『友だちの思い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
題 友だちの思い出
あの時、ミノルは私に向かって微笑んだんだ。
私はミノルのことを思い浮かべて、口元を緩める。
中学の時毎日下校の時話していた男の子。
友達はみんな違う方向に帰っていて、家が遠い私とミノルは他愛ないことを話しながら下校していた。
そうすると、夕方の時間、夕日がどんどん沈んでいって・・・辺りの色がピンクと紫の絵の具を混ぜたような色に変わっていくんだ。
私達はそんな不思議な色の変化をみながら、歩いていた。
道のりは遠く、時間は無限のようで、でも気づくとあっという間。
ミノルと歩いたあの下校の時間は、私の中で異空間に行ったような気持ちで記憶されていた。
ミノルは、高校が違う所になって、今はほとんど会えていない。
家は近所だから会っても良さそうなものなのに。
私は、今高校2年だけど彼のこと見かけたことはあるけど、遠すぎで声をかけられなかったり。
あの不思議なピンクと紫の夕方の時間の空を見つめる度にミノルを思い出す・・・。
「サユ、久しぶり!」
突然、夕焼け空を見ていた私の後ろから声がする。
この声は・・・
「ミノル?!幻??」
私は思わず素っ頓狂な声を上げていた。
「違うよ、サユ、相変わらずだね」
ミノルは含み笑いをして、私を見ていた。
「今日の空はいつも僕たちが帰ってる時に見ていた色だったから自転車降りて歩いてみてたんだ」
ミノルは、両手で自転車を引きながら歩いている。
「自転車だから、会えなかったんだね」
私がそう言うと、ミノルは頷いた。
「僕の高校からはさすがに歩けないから。・・・元気だった?サユ」
優しく尋ねられると、何か暖かい気持ちがこみ上げてくる。
「元気だったよ!ミノルは?」
私の問いに、ミノルは笑って言う。
「ご覧の通り、元気だよ」
「ありがとう、今日話しかけてくれて、実は気になってたんだ、ミノル、どうしてるかなって」
「偶然、僕も気になってた。毎日一緒に帰ってたから、帰宅する時いないかなって探しちゃってたり」
ミノルはハハッと笑った。
何だか中学の時の空気が蘇って来たようだった。
暖かく、夕方の少しだけさびしい色の空気。
でも2人で話している時間は居心地良くて、そう、時間が止まったみたいに感じてた。
「懐かしいね、中学の時」
私があの頃を思いながら言うとミノルも頷く。
「うん、不思議な時間だったね」
2人でゆっくりと歩く。この時間が終わるのが、何だかもったいなかった。
空の色はだんだんとピンク色が濃い紫色へと変容していく。辺りを暗くして何もかもが闇に消えていく。
それは、私とミノルの関係のようだった。
私たちはもう、一緒に帰ることはないから。
「明日、待ち合わせして帰らない?」
不意にミノルが言う。
「へっ?」
意外すぎて変な声が出た私に、ミノルは重ねて言う。
「明日、一緒に帰りたいなって」
「うん、もちろん」
私もそう思ってたから頷く。
「じゃあ、駅に待ち合わせよう」
そう笑うミノルの顔に、私は中学の時のミノルの笑顔を重ねる。
懐かしいって思ったんだ。
中学の時に引き戻されていくようだ。
縁は切れていなかったらしい。
大切な、あの中学の下校時間を懐かしむように、私は勢いよく頷いていた。
友だちの思い出
友だちはとても素敵な人だ
いつも素敵な言葉を私にくれる
友だちが困った時には
私なりに考えて思いを伝えるし
私が困った時には
友だちが考えて思いを伝えてくれる
そんなやり取りをしていると
とても大事な絆ができた
友だちが居てくれるから
私は心強く居られるのだと思う
たくさんの言葉の思い出を
友だちがくれたから
生きづらい世の中で私は私として頑張れる
これからも友だちと言葉を交わして
たくさんの思い出を作っていきたい
思い出は強い絆へと変わって育って
愛になっている気がする
ありがとう
友だちの思い出
最近は、ともかく
昔の友だちには
会っていない
何十年も会っていないので
変わったかなと
🙃🙂🙃
友だちの思い出
小学生。
校庭に集まって缶蹴りをした。
上級生も下級生も関係なく楽しんでたね。
中学生。
通話しながらゲームしたり、
ショッピングモールでお揃いのもの買ったり。
高校生。
たくさんプリクラ撮って、服買って。
一緒に勉強したときは、集中できなかったけど。
大人になったら、こんなに遊べないだろうな。
今のうちに、やりたいこと全部やらないとね。
あなたにとって友だちの定義ってなんですか?私の中では心と心を通わせることが存在です。そして、私には一生忘れることのできない大親友がいます。
リーベと出会ったのは、私が大学を卒業して大学院に入るまでの1年の空白期間。浪人というのでしょうか。大学院を目指していたのをいいことに、悠々自適なニート生活を送っていた時のことでした。
当時住んでいた地域の社会福祉協議会の紹介を受けて、母がリタイアした盲導犬のお散歩のボランティアすることなりました。彼女の名前はリーベ。ワンちゃんが大好きだった私は、母にくっついてリーベの散歩に行くことにしたのです。
リタイアと言ってもリーベの場合はちょっと複雑でして。
盲導犬をリタイアした後、子犬の時に暮らしていたお家に引き取られたのですが。その方が病気で亡くなってしまい。行き場のなくなったリーベは、リーベと長年一緒に暮らしていた視覚障害者の方の所で暮らすことになったそうです。
私がリーベと出会った時、彼女は14才。ボランティアを始めた当初は、わき目も振らずにひたすら歩いて。教育を受けたワンちゃんてすごいんだなって感心したものでした。
お散歩をしてしばらく経つと、生真面目なリーベも一緒に歩く相手によって態度を変えるようになり。私が一緒だとあちこちニオイをかいだり、お散歩中に出会ったワンちゃん友達と遊んだりするようになりました。
しかしながから、残念なことに…。私の大学院進学が決まり、リーベのお散歩に行くことができなくなりました。私の母が一人で散歩に行くようになったのですが、16才になっていたリーベは、足腰がすっかり弱くなり。母が散歩に行っても、短時間しか歩けなくなっていたそうです。
そんな話しを母から聞かされ、リーベの心配をしていました。大学院が夏休みに入ったため、散歩に同行することに。会わない間にすっかり足元がおぼつかなくなっていた彼女の姿を見て、涙が込み上げたのを覚えています。
それなのに、リーベは一生懸命歩いてくれました。そして、いつも3人で歩いていた40分ほどの散歩コースを歩き切ったのです。
夏休みの間、リーベの散歩を継続しました。
散歩の途中、坂道で歩みを止めたリーベを抱っこして登ったことがありました。すると、くせになったのかその後も坂道に差しかかると座り込むようになり。老犬とはいえラブラドールですから、かなりずっしり重かったです。汗だくになりながら坂道を登る私と、快適そうなリーベ。
それなのに、抱っこされていたくせに家の近くになると急にしゃきしゃきと歩き出すんです。そして、素知らぬ顔で門を通り過ぎてまだまだ歩き続けようとして。
サヨナラの時はいつも、じーっとこちらを見つめるリーベの視線から逃げるようにして退散したものでした。
そんなリーベが16才で天寿を全うした時は、しばらく泣き続けました。泣いても泣いても涙が枯れ果てることはないと知った24の夏。
ワンちゃんを見るたびにリーベのことを思い出します。今でもあの愛くるしい大親友のことを忘れることはありません。
友だちだと思ってた子に縁を切られたあの日
友だちとは何かが分からなくなった
学校にいるのが苦しくなり
かと言って
家にいるのも苦しく
心から安らげる居場所がなかった
でも
あなたに話しかけられた日から
学校が楽しくなった
一緒に話したりご飯食べたり勉強したり
とても楽しかった
私はあなたのこと友だちだと思ってた
あなたにとって私はどうだったのだろう
「 友達の思い出」
友達の思い出。
唯一無二の友達。もう過去にしかいない友達。
いい思い出も嫌な思い出もある。
でももう未来は一緒に歩けない。
でも大切な友達と思い出。
それらは私の心の中にある、あったかいものになって今も私と一緒に歩き続けている。
うーん、あんまりないなぁ。
友だちがいなかったわけじゃないけど、なんとなく本当に辛い時とか苦しい時に、そばにいてくれたのは友だじゃなくてお母さんだった気がする。
少なくとも中学まではそうだった。
高校で、中学までの交友関係がふっつり切れて、新しい友だちが出来た。
そこからは結構色々憶えている。
いいことも、悪いことも。
楽しかったのは文化祭の時に図書館の奥で隠れてケーキを食べたこと。キツかったのは·····、こっちはまぁいいや。
でも、高校の時の友だちとの思い出が、今の私を形作っていると思う。
何でって?
その子は今も私の大切な人だから。
END
「友だちの思い出」
友達の思い出
遅い時間に外でほっつき歩いたり
些細なことで笑いあったり
笑いのツボが浅いのも同じだったり
好きなものが一緒だったり
一緒にスタバの新作飲んだり
よくハモったり
そんな事が
私の大切な思い出
友達の家で水遊びをして
びしゃびしゃになりながら家に帰った
友達と外で遊んだ。
カラオケとごはんとゲームセンターに行った
友達の誕生日、
僕は何をしてあげられるだろう?
『思い出』
中学2年の夏休み前、終業式の日。
担任が宿題にとだした作文のテーマである。
当時の私は作文が大の苦手だった。
そのため友人に手伝ってもらっていた。
思い出というテーマに頭を悩ませていた私は友人に向かって「何書いた??」と質問した。
私的には、運動会とか遠足、家族と出かけた思い出とかそう言うのを書いたと思って聞いていた。
だが帰ってきた返答は予想の斜め上なもの。
しかも、まぁまぁ返答に困るものだった。
「うーん?内容?あ〜。私はね〜母親が出て行った日のこと書いたよ!」
と元気にケタケタ笑いながら言ってのけたのだ。
当時それを聞いた私の頭の上はハテナマークでいっぱいだった。
「え?それ。え?作文に?」
困惑もいいところだ。
だが友人は気にしていないのか、「だって1番記憶にある思い出だもん!」とケラケラと笑う。
うん。いいんだよ?いいんだけどね?後ろにいる君のお父さん、めっちゃ気まずそうにしてるよ?なんなら私も若干気まずいよ?
友達の思い出
何人かいた友達。
その中にも特別仲良い子とかあんまり得意じゃない子。
いっぱい話して、遊んで。
嫌だなって思うことはあったけど、今では全部いい思い出
みんながいたから今の私がいて、
みんながいたから今、ここで過ごせてる
そう思うと得意じゃない子でも出会えてよかったって思う
でも、やっぱりもう、会いたくない。
友達との思い出は?
その言葉に、思わず腕に埋めていた顔を上げる。
思い出、思い出……自分には思い出と言えるほどの思い出はあっただろうか、と唯一の友の顔を思い浮かべながら思案する。
するとどうだろう、案外沢山出てくるものだ。それこそ自分でも驚くくらいに。
強く記憶に残るような出来事や、すぐ忘れてしまいそうななんてことの無い思い出まで、容易に思い出せてしまう。
それはただ自分の記憶力がいいからなのか、相手が彼だからなのかは分からない。
だが、一つだけはっきりと言えることは彼は自分にとって何より大切な友だとはっきり分かったと言うことだ。
その事実にほんの少し頬を緩ませながら、またも腕に顔を埋める。
あぁ、そうだ。この昼寝が終わったら、彼に会いに行ってみようか──。そんな事を考えつつ、さんさんと暖かな日差しを受けながら、重い瞼はゆったりと閉じてゆくのだった。
友だちの思い出
よりも、
父側の、
曾祖父(ひいおじいちゃん)の成仏の手伝いをしたい。
違う人からの霊視で、父側の誰かが成仏できていない。と、聞き
確かに、私の幼少期から、父側の親戚たちが崩れることが多かった。
父側の、ひいおじいちゃんの名前が分かると良いんだ
けれど…
何があったんだろうか?
確かに、私の前に、たまに、赤い男性のような人の影を目撃したことがある。だけど、赤過ぎて瞳もなかなか
見えなかったし、当時、違う幽霊
[荒木さん。と、笹本くん]に取り憑かれていた
から、赤い人影を追えなかった。むしろ疲れていた
2020年、8月1日。
2020年、8月3日に、金縛りにあった。
自分の部屋で、生気がない青白くて若い男性幽霊
生没年未詳(1990〜2000年代?)
で年齢不詳だった[笹本くん]からの
金縛りに遭ったからだ。首絞められそうになったし、
当時、詳しくは聞かなかったけれど、幽霊の若い彼
年齢不詳の[笹本くん](たぶん30歳ぐらい?)は、
『首吊り自殺』と、聞いたことがある。
もう1人の、女性幽霊だった[荒木さん]は、
私と同じような身長で155cmぐらいだった。
彼女は、笹本くんよりも、もっと昔
平安時代?〜戦国時代?の人と思われた。
初対面で彼女は、青白い顔で、口元から血が大量に
流れて、白装束で、ボニーテイルのような
垂髪だったからだ。
本物の、幽霊と関わって、本当に怖くなくなった私。
話は戻り、
赤い人、その幽霊が、父側の、ひいおじいちゃん?
ひいおじいちゃんにとって、私の父は、孫。
なんで、ひいおじいちゃんは、孫である
私の父をイジメるんだろう?
ガンマナイフ手術もする予定の私の父。
ひいおじいちゃんにとって、私は、[ひ孫]に当たる。
2006年、当時、小学1年生だった私が
脳出血になったから?
私の左手に、濃くて、太い線の[仏眼]がある。
仏眼がある人は、霊感があり、守られている。と言う。
私は、10年前ぐらいから、本物の幽霊を視ても驚かないようになった。
前職も、今の職場でも病院。人からの情報や、
調べてみたら、幽霊目撃が絶えない病院だったから
前職の大学病院で飛び降り自殺した患者が複数人いた。と、聞いたことあるし
今働いている JA病院でも、病院ができる前、
神風特別攻撃隊(昭和初期、戦死を前提とする
必死の攻撃を行う戦術部隊)が飛び交った飛行場だったらしく………
私も、幽霊を何百回も見たことがあるし、家から徒歩2分程度で葬儀場に(前は、コメダ喫茶店だった)
行けれる距離。浮遊霊と思われる幽霊を目撃したり、
さまざまな老若男女の幽霊と話したことも
取り憑かれたりと、不思議な体験している。
父側の、ひいおじいちゃんは、
何かの未練を残しているのだろうか?
それとも、ひいおじいちゃんの供養もなく、
墓参りも忘れられているから?
父の、祖父の墓が
家から徒歩20分ぐらいで行けれる距離。
当時、中学校で登校時間は、徒歩30分ぐらい
掛かっていた。その母校も、昔、昭和初期には、
戦争で亡くなった人を焼く火葬場だった。と、
先生から聞いたことがある。
祖父の墓参りに行く方が中学校よりも距離が近い。
祖父の墓参りで、ひいおじいちゃんのことを
聞いてみよう…
幽霊で私の、ひいおじいちゃんが視えたら、、
明るく振る舞えば良い…
全巻持っている
[ヒカルの碁]漫画を読んで、どうやって幽霊との
関わり方をすれば良い?
ヒカルの碁にも、幽霊キャラクター藤原佐為も
出てくる。藤原佐為。彼を見て、私も
本物の幽霊と関わって
ひいおじいちゃんの成仏に近づける手伝いしたい
成仏の手伝いするよ。
私の[ひいおじいちゃん]
ありがとう
ひいおじいちゃんがいたから、祖父祖母がいて
私の両親がいて、私がいる
ひいおじいちゃん
本当に、ありがとう
大好き
その言葉、ひいおじいちゃんに届け
[君に届け]
友だちの思い出
この間、久しぶりに中学のクラス会が開かれた…本当に、暫く振りで、会場ではお互いに、誰かと探り乍ら、それぞれ席に着いた…多分、30年振りで、男女会わせて、クラスの三分の一程度街灯集まった。最初のうちは、遠慮がちで、近況報告なんてしていたが、それでもすぐに、打ち解けた…
当時の恋バナや、クラスでの出来事、結婚や家庭での事…みんな男女関係無く、抱き合ったり、仲良く歌ったり…色々あったクラスだったけれど、今思えば、素敵な仲間だったんだな…
そして、何よりも、クラスで影の薄かった私を、暖かく逢えてくれた皆に、本当にありがとう、そう思えている…
友達の思い出……
小学生の時に友達が廊下に
もどした事があって
その時の内容物が綺麗な薄紫で
何を食べたらこんな色になるのか
未だに謎のままだ…
✴️80✴️友達の思い出
友達の思い出話を聞いた。
と、友達が言っていた。
らしいよ、と親戚が言っていて、
そのことを姉が話していて、
またそれを自分が話して…
結局、それは誰なんだっけ。
友だちの思い出
(本稿を下書きとして保管)
2024.7.6 藍
「友だちの思い出」
君は、孤独な私に一番に話しかけてくれたよね。
君は、困っている人を必ず手伝っているよね。
君は、いつも笑顔でどんな人にも優しいよね。
君は…ああ、ダメだ。君は私を「友だち」だって言ってくれたけれど…。君は私の隣にいては、もったいないくらいの人。だから、私が一方的に君を見ているだけ。これじゃ「友だちとの思い出」じゃなくて、"私が見ていた"「友だちの思い出」になってしまう。
友だちの思い出
どうにもならない苛立ちを、深く吸い込む。
煙草の独特の匂いを感じなから、身体の中の空気を全部吐き出すみたいに口から煙が出ていく。
また、タバコくさいとか言われるかもしれない。
短くなった1本目を携帯灰皿に入れて、またもう1本取り出した。
我が家ほど家庭環境がよく分からない家はないと思う。
愛に飢えている母と、自由に生きる3人目の父親と、わたしを含めた5人の子供。
わたしが最初の子供で、1番目の父親との子供。
わたしかわ5歳の頃、離婚した。理由は知らない。
2番目の父も優しかった。2番目の父の連れ子1人と、2番目の父と母の間の子供が1人。
わたしが10歳の頃、運送業をしていた父は事故死した。
母の嘆きは凄かった。初めての葬儀だった。何も知らないまま、あっという間に通り過ぎた。
3番目の今の父はバイヤーと言うらしい。色んな商品を、あちこちに買いつけに行くのが仕事だという。
3番目の父と母の間に2人子供が出来た。わたしは16歳の時に末っ子が生まれた。
……末っ子は、わたしの事を母親だと思っている節がある。
母は最後の子供を産んだ時点で、わたしももう高校生だからと、この子は任せる、と言った。
他の子供たちもわたしは面倒を見てきたから、子育ては一通り知っているし、その頃には家事もほとんどで出来るようになっていた。
父が海外出張で家にあまり帰ってこないようになると、母は夜で歩くようになった。そしてわたしも高校生なのにバイトも出来なくて遊びにも行けない。
友達とは学校で会う以外に子供たちの面倒を見無くてはならなくなった。
どうしてわたしだけ、と思うと涙が出た。
学校で1人泣いてたら、見知らぬ先輩に無表情でタバコを渡された。
よく分からないまま吸って、思い切りむせ込んで更に泣けた。何してるのかよく分からなくて。
「これでお前も不良の仲間入りだな」
ニヤッと笑った初対面の先輩に、今のわたしのどうしようも無い現実を話していた。泣きながら。そして、何がどうなったか連絡先を交換していて、何故かその先輩が家にやってくるようになった。
「子供、好きなんだよね」
と綺麗に笑って子供たちの面倒を一緒に見てくれた。
どうして、とか聞いたら複雑そうな顔で先輩は答えた。
「あー……。その、引かないで欲しいんだけど、わたしは女が好きなんだよ。いわゆる、レズってやつ」
レズ。レズビアン。知っていたが、本当にいるとは知らなかった。
「泣いてるあんたがどーしても気になったから、さあんたの話聞いて、わたし、子供も好きだし、思いっきりつけ込んだんだよ」
「先輩が、わたしのこと、好き?」
「うん。あんたとヤリたいくらいには、好き」
ヤリたい。
……脳裏にどうやって、と浮かんだのは無視した。
「わたしも先輩好きですよ。その、普通の好き、ですけど」
まぁそうだよね、と先輩も納得した。
あれよあれよと言うままに、何故か特別な関係になってしまった。
それでもこの先輩がわたしのどうしようもない人生の中で唯一友達でもあり、わたしの唯一特別な人。
先輩が傍にいない時はタバコに火をつける。
大好きな先輩の持つにおいだから。