これはエッセイ

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 昨日は良い夫婦の日だった。
朝のテレビ番組では理想の芸能人夫婦ランキングが企画として挙げられたり、インスタグラムではバービーが良い夫婦の日に乗っかってどこかへ旅行したりしていたが、わたしの周りで「良い夫婦の日」にちなんでなにかしている人はいなかったように思う。
わたしがもし結婚できたら、良い夫婦の日にあやかって何かするだろうか?というかそもそも、良い夫婦になれるのか?ていうか結婚できるのか?そんな不安は漠然と持ちながらも、「良い夫婦」についてたまに考える。

 こんなふうになれたら幸せだろうな、と思う芸能人夫婦はたくさんいるが、いまのところのわたしなりの「良い夫婦」の答えは、「お互いの不足を補い、許しあえる夫婦」になっている。
まあ、これは夫婦だけでなく、友人、恋人も当てはまる事だけれど、死ぬまで何十年も添い遂げるとなると、「許しの力」が最重要な気がする。
実際、神経質で几帳面、台所は汚されたくない母と、仕事人間で寡黙(なようで実はお調子者)だけど、おおらかで大雑把な父を見ていると、2人とも「許している」という自覚はないだろうが、なんとなく許しあえてるんだろうな、という気がする。
両親を良い夫婦だと思いますか?と聞かれたら、はっきりイエスとは答えられないが、まあまあ良い夫婦です、と笑って答えると思う。実際ふたりは私がいてもいなくてもふたりで喋っている事が多いし、仲は良いのだ。
 娘のわたしはと言うと、朝起きて部屋のカーテンを開けるかどうかはその日の目覚めの良さによるし、ドライヤーを使った後、引き出しをきちんと閉めていなくていつもお母さんに怒られるし、ベッドメイキングなんてよっぽど乱れていて、寝てる時に寒いだろうなーって思う時にしかしないしで、つまりズボラ。
その割に外に出ると神経質なところがあったりして、我ながら面倒くさい性格だと思う。この非常にアンバランスな特徴を許してくれる人と出会うには、まずわたしがひとを許せるようにならなくちゃいけないと思っている。が、最近疲れているのか仕事でもプライベートでも許せないことが増えた。もうすでに矛盾している。いまわたしの人生は、将来だれかと寄り添い、夫婦として生きるための修行タイムに入っている。

11/23/2022, 5:41:25 AM