『友情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
友情とはどんな事を言いますか?
悪口を言われてても友情なのでしょうか?
簡単に壊れるほどの関係が友情なのでしょうか?
私は、助け合い、相手のことを分かり合うのが友情だと思います。
たとえその友情が壊れたとしても、もう一度相手のことを見直す事が大事だと思います。
だいすきだよ、ずっと友達でいようね
そんなことを話しても友情は結局愛情に負けるのだ
恋愛には勝てない、友情なんて愛情が見つかるまでのしのぎでしかない
《友情》
それは、本部外での用事が出来た為に帝都郊外の喫茶店で遅めの昼食を取っていた時の事だった。
後ろに座っていた男性客二人の会話が耳に入った。
「俺は!友達と出掛けるって!聞いてたんだ!」
「うんうん。」
「それなのに、あいつ!俺の知らない男と!手ぇ繋いで歩いてやがったんだ!」
「そりゃまずいわ。」
「手ぇ繋ぐとか!友達とはしねぇだろぉ!」
「だよなぁ。女同士ならともかくなぁ。」
…あらかじめ断っておくが、声が大きかったから聞こえてしまっただけで、断じて耳を欹てていたわけではない。
どうも片方の男性の恋人に浮気の疑いが上がったらしい。
他の男性と手を繋いでいた…か。確かにそれは辛いものがある。
そして相談をしていた男性は、遂には大泣きを始めてしまい、もう一人の男性に店を連れ出されていた。
「うああああぁぁぁぁ…俺はっ、俺は!!」
「はいはい、ちょっと早いけど今から飲みに行こうぜ。何なら奢るからさ。」
「あああぁぁ!持つべきものは親友だ!ありがとうなぁぁ!」
そうこうする間に二人の男性客は退店し、店内は元の静けさを取り戻していた。
しかし、込み入った内容を気軽に話していた事と言い、それをある程度受け流している風な素振りを見せつつも憂さが晴れるまで付き合おうという姿勢と言い、良い友人関係なのだろうな、とコーヒーを口にしつつ感心していた。
……ん? 手を繋ぐ?
ここでふと、僕は最近の自分の行動に思い当たる。
気が付けば自分から、彼女の手を取り歩く事が多い。
何故だ?
他の男性と手を繋ぐ、それが辛い?
…何故だ?
僕は真っ白になった頭でコーヒーカップから口を離し、今の僕の心のようにカップの中で揺らぐ黒をぼんやりと見つめていた。
社会に出て、上辺だけの友情だけの人もいて正直、吐き気しか覚えない。
本人がいて、聞こえているってわかって言っている悪口も仲がいいくせに、人の悪い所を見つけることしか脳のない陰口女も。
滅びろ。
『友情』
どこまでを友情と呼んでも良いものか、私にはよく分からない。友達の横顔にドキっとさせられることもあれば、他の人と親しそうに話していれば私と話せば良いのに、と思うこともある。
しかし、口づけようとは思わない。
女の子に触れるなんて、と思ってしまう。
限りなくあまいけど、恋愛感情かと言われると違う。これは何と呼ぶのだろう。やはり「友情」と呼ぶのが適しているのだろうか?
【友情】
愛と呼ぶには爽やかすぎる
恋と呼ぶには冷めている
純な素朴な相手への好意
そんな感情
おはようと言えばおはようと返ってくる
顔を合わせればなんとなく様子を窺いながら会話をする
私にはそれで十分なんじゃないか
友情
友情
友達百人できるかな、ってやつだな。ぼくは友達ゼロ人です。
しかしまぁ友達もそうだけど人間関係なんてうっとおしいだけだからな。わざわざ作る気がしないわ。
人と話すのが楽しいってのはわかるんだけどそれ以上にめんどくさいんだよね。誰だってそうだと思うけど一人のほうが気楽だからな。
なんというかあれだな。このお題はどうも書くことがない。友情とか友達ってのが縁遠いしなにより書く気がしない。
友情
私にはひとりの友人がいた
彼以外にも友人と呼べる者はいたが
彼以上の友人はいなかった
悩みを聞いて、聞いてもらい
互いに助け合い
支え合った友人がいた
そんな彼に、ついに恋人ができた
それでも、私達の関係は変わらなかった
彼は2年、3年……と恋人と長く交際をした。
私は今日もなんら変わらぬ日だとぼやいて
外を眺めていた時、電話がかかってきた
ぼーっとしていたこともあり、とっさに電話をとった
聞こえたのは、全く知らない声だった
『お前が--の浮気相手か』
『今すぐ--と別れないのならお前を✖︎す』
それだけ聞いて、電話は切れた
かかってきた番号を見返すと、彼の電話番号だった
私はその晩、再度彼に電話をかけ彼に問い詰めた
彼は言った
『恋人に嫉妬してほしくて
お前と浮気していると嘘をついた』
と
途端に気付いた
この世に完璧などないのだと
彼が1番の友人だなんて、
私はなんて蒙昧な人間だったのかと
彼との思い出も、なにもかも
全てが白く染められた
以降私は、異性の友人を作らなくなった
【友情】
友情なんて薄っぺらいのに中々切れない
愛情なんて分厚いのに切ろうとすれば切れてしまう
知り合いじゃなくて
いわゆる友達を大切に思う気持ちも
たまたまその場で居合わせた人と
気持ちよく過ごしたいと思う気持ちも
同じ友情という気がするし
もっと大きい人情というのかもしれない
「背中側は任せろ、俺がきっちり守ってやる」
この場所は知らせてないのに、いつの間にかアイツが俺の後ろにいた。
「お、お前、何でここにいるんだバカヤロウ。」俺がそう言うとアイツはフッと笑って「ダチだろ?」と言った。
つまらない話だ。2人組が高校生をカツアゲしてたから、そいつらを伸してやった。
そしたらそいつらが仲間5人を引き連れて俺にお礼参りにきたと言うわけだ。
相手は7人。無傷で帰るのはさすがに無理か。ボスはどいつだ?
そう思っていた時にアイツの声がしたのだった。
「ヒーローかよ。かっけーな。」俺が言うとアイツは「貸しな?」といって再び笑った。
あまりに笑顔だったのが相手の気に障ったらしい。
「余裕こいてんじゃねーぞ、コラァ!」
相手の1人がそう言うと7人が一斉にこちらにむかって走り出した。
バーカ、俺ら2人いたら最強だぞ?
俺は安心して背後をアイツに委ねると、リーダー格の野郎に右ストレートをねじ込むべく、走り出した。
お題「友情」
男女の友情は成り立つかどうかについて私は成り立つと思います。
なぜなら、同じ人間同士ならその感情は必ず発生するからです。例えば、、
しかしながら男女の仲といったとこもあるので、異性としても見れます。そうすると性的な目いわゆるセフレ
友情
とても良い言葉。
でも情が付く言葉は一方的な事が多いと感じる。
愛情
・子供に対しては、一方的。
・恋愛に対しては、相互的な時もあるがフラレる時は一方的。フル方も一方的にフリやがる。
同情
・あわれみなので一方的。どうせならお金をあげたほうがよい。
私情
・一方的に挟んでくるなよ。
純情
・一方的にはぐれているだけ。
無情
好きにさせてよは、一方的。
友情は…
まぁ何が言いたいかと言うと、このアプリを含め、一方的な事って俺は好きだなーと感じたお題のお話でした。
おしまい。
情けを感じることが
最近、少なくなった
わたしだけだろうか
感じ手の問題かも
しれない
感じ手?
わたし自身、
感受性が劣化
してきてるかも…
もし、
『友情』が感じられない
ようになったら、それは
豊かさを1つ失うようなものだ
まー
友情とは簡単にヒビが入るものだと思っていた。
毎日遠慮しながら少し疲れてたかも。
でもね、気づいたんだよ。
それは友情ではないってね。
向こうから声をかけてくれた、
少し不安だったけど
何故か笑いが笑顔が
晴れた天気のように止まらない。
これが友情なんだ。
なんかスッキリした。
お題: 『友情』
いっぱいあって、色々な色がある。
時々途切れてしまったり、いざという時にはとっても強くなって。
不規則だけど、私はいちばん大切にしている。
友情は、人間同士じゃなくても成立するのだろうか。
「ニャー」
「よしよ〜し!今日も可愛いねぇ〜!!」
「ゴロゴロ」
私は平凡な社会人2年目の女。
毎日のように働いて、こうして近所の野良猫に構ってもらうのが最近の日課だ。
飲み会に誘ってくれるような仲の友達はいないし、上京したのもあって気軽に遊べる友達もいない。
そんな心の寂しさを埋めてくれる猫のことを、私は友達のように大切に思っているのだけれど、猫はどうなんだろう。
「今日は奮発しちゃいました!」
そう言ってチュールを差し出すと、猫が目の色を変えて「ニャーニャー」と鳴き出す。
猫の言葉は分からないけど、これは多分「早くくれ!!」と言っているに違いない。
「よく食べるねぇ〜。たんとお食べ!」
「ニャー!」
一度おやつを与えるようになってしまったら、もうおやつなしでは構ってもらえなくなるんじゃないかと怖くて、少ない給料からおやつを買い続けている。
これは果たして友情なのか疑問だが、猫と打ち解けられたし、今じゃ私の顔を見るなり擦り寄ってくるくらいには仲良しなので、友情と思うことにしよう。
猫が友達でもいいじゃないか、幸せだもの!
お題『友情』
友情と聞くと、武者小路実篤の『友情』を思い出す。
確か、男の友人同士で同じ女を愛してしまい、苦悩する話であったと思う。
私は友人が多い方ではないので私自身に絡めた友情に関する話をすることはいささか難しい。
そこで、ここでは友情についての話を進めていきたい。
友情とは、友愛として解釈すると私的には分かりやすい。
愛の定義として私がしっくりきているのは「対象との関係の持続」である。
即ち、友情とはその友人との関係を大切にしていきたいという気持ちなのだ。
私が語れるのはこのくらい。
私にとって友情とは、対等な立場の相手に対して「(その相手だから)損得勘定なしで力になりたい」と思えること。そこに性別・年齢は関係ない。その感情は一緒に遊んだり何か同じものに取り組んだり、同じ時を過ごす中で育まれていって、思う強さにはグラデーションがある。しかし一度強い友情で結ばれた関係ならば、たとえ相手と何年会わなくともその気持ちが変わることはない。どこにいようと何をしていようと、相手が幸せで元気に生きているのならそれで構わない。「相手の特別」である必要もない。「相手の特別」であることを望むなら、それは"友情"ではなく"恋"だと思う。