『同情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
独り、涙を流すあの子に
「かくれんぼ?」なんて声をかけた。
私は知っているのだ。
かくれんぼをしているのは自分だと。
強がり?そうだね、そうかもしれない。
同じになんて見えていたなんて、笑ってよ。
もういっそ、世界から隠れてしまいたいな。
同情という言葉にも行為にも、あまり良いイメージはない。憐れみのようなもの、上から見下しているようなものというイメージを持っている。
それは多分、私がこれまで触れてきたもの(小説やニュースなどの媒体)で、良いものとして使われていたことが少ないからだろう。
最近そのことに気がついてからは、同情の存在意義について少しとらえ直すようになった。
似た意味をもつ共感とは違う、同情という言葉がもたらすもの。
私はこれを古典的美意識ではないか、と思う。
古典の現代訳では共感よりも同情という言葉を使う。それは身分の違いであったり、生死の境であったり、さまざまな差を明確にする。
そして、古典ではそうした差から美が生じる。
同情は古典の美にまで昇華されてまではじめて、その存在を許されるのではないかと思う。
【同情】
きっと傍に居てくれるのは、同情とか憐憫なのだろうと思っていたのに。
「大好きだよ、かっちゃん。かっちゃんが嫌いって言っても、離れない。…ごめんね、オレが離れられなくなっちゃったの。」
あろう事か、あなたはおかしな事を口にし始めたのだ。
「…無理、しなくて、いい、から。」
何度か同じ事を口にしては、苦笑いのあなたに否定される。
「オレは、無理してない。無理してるのは、かっちゃんの方。」
ベッドのサイドテーブルに色んな物を持ち込んでは、自力でベッドから出られない自分の隣で、本を読んだり、書き物をしたり、あなたは自由に過ごしている。
「学校、行って。」
思うより、か細く掠れた声が出て、恥ずかしくなって頭から掛布団を被った。
「あぁ、かっちゃんと一緒に、休学する事にした。一緒に卒業したいから。大丈夫だよ。」
ぽんぽんと掛布団を優しく叩く。
「―――っ!馬鹿。早く、学校、行けよ!」
こんな事で、足を引っ張りたくない。そう切実に思った。
「嫌!あのね、オレ独りで学校行ったら、かっちゃんが居ないだけで、すっげぇつまんなくて、もう学校行くの辞めようと思った。でも、かっちゃんと一緒に卒業したいから、辞めるのを止めようと思った訳。親にもちゃんと話して、同意は取った。自分で決めたから、大丈夫。」
真剣な顔で、はっきりと告げられた言葉に、呆れるしかない。
「かっちゃんと一緒に行けない学校なんて、無意味だよ。」
真面目な顔で、何を言い出すかと思えば、世迷言そのものだった。
「呆れてるだろ、ご両親。」
自分よりも厳格な両親の元に産まれたあなたに、申し訳なくなる。
「いつも通り、オヤジは呆れてだけど、おかんは応援してくれた。」
何も心配は要らないと鼻息荒く、あなたはガッツポーズしている。
「本当、馬鹿だな。」
同情でも憐憫でも、何でも良くなった。
あなたが傍に居てくれるなら、何でもしようと想った。
ねるねるねるねの色を変化させるために、
同情もシンパシーも必要ない。
ただし、練り続けるという意志。
その意志がなければ、色を変えるのは難しいだろう。仮に変わったとしても、それはあなたが望んだ色ではないはずだ。
同情なんていらない。
私は一人でも生きていける。
ずっとそうしてきた。
お母さんが病気で死んでからお父さんは家に帰ってこな
くなった。
お母さんの保険金を全部置いて言ってくれたからまだ良
かった。
それをすこしずつ使って生きてきた。
だってそれが私の普通だから。
みんなの中の普通はお母さんとお父さんがいて、家に帰
ったらご飯があって、洗濯もしてあって、お風呂が湧い
てるそんな家?
私は違う。
家に帰ったらまず掃除。
綺麗になったら洗濯を回して、その次はご飯を作る。
時間があったら沢山作って作り置き。
時間が無い日は食べない時もある。
お金はほとんど自分用には使ってない。
家はお父さんが売って小さい家になったから私だけって
いうのはバレないし、お金が増えたことが嬉しかった。
ご飯を買って、家賃とかを入れたりしたら今月使えるの
なんて少ない。
もうずっとテレビなんて見てない。
学校に行ったらみんなが昨日あったテレビの話、スマホ
での話、色々してるけど私は勉強してるだけ。
進学希望じゃないけど、あんなの話してるよりよっぽど
有意義な時間をすごしてると思う。
私は今、幸せ。
寂しくないわけじゃないけど、辛くは無い。
だってみんないずれかは一人暮らしをするのに。
その時間が早まっただけ。
同情なんて必要ないでしょ。
私の''普通''だもの。
#同情
同情なんてよしてよね
同情なんていらないわ
同情より貶してょ
今のあたしに似合ってる
ズタボロで
笑われて
情けなくて
悔しくて
それを足場に
這い上がってみせる
今よりずっとずっと
いい女になって
失敗したと後悔させて
もう遅いのょと
流し目して
颯爽と歩き去ってやるんだから…
(な〜んてね( *´艸`))
枝先の凧
影踏みの影
裂かれるチーズ
「同情」
#338
同情されたくて泣いたわけじゃないの。
同情してほしいわけじゃないの。
そう言われて、僕はじゃあどうしたら良かったんだろうって。すぐわからなかったのは悪い子だから?
何をしてほしかったんだろう。そう考え始めたら止まらない。
人間ってわからない。
だって、心配しなかったら残酷だと言う。
でも、心配したら同情しないでと言うんだ。
どうすればいいの?
どうすればよかった?
僕が言えるのは
「ごめん…」と、たった一言。
ごめんね、わからなくて。
ごめん、気分悪くさせて。
ごめん、僕が間違ってた。
あぁ、同情しないでと
言う理由が少しわかった。
心配してほしくないんだね
登場人物でました。
お題は同情じゃあーってかあε=(ノ・∀・)ツ
私が可哀想だから
私が落ち込んでしまうから
私に恩があるから
一緒にいてくれるの?
義理や同情の愛は
貴方にふられるよりも
悲しくて苦しいんだよ
同情
学生の頃
流行った
ドラマ
その頃は
あまり
分からなかった
台詞
同情するなら
金をくれ
なな🐶
2024年2月20日578
『同情』
※え〜、このお題に関して色々あるので
保留ということで、えっと、内容がどうなるのか
気になるのならば、お気に入りして待って貰えれば💦
同情で優しくされても嬉しくなんてない。
本音で話せる人が、いつか、
私の隣にいてくれたらって思う。
#同情
誰かのために泣いたり笑ったり怒ったり
私たちは日々与え合って生きてる
思える誰かがいることの尊さを思う
同情
同情してくれる人を
悪者とは思わない。
逆だ、親身に話を聞いてくれる彼らは
僕にとって神よりも大切な人達だ。
【それも繋がり】
同情なんてされたくない
誰も私のことなんてわかるはずがない
...と扉を閉めていると
余計わかってもらえないんだよね
それでも別にいいよ
って思う部分もあるけれど
ヒトは「繋がり」がないと生きていけないイキモノらしいよ
少しずつでも
同情されることを自分に許す
...ことができるようになったら
いわゆる、「ひと皮むけた」って感じになるのかな?
同情したり
してもらったりするのも
繋がりのひとつだしね___
お題「同情」
同情が欲しい訳ではなくて
否定して欲しい訳でもない
ただ私を受け入れて欲しかっただけなんです
「同情」
される時はモヤモヤする
する時は苦しくなる
される時は色々ぶつけてしまう。
嫌な気持ちになってしまう。
知った気になって、わかった気になって
「分かるよ」と呟かれるのが嫌い
勝手に自分の心を決めつけられて、
「私も同じ気持ちなんだ」とか言って勝手に同じ気持ちだって言われるのが嫌い
いじめられてた頃を思い出すから。
他人の同情心に漬け込んで、あることないこと吹き込んで、やってもいない罪をきせられた。
同情っていうのは強い。味方を増やせるから。
相手の心を揺さぶって掴めるから。
人の優しさに漬け込みやすいから。
私だって他人の話しに同情する事はある
でも、それを話している人が100%被害者だとも思っていない。
だからその人に同情するのではなく、その行為に同情する。
登場人物は一旦置いておきその行為が行われた事に対して同情する。
誰が酷いとか、誰が悪いとか、それは一概に分かる事じゃない。
本当かもしれないし、嘘かもしれない。
でも大事なのはそこじゃない。
誰であれ、それをされた人がいるという事だ。
その行為が行われたという事。
別にそれが嘘でも本当でも誰も傷つけない。
私の取り越し苦労で終わるだけで、何も起こっていないに越したことはない。
同情というのは優しさから生まれる心だと私は思っている。
だからこそ、使い方を間違えないようにしたい。
周りの情報に流されず真実を見極めたい。
同情は誰かを傷つけるためにあるんじゃない
誰かを労るために、支えるためにある言葉だと信じているから。
お題「同情」
小学生のうちは、共感をしているつもりだった。けれど、それは共感ではなく同情。泣いている友達に「うんうん、わかるよ」と励ましていたのは、共感ではなく同情。
けれど、みんなそれで友情というものを築いてきた。
中学生にもなると、共感と同情が違うものであると気づく。知らないうちに学んでいるのだ。そして、思春期となるこの時期から、心に闇を抱え始めるようになる。
高校生になると「同情」というものに敏感になる。
SNSで、自分と同じ心の状態である仲間を、自ら探して絆を作ろうとする。そうしているうちは、その仲間の心理状態を、共感として捉えられる。
しかし、いずれ絆が芽生え、知らず知らずのうちにまた、同情してしまうのだろう。
幼い頃は、同情されることで「自分のことを理解してくれている」のだと心が満たされる。
心が発達していくと、「同情」というものは、やがて「上辺だけの感情」に過ぎないと感じるようになる。
この辛さは、自分にしかわからないのに、何故「わかるよ」なんて言われなければならないのだと、静かに怒りを覚えてしまう。
※あくまで、私の経験や意見を綴ったまでです。
「何があったのか、聞いてもいい?」
幼なじみを見据えて、私は言う。
「何って言われても……見てのとおりただの怪我だよ。スピード出してる自転車にぶつかられた」
「なんでバッグないの?」
「ひったくり、バイク乗った人がバーって持ってった」
「なんで下だけジャージ?」
「これは近く通った車が水溜まり撥ねてって、それ被っちゃっただけ」
「柚希、2ヶ月に1回くらい。そんな時あるよね。不幸体質っていうのか」
「不幸体質、ねぇ。僕はその表現、あんまりピンとこないんだよな」
「そうとしか言いようがないでしょ。しかも最近、どんどん酷くなってるような気がする」
「いやいや、意外とそうでもないかもよ。今日のことももし僕が注意して曲がり角を見ていれば、自転車はよけれたかもしれないし。ひったくりに関しても無防備にバッグを持ってた僕の責任もあるし、水溜まりに至っては、今日、たまたま体育があってジャージを持っていたのが幸運だとも言える。なんなら快適だよ。一日ジャージで過ごしていていいんだから」
「うーん、納得いくようないかないような」
「不幸なんて、主観的で相対的なものなんだよ」
「まあ柚希がそう思うんならいいけど」
言っているとチャイムが鳴って、数学の先生が入ってきた。
「怪我酷いなら保健室行きなよ」
私はそれだけ言って教室の左前に位置する自分の席に向かう。
柚希は笑顔だけ見せて、返事をしなかった。
三限まで終わり体育の時間がやってきて、教室でそれぞれ着替えを始めた。
しかし、柚希の姿は見えなかった。
先に行ったのかと思って、グラウンドに向かったが柚希はいない。
なんだか、胸騒ぎがした。
授業終わり、教室に向かう友達と別れて保健室に向かった。
朝、柚希が見せたあの表情が気になっていた。
思い返せば、柚希は小さい頃はとても泣き虫で、転んだだけで大泣きしてしまうような子だった。
ああやって誤魔化すように笑うようになったのは、最近のことだ。
柚希の父親が再婚したのは1年半くらい前の話。
柚希が引越ししたのも、柚希がたまに怪我するようになったのも、思い返せばそのくらいの時期だったような気がする。
一つ一つの違和感が大きな黒い塊に変わっていく。
もしかして、私は気づけていなかったのだろうか。
信じる方がおかしいような嘘をずっと疑いもしなかった。
感染対策で開きっぱなしの保健室には、柚希がグラウンドの方を向いて座っていた。
こっちには気づいていない。
あの制服を捲れば、真実が見えるのだろう。
もしかしたら案外杞憂なのかもしれない。
でも確かめてしまえばそれだけで、柚希の居場所がなくなってしまうように思えた。
「不幸なんて、主観的で相対的なものなんだよ」
柚希の言葉を思い出す。
だとすれば、私は。
保健室には入らずに、購買によって教室に帰った。
何も気づいてないような顔で柚希を待つ。
柚希が戻ったら新発売のパンの文句でも言おう。
柚希は独特な味を好むから、案外これも喜んで食べるかもしれないな。