春一番

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 彩を失う瞬間がある。

 
 青雲は寒空の、灰色の雲の下、人差し指でマフラーを少しずらしながら白い息を吐いた。今日は、特にすることもなく、街をぶらぶら歩いていた。ふと、青雲は立ち止まる。

(ああ、また、きた)

 瞬間、世界から音が、人が、匂いが、色が失われていく。青雲にとってこの状況はよくあることだった。世界から置いてかれて、世界に一人だけになる。青雲はこの瞬間が嫌いではなかった。

(この世界はなんでこんなにも静かなんだろう)

 賑やかな場所が嫌いなわけではない。いつもの4人で騒ぐ時間や誰かと出かける時間は、自分の心にこんなにも深く突き刺さってる。しかし、同時に誰もいない、何もない世界も同様に好きだった。だってこんなにも、自分の孤独を突きつけてくれる。

(結局私は一人なんだ。)

 その事実が実に心地いい。私は正しくないのだと、いつだって糾弾してくれる。始まりはいつだったのだろう。この瞬間はふて現れては、消えていく。川の流れみたいなものだった。それに規則性はなく、気ままに青雲の前に姿を現す。ただ、一人になるといつも隠そうとしているものが、自分の前にちらつく。それだけは憂鬱だった。

(きっと、本当の私を知られたらみんな幻滅するんだろうな。もっと、うまく隠さないと。見せないように、分からないように、本当と嘘をどちらも織り交ぜて綺麗に作りあげなくちゃ。大丈夫、今までだってできたのだから、もっとうまくできるはず。だってもう、嘘が本当になっているのだから、私は大丈夫。)

 青雲は、自分のそんな思考に気づき、思わず乾いた笑いが溢れた。自分が今どんな顔をしているのか、絶対に見たくないと、心の底から思う。きっと酷い顔か、もしくは何も感じてない顔、どちらも人間らしくない顔で好きじゃない。そんな自分の考えにすら嫌気がさす。

(ひどく、毎日、なんで自分がここにいるのか分からなくなる。もっと早く気づければよかったのかな。私は私に何もないのが分かっていたはずなのに。でも、やっぱりどこか踏み出せない。きっと私が弱いから)

 隣に誰かはいるのに、その誰かすらいつか自分を置いていって、一人ぼっちになってしまうのではないかと怖くなる。青雲はマフラーを鼻の高さまでもう一度持ち上げた。ふと浮かぶのは、海想と竹凛、そして蒼原のこと。

大切なものなど本当は一つもない。だけど

「生きているだけで、人は色々なものを背負うんだよねえ…」

 その一言で、世界は一瞬で音を、人を、匂いを、色を取り戻す。まばらに、道行く人が通り過ぎていく。戻ってきたというのに、人々の笑い声や、信号から流れる音楽が遠くに聞こえる。安堵と落胆、どちらの感情も湧き上がり、大きくため息をついた。

「…帰るか」

 スマホを開き電車の時刻表を確認する。次の電車が来るのはあと34分後になりそうだ。それをもう一度確認してポケットに手と一緒に突っこむ。空は相変わらず、灰色の重そうな雲が広がっている。青雲は周りに一瞥もくれずに駅に向かって歩き出す。寒く白い息が、青雲の歩いた後を流れ、静かに消えていった。

4/2/2023, 3:19:53 PM