青花一華

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当たり前に存在するもの、と問われてキミは何を想像する?
酷く抽象的で曖昧なこの定義に、私はこう答える。
「愛」
愛こそが、そうあるべきだと。私は、そう考えている。


家族から無償の愛を施されて、ただただ無条件にそれを享受する日々。それが当たり前。だから、そう過ごしてきた私はもちろん素直で真っ直ぐな子に育ち、
愛を知り、愛を与える人間になるはずだった。

けれども、どこか他人と違う―――欠陥人間―――だと知ったのはいつだったか。キミにはきっと出会ってない。ずっと、でも遠くはない昔に、私は。
自分が、気づいてしまった。家族やキミ、ましてや世界中の人間と違う価値観を持ってることに。
遅すぎるくらいに、それをようやく感じとった。
それは本当にシンプルなことで。当たり前の環境で何不自由なく育てられた人間が抱くはずがない考えだった。

「愛」がわからない。「愛」ってなに?もっと簡単に言えば、「好き」と「愛」の違いがわからない。

周囲の人間が、当たり前のように誰かに「愛」を抱き、与え合う様子を見ている中で私だけ違った。
同じ「愛」を誰かに注ぐことが、自分だけ出来なかった。私の中で好きと嫌いは当然のように存在するのに、他人と打ち解け合うために必然な「愛」がわからない。

キミは「愛」を感じて、「愛」を与えたことはある?
「愛」ってきっとタカラモノのような物なんだろうね。私はそう、信じてる。だって、たくさんの人に愛されてここまで生きてこられたはずだもの。「愛」を与えられて、上手くそれを受け取れない私が、おかしいの。
誰かに与えることすらできない私が、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ悪いだけ。

、…?キミは、私にとって「好き」な存在だよ?もちろん。だってこんな欠陥人間の話を最後まで聞こうとしてくれるんだもの。なんて優しい世界なんだろうね。私は幸せ者だよ。たぶん。ありがとう。
本当に嬉しい。口だけじゃないよ、私はちゃんと素直で正直な子に育ったからね。
分かってもらえなくても聞いてもらえるだけで嬉しいんだ。
なんかね、心がちょっと温かくなるような気がする。

ねぇ、もしかしてこれも「愛」なのかな?


#大切なもの

4/2/2023, 3:22:12 PM