『優越感、劣等感』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
優越感や劣等感というのは、人生それなりに生きていれば普通に抱く当たり前の感情であり、また厄介な感情でもある
それらの感情が自分自身を鼓舞したり、もっと上を目指す発奮材料になればそれに越したことは無いが、逆に自分の行動を制限したり、本来の自分の姿を見誤らせてしまう可能性もある
優越感や劣等感は他と比べることで生じる感情だ
人は他と比べることで自分自身を知ることに何故か安心感を覚える生き物だ
ただ、その二つの感情は自分の心が作り出した勝手な妄想だと言うことを忘れてはならない
だから、この妄想に心を捉えられていまうことほどナンセンスなことはないのだ
「優越感によって人を見下すこと無かれ、劣等感によって己を卑下すること無かれ」
『優越感と劣等感』
お題『優越感、劣等感』
私は高校までクラスメイトから下に見られる存在だった分、大学からは誰よりも優れた存在になろうと決めた。
雑誌を見て流行のメイクを覚え、服を買い、それが似合うようにダイエットを頑張り、髪型を変えた。
だけど生来のコミュ障のせいか、いっこうに彼氏が出来なかった。彼氏ができるのはそろいもそろって地味でダサい奴らばかりだったし、その彼氏もダサかった。
だから、私はかっこいい彼氏を作ろう。そう思って、イケメンが多そうなテニスサークルに入って、かっこいい人を見つけたら飲み会の場で執拗に「かっこいい」と褒めるようにした。
そうしたら、皆なぜか私から離れていった。影で「怖い」と言われることが多くなった。自分がどうして怖がられているのか、分からなかった。
私はただ可愛くなって、イケメンの彼氏を作って周りに「私はもう下に見られる存在じゃないのよ」と誇示したいだけなのに。
まわりの私よりも見た目に気を遣ってないやつらが次々イケメンと付き合っていくのを見て、私は悔しさに震えた。
それに私はサークルメンバーの中で一番テニスが下手で、いつしか皆が飲み会に行く中で私一人だけ怖い先輩と居残り練習させられるようになった。その人もイケメンではあるが体格が良く、無表情、無口で彼女がいるという話を聞いたことがない。
ある居残り練習の時、私はつい
「どうしたら彼氏ができるんだろ。こんな練習してる暇ないのに」
とぼそっとこぼしてしまった。そしたら、先輩からの球出しがやんだ。怖すぎて先輩の顔をいつも以上に見ることができなかった。
「こんな練習も満足にこなせないからだろ」
その言葉はいやというほど、私の胸をえぐった。可愛くしてれば彼氏が出来るんじゃないの? 練習と彼氏できないことになんの関係があるの?
私が思考を巡らせていると
「うちはお前が思うよりも真面目なサークルだから」
「じゃ、やめろってことですね……」
「そうは言ってない」
思わず愛想振りまくのをやめた私に先輩は動じない。先輩はスマホを取り出すと、画像を見せてきた。そこに写っているのは高校時代の太っていた時のネクラな私だった。思わずひっ、とひきつった声が出る。
「お前と高校が同じだった奴いただろ。そいつに見せてもらった」
たしかに同じ高校のクラスメイトも同じサークルにいた。そいつ、私を貶めようと思ってその画像を広めやがったのか。
「あのクソ女……」
「そうか? あいつ、お前のこと褒めてたが」
「はぁ? 嘘つかないでください。それにこの画像今すぐ消して、記憶からも抹消してください!」
ポジティブな言葉は「かっこいいですね」から会話が続かないのにネガティブな言葉はやたら饒舌になる。だが、先輩はそれに動じない。
「お前が練習を真面目にやったら考えてやる。お前には努力できる才能があるからな」
そう言って先輩が再び球出しをする。優越感にひたるはずが、ここでも私は劣等感に苛まれないといけないのか、怒りでどうにかなりそうだ。
「クソッ!」
私は出されたボールを思い切りラケットで打ち返した。
「優越感、劣等感」
風邪をひくと劣等感に苛まれる。
なんだか生物として負けた感じがする。
細菌への対策はしているはずなのに
それでも風邪はひく。悔しい。
優越感に浸るのは一瞬だと思う。
上には上がいると知った瞬間に一気に冷める。
優越感、劣等感は知らぬ間に感じているぐらいが
私にはちょうどいい。
芸術というステータスがあるのなら
神様は美術にそれを振ったのだろう
どんなに音楽をやっても
上達もしなかったし、
楽しいとも思えなかった
それよりも云と
文字を書くことや
絵を描く方が時を忘れられた
上手いかはおいといて
私の心にあるものを
誰かに表現出来るものとして
それらがあるのは誇らしいが
同時に音楽の才がある人がとても恨めしい
文字で直接描写するでもなく
絵で情景を描くでもなく
音階でそれを想起させる
音の並び 音の重なり
それらで情景を聴衆に魅せる
「Summer」や「きときと」は素晴らしい
見えないはずの澄み渡る青空がありありと見える
涙を流していた
私も音で自分の芸術を表現してみたかった
無いものをどんなに羨んでも仕方ない
自分のやり方で
神様に与えられた方法で
今日も表現する
〜優越感、劣等感〜
うまく練れた優越感
練れなかった劣等感
いずれ一時的なものに過ぎない。
ねるねるねるねの色はすぐに変わってしまうから。
平日に休みをとって街を歩くと
ちょっと優越感
手を繋ぐカップルを見ると
ほほえましいような羨ましいような
でも劣等感じゃない
とりあえず心の状態は悪くなさそう
君の膝の上に寝ていいのは僕だけ!
君に抱っこしてもらえるのも僕だけ!
君からおやつを貰えるのも僕だけ!
君の全部、ぜーんぶ僕のなの!
なのにアイツは何なんだ!
僕から君の全てを奪って、我が物顔で威張りくさっている。
あのバカでかい芋虫!
君は芋虫に付きっきりで、僕は下僕のカチコチしてる腕の中でイライラ。
むしゃくしゃして下僕の腕で爪研ぎしてやった。
ぎゃあぎゃあ五月蠅い下僕にパンチを何発かお見舞いしてから、ピョンっと棚の上に乗っかって、そのままゴロンと横になる。
君が芋虫に飽きるまで籠城だ!
テーマ「優越感、劣等感」
あなたの恋が終わるたびに、
私に生まれるのは優越感
あなたが私の恋を祝うたびに、
私の胸に灯るのは劣等感
つらい時
あんな奴に比べたら私のほうが〜って
優越感に浸って 心を守る
劣等感を自覚できるときは
意外と心に余裕がある時
私の場合は。
優越感、劣等感
まぁこのどっちかだったら劣等感のほうが馴染みあるな。生まれも育ちもあまりよくないもので。
底辺とまではいかなくても下のほうだったのは間違いない。だから親が教育に熱心じゃなくて当然俺も勉強とかに力入れなかった。
頭が悪いのには教育だけじゃなくて遺伝子とかもあるんだろうな。結果、中卒のフリーターができあがったってわけ。
俺一人だけなら努力不足と言われても反論は難しいかもしれないけど兄も高校中退だからな。やっぱり頭のできとか学歴は環境に大きく依存すると思うわ。
そんなわけで俺はかなり強めの学歴コンプレックスを抱いている。それとシンプルに頭が悪いからそれにも劣等感があるな。
優越感はなんだろうな。ソシャゲのガチャで神引きした時とか?すげー頭悪そうな発言。実際頭悪いんだけど。
ま、とはいえ今さら人生をどうこうできないからね。年取ってから勉強して大学に、なんて人も時々聞くけど勉強にそんな興味も熱意もないんだよな。
優越感は、他人を見下す事になりかねず、調子に乗るだけ。
劣等感は、挑戦することを恐れ、諦めが早くなるだけ。
自分に取っては、どっちもポジティブワードじゃないから、避けてるワードだなー
-#優越感、劣等感
誰かと比べて優越感
下を見て安堵して
上を見ずに今を見る
誰かと比べて劣等感
下を見て苦しくなって
上を見て諦める
優越か劣等か
それを自分に負けない強さだ
私は芸術
風景画を描くのが好きだった
少し描くだけで
皆に褒められるから
音楽も好きだった
絶対音感だから
少しピアノを弾くだけで
皆に褒められるから
優越感だった
あの子は勉強
私は五教科が苦手だった
頑張って勉強しても
全然できないんだもん
あの子が羨ましかった
少し授業を聞くだけで
すぐにできちゃうんだもん
みんなに褒められてるんだもん
劣等感だった
結局、人は優越感と劣等感の狭間で、マウントの取り合いを繰り返す下等動物なのかな? 人間て面倒臭いね。
あの子は勉強もスポーツも出来る優等生、それに比べて私は何も出来ない劣等生でもそれで良い劣等生の私でも愛してくれる貴方がいるから
お題 優劣感・劣等感
つまんないね
全部はプライドだ
そんなもん捨てて
カッコ悪く生きよう
カッコ悪いのがカッコ良いよ!
優越感、劣等感
優越感、劣等感はどちらも感じたことはあるけれどそれが何であったとかどんなときだったとかは
記憶に残っておらず、その瞬間だけのこととなってしまう
そのくらいの気持ちで毎日を過ごせたらいいと
私は思っている
【優越感、劣等感】
最初は優越感だったと思う
小さな世界の王子様
根拠のないその自信は
世界が広がる度に小さくなって
気付けば長い時間を
劣等感の中で過ごす
ある時
差し伸べられた手により
すくい上げられる
見違える景色の明るさ
心地よい浮遊感
劣等感の中で培った
バランス感覚は
割と上手く身体を浮かせてくれた
借り物の万能感を纏った
裸の王様
当然失脚は早く
再び劣等感の海へ
ようやく
自分を理解した
もと王様
海の中を上へ下へ
右へ左へ
泳ぎも少し上手くなった
潮の流れにも乗れるようになった
負荷のかかる海中の方が
成長出来るのかもしれない
暗闇に目が慣れると
今まで気付かなかった景色も見えるようになった
海面でジャンプも出来るようになった
案外悪くない
のんびり泳いで
プカプカ浮いて
心配される事も無い
映画をみたあとに
「同年代で、こんな面白い映画を知ってるのは僕だけだろう」
という優越感がある。
だがこれは、優越感を得るために自らの脳へ虚言を塗りたくっているに過ぎなかった。
最近みた中でこう感じたのは「パール」という映画だったので、それは言いきれる。
有名で、おそらく見た人は多いだろうに、僕には上記の優越感があった。
その優越感が薄れる頃、つまりは今だ。
今、僕はたしかな劣等感を感じていた。
「こんなふうに面白い小説を書きたいが、どうしてもできない」
という劣等感だ。
いつもそうだが、優越感なんかの自分の得な感情よりも、劣等感のような、気分が落ち込む感情の方が、地に足ついてて現実的、なように思えるのは、なぜなんだろう。
とにかく、僕はまるで面白い作品が書けない。
いや、書こうとすらしておらず、それが一番の問題だった。
僕は映画がすきで、映像で物語を見せるやり方が大好きだ。
それを小説でやりたかった。
だけど無茶だと思う。
今だって僕は、感情をただ連ねているだけであって、今自分がどこに座ってどんな姿勢でなんの媒体を使って書いているのか、すら、ここにはない。
だけども、できるに違いない、今よりは理想に近づけるに違いない、という思いも共にあった。
やはり、自分に得な感情は、浮き足立っていて、非現実的だ。
理想を語るだけだから、そうなのだろう。
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今流行りのダンス動画。自分史上いちばん良い出来だったと自負するくらいには満足のいくものになった。
「あ、こんな時間。もう行かなきゃ」
今日は友達と遊びに行く予定だった。
マンションのエレベーターに乗って、地上に降り立つ。
刺すような日差しに目を細め、日傘を取り出した。
「わー久しぶり、元気だった?」
「久しぶり!元気、元気。そっちは最近どう」
近況を話しあいながら、私たちは人ごみにのまれていった。
よく冷えたアイスコーヒーとクリームソーダ。私たちのテーブルに並んだふたつのコップは汗をかくように、水滴をつくっている。
「そういえばさ見たよ。ダンス、すごいね」
「えーありがとう。たいしたことないんだけどね」
目の前のクリームソーダに口をつける。甘くておいしい。
服を見に行くために席を立つ。
駅の近くの繁華街には人が集まっていた。
なんだろうと背伸びすると、中心にはひとつの絵画ができていた。
「路上パフォーマンスってやつかな」
色とりどりの線が躍動し、縁取られていく。魔法みたいだった。
私はスマホを取り出す。
息苦しくなるくらいのはやさで、帰路に立つ。
私の動画再生数は1000回もいかない。だけどあの絵画パフォーマンスはもう2万回再生もいっている。そして、くらべものにならないほどのいいね数。
私のダンスはだれかのコピーでしかなくて。
でもあの絵画はきっとオリジナルなのだ。
悔しかった。私はだれかに認めてほしい。だれよりも優れていたい。
だれかの真似をすることでしか得られない優越感なんて、いらない。