『仲間』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【仲間】
思えば
やはり恵まれてる
少々キッツイ環境になったとしても
一定の理解は得られてる気がする
なんだかんだと
気にかけて貰ってる
もちろん努力もあるが
全ての努力が報われるとも限らない
長い事
心底塞ぎ込まずにすんでる
忘れてるだけかなぁ
「仲間を大切にしなさい」と散々、言われてきた。
そんなこと分かってる。
適切に大切にできていたら今頃、苦労してない。
「大切にする」って何なの?
どのくらい大切にして良いの?
友情から出る親切のこと?それとも愛情?
限度が分からない私はいつもどこかで間違えてる。
感謝されたり、嬉しそう顔を見るのが好きだから、親切心で大切にしてるだけ。
いつからか、自分にはそれしかないからしてたのに、それさえもできなくなってしまった。
そして大切な仲間を傷つけてる。
「たいして仲良くもないのに?仲間だから?嫌なことされた相手でも?」
なんて考えてる人はきっと、社会でやっていけない。「仲間を大切にしよう」と自分に言いきかせる。いつどんなときでも誰にでも出来る自分になるんだ。またいつか、感謝と嬉しそうな顔を素直に喜べるために。
《運命共同体》
仲間、ってなんだろう。
家族でもなくて、友達でもなくて、恋人でもない。
赤の他人ってわけでもない間柄。
特別な関係のひとつだとは思うけど、独特な関係性。
「運命共同体、ってやつかな」
「なにそれ、かっけー笑」
「身内みたいな赤の他人ってそれじゃない?」
「血の繋がりがない家族的な」
「言えてる笑」
そんなことを思える"仲間"に出会える人は、きっと幸せ者だろうな
3年間。それは保育園の時の遊ぶためのお友達に会いに行くというような日々じゃない。小学生の時の協調性を強いられる日々でもない。そう、私にとってこの3年間は本当に大事な日々だった。
3年間。とは言ったものの、厳密に言えば2年間。クラス替えを経て作られたモノだった。見慣れた友達がいれば初めましての人だっている。いわば互いにただのクラスメイトにしかすぎないということ。それでもクラス替えをしたため、後の2年間を共にすることは約束されていた。
私たちが共同生活をしていく教室では毎日新しいことを共に学び、喜びや苦しみを共有し合った。行事だって私たちが主体となって金賞を勝ち取った。半年も経たぬうちに私たちに絆が芽生えていたのだ。今までの指示に従うようなつまらない日々とは違った新たな世界。私たちが創りあげていくモノ。
決して楽しい事ばかりではなかった。協力もすれば競い合いさえする。傷つけ合っては慰め合う。誰よりも繊細な「今」だからこそ私たちを理解できるのは私たち自身しか居なかった、お互いに。私たちにしか分かり合えないモノが絆をより強めた。
もうこのクラスで過ごす日々は残り少ない。ましてや受験もあるのだからお互いに関わることもやがてなくなるだろう。まだ笑い合えているこの日々がとても愛おしくて大切で仕方ない。卒業したくないと語り合うのもきっと今しか出来ないのだろう。卒業。受験よりも私たちにとって大きな存在。苦楽を共にした「仲間」との別れなのだから。皆が集まることもあるのかどうかも分からない。卒業するまでに私はきっと皆に伝えると約束する。ありがとう。誰よりも皆が好きだった、と。
題材「仲間」
仲間
私にはありがたい事に仲間と呼べる人達が居てくれる
私は幸せだ
と感じている
仲間が居てくれる幸せは
悩みを共感しあい
アドバイスを伝えあい
良いこと悪いことを受け止める
そんな事を共有してくれる仲間が居てくれる
私は本当に幸せ者だと思う
今でもしょっちゅう会う人もいるし
LINEだけの子もいる
みんな大事で、わたしの心のお守りです
これからもずっと大切に、仲良くしてください
題【仲間】
「何する何する!?」
「太陽、ちょっと落ち着こうか。」
「え~!?せっかくのお泊まり会だよ!?」
「うん。」
「なんで、落ち着いていられるの?」
「えー?はしゃいでも何にもならないし?」
「そっかー。」
「そうですよ。太陽さん!ゆっくりと何をするか決めましょう。」
「だねー。」
「よし!みんなー。ゲームか、トランプ、人狼ゲームとかあったー!」
「わざわざ、取りに行かせてしまい、申し訳ないです…。」
「全然大丈夫!ていうか、楽しみ!」
「そうですか。」
「今何時?」
「えっと、7時です。」
「そうなんだー。どうしよう?」
「莉緒さん。」
「なに?」
「推し、前、居ませんでしたっけ?」
「いるよ~💕」
「そうなんですか?」
「そうなんだー!莉緒ちゃんって推しがいるの?」
「うん!世界一かっこいいのー!」
「そうなんだね。」
「あの、その推しって、ろぁとくんでしたっけ?」
「そうそう!」
「あ、それなら、俺の妹も推していたので、グッズをめっちゃもっているのですが、同じやつが当たったのであげる!とのことですよ。」
「えー!❤️大好き!ありがとう!」
「っ。/// いえいえ。お礼なら俺の妹に。」
「うん!久しぶりに会いたいな~!みおちゃんだったよね?」
「はい!推しの話をしたいらしいので、付き合ってあげてください!」
「もちろん!」
「推しか、いいね!」
「アイドルなの!?」
「うん。ギャップがかわいくて!」
「そっか。」
それから私達は、いろいろな遊びをして遊び尽くした!
ーおはよ。ー
「もう朝ですか。早いですねー。」
「ねぇー。」
「もっと寝たいかも(笑)」
「分かる~!」
「今日、全員ひまですか?」
「うん。僕はひまだよ。」
「私も。」
「俺も俺も!」
「では、次は俺の家に来ますか?」
「いーの!?俺はいく!」
「じゃあ、俺も行って良い?」
「私も行きたいな。」
「では、隣ですから。行きましょうか。」
「はーい!」
仲間って一緒にいて、楽しいなー。
いなくなったら、嫌だな。
そう考えると結構幸せなのかも!
フロムソフトウェア社の○にゲーとかもするんですけど、あれって単純に難しいだけではなくて、すごく絶妙に意地も悪い。
いやなタイミングを見逃さずにいやらしい攻撃をしてきたり、逃げ場がない状況には計算され尽くしたいやらしい障害物が置いてあるんだけど、そういうとてもいやらしいことを、デカくて怖い異形のボスが仕掛けてくるので、なかにはクソボスとか呼ばれている方もいる。
だからクソボスによっては、ゲーム進行に影響がなければ、嫌がられて1回しか戦ってもらえなかったりもする。
そこで思い出すのが、風雲たけし城という番組があって、そこに参加者が迷路を駆け抜けるコーナーがあった。
この迷路のセットが、屋外のどこかの泥濘の中に作られていて(おそらく緑山スタジオ)、さらに迷路内にはゴツくて恐ろしげな二人、丹古母鬼馬二さんとストロング金剛さんが配属されていて、迷路で逃げ惑う参加者に恫喝しながら襲い掛かり、容赦なく迷路の外の泥沼に叩き落とすという阿鼻叫喚が繰り広げられていた。
ちなみにこの風雲たけし城、海外でも放映されてて大人気だったらしいんだけど、そこで思ったのは、たぶん丹古母さんもストロングさんも、収録の合間は実はいいおっさんで、いかに楽しく絶叫して泥まみれになってもらうか、あれは極上のすごいサービス精神だったんだと思う。
そう思えば、フロムゲーのクソボスたちも、プレイヤーに楽しく「うげげげ、クソがあ〜!(cv.笑顔の時間)」とか言ってもらうためのサービス精神のかたまりで、ステージが終わればきっと楽屋に帰って、楽しそうに反省会してるに違いない。
ここまで分かってしまえば、火の巨人もスピラの査問官も、一緒に楽しく遊んでくれる実に良く出来た、愛すべき仲間ですよ。
あいつは俺に仲間だと言っていた。
僕たちは、友であり仲間だと言っていた。
でも、やはり人は短い。
俺らとは全然違うし、短い。
すぐにこの世をさってしまう。
人は、すぐ悩むし、よく泣く。
弱い生き物だ。
でも、強く生きてることはわかったよ。
おまえと居て。
はあ、もう少し楽しませてくれてもよかたんじゃないか?
あと、おまえは自由に生きろって言っていたな。
だから、旅に出ることにしたよ。
意外と面白おかしくやっているよ。
なあ........俺らは今も友であり仲間か?
───。
仲間
アドレスされるのが
専門家なら的確だけど
仲間で教えてくれる人がいたら 嬉しい
まだ 経験浅いから
初めて取り組む時の事を
鮮明に覚えているだろう
それに 仲間に聞く方が
やりやすい
ともこ
仲間
アニメではいつも友達が一番
そんな友情に憧れた
学園ドラマのクラスメート
あわい恋心に夢を見た
大学や社会人ではライバルたちと
競う向上心が眩しかった
町内会や葬式に行くと
老いた親友って深いと思う
ガラガラガラ
教室のドアが開くたび
怯えていたあの頃
友達という名のカーストは
職業や世間にもあって
人は、見下さないと生きれない
ただ、同じ舟に乗る者たちを
僕たちは仲間と呼ぶようだ
行き先は分からない
けれど
仲間は信じてみたいと思うんだ
同じ痛みを分け合いながら
最低限でも上手くやろうって。仲良くなれなくても、迷惑だと思われなければいいつもりでやってきたから、仲直りの仕方がわからない。
嫌いなんじゃなくて、もうどうしたらいいかわからない。ただ仲間として一緒にいれたら良かっただけなのに。
【仲間】
【仲間】
仲間やりとはなんだろう。仲間とはなんだろう。ベンチに腰掛けながら雲ひとつ無い空を見ながら思っていた。空をずっと眺めているとひとつの雲がやってきた。
(ひとつの雲。)
見てたら後に沢山の雲がやってきた。その雲は、後に来た雲と混ざって一体になった。
(あぁそういうことか。)
「おーい!」
(来たか)
友達と合流し、遊びに行った。仲間とはどういうことが少しわかった気がする。
最近AO3を見ます。
AO3でUndertaleの二次創作を読みます。
そこで好きな作家さんを見つけました。
その人はいいストーリーを書きます、キャラクターをリアルに書けます、情景描写、心理描写が優れています!
過度に同情をひかせたり、注目させたりもしません。
どれも適切で、ピッタリで、適度!
優れまくってる。
だからこそ僕は、かつてないほどキャラクターに感情移入しました!
信じられない体験でした!
僕は本当に色んな作品を読んできて、色んな映画も見てきました。で、その中で、泣かされたのはこの人の作品と、Undertaleだけでした。
もし僕が彗星かなんかを新発見したら、絶対この人の名前をつけます。
でもとても心配なのが、この人はもう三年くらいずっとスランプで、書けないって言ってることです。
長いスランプにいる人は、僕も含めてたくさんいるとおもいます。
私生活、体調になにかあって、それで変わっちゃったり、色々あって!もしくは、なにもなくても!
魔女の宅急便に出てくるスランプ解決法は、一旦離れてみるです。
時には一本道からそれて、ピクニックしたりするのも大切です。
限界までそれて、海とか行って、浜辺で日光浴するのもいいと思います。それで、パラソルの下から突然起き上がって「書きたい!」って思ったら、それがスランプから脱出した瞬間だと思います。
もしそうじゃ無かったとしても、少なくとも、離れる前まではわからなかった自分の問題点が、離れたことで見えきます!
この人の作品の中で、とても心に響いた言葉があります。
Googleによる超簡単な日本語訳ですが、それを引用して載せます。
「たとえ道がでこぼこしていても、たとえ何度も引き返してぐるぐる回っていても、歩き続けるのよ。それがどこかへたどり着く唯一の方法だから、歩き続けるのよ。そして、あなたを必要としている人たちのために歩くのよ。自分自身のために歩く方法を見つけるまで!」
おもしろい。
私は小学生の頃いじめにあっていて、さらに面白くて惨めなのが、いじめられてることに気づいてなかったことです。
それって、いじめじゃ、ないんじゃないとか、思われると思いますが、私はいやなきもちになってましたし、今でもトラウマですし、今でもクソみたいな気持ちになります。自分がクソ!に思える。
(私には精神疾患もなにも診断されていません。至って健常な脳みそ所持者です)
じゃなんでいじめってわからなかったの?とか、なりますけど、よくわからないです。
いじめとかいう概念を知らないほどアホでもなかったです。
私は全然無視とかするような子を本当にともだちだと思っていました。
で、最近までともだちだと思い続けてきました、で、過去を振り返ってみたら、あれいじめだったんじゃと思いました。
クラスメイトに挨拶します(私には同じグループとずっとつるむって概念がほとんどなかった。僕のが親友だと思っていた子は、私がその子以外のグループと話すととても機嫌が悪くなったので、グループから出ない時期もあったけど、私は大体グループなんて気にしてなかった)。そしたら、目をふせられたり、そらされたり、他の子に話しかけに行かれます。私は、そのせいで「じぶんの声がちいさいんだ!」といつも思ってました。
でもホントは聞こえてたんです。私は声がちいさくありませんでした。ちゃんと出てたのに、聞こえないふりされて、私は話すのがとても嫌いになりました、その点ではいじめたクラスメイトの勝ちです!今でも私に影響を与えています、なにか発言しようとする度に脳みそがギュッとなってなにも考えられなくなります。
絶対聞き返されて、何度も聞き返されて、クソいやな気分になって大きい声で言い返すと、うるさいとか言われて先生に怒られる。
クソです。私は窮してました!家族は頼りで自慢の祖父が亡くなっちゃったショックで暗いし、私を世話してくれてた祖母はその頃から精神参っちゃってたから僕は家にいるのもしんどかった。そのくせ、私は友達(まあ正しくは友達だと思っていた子。この子は、じぶんのきまぐれに私と遊んでくれた。気分が悪い時のサンド“バッグ”みたいに。和は彼女のバッグ)と下校してから遊ぶことを禁止されていた、自転車が買えなかったし、親は過保護だった。
とまんない。!僕は1度精神科かなにかに行ってみたいけど、目的がない、私の今の生活も困窮しているから多分どうにかしたいんだ、だけど「ただの健常者です、ただアホなだけです」と言われるか「薬だします」と言われるだけだから行きたくない。
和私はただでさえクソみたいな薬をたくさん飲んでるんですよ!精神疾患はありません。ほんとです、まあ診断受けに行ったことないですけど。よくわからないです、私の人生の全てのクソが最近実を結びはじめて更なるデカイクソを形作っているように思える。
私をいじめたクラスメイト全員は多分忘れてるし自覚ないさ😂
私のことがわかるひとはいる??それでまた私を恥ずかしいやつだと思うと思います、私はたしかにクソみたいな人生の真っ只中です!
だからまったく笑われて当然です。
私はなぜわざわざこんなクソみたいな人生をしなずに生きてるんですかというと、死にたくないからです!昔から死ぬのはこわかったです、痛みが嫌いです!いまでは毎日痛いし吐き気がしますけど、それでも死にません。
具体的に言うとお腹が痛いです、これはちゃんと診断されています。
なきたい、わたしはとてもばかです。
なぜわざわざこんなところでこんなことを書いているんでしょうか?価値がないです!んでいるひとはいません。よ
なざならわたしもよんでいないからです。
イタイとかんじるでしよもう!たぶんわたしもあとから読み返したならそう感じます、でも今の私はとてもまともでいつもと同じような脳みそをしています、私はまったくこれがいい文だと思いませんが、こういう文しか書けません!いじめられてなにがうれしいの?死にたいってよくいえますね!
一日中血液が足りなくて、死にたくないと毎日思うほど痛い私はこの世で一番不公平の下側にいます!
わたしは可哀想です!端的に言うとこういうことなんですよね、くそです。
私は自分勝手で利己的で自己憐憫しすぎなよくいるばかなティーンエイジャーですよ。
私はなにもわかっていない。私はバカで頭がとても悪く、明日の朝には死んでるハエかもしれません。また
自己憐憫です!同情して欲しいわけではない、私と同じような友達が欲しい、でも私はともだちと関わるのが不得意で、結局ひとりになります。だからいじめられるんだよ!
そういえば思ったのですが、私は本当にいじめられていたのかあまり知る術はありません、わたしの記憶で楽しかった瞬間は無いに等しいですが、ほんとにクラスメイトはいじめてなかったのかもしれません、わたしの思い出の中にある、クソ体験は全部、彼らからするといじりだったのか?私が勝手に今、被害を訴えているだけなのか?当時は本人も容認していたしいじりを楽しんでいたなどと思われているのだろうか?いずれにせよ私は過去の出来事でせめることはできませんよ。
【仲間】
ひとえに仲間と言っても
ゲーム仲間
部活仲間
趣味仲間
仕事仲間
色々なかたちがある
同じ目的のため取り組む
そこに人間的な相性は関係ないらしい
でも、部活だろうと仕事だろうと
気の合う人と行う方が進むのは早いと思う
ただ、暴走した際のストッパーになる人が居ないだけ
ただ1人そういう人が居るだけで
進みは少し遅くなるが確かなものとなる
そういう人は確かに気に食わないが
物事を進めるためには大切な存在なのだろう
とはいえ、人間的な相性が悪ければ
ストレスが溜まってしまうだろう
無理に仲良くしようとしなくていい
ただ、何かあった時に協力できる関係性は
築いておきたい
🎵マル◯カ〜 マル◯カ〜 ナカマッカッナ〜 🎵
仲間と聞いて真っ先に思いついたのが、某スーパーマーケットのテーマソングでした。
‥これにピンと来たあなた、‥もしかして、中国・四国地方出身じゃあないですかい?
以上、四国某県出身の戯言でした。
むかーしむかし。あるところに、一つのかたまりがありました。
かたまりは、延びたり縮んだり、冷えたり温まったりしながら分裂してゆきました。
はじめは、元通り一つに固まろうとすれば、易く一つのかたまりに戻れたのですが、時が経つにつれ、分裂した小さなかたまり達が遠くへ飛んでいってしまうようになりました。一つになるのが難しくなってしまったのです。
一つのかたまりは一つのかたまりであることを忘れ、たくさんの小さな物質になりました。
今でも一つのかたまりは、小さくて多い個のままです。
そしてそれらは、一つのかたまりに戻ることを望みません。むしろ一つに固まることを悪だとみなします。一つのかたまりでなくなったこの世は、ひどく美しいようです。
題:仲間
【仲間】← change order →【懐かしく思うこと】
仲間ってほんとにいるのかな
どういう感じの関係を仲間っていうのかな
なんて問いかけてはみるが、もちろん返事なんて返ってきやしない
僕は君の仲間になれていたかな。
今日はもう帰るね。
また、明日も来るからね。
そういって僕は、あの子のお墓に背を向けた。
その時、
またねって聞こえた気がした。
【長距離走者 おそらく冬の かすみ草】
きっと今でも同じゴールを目指している私達は「仲間」だ。