『同情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
同情
あいつは仕事できなくて可愛そう。
そう思ってるつもりだったけど、
俺も仕事できなくて、周りから可哀想と思われてる。
同情しているつもりが、同情されている。
人にしてることは自分に返ってくる。
同情なんてもうしないよ。
「同情」
本当に惨めで憎ったらしい
哀れだ
何時までもお前は成ってないな
妖怪というものなのか?本当に
お前は、優しすぎるんだよ
妖怪なんだから、少しは心を鬼にしろよ
そんなんだから何時までも
お前は
「変わってないな」
嫌なことがあったとき
悲しいことがあったとき
友達に共感してほしいとおもうときがあるよね
同情するなら金をくれ、なんていう言葉があるが
金なんていらない
同情してくれるということは
その人の優しさを受けているということ
同情してくれる優しい人を手放してはいけないよ
同情はときに人を救うから
「同情」とは、他人の苦しみや不幸を、
自分のことのように感じ、かわいそうと
思うこと、だそうだ。
勝手な言い分かもしれないが、上から目線の
ようで、あまり良いイメージが無い。
昔、私が仕事で壊れた時、それを知った上司に
「かわいそうに。」と言われた事を思い出した。
そんな昔の話をどうこう言う気はさらさら
無いが、今にして思えば、私は「かわいそうな
子」だったのか。と、ちょっと思ってしまった。
ひねくれ者だな、私。
「同情」
「同情」
ただ、同情してあげている自分に
惚れてるだけのくせに
わざわざ本音隠して
思ってもないこと言って
後から影で笑いものにして
そんな奴がいるから
善意で話を聞いてくれる人さえ
疑ってしまう
同情
大好きなあの子にフラれた君は
幼馴染の私に泣きついてきた…
「もう〜泣かないの、」
ごめんね、同情してるフリ…だよ
その奥にある君への愛情には気付かせない…
だって、私は君のただの友達だから、
毎日一緒にいられるし、贅沢言わないよ
気付かれなくていいの…これでいいの…
溢れる涙の理由をただ教えて欲しいだけなの…
·̩͙꒰ঌ 同情 ໒꒱·̩͙
「大丈夫?」
「その気持ちよくわかるよ」
「私も貴方と同じだったから」
僕は同情が嫌いだ。
同情したって何も変わらないから
でもその同情に何回も救われた
♡13
テーマ:同情 #100
「ララキどうしたんだ?」
僕(真)は手を引くララキに言った。
『いいから来て! 合わせたい『人』がいるんだ』
「会わせたい『人』?」
僕が人と言うのを強調するのには意味がある。ララキは人外だ。僕も人外と人間のハーフといったところだが……今はどうでもいいことだ。
普段はホラーハウスから出ないララキがこうして外に出ているのを見るのは、勝瑠を助けたとき依頼だ。
勝瑠は僕の弟。色々あって僕たち兄弟は引き裂かれていたわけだが、ある事件によってまた出会った。
運命っていうのは本当にあって、縁というものは簡単には切れないらしい。
『あ! お〜い! 連れてきたよ〜』
ララキに連れてこられたここは、なんだか変だ。人間の世界とは違うみたいだ。まさか人外の世界? とも思ったがそれもまた違うらしい。
「君が真くんだね?」
「あ、え…はい」
声の主は男の人で袴を着ている。なんだか偉い人みたいだ。その隣には瞳が黄緑の女の人が穏やかな表情でこっちを見ていた。
「はじめまして。僕はラック・クラーム。こちらはミデル・クラーナ。僕の妻です」
「は、はぁ…」
僕はそう言って頷くとミデルさんとラックさんは微笑んでいる。全くわからない。なぜ僕がここにいて自己紹介されているのかを…。
「ララキ、もしかして真くんに話していない? 今回の目的」
『あ、忘れてた』
ミデルさんがそう言うとララキがいたずらっぽく笑った。いつもなら、仕方がないなぁとなるところだが、今回ばかりは何も聞かされていないのに未知の世界に連れてこられたものだから、何も言えない。
「今日はね、披露宴なんですよ」
「披露宴?」
なんのことがさっぱりわからない僕に
『あ、もう行かなきゃ! あとはよろしく! ミデル、ラック!』
そう言ってそそくさと去ってしまったララキ。え、僕は…?
「急にこんなとこ連れてこられて、知らない人たちと一緒になんて嫌だよね」
ラックさんが話しかけてくれる。僕はララキが去った方を見てポカーンとしていたが、ハッとした。
「すみません……。あまり状況が理解できていなくて……」
「いいのよ。ララキはそういうところがあるのよね〜」
ミデルさんがフフフッと笑っている。
「でも、それが憎めない」
ラックさんの言葉に同情した。すると嬉しそうに笑った。
その時。
「危ない!!」
そう聞こえたかと思うと僕の前を何かが横切った。
「すみませーん!!」
それは人だった。闘牛の牛か、人外かと思った。にしてもあんなスピード人間に出せるか…?
「あ、ララキからその説明もなかった?」
僕を見てラックさんが言った。
次の言葉に僕は耳を疑った。
「ここは光と闇、人間と魔法使いが共存する国だよ」
※
皆さん、こんにちは。こんばんわ。或いはおはようございます。
今回で100日約100作品(リレー小説を含める)を書き続けることができました。狼星です。
正直、続けられないと思っていました。
最初の作品から私の作品を見てくださっていた方も、
途中から知ってくださって見てくれた方も、
今日の話が初めてという方も、
私の作品を最後まで見てくださり、
ありがとうございます。
皆様のお陰で書き続けることができました。
ありがとうございます。
♡を押してくれた方。
投稿を楽しみにしてくれていた方。
いてくださったら光栄です。
毎日の励みになっています!
これからもよろしくお願いいたします。
☆
今回から少し振り返って今までに出てきた作品の子たちを出したいと思います。
今回出てくれた子たちは
#20から
・ミデル・クラーナ
・ラック・クラーム
#64から
・真
・ララキ
(・勝瑠)
でした。リレー小説の子たち中心にはなってしまうかもしれませんが、温かい目で見てくれると嬉しいです。
どれくらいになるかは私の気分なので、わかりません。
リレー小説もどきとなりますが、読んでくれると嬉しいです。
また、読んでない! という方は過去の作品を振り返って読んでもらえると嬉しいです!
※
何度もお知らせがあってすみません。
仕事が忙しい日が続いているので、短くなる日があるかもしれません。ご了承ください。
同情
友達との会話で同情することはよくある。
しかし学校の授業はなぜか他の意見に同情することはあまりならない。
かと言って自分の意見を主張するのも心苦しい。
でも同情って自分が思えばそれでいい。
思い込みかもしれないけど、本人がもう一人の自分に思い込ませればいいのかもしれない。
同情って難しい。
これに気付いた人はよほど人との関わりが上手い。
私はそう思っている。
バリバリの仕事人だった私に、赤ちゃんが生まれた。
とてもふにゃふにゃで、柔らかくて、くしゃくしゃで、でも日々成長している。
産後は八週目から仕事復帰をしていいらしい。法律でそう定められている。
事前準備を怠らない私は、既に保育園も確保し、その八週目から仕事に戻った。
「中田さん、お久しぶりです~体大丈夫ですか?」
後輩達がみんな私を出迎えてくれた。お祝いも色々もらっていただけに、育児休暇のない会社の私は更に働かなければ、という気持ちにかられていた。
そんな時だった。
「中田さん、保育園から電話です~」
子どもが熱を出したらしい。
「子どもが小さいから仕方がないですよ!」
「今は復職期間ってことで!」
みんなから同情された。
「働いてるだけでもすごいことですよ!」
「旦那の稼ぎがよかったら私なら仕事辞めちゃうくらいですから、中田さんはすごいです!」
その同情が、やけに痛くて。
産後のメンタルはずたずただ、その同情はマイナスの意味にしか捉えられない私にも苛立ちがある。
「中田さん!?」
私は初めて職場で泣いた。接客業の現場で、泣いてしまった。
この涙は、なんの涙なのだろう。
【同情】
※【冬休み】の続編
『余地は無い』
町工場に被害者の列 それを嘲笑する鴉の群れ
道を誤ってしまったのだろうか それとも考えが甘かった? 全て自分のせいなのだろうか? 好ましくない夕暮れにまたしても鴉は鳴いて カァカァカァ、、
中途半端に寄り添って 共感ならしたフリだ
つまらない小説くらい同情の余地は無い
〜同情〜
先日、家の鍵を開けようとしていたら
ふと、横にいる
茶色の野良猫と目があった。
その日はとても寒く
猫は私の顔をじっ〜と睨んでいた。
まるで
(同情するならオイラも入れてくれよ)
と言っている顔だ。
こんな小さな猫が必死になって
大自然の厳しさに耐えているというのに
それなのに、私は
コンビニでアイスクリームを買って
『暖房の効いた部屋で食べる冷たいアイスも乙だね』
を、楽しもうとしている。
猫の視線が怖い
ああ…なんて私は
罪深い生き物なんだ。
猫がもし私のアイスクリームを見て
「なんで寒いのに冷たいものを食べれるの?」
って聞いてきたら
私はあまりの申し訳無さに
胸がいっぱいになって
なにも答えられなくなって
泣いてしまうところだった。
猫さん、ごめんなさい。
でも、家では飼えないんです。
冬にアイスクリームなんか買って
すいませんでした。
違うよ…。
私は同情しただけ
君が少し前の私にちょっぴり似てたから
だから『優しい人』なんて勘違いしないで。
…だって私は、嫌われるのが怖いから誰にでも優しくする
そんな情けなくて、臆病で、惨めな奴だから。
でも、なんでかなぁ…
嘘の優しさを周りは本当の優しさだと勘違いしちゃうのは…
行き先を失くした想いは
何処で時を過ごせば
いいのでしょう
伝えきれなかった想いは
何処に行けば
いいのでしょう
こころの奥深く
声もなく沈澱していく
哀しみを前に
行き先のない想いを
抱きしめたまま
動けないでいるわたしを
立ち尽くすしかないわたしを
どうか
責めることなく
憐れみと
同情の眼差しだけで
いまは
見守っていてほしいのです…
# 同情 (44)
―同情―
その声
その表情
その行動
全部、作り物なんでしょ?
わかってる、わかってる
バレてるし、お見通しだし
どうせ、憐れむ裏では嘲笑ってる
その顔だって面なんでしょ?
同情なんて受け付けてない
どうもしないからほっといてくれよ
ほらまた
優しい顔して手を差し伸べて
ほんとは自分の印象のため?
やっぱりそうだ
偽善者じゃん
認めていいよ
猫かぶりでしょ?笑
君の気持ちは痛いほどわかるとか
誰もが経験する失敗だよとか
止まない雨はないからさだとか
諦めなければ報われるとか
人を信じることを辞めた
そしたらいつしか
信じられなくなってて
何がほんとかもわかんなくって
どんどん堕ちてく堕ちてく堕ちてく
冷たい大人になってしまった
私はまだ、子供なのに
同情、
同情なんてされてもお前には俺の本当の気持ち分かるかけがない
そんなことを言ったら君は泣いてしまった
「そんなの分かってるよ、でも」
「でもさ君の気持ちが知りたくてさ」
それが嫌なんだ
善人面で綺麗事しか言えないお前が
俺は同情何てされなくても生きていけるのだからお前は黙ってろよ
同情
人間、特に日本人は、『同情したがる』
ような気がする。
同情されると、
「分かってくれる」と思うし、
安心感を得ることもできる。
こうして、友達になることも少なくない。
逆に、同情されないと、
「この人とは、意見が合わない」と思うし、
「これでいいのか。」という
不安に襲われる人もいるだろう。
だから、『同情したがる』のだと思う。
でも、このままでいいのか?
ただただ他人に同情していると、自分の思っていることが言えなくなり、自分に自信を無くし、心に傷を負うことになるのではないか?
それが、今の日本人ではないかと私は思う。
でも、安心してほしい。
こんなに偉そうに語っている作者も、いわゆる『同情したがる』人間だ。
心に傷を負う前に、少し意見を言ってみるのはどうだろう。
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なんか説明文っぽくなってしまいました。
分かりにくかったらすみません。
受け入れられなくとも、見てくださるだけでも嬉しいです。
あと17で、❤︎が、600に到達します。
ずっと思っているのですが、私が投稿してから、数時間経つと、毎回❤︎が10と少しついています。(もちろん日によって違いますが)それを見るとまた書こうという気持ちになるので、ありがたく思います。
もしかしたら、前から私の文をよんでくださる方もいらっしゃるかもしれません。
それはそうとも、前から読んでくださる方も、初めて読んでくださった方もこんな文を読んでくださりありがとうございます。長文失礼致しました。
別にそんなのどうでもいいんだよ!
アドバイなんていらない
"ただ聞いて欲しい「うん、そうだね」って
言って欲しいだけなの''
【同情】
どうしようもなく傷ついたり、些細なことで塞ぎ込んだりしたことは誰でも一度や二度あるのではないだろうか。自身に向けられた悪意や、挫折や躓きから気持ちが下向いてしまう。そして、そこに追い打ちをかけるように辛いことが重なり心を苦しめる。私の人生はまさにそうであった。しかし私の周囲には相談を出来る人というのがなかなかいなかったが為に、自分の力だけで乗り越えることしか出来なかった。乗り越えられたのだからいいのだろうが、人の真っ直ぐな善意や協力でもって共に乗り越えてみたかったのだ。気持ちによりそう人間すらいなかったのだから、私の人生とは実に情けのないものだとしみじみと感じる。
友人や知人が方を落とし、目を伏せている時というのはどうしたものかと自分も気持ちが落ち込んでしまう。なんと声をかけると良いのか、なんと励ませば良いのかまるで分からない時がある。もちろん、簡単に声をかけることは誰でも出来るだろうし、今までもそうしているだろう。私もそうだ。しかし、相手が真っ直ぐ気持ちや想いを伝えてくれればいいのだがそうもいかないといというのはあれものだ。相手が深く塞ぎ込んで閉まっているときや、心を抉られるように傷ついているとき。紛らわせることの出来ない苦しみや悲しみに苛まれているとき。なんと言葉にして良いのか分からないあ程に追い詰められているとき。そんな状況では、どれだけ親しい仲であろうと解決することは実に難儀な事だろう。かと言え、何も声をかけない訳にもいかない。これが恋人同士であれば、こうしたことから喧嘩に発展することもあるだろう。なぜ声をかけてくれなかったのか、心配もしてくれないのかなどと責め立てられてしまうこともあるだろう。誰も見な人間だ、そうした時冷静に話し合える人というのはなかなかいない。人というのはむき出しの感情に敏感に反応するからである。そして、恥ずかしながら私もその一人だ。故に、普段は心を無にするように心がけているが、いやなに簡単なことではない。未熟な人間なもので、ついと反応してしまうのだ。
人というのは我儘なもので、放って置かれるとそれはそれで腹が立つが干渉されることも嫌う。人には適度な距離感であるパーソナルスペースがあるように心のパーソナルスペースも存在する。そしてその上で適度な接点というのがある。人の気持ちというのもここに触れるか触れないかというのが実はとても重要で、たとえどのような言葉や気持ちもこの距離のどこからかけられるかで大きく変わってくるものだと考える。人それぞれに心地の良い距離感というのが物理的にも、精神的にも存在している。その距離の遠いところからかけられる言葉というのはまるで響きもしないが、触れられたくないというギリギリのところからかける言葉や伝えた想いはズシンと響く。簡単に言えば人は欲張りなのだ。もちろん、これは本人の無意識の中でのことで、責めるというのは間違いであることは言うまでもない。
例え仲の良い気心知れた人間から情を寄せられようが、見ず知らずの人間から情を寄せられようが人というのはその一時というのはか心が動く。嬉しくなったり、憤慨したりする。自身の情緒を察して、或いは気持ちを汲んで同じ思いで寄り添おうとしてくれる人間は少ないよりは多い方がいい。というのは、誰も見向きもしないよりは一人でも多い方な気持ちの面では有意義だからだ。もちろん、意に反する言葉もあるだろうがこれはとても大事な事だ。いちいち余計なところへ気持ちを向けることができるからである。いつまでも一点に集中し続けると上手くいかなくなるのは、何事も共通している。しかしながら人というのは寄り添われるとありがたくも感じるが、ときに疎ましくも感じるもの。自身の情緒に同調し寄り添おうとされると、それが意にそぐわないということもある。つまりどっちつかずで我儘で勝手なのだ。いやなに、それは何も悪いことではない。大事なのはそういった人間の単純さと面倒な所を意識していけことだ。その上で上手く付き合うことに他ならない。
恋人が機嫌を悪くしている時、なんと声をかけたらいいのだろうと悩んだことはあるのではなかろうか。なぜ機嫌が悪いのだろう、具合が優れないのだろう。これは考えても仕方の無いことだ。何故ならば、恋人であれ家族であれ所詮は他人で、一人の人間なのだ。では、できることはなにか。 簡単な話だ。聞けばいい。まずは聞くのだ。それが自信に向けられた文句や恨み節でもまずは耳を傾け、相手の心情に寄り添うのだ。その上で、自分自身の感情や勝手な気持ちは置いておいて相手の立場になって客観的に考えてみる。そうすることで、なかなか見えないものがみえてくるものだ。
簡単に言えば、人というのは同情されることに良くも悪くも敏感だ。それでいて無関心を貫かれるとへそを曲げるのだ。上手く付き合うには無責任な干渉を避け、寄り添うこと。場合によっては突き放すということがとても大切だ。
私の人生、周囲に情を分かった人は余りいないが
いつもどんな時も寄るも離れるも上手く付き合いをしてくれた大人たちがいた。今思えば、これは彼らなりの同情故の行動だったのだろう。
同情で付き合わないで!!
よく言われてきた言葉だ
同情で付き合ってた訳では無いけど
はたから見たらそう見えてたのかもしれない
もし自分がそっち側だったら
同じことを言うかもしれない
はぁもうめんどくさい
「みたいなこと前言ってませんでした?」
「僕過去のことは忘れるタイプ〜。」
それが今はこんなぞっこんになるとは
でも心配なのは相手の方同情なのか
聞きたいけど怖い
自分の過去付き合ってた子もそんな気持ちだったのか
「俺は同情で付き合わないですよ。」
そうニッと笑った
もう大好きだ