『大切なもの』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
大切なもの
目には見えない
感じるものだ
無くしたくない
見失わないように
ずっと側にあってほしい
あってくれればそれでいい
*大切なもの
ん〜?
断捨離をしようと
掃除を始めたが?
大切なものが多すぎて
思うように進まず?
どうしたものかと
悩んでいるうちに?
日が暮れてしまったが
掃除が終わってない?
どうすんの?これ?
部屋ごちゃごちゃじゃん。
『断捨離するものなど、
この部屋には存在しないわ』
は?
『だって、どれも私の
大切な思い出のカケラなのだから…』
な〜に言ってんだこいつ
あなたの大切なものはなんですか?
今、あなたの頭に思い浮かんだものを私も大切にしたい。
大切なもの
母の手製の指ぬき
母が少しずつ
おかしくなり
指ぬきがないと言い出し
私に、あなたが盗んだでしょと
疑いをかけられた。
お金でも宝石でもなく
手芸の指ぬき。
実の母親に盗んだでしょと言われて
私は、当然怒った。
悲しかった。
認知症の始まりだった母の症状。
認知症は、人格が
壊れて行くと実の娘も
他人扱いになり攻撃する病。
亡くなって、指ぬきが10個
私の手元に残された。
指ぬきは、加賀の指ぬきという
絹糸を色とりどり使って
刺繍のように縫う美しい手芸だ。
母が正常だったころ
コツコツ縫い仕上げていた。
泥棒扱いされた嫌な思い出なのに
美しい色合いを見て眺めていると
母がまだちゃんと母として正常だった
姿が脳裏をよぎり泣きたくなる。
母の指ぬき。
大切なものなのかわからない。
だけど捨てられない。
大切なもの、壊したくないもの
誰にも触れられたくないの
触らないで壊れちゃうから
とてもとても脆くてすぐに
壊れてしまうのよ
大切だから、そういって
奥に奥に、誰にも触れられないよう
しまいこんだ心
ああでも誰もそばに
いないのはさみしいなぁ
__大切なもの
当たり前に存在するもの、と問われてキミは何を想像する?
酷く抽象的で曖昧なこの定義に、私はこう答える。
「愛」
愛こそが、そうあるべきだと。私は、そう考えている。
家族から無償の愛を施されて、ただただ無条件にそれを享受する日々。それが当たり前。だから、そう過ごしてきた私はもちろん素直で真っ直ぐな子に育ち、
愛を知り、愛を与える人間になるはずだった。
けれども、どこか他人と違う―――欠陥人間―――だと知ったのはいつだったか。キミにはきっと出会ってない。ずっと、でも遠くはない昔に、私は。
自分が、気づいてしまった。家族やキミ、ましてや世界中の人間と違う価値観を持ってることに。
遅すぎるくらいに、それをようやく感じとった。
それは本当にシンプルなことで。当たり前の環境で何不自由なく育てられた人間が抱くはずがない考えだった。
「愛」がわからない。「愛」ってなに?もっと簡単に言えば、「好き」と「愛」の違いがわからない。
周囲の人間が、当たり前のように誰かに「愛」を抱き、与え合う様子を見ている中で私だけ違った。
同じ「愛」を誰かに注ぐことが、自分だけ出来なかった。私の中で好きと嫌いは当然のように存在するのに、他人と打ち解け合うために必然な「愛」がわからない。
キミは「愛」を感じて、「愛」を与えたことはある?
「愛」ってきっとタカラモノのような物なんだろうね。私はそう、信じてる。だって、たくさんの人に愛されてここまで生きてこられたはずだもの。「愛」を与えられて、上手くそれを受け取れない私が、おかしいの。
誰かに与えることすらできない私が、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ悪いだけ。
、…?キミは、私にとって「好き」な存在だよ?もちろん。だってこんな欠陥人間の話を最後まで聞こうとしてくれるんだもの。なんて優しい世界なんだろうね。私は幸せ者だよ。たぶん。ありがとう。
本当に嬉しい。口だけじゃないよ、私はちゃんと素直で正直な子に育ったからね。
分かってもらえなくても聞いてもらえるだけで嬉しいんだ。
なんかね、心がちょっと温かくなるような気がする。
ねぇ、もしかしてこれも「愛」なのかな?
#大切なもの
彩を失う瞬間がある。
青雲は寒空の、灰色の雲の下、人差し指でマフラーを少しずらしながら白い息を吐いた。今日は、特にすることもなく、街をぶらぶら歩いていた。ふと、青雲は立ち止まる。
(ああ、また、きた)
瞬間、世界から音が、人が、匂いが、色が失われていく。青雲にとってこの状況はよくあることだった。世界から置いてかれて、世界に一人だけになる。青雲はこの瞬間が嫌いではなかった。
(この世界はなんでこんなにも静かなんだろう)
賑やかな場所が嫌いなわけではない。いつもの4人で騒ぐ時間や誰かと出かける時間は、自分の心にこんなにも深く突き刺さってる。しかし、同時に誰もいない、何もない世界も同様に好きだった。だってこんなにも、自分の孤独を突きつけてくれる。
(結局私は一人なんだ。)
その事実が実に心地いい。私は正しくないのだと、いつだって糾弾してくれる。始まりはいつだったのだろう。この瞬間はふて現れては、消えていく。川の流れみたいなものだった。それに規則性はなく、気ままに青雲の前に姿を現す。ただ、一人になるといつも隠そうとしているものが、自分の前にちらつく。それだけは憂鬱だった。
(きっと、本当の私を知られたらみんな幻滅するんだろうな。もっと、うまく隠さないと。見せないように、分からないように、本当と嘘をどちらも織り交ぜて綺麗に作りあげなくちゃ。大丈夫、今までだってできたのだから、もっとうまくできるはず。だってもう、嘘が本当になっているのだから、私は大丈夫。)
青雲は、自分のそんな思考に気づき、思わず乾いた笑いが溢れた。自分が今どんな顔をしているのか、絶対に見たくないと、心の底から思う。きっと酷い顔か、もしくは何も感じてない顔、どちらも人間らしくない顔で好きじゃない。そんな自分の考えにすら嫌気がさす。
(ひどく、毎日、なんで自分がここにいるのか分からなくなる。もっと早く気づければよかったのかな。私は私に何もないのが分かっていたはずなのに。でも、やっぱりどこか踏み出せない。きっと私が弱いから)
隣に誰かはいるのに、その誰かすらいつか自分を置いていって、一人ぼっちになってしまうのではないかと怖くなる。青雲はマフラーを鼻の高さまでもう一度持ち上げた。ふと浮かぶのは、海想と竹凛、そして蒼原のこと。
大切なものなど本当は一つもない。だけど
「生きているだけで、人は色々なものを背負うんだよねえ…」
その一言で、世界は一瞬で音を、人を、匂いを、色を取り戻す。まばらに、道行く人が通り過ぎていく。戻ってきたというのに、人々の笑い声や、信号から流れる音楽が遠くに聞こえる。安堵と落胆、どちらの感情も湧き上がり、大きくため息をついた。
「…帰るか」
スマホを開き電車の時刻表を確認する。次の電車が来るのはあと34分後になりそうだ。それをもう一度確認してポケットに手と一緒に突っこむ。空は相変わらず、灰色の重そうな雲が広がっている。青雲は周りに一瞥もくれずに駅に向かって歩き出す。寒く白い息が、青雲の歩いた後を流れ、静かに消えていった。
大切なもの
学校でこれをテーマにスピーチをすることになった。頑張って考えるも、なかなかスピーチ出来そうなものが浮かばない。
命だろうか?小さな時から言われ続けている。確かに命は何より大切なものだろう。命ある限り、どうとでもなる可能性がある。ただし、命あるせいで苦しむこともある。私は死にたいと思うほど苦しんだことは無いが、逆に、生きていて良かったと思った記憶も特に思い浮かばない。
では、他には何があるだろう?
推しだろうか?確かに推しのお陰で楽しく生活できてはいる。しかし、推しは1人ではない。故にスピーチをすると時間が足りない。推しを紹介するのは目的では無い。だが、推しのお陰で明るく楽しく感情豊かに生活出来ている。推しを大切なものとしてスピーチしようか?でも、一応他にもないか考えてみる。
本はどうだろうか?本はずっと大切にしている。何故なら沢山のことを教えてくれるからだ。例えば、尊厳死、これについて知り、考えたのは森鴎外の『高瀬舟』を読んでからだ。弟を苦しみから救うために弟の自殺を手助けした主人公は罪人か?とても難しい問題だ。他にも、エドガー・アラン・ポーの『告げ口心臓』ここでは殺人犯の罪悪感や後ろめたさがおじいさんの心臓の音として表現されている。
結論から言えば、上記の中でスピーチが出来そうなのは推しが本だろう。やはり、生活を豊かにしてくれるものは語りやすい。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
#大切なもの
「大切なもの」
それを大切なものだと
断定は出来ないよ
時の流れは基準の目盛を
度々変えてしまうからね
それを大切なものだと
言ってしまえる無責任さ
僕はそれが恐ろしいね
それを大切なものだと
言いながら
人類はどれほどの罪を
犯したことか
大切なもの
家の片付けをした時に出てきた
小学校の宿題で出た作文。
タイトルは大切なもの。
あの頃の私には大切な家族も友達も居た。
今はいないけど、ね。
大切な物なんてどこにもない。
たいせつなもの。
わたしの大切なものはいっぱいあります。
でも一番大切なのはわたしです。
ままやぱぱ、じいじとばあば
くまのさっちゃんやうさぎのみーちゃんもすきだけど
わたしが大切なのはわたしです。
なぜなら人は何おく分の一のかくりつで
生まれるって言うのをテレビで見ました。
わたしはわたししかいなくて
わたしいがいはわたしにはなれないです。
だからわたしはわたしが大切です。
私の大切なものは自分自身
『私』が『私』らしくいられなくなったら
何のために生きているのか分からなくなってしまう
自分を愛することは自分の欠点も
認めないといけないから難しいことだけど
心を守るためにも
自分だけは自分を大切にしようと思うんだ
#大切なもの
とっておきの仮面を見つけた
大きな赤色の口は
両端が持ち上がっていて
目元のデフォルメされた雫や星は
おもちゃ箱みたいで
かわいらしい
大丈夫だってなあこっちからやってくれよお前ならいけるっしょ
大きな口は両端が上向きなまま
YESと動く
みんな笑顔になる
ほらねなんだかいい感じ
雨降りで輪郭が解けた雫と星
滲んでぐちゃぐちゃになった鮮やかな赤
大丈夫だってこっちからやってくれよお前ならいけるっしょ
ぐちゃぐちゃの赤は両端が上向きなまま
YESと動く
みんな笑顔になる
ほらねやっぱりいいかんじ
「大切なもの」
むかしから仕舞い込むくせがあった。だれにも知られなければ私だけの思いをだれかと共有して安いものにしなくても済むからだ。
最初のころ、家の敷地以外のところに隠していたら、ある日突然工事現場となって立ち入りができなくなった。私が隠していたものはむざんにも掘り起こされ、名もなきゴミとして集積所の一部となったのだ。いくつ歳を重ねても、街中で工事業者の名前を見かけるたび、あの日のことが乱暴に呼び起こされ、口の中が苦くなる。
それからは一等だれにも触れられたくないものは、隠し場所にいっそう気を使うようになった。何度も何度も隠しては失う経験をしていくうちに、安全なのは意外にも自分の部屋の中であることに気づいた。灯台下暗しとはまさにこのこと。
そうやって大切なものを大事に大事に隠してきた私が、大切なものをだれかに見せるようになるなんて誰が予想しただろう。
足元に擦り寄ってくるちいさな生き物の喉をくすぐるとゴロゴロと音を立てる。ふわふわとした毛並みのこの子と出会ったことで一変し、今ではそれが私の生き甲斐となっている。
スマートフォンの容量を圧迫しつつある写真は、私のちいさなコミュニティの一端を担い共通の話題となりつつある。
「あんなに近寄りがたかったのに」
「本当に見る影もないよねー」
「人生何が起こるかわからないよね」
古い友人たちのわざとらしい言葉も、愛猫を可愛がるのに忙しい私の耳には留まらず、素通りしていった。
【大切なもの】
『 大切なもの』
私が大切なのはバイト先の先輩。先輩が居るから毎日バイト頑張れる。貴方がバイト先に居ない日、鬱になるけど貴方の事を考えたら頑張れる。貴方が居れば5連勤なんて乗り越えられる…貴方のおかけで私は大切な人を見つけられたよ。
中学の時に出会ったある先生がいた。
その先生は私の相談に何回も乗ってくれた。
優しく共感してくれて
自分のことみたいに真剣に熱心に聞いてくれて
本気で悩んで本気で考えて
寄り添って暖かい言葉をかけてくれた。
卒業の時その先生に手紙を書いた。
卒業式の3日前に手紙を渡した。
お返事くださいそうかいて
お返事は卒業式の後に貰った。
その手紙には
夏夜さんへ
卒業おめでとうございます。
楽しかったこと、不安に思ったこと、戸惑ったことたくさんのことがありましたね。たくさん考えてたくさん成長出来た3年間だったんじゃないかな。悩むこともあって良いし、休憩することがあっていいんだよ。
その日々が宝物なんです。困ったり悩んだりしても笑顔を忘れないで楽しいことを探していこう卒業しても応援しています。相談いつでも乗るからね西川先生より
その手紙は小さい紙2枚に書かれていた。
折り紙で作ったしおりの中に入っていた。
私にとってこれは初恋の相手から貰った最初で最後の特別な宝物になった。
これが私の大切なものなのだから
おだい[大切なもの]
No.17
大切なものは、人それぞれ。
ある人からもらったプレゼントとか、
愛するペットとか。
自分の命とか、
懸命に働いて稼いだお金とか。
たくさんの理由があって、それが大切になっている。
だからそれを、馬鹿にしたり貶したりするのは良くないと思うなぁ。
そういう方にも、何かしら奥に眠っていると思うから。
〜大切なもの〜
「大切なもの」
大切なものと好きなものは一緒なのだろうか。
大切なものと愛するものは一緒なのだろうか。
その答えは自分にしかわからない。
私の大切なものは自然なこころだ。誰かを愛す、誰かを好きになるそれは自分には決められない。納得したり、自覚したりするのは自分が決めるけれどスタートラインは自然とある。
大切な人は愛する人と同じようでも大切なものと愛するものは違う気がする。
大切にしなきゃいけないもの。
まず、自分自身!と最近頑張って意識している。
自分より他人先行の人生だった私には、
「自分を大切にする」ということが、難解に思える。
やりたいことを、やろう。
そんなに怖がることないんじゃない?
自分一人が、我慢することないんじゃない?
別に、無理に皆に好かれる必要ないんじゃない?
失敗って、悪いことじゃない。間違いなく良い経験。
だって失敗を怖がる人が失敗したら、
二度と同じことは繰り返さないでしょ。
自分が我慢してること、他人は知ってるのかな。
いいよ、我慢しなくても。
すごく難しいけど、たまには言いたい事、言おうかな。
嫌われたら、私もその人のこと嫌いになることにした。
つまらない人間だと思われたら、勝手に人は離れてくでしょ(私はこれをすごく怖がっている節がある、第一印象はとってもいいけど、中身が無いことを知られるのが怖い、そのギャップに失望されることが、とても怖い)。
でもそれって、自分が無理して合わせてた相手でしょ。
無理して付き合い続けて、先にしんどくなるのは自分。
目に見えてるのにね。
なんか、人に好かれたくて、いい人って思われている自分でいたくて、背伸びしちゃうよね。
(っていうか、自分が理想の自分に近づく努力をすればいいだけだ。それか、自分に合う人を頑張って見つける。一人でいたくないならね。一人でいたいなら、そんなことする必要ないけど。書いてたら気がついたぞ、今更かもだけど)
あーあ、もうちょっと図太く、
図々しくなれたらね、いいのにね。
自分を大切にするって一生の課題になりそう。
▼大切なもの
大切なもの
小学1年生の頃に大切なものがあった。それは
"太陽に当てるとキラキラして綺麗な宝石"だった。
それは、学校の運動場で拾ったもので、当時の私は「綺麗!」と思ってポケットに入れた。
見た目は白くて宝石みたいな形をしていた。
さらに太陽にかざすとキラキラ光ってすごい!と思っていた。
拾ったそれを友達にも見せたりして、さらに学校で「大切なもの」というお題で綺麗な宝石を発表したりもした。
この綺麗な宝石を仕舞う場所が欲しいと考えて、家の中を探していたらキラキラした箱(横7cmくらいの)を見つけたので、「宝物ボックス」と名前をつけてそこに綺麗な宝石をしまった。
ある時、綺麗な宝石が無くなっている事に気づいた。当時の私は結構ショックを受けていたと思う。
しかし2年生になる頃にはほぼ忘れていた。
ただ、その綺麗な宝石は無くなってしまったが
「宝物ボックス」の中身だけはじわじわと増えていった。例えばキラキラしたビーズだったり、父からくれた珍しい切手だったり。
低・中学年の大切なもので溢れていた。
時は流れて中学3年。今思うと綺麗な宝石も服とかに着いてるやつだし、ビーズだって百均で売ってる。(切手はほんとに珍しかったのかもしれないが)
子供の頃はそんな物が「大切なもの」だったのに、今となってはそれらは正直ゴミにしか見えない。
でもあの綺麗な宝石のキラキラした感じは覚えている。すごい!というワクワク感。
多分もうあのワクワク感は味わうことはないんだろうなと思いつつ。
「宝物ボックス」をゴミに捨てた。