『同情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あぁ可哀想に
何故自分をそのような目で見るのか
自分は別に可哀想でもなんでもない
逆に幸せなくらいだ
人と言うものは自分と相手を比較し
自分よりも下がいるのだど安堵し
同情の目を向ける
そこにあるの死体で
肉体から解放された自分は
余命1ヶ月と言われ
苦しく辛い病気と戦っていた
もう解放されたいのだ
今や身体が軽い
痛みも苦しみもない
ただ幸福である
同情
ある日の夕方スーパーで買い物を済ませ
店を出たところで声をかけられた
振り向くと
遠縁の親戚にあたる叔母がいた。
「叔母さん、お久しぶりです。」
『ええ、ほんとにお元気?』
叔母さんとは疎遠になっていたが
どうやら近くに住んでいるようだ
続けて叔母が言う
『ねえ、今、いい人がいるかしら?もし、いなかったら是非会って欲しい人がいるのよ。』
実際のところ彼氏はいないし、むしろ仕事の方が楽しいが、叔母の頼みだ断れまい
一度会って後で断ればいい…そう思い
会うことにした。
叔母はたいそう喜んでくれた。
『挨拶もしっかりできて好青年なのよ』
はあ…など思いつつ
「いつ、どこに伺えばよろしいですか?」
と聞くと
『そうねえ、今週末の午後9時に私の家に来てくださる?』
「9時ですか、わかりました」
お相手も仕事で忙しい方なのだろう
叔母の住所を教えてもらい
その日はそれで別れた
そうして当日
9時少し前に叔母の家に着いた
「叔母さん、こんばんは」
『あら、いらっしゃい。さあ上がって。もうすぐ来ますから』
相手はまだ来ていないようだ
手土産を渡して、ただひたすら来るのを待った
テレビはN○Kの番組が流れている
もうすぐ9時だ
それにしても遅いななど思っていると
テレビの中の男性が言う
「午後9時になりました、こんばんはニュースキャスターの…」
叔母はテレビに向かって挨拶をしている
『はい、こんばんは』
『ね、素敵な方でしょ。あなたにピッタリだと思ってね…』
私は、同情や哀れみで感情がごちゃごちゃになった。
叔母が一人ニュースキャスターの話しに相槌を打っていることがいたたまれなくなり
叔母に声すらかけずその場を後にした
きっかけは同情だってなんだっていい。
相手に興味を持って相手の感情を知ろうとすることが大事なんだ。
同情。ある程度年のいった世代ならこのワードで真っ先に昔のドラマを思い出しちゃうだろうな。同情するなら金をくれ、ってやつ。
俺はそのドラマを見てたわけじゃないけどこのワードは今でもはっきりと覚えてる。
こういう心に残るワードを生み出せる人ってすごいよね。僕は死にませぇん、とか倍返しだ、とか。
でもこういうのって周囲がさわいでて何度も聞いたから心に刻まれたっていうのもあるのかな。
それにドラマだから俳優の演技とかも影響してるだろうしこのワードだけで人の記憶に残ったってわけでもないかな。それでもすごいけど。
小説を書き始めてからたしか一年くらいたつけど書ける量があまり増えないな。集中力が足りなくてついネットサーフィンとかしちゃう。
だけど根気よく続ければいつか完成するだろう。一日一字記さばってやつだ。
毎日数千文字とは言わずとも毎日五百文字くらいは書けるようになりたい。
『同情』
同情する者・同情される者が居る中で、「同情されたい者」も存在する。
自分がどれだけ不幸であるかを他者に分かってもらいたいという考えを現在に抱いているうちは、前進するのは難しいことかもしれない。
私は、現在起こっている問題は今の目的がそうしていると唱えた、アドラーの『目的論』が好きだ。
波乱万丈の人生は、自分で作り上げた物
同情するなら金をくれ
朝から夫とお金で揉めた最悪
離婚したい
10億当てる
アイデアを売る
抱き寄せられ、彼の手のひらの熱さに息をついた。
つまらない同情ならされない方がマシだ。体温を分け合うような真似なんて以ての外。
なのに突き放せないのは何故だろうか。きっとだとかだってとか、言い訳を考え始める時点で私の負けなのだろう。
同じように彼の背中に腕を回す。途端にきつくなった締め付けすら心地よかった。
――同情。
同情
小学生の頃、「冷えたご飯が好き!」と
家族以外の大人の前で言ったら、
「可哀想な子…」と言う目で見られたことが
ある。
「温かいご飯を食べさせてもらえて
ないのね」みたいな。
温かいうちに蓋をしたご飯は、
みずみずしくて美味しいと思ったんだが。
今も、お弁当はあまり温めない。
逆に温かいと、夏場に傷んでるイメージになる。
しかし、今や冷めたごはんは、
実は体にとってメリットがたくさんある
とのこと。
まずは、冷ましたご飯は温かいものより
よく噛むようになる。
噛むことで満腹中枢が刺激され、
温かいご飯より早く満腹感を得られ、
血糖値を上げにくいという利点も。
冷めたご飯は消化が緩やかになるため、
血糖値の急激な上昇を抑えることができる。
血糖値が緩やかに上昇することで
体重や内臓脂肪の増加を抑えることが
可能に。
そして、白米が冷えて増える
難消化性でんぷん「レジスタントスターチ」このレジスタントスターチは、腸内細菌の
エサになったり、
善玉菌が活性化しやすくなる働きがあるのだー!(ネットより引用)
あの時可哀想な目で見た大人よ。
私は時代の先にいたのだよ。
「同じ情」
哀れみ、思いやり。
「情が同じ」
急激な感情の動き。
正しく読んでも
逆さに読んでも
結局辿り着く意味は
成道浄土?
娑訶女来?
否否。
常楽我浄のやうやうで
無常苦無我不浄のやっつけ仕事。
それがこの世の哀れ也。
それが真の人と成る。
題 同情
著 塵芥詩歌
同じ思いをことばに浮かんでふとした瞬間立ち止まる
それは果たして同じ答か?問いが頭をふとよぎる。
ことばは同じハズなのに思いはなぜかままならない。
重なり合ったと思ったときにはひらりと風のように舞う。
「読んだ本、観た映画を語り合える友人がいると人生がより楽しくなる」
とある作家が語っていた。
同じ本を読み、同じ映画を読み語り合う。時には意見が食い違う時もあるだろうが、大半は同じ意見.感想を持つ友人。たしかに、そんな友人がいたら楽しい人生になるだろう。
わたしには、そんな友人がいた。
知りあってすぐに彼女はこんなことを話した。
「わたし、毎年、1年間読んだ本の中で1番良かった本に◯◯年度大賞をあげているんです。個人的に。今年は◯◯さんの◯◯でした」
と。
その作家はあまり有名な作家ではなく、私以外でその作家を読んでいたのは、私の周りでは彼女だけだった。
読む本、観る映画の趣味が合い、彼女との会話は時間が経つのを忘れて話した。すばらしい時間を過ごせた。
しだいに本、映画以外の話も増えてきた。家族の話し、部活の話し、子供の頃の話しなどなど。
離れていてもお互いの感情が分かるようにもなり、不思議なことが度々おこった。
ある日、部活の練習試合で大きなミスをし、試合に負けてしまったことがあった。レギュラーを決める大事な試合だったので、わたしはとても落ち込んだ。そんな時、彼女からメールが届いた。
「自身を失ってませんか。大丈夫です。自分を信じて」
彼女には何も話していないかったにもかかわらず。
このようなことが何度もあった。時には私が彼女の感情を感じることもあった。嬉しときよりも、哀しく辛い時が多かったと思う
彼女は心から私を励まし応援してくれた。それは同情ではなく、共感だった。共に感じ、共に泣いてくれた。
いいかを関係が続いていたのだが、ちょっとしたことから連絡を取らなくなった。惹きつけ合う力が強ければ強いほど、反発する力も強い。あれから数年たった。彼女は今どんな本を読み、どんな映画を観ているのか。
リッキージョーンズ カンパニー を聴きながら
『同情』
誕生日を迎えた。プレゼントをもらった。なのに、数日後、別れを告げられた。そう。突然、私の前からあの人はいなくなった。
同情はいらない。ただ、何故かはやっぱり気になる。
いや、でも知ったら知ったで辛そうだからいいや。
人間を辞めたくなる時ってこういう時なのかなぁ。
______やまとゆう
「では、先生の過去を見せてあげよう」
神と名乗る翁は、私の額に手をかざした。
映像が見えたが、それは自分自身が見ているものではなく、誰かを通して見ているような気がした。
目の前には家族の団欒が映し出され、視点の人物はその一人であるようだ。裕福な家庭のようで、食卓に入りきらないくらいの食事が置かれている。
ふと、食事を落としてしまった。その人物の母は笑顔で皿や食べ物を掃除している。どうしてか、はっきりとしないもやもやした感情が私を包んだ。これは人物の感情が反映されているのかもしれない。
次の映像も食卓であった。人物は母や父の姿を交互に見ている。何をしてるんだろう。そう思った矢先、もやもやした感情の正体に気がついた。
父母の表情が、前の映像と全く同じだったからだ。寸分違わぬ微笑み。それは子供心におかしいことに思える。
その人物は立ち上がり、持っているスプーンを振り上げて地面に叩きつけた。すると母はあのときと同じ表情で片付け始めた。
それが、先生の、絶望の日々の始まりだった。
つぎに、ぼんやりと、オレンジの景色が見える。そこは私が住んでいる、この丘だった。
同情
同情を深く考えたことが無いから面白いと思った
でも同情されたくも無いし
同情しても、声掛けはもっと難しい
ただ寄り添うくらいがいいかもしれない
K
同情…か。去年もこのテーマのときに書いたけど、なんだか上から目線、ぽく感じるんだよな。
多分、されたら嫌。同情するよ、と言われても、じゃあ何とかしてくれよ、って思ってしまう。心が狭いのかしら。
「同情」
たとえあなたに事情があったとしても、その境遇を憐れむことはない。
その思考があなたを惨めにするだけだと知っているから。
――同情
題 同情
「あなたは少し人と違うから」
「ちょっと、変わってるね」
「ねえ、大丈夫?」
「なんか、合わせるの大変で」
今まで、いろんな「同情」を受けてきた。
私は人と少し違う。ずれていると言っていいらしい。病名がついているらしいが、それを言うともっと同情の言葉と自分勝手な思想が他人の口から聞こえてくるので黙っている。所詮、これは自分の感情の物差しが人とは違う長さなので、私は社会に当てはまらない。もう割り切っている。
それでも、ふとした瞬間に
「大丈夫だよ」
「もうちょっと愛想よく」
「ねえ、辛いなら言って」
そう言って、私が話して、わかってくれたことはない。
「一人でいるのが好きです。人と話すのは苦手です。アレルギーで食べ物も制限があります。運動は生まれつき苦手です。お酒も飲めません。飲みたくありません。家庭が複雑で、父親も母親も昔蒸発しました。結婚なんてしたくありません」
正直に答えると、一拍の後に、皆が浮かべるのは愛想笑い。
そして貼られる「可哀想な子」のレッテルはもう何枚目だろうか。
これが私なのに。あの子は可哀想な子。
親がいない。好きなご飯も食べれない。結婚しないなんて、女の幸せなのに。
ため息。
貴方の中で、私は可哀想ですか。
暴力と育児放棄を続けた親は今刑務所の中です。
食べ物は気をつけさえすれば美味しくいただけます。
お酒は飲めませんが居酒屋の雰囲気は好きです。焼き鳥の美味しいお店はいっぱい知ってます。
運動は苦手ですが、休みながら散歩するのは好きです。暖かい日差しを浴びるのは好きです。
結婚願望がないとは言えませんが、日々お金を稼いで、老後の資金はバッチリです。年金も真面目に納めています。今度旅行に行きます。これは老後まで遊べる趣味ではないでしょうか?
私は、可哀想ですか?
今が楽しい私は、可哀想じゃない。
貴方が決めた「同情」のレッテルを勝手に私に貼らないで。
そして今日も、相手が無意識に張ってくる同情のレッテルを引き剥がす。
僕はされたくないし、したくない
キモいだろ?
完全に同じになるわけないんだからさ
結局寄り添ったつもりになって、自分が気持ちよくなってるだけじゃないか
だから僕は嫌いだよ
だからしないでくれよ
同情なんてさ
右を向けば、同じような
自分が居る。
左側にも、同じような
自分がいる。
その向こうにも、向こうにも…。
大丈夫ですかと
声をかけるには、疲れ過ぎている。
だけど、皆んな助けを求めている。
力なく、明日の一歩を私は踏み出す。
同じ感情を、共有するほどの余裕は
ないけれど…
きっと、皆んな寂しいから
誰かが前に進んでしまうと
離れたくなくて、ついてくるだろうと。
また、一歩先に進んでみる。
【お題:同情】
同情
私はそんなに可哀想じゃないよと
同情されたくないときと
私は負けずに頑張ってるでしょと
同情してほしいときがある。
あなただけが頑張っているんじゃない
からと、同情しないときと
あなたは他の人より可哀想だと
同情するときがある。
『同情』の意味は、相手が望むように
思いやることとイコールではないから
ムズカシイな。