-ゆずぽんず-

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どうしようもなく傷ついたり、些細なことで塞ぎ込んだりしたことは誰でも一度や二度あるのではないだろうか。自身に向けられた悪意や、挫折や躓きから気持ちが下向いてしまう。そして、そこに追い打ちをかけるように辛いことが重なり心を苦しめる。私の人生はまさにそうであった。しかし私の周囲には相談を出来る人というのがなかなかいなかったが為に、自分の力だけで乗り越えることしか出来なかった。乗り越えられたのだからいいのだろうが、人の真っ直ぐな善意や協力でもって共に乗り越えてみたかったのだ。気持ちによりそう人間すらいなかったのだから、私の人生とは実に情けのないものだとしみじみと感じる。
友人や知人が方を落とし、目を伏せている時というのはどうしたものかと自分も気持ちが落ち込んでしまう。なんと声をかけると良いのか、なんと励ませば良いのかまるで分からない時がある。もちろん、簡単に声をかけることは誰でも出来るだろうし、今までもそうしているだろう。私もそうだ。しかし、相手が真っ直ぐ気持ちや想いを伝えてくれればいいのだがそうもいかないといというのはあれものだ。相手が深く塞ぎ込んで閉まっているときや、心を抉られるように傷ついているとき。紛らわせることの出来ない苦しみや悲しみに苛まれているとき。なんと言葉にして良いのか分からないあ程に追い詰められているとき。そんな状況では、どれだけ親しい仲であろうと解決することは実に難儀な事だろう。かと言え、何も声をかけない訳にもいかない。これが恋人同士であれば、こうしたことから喧嘩に発展することもあるだろう。なぜ声をかけてくれなかったのか、心配もしてくれないのかなどと責め立てられてしまうこともあるだろう。誰も見な人間だ、そうした時冷静に話し合える人というのはなかなかいない。人というのはむき出しの感情に敏感に反応するからである。そして、恥ずかしながら私もその一人だ。故に、普段は心を無にするように心がけているが、いやなに簡単なことではない。未熟な人間なもので、ついと反応してしまうのだ。
人というのは我儘なもので、放って置かれるとそれはそれで腹が立つが干渉されることも嫌う。人には適度な距離感であるパーソナルスペースがあるように心のパーソナルスペースも存在する。そしてその上で適度な接点というのがある。人の気持ちというのもここに触れるか触れないかというのが実はとても重要で、たとえどのような言葉や気持ちもこの距離のどこからかけられるかで大きく変わってくるものだと考える。人それぞれに心地の良い距離感というのが物理的にも、精神的にも存在している。その距離の遠いところからかけられる言葉というのはまるで響きもしないが、触れられたくないというギリギリのところからかける言葉や伝えた想いはズシンと響く。簡単に言えば人は欲張りなのだ。もちろん、これは本人の無意識の中でのことで、責めるというのは間違いであることは言うまでもない。
例え仲の良い気心知れた人間から情を寄せられようが、見ず知らずの人間から情を寄せられようが人というのはその一時というのはか心が動く。嬉しくなったり、憤慨したりする。自身の情緒を察して、或いは気持ちを汲んで同じ思いで寄り添おうとしてくれる人間は少ないよりは多い方がいい。というのは、誰も見向きもしないよりは一人でも多い方な気持ちの面では有意義だからだ。もちろん、意に反する言葉もあるだろうがこれはとても大事な事だ。いちいち余計なところへ気持ちを向けることができるからである。いつまでも一点に集中し続けると上手くいかなくなるのは、何事も共通している。しかしながら人というのは寄り添われるとありがたくも感じるが、ときに疎ましくも感じるもの。自身の情緒に同調し寄り添おうとされると、それが意にそぐわないということもある。つまりどっちつかずで我儘で勝手なのだ。いやなに、それは何も悪いことではない。大事なのはそういった人間の単純さと面倒な所を意識していけことだ。その上で上手く付き合うことに他ならない。

恋人が機嫌を悪くしている時、なんと声をかけたらいいのだろうと悩んだことはあるのではなかろうか。なぜ機嫌が悪いのだろう、具合が優れないのだろう。これは考えても仕方の無いことだ。何故ならば、恋人であれ家族であれ所詮は他人で、一人の人間なのだ。では、できることはなにか。 簡単な話だ。聞けばいい。まずは聞くのだ。それが自信に向けられた文句や恨み節でもまずは耳を傾け、相手の心情に寄り添うのだ。その上で、自分自身の感情や勝手な気持ちは置いておいて相手の立場になって客観的に考えてみる。そうすることで、なかなか見えないものがみえてくるものだ。


簡単に言えば、人というのは同情されることに良くも悪くも敏感だ。それでいて無関心を貫かれるとへそを曲げるのだ。上手く付き合うには無責任な干渉を避け、寄り添うこと。場合によっては突き放すということがとても大切だ。


私の人生、周囲に情を分かった人は余りいないが
いつもどんな時も寄るも離れるも上手く付き合いをしてくれた大人たちがいた。今思えば、これは彼らなりの同情故の行動だったのだろう。

2/20/2023, 12:01:27 PM