わなくはないが、自分もそうなりたいかと問われれば、答えはノーだ。
好きな人もそれなりにいたから、好きになる気持ちは分かる。
でも、その先を求める感情の正体が分からなかった。
人間の感情は分からない。
同じ人間なのに。
自分のことすら分からないのに、他の人の気持ちなんて以ての外だ。
恋も分からない人が結婚も夫婦も語っても、どうしようもないだろう。
でもだからこそ、この気持ちを解りたい。
父と母は、無関心、無干渉、無感情的な、愛のあの字もあるのか分からない夫婦に見えるけれど、それもひとつの夫婦の在り方なのかもしれない。
こうあるはずだ、こうあるべきだ、なんて正解はないから。
人間の感情にも考えにも正解はない。
だから、私が今持っている考えも、気持ちも、それはそれで正しいと思いたい。
いつか、一生を添い遂げたいと思える相手に出会えたら、
ずっと一緒にいたいという気持ちが分かるのだろうか。
きっとその時が、ずっと解けない謎解きの答え合わせの瞬間だ。
いい夫婦の日かぁ
別に良くも悪くもないけどね
と語る友達は
新婚の頃
共働きだけど、毎朝ちゃんと朝御飯の準備していたが
起きてこない夫に
早く起きて食べて
と言ったら
10分でも長く寝てたいんだよ
と、地雷を踏んで
それ以来、彼らの家で
夫の朝食は無くなった
そして、最近のこと
子どものお弁当と一緒に夫婦のお弁当も一緒に作っていたが
出張とかっていう理由ではなく
今日はいいかな
とまた地雷を踏んだ
飽きて来たというのが有り有りの態度だったとか
それ以来、夫のお弁当は無くなった
ものごとは言い方一つだという教訓
のお話でした
『夫婦』
103【夫婦】2022.11.23
判決文を書かねばならない。しかし、手がすすまない。裁判員のひとりが涙ながらに訴えた、
「これでは夫婦ではなく、主人と奴隷の関係ではないですか。私は夫を殺すところまで追い詰められた被告人の気持ちがよくわかります。うちの夫婦関係だってそんなようなものでした。さいわい私はもうすぐ離婚が成立しそうなので、私が事件をおこしかねない、なんていう心配はありませんが、この人は離婚したくてもできない事情があったのですよね。だから、こんな結末になってしまった。もしこれで十分に情状酌量がしてもらえないのなら、私のように夫という名の男の暴力に苦しめられている妻という名の女性が報われません」
ということばが、もう何日も何日も耳の奥にこびりついて離れないのだ。
私はさっきから、一文字でいいからとにかく書き出そうとしては、キーボードのうえで指が引き攣ったように固まってしまうのを繰り返している。
だって、そう……判決を下すなら。まずは自分に対して。なのだから。
このデスクの抽斗には、妻から渡された離婚届がはいっている。
いきなりそれを目の前につきつけられたときは、わけがわからずパニックになり、逆上し、あたりのものを、文字通り手当り次第にぶん投げ散らかした。私のせいでリビングは滅茶苦茶になってしまったというのに、その有様に、ざまあみろ、とでもいういう快感しか、私にはなかった。だが、この殺人事件の審理を通じてわかってきた。私は私の妻に対して、よき夫とはいえなかったのだ、ということが。
私の中で実質的に裁いていたのは、私が行っていた私からの妻への行状だった。私は私の内臓がえぐり出され曝け出されていくのを目の当たりにしているような思いをしながら、暴力と暴言で己を支配してきた男を惨殺した一女性である被告人の殺人動機に向かい合ってきたのだった。
私はそっと抽斗をひらいたものの、やはり、あわてて閉じた。やり直したくても、もうやり直せない。無理矢理夫婦関係を継続しても、行き着くところは殺人、とまではいかなくても、それに似た、荒涼とした関係になるのだろう。にもかかわらず、あきらめきれない。
「……赦してくれ……」
いまさら間に合わない謝罪だとはわかっている。私が裁いてきた被告人達は、法廷で、おろし金に体を削られるチーズのような痛みと身が消え入るような思いをしながら謝罪してきていたのだとの理解は得られたが、それがなんの役に立とう。
ただ時間だけが過ぎていった。遠くの方で、終電が走り去るのがきこえた。私は途方に暮れたまま、ひとりで静かに咽び泣いた。
2022年11月23日 テーマ『夫婦』について
動機:夫婦について書こうと思った動機は、不明だから。夫婦って言葉の意味はわかるけど、関係がわからない。好きになって、一緒にいたいと思って、ずっと続くものなんかな。そういう関係の人おらんわ。
ゴール:今は、夫婦になりたいと思う誰かとの関係がないことがわかった。
「夫婦」
好きっていつから言わなくなったのだろうか。
目で追ってたあの日あの時、アナタばかりを考えてた時間、アナタに触れたいと思ってたあの感情。今どこへ行ってしまったのだろうか。
好きでした。今のアナタはいったいなに?
#夫婦
互いに幸せを分け合い
互いに慈しみ合い
互いに高め合える
力を合わせて困難に
立ち向かえる…
傷つけ…
裏切り…
貶め…
背中合わせ
そんな夫婦も…
いろいろな形の夫婦
ひとつとて同じ形はない
だけど…
幸せでありたいと
思う気持ちは
皆同じだと思いたい…
『夫婦』
二人で笑い合う。
辛いことも悲しいことも。
全部、分け合って過ごす。
それが叶わぬ夢だって。
本当は全部、知ってたんだよ───────
夫婦
結婚生活50年。
無事に金婚式を迎えることができた。
夫婦になって、いろいろなことがあったけど、
なんだかんだ上手くやってこれて、良かった。
あるところに、小さな娘がいた。
ある日、その子はお母さんに聞いた。
「夫婦の定義って、なに?」
と。
するとお母さんは言いました。
「結婚したら、夫婦なんじゃない?」
しかし、娘は納得がいきません。
(結婚したら、夫婦になるの?
そもそも、結婚ってなに?
婚姻届けを出したら結婚したことになるの?
紙一枚で?
なんか、違う気がする・・・・・・。)
そこで、今度はお父さんに聞いてみることにしました。
「ねぇ、お父さん、夫婦の定義ってなんだと思う?」
すると、お父さんは
「夫婦の定義?ずいぶん難しいことをかんがえているんだね。うぅん・・・・・・、一緒にいて楽しかったら夫婦なんじゃないかい?」
と、言いました。
しかし、娘は納得がいきません。
(一緒にいて楽しい人と夫婦なのだとしたら、友達や、先生とも夫婦になってしまうわ。
なんか違う・・・・・・。)
なので今度は、花屋のおばさんに聞きました。
すると、
「うぅん・・・・・・、花を大切にできる人と夫婦になりたいわ!」
と、願望を言われました。
娘は次に、肉屋のおじさん、野菜屋さん、文房具屋の店長、魚屋さん・・・・・・、いろいろな人に聞きましたが、どれもなんだか違う気がするようです。
(どの人の答えもとてもすてきだけど、なんか違うのよね・・・・・・。)
そろそろ、日が暮れそうです。
娘は最後に、物知りおばさんのところへ行くことにしました。
「ねぇ、おばさん、夫婦の定義って、なんだと思う?」
すると
「う~ん・・・・・・、難しくてわからないわ。」
といいました。
娘は驚きました。
「え~、おばさんでも分からない事ってあるんだ。」
「そんなの沢山あるわ。そもそも夫婦のあり方なんて、十人十色だもの。みんな違うんだからわかりっこないわ。」
(???????????)
「つまり、生きていくなかで、夫婦のあり方を探れば良いってことよ。」
十年後
今日は、私の結婚式。
夫婦の定義については、未だによくわからないけれど、
それぞれに、素敵な夫婦のあり方があって、どれも、とても素敵なことだけはあの日からちょっとだけ、分かった気がするよ。
私もいつか見つけられるといいな。
#夫婦
並んで座っている老夫婦
何か話しているわけでもなく
微笑み交わすわけでもなく
さして仲睦まじくも見えず
まるで
ただ一緒に座っている
えらいなあ
何がえらいって
あんな澄まし顔をしてるところだよ
あの二人の間には
さぞかしいろんなことがあったろう
そんなことはおくびにも出さずに
何でもないようなふうをして
黙って静かに座っている
えらいじゃないか
ああいうふうになれるなら
歳をとるのも悪くないと言えるだろ
イチョウの葉っぱを踏みながら
公園のベンチの前を通り過ぎ
私はそんなことを考えた
少し歩いてから振り返ると
やはり老夫婦は座っていた
一面黄色な背景に
地味な色彩の老夫婦
一幅の絵画のような美しさ
夫婦
夫婦って憧れる。
これから先何があっても
パートナーと死ぬまでずっと一緒に居られる。
そんなの最高じゃんか。
お互い生涯愛し合う。
そんな夫婦みたいな恋愛してみたい。
理想の将来像と言われても
今はまだ上手く想像できないけれど。
相手を思いやること。
相手の味方でいること。
そんなことがお互い当たり前にできる人と
いつか出会えるといいな。
そんなことをふと考えた、いい夫婦の日。
夫婦
私たち、どう足掻いても婦婦だもん。
男なんて知らないもん。ね
"夫婦"
恋は今日でお終いだけど、
今日から終わらない愛を一緒に育てていこうね。
じょうろの水を花に与えるように優しく、
ケーキにナイフを入れる瞬間、
2人呟いた出来事。
「夫婦」
昨日は良い夫婦の日だった。
朝のテレビ番組では理想の芸能人夫婦ランキングが企画として挙げられたり、インスタグラムではバービーが良い夫婦の日に乗っかってどこかへ旅行したりしていたが、わたしの周りで「良い夫婦の日」にちなんでなにかしている人はいなかったように思う。
わたしがもし結婚できたら、良い夫婦の日にあやかって何かするだろうか?というかそもそも、良い夫婦になれるのか?ていうか結婚できるのか?そんな不安は漠然と持ちながらも、「良い夫婦」についてたまに考える。
こんなふうになれたら幸せだろうな、と思う芸能人夫婦はたくさんいるが、いまのところのわたしなりの「良い夫婦」の答えは、「お互いの不足を補い、許しあえる夫婦」になっている。
まあ、これは夫婦だけでなく、友人、恋人も当てはまる事だけれど、死ぬまで何十年も添い遂げるとなると、「許しの力」が最重要な気がする。
実際、神経質で几帳面、台所は汚されたくない母と、仕事人間で寡黙(なようで実はお調子者)だけど、おおらかで大雑把な父を見ていると、2人とも「許している」という自覚はないだろうが、なんとなく許しあえてるんだろうな、という気がする。
両親を良い夫婦だと思いますか?と聞かれたら、はっきりイエスとは答えられないが、まあまあ良い夫婦です、と笑って答えると思う。実際ふたりは私がいてもいなくてもふたりで喋っている事が多いし、仲は良いのだ。
娘のわたしはと言うと、朝起きて部屋のカーテンを開けるかどうかはその日の目覚めの良さによるし、ドライヤーを使った後、引き出しをきちんと閉めていなくていつもお母さんに怒られるし、ベッドメイキングなんてよっぽど乱れていて、寝てる時に寒いだろうなーって思う時にしかしないしで、つまりズボラ。
その割に外に出ると神経質なところがあったりして、我ながら面倒くさい性格だと思う。この非常にアンバランスな特徴を許してくれる人と出会うには、まずわたしがひとを許せるようにならなくちゃいけないと思っている。が、最近疲れているのか仕事でもプライベートでも許せないことが増えた。もうすでに矛盾している。いまわたしの人生は、将来だれかと寄り添い、夫婦として生きるための修行タイムに入っている。
あっついスープに息を吹く。もう一度。あっついスープに息を吹く。飲む。舌に触れる。あっつい。
隣で笑う人が今日はいない。うん。あの人はあっついスープをいつも冷ましてくれていた。だからあっついスープをあっついまま飲むのに慣れていない。一緒に飲みたかったなあ。このあっつくてあっつくて美味しいスープ。考えているうちに少しは冷めただろうか。あっついスープ。匙に取る。今度こそ。フーフー。飲む。やっぱりあっつい。もう飲めないよ。
お母さんとお父さん。
私を育ててくれてありがとう。
夫婦は良いものですよね。
当たり前に生活できているのは親のおかげです。
よく、11月22日に婚姻届を出す方が居ますよね。
語呂で、いい夫婦の日となっているので多いそうです。
私の親は、普段は私を甘やかしてくれ、時には