『七夕』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「ごめん。別れよ。」
ふった本人が泣くなよ。あーあ。何で涙が止んねーだろ。
「何で今日が、七夕なんだよ。」
世間が浮かれている中、俺の気分は沈んでいた。一部では恋の日と言われている七夕。そんな日に俺は、二年付き合っていた彼女に振られた。何でも、好きな人が出来たとか。俺は用済みだとか。
「本当に馬鹿だな~。」
一瞬でも彼女を疑った俺も、俺にあんな事言った彼女も、大馬鹿者だ。それでも良いさ。彼女が楽になれるなら。
「一年ぶりだな。元気してた?」
返事はない。何故なら、彼女はもうこの世に居ないから。突然発症した癌。そのせいで彼女は帰らぬ人に。俺が振られたあの日には、もう余生が決まっていたようだ。別に知っていた訳でも、分かっていた訳でもない。ただ彼女の涙は、真実だと思っただけだ。
「お前、昔から織姫と彦星の話好きだよな。」
彼女にとって俺は、生きる理由になれたかな。だからあの時、泣いてくれたのか。もう、答えは分からない。
「また来年、来るよ。」
七夕なんて嫌いだ。織姫も彦星も嫌いだ。
「幸せになんて、なんなよ。」
俺は夜空に輝く星に向かって、言い放った。
今日は七夕。七夕って織姫と彦星が1年に1度出逢える日なんだって~ロマンチックだね~。気になる彼と短冊を飾りながら言った。そーいえば短冊何書いたの?ないしょー。彼が行ったあとこっそり見た。「あいつの彦星になりたい。」ずるいな。1年にたった1度私の短冊の願いが叶った日。
〜君の織姫になれますよーに〜
最近は暑くて暑くて参ってしまう。少し歩いているだけでも汗をかいて、顎先くら滴り落ちた水滴が地面にシミを作っては数秒と立たずに元の色に戻っていく。汗で半分服の色が変わっているのは日常茶飯事。雨の少ない昨今は日傘をさす日の方がきっと多い。
今日も例外なく、じとっとした重い空気に嫌な暑さがジリジリと身を焼くような日だった。空を見上げてみたところで太陽が眩しくて織姫と彦星がどこにいるのかなんてわかりっこないし、飾られた短冊も暑さに萎れた笹に吊るされていては届きようもなく思えてちょっと滑稽。
もうカッコウが鳴って幾分かした夕方をいまだ沈まない太陽が照りつける中、体を引きずるようにして帰り道を歩く。バサバサと音がして、下を向いていた顔を上げたら何羽か連なって鳥が飛んでいた。
この鳥たちは、天の川に橋をかけにいくんだろうか?なんて思ったが、鳥たちは遥か先に飛んでいくでもなく、いつもいるような電線の上や屋上に止まるでもなく、建物の日陰にバサバサと止まった。鳥も暑くて飛べないのである。あーあ、きっと今年の橋はかからない。織姫と彦星はこの年出会うことはなく、来年の涼しさを望むばかりなのだ。
いや、違うかもしれない。
こうも暑いこの頃である。水が枯れてもおかしくない。天上から水が降らぬのは、天上に水がないからだ。橋がかからぬのは橋が必要ないからだ。
そう思うと途端にこの暑さも嫌ではないような気がしてきた。
夢物語だ、あり得ないという人だっているだろう。でもそんなの誰がわかるというのだろう。冬には暗かった夕方の空は未だ照りつける太陽で眩しく、陽が落ちても人工的な光がそこかしこに光るこのコンクリートジャングルからは星の一つも見えそうもない。天上で起きていることなどここにいる誰もわからないのである。
暑さにたまらずコンビニに駆け込んで、水を一つと塩分タブレットを一袋、気分が良くってビールとおつまみも買って、でも三円のレジ袋はケチりたかったからカバンにぎゅうと押し込んだ。
モンモンとした暑さのなか、タブレットを一つ口に放り込んで水をグイグイ呷る。ペットボトル一本だって小さなカバンには入りそうもないからコンビニのゴミ袋に捨てて帰ろう。飲みきれなくて中途半端に残った水はピシャッと人目を忍んで駐車場に撒いてしまった。
水を飲んで冷気を浴びて、ちょっと回復した体で家路を辿る。まだまだ日傘は閉じれそうにない。
撒かれた水に雀が止まってコツコツと地面を叩いていた。水が飲めないとわかるとパッと羽ばたいて木陰に戻っていく。地面の色はもう元通りだ。
『七夕』
あなたが織姫彦星だったらどうですか?
1年に1回しか会えない人をずっと愛していられますか?
七夕
各地に諸説あるが、太陰暦では農事暦のひとつでもあったという七夕。旧暦では本日はまだ6月2日だ。現在の七夕は農事暦としての機能を持たない。
新婚夫婦が仕事を放り出し、世話されない牛たちは痩せ細り、布地が織り上げられないことは不足を招いた。そりゃお父様(天帝)が怒って当然。まじめに仕事に勤しめば一年に一度だけ会えるにしても、カササギの橋とは念入りな制限だ。詩経にも出ているふたり、大昔だね。
まだ織姫と彦星の物語はほのぼのしいと思う。
「恋する男という悪魔」、と言えなくもない者たちが、私の住処に来ては各々「愛を叫ぶ」。“彼女以外はどうでもいい”と宣うところは共通している。まさに彦星だ。一人は“俺の嫁自慢”を来る度にぶち上げ、一人は私に注文をつける。曰く、“ものの見方が広がる文言をあの娘に与えないで”と。翼を自覚させてくれるな、自分から離れてしまう、と。気持はわかる。だが賛同はできぬ。恋は恋だがまだ愛ではない。愛へ突き抜けろ、友よ。こころを尽くし表現を豊かに、自分を信じ彼女を信じてその心へ向かえ…
今のありのままを喜んであげてほしいと、婆の私は思うのだ…。私の出す文言は、すべて人間に隠されてなどいない事実だ。子ども達もあるのだから、できる限り日常のやりとりのなかにエッセンスをぶちこむ。日常は生きる場所だ。誰しもそうであるように、私の日常もまた、くだらなくなどないし、つまらないものなんかじゃない。私の日常に転がり込んできた子達に、それを伏せることは無理なのだ。
七夕にはとかく、「ロマンチックフィルター」をかけた再会ばかりクローズアップされるが、真に“ふたりぼっち”で生き続けることなど、まず無い。「どうでもいい」を通せないのだ。織姫と彦星にはまだ先のゆくえがありそうにも思える。
年に一度だけ会うことが出来て
それで満足出来る恋ならば
会えないあまりに
好意を捨てられる相手ならば
これ程の愛が
お互いの罰と成り果てなければ
私が織姫様じゃなくて本当に良かったよ
彼女と違って、愛しいあの人に対する
切なさや寂しさに耐えられないから
そう、私がもし彼女だったら
彦星様と共に、天の川とひとつになりたいと
思ってしまうもの
七夕
七夕
今はみんなのことをお願いするが
(家族のこと等)
子供の時は
サッカーが上手くなりますように
ゲームソフトが買ってもらえますように
絵が上手くなりますように
とかだったよね
#七夕(2024/07/07/Sun)
たまにしか会えないのか会えないのがたまにか
なんだか悩ましい どっちかと言われたら
ばけーしょんみたいにワクワクするか
たったひとりになるのが息抜きに思えるのか
どちらも捨て難い なんて
ワガママにも程かある
まったく人の気持ちってやつは……
_時代_
あっ。そうだった、今日か、七夕。
今日は年に一度、彼と会える日だ。
彼と会えるのはもちろん嬉しいけど、
特別感はそこまでない。
理由は、好きなときに
メールも通話もできるから。
スマホを手に入れるまでは、
毎日毎日、彼のことを思い浮かべて、
彼との別れ際はいつも号泣してた。
けど、今は、寂しくなったら
何時でも声を聞けるし、顔も見れる。
しかも、神様は情弱で、
スマホのことをただの黒い箱だとしか
思ってないから、奪われる心配もなし。
あー!この時代に生まれて、
ほんっと良かったわー!
あぁ…来てしまった、七夕の日が。
今日は年に一度の、彼女と会う日。
彼女とは会えたら会えたで嬉しいけれど、
最近は少し気が引ける。
理由は、殆ど毎日と言っていいほど、
頻繁に連絡してくるからだ。
スマホを手に入れるまでの、
お互いを想いあって、今頃何してるかなとか、
次会ったらこんなこと話したいなとか、
考えて過ごす日々が好きだったのに。
連絡を無視すればすぐ怒るから、
今じゃ僕には暑苦しくて、
正直この関係を終わりにしたい。
でも、関係を絶とうなんて言えばどうなるか…
あぁ…この時代にさえ生まれなければ、
ずっと好きでいられたのにな…
2024.7.7
#七夕
今日はすごく晴れていたから、子ども達と20時半頃、外に出て空を見ました。
夏の大三角形がしっかり見れてみんなで感動✨
ちゃんと天の川あったね。
はるちゃんと私は真剣にお願い事をしました。
うん!全国大会行こうね!はるちゃん!
笹飾りの短冊に子供の字で「サンタさんにあいたい」と書いてあったのを見た。
分かるよ。
七夕よりクリスマスの方がいいよな。
笹に短冊よりツリーの飾り付け方が盛り上がるよな。
願い事を書くより、プレゼントがいいよな。
織姫と彦星が出会うかなんかより、サンタさんに会ってプレゼントをお願いする方が重大だ。
七夕の良いとこは、きっと子供たちの無邪気な願いを短冊から覗き見れることなんだろな
『七夕』
昨日イオンモールに行った時、イベントで
短冊に願い事を書いて好きな位置に飾るというものがあった。
書かれた願い事を覗いて見たが、
色々な部分の願いが垣間見えいて、
鑑賞するだけでも面白いものだ。
覚えてる中、一部を抜粋↓
「元気な子が産まれてきますように」
「テストで100点がとれますように」
「金をくれ」
「かわいくなれますように」
健気な願い事が多いものだ。
ちょっぴりほっこりしたりもした。
私は個人的に願い事を見られるのが恥ずかしかったから
この場には書かなかった。親もいたのもあるけれど。
公の場で書けなかった代わり、
私の願い(どうしても成し遂げたいこと)
を短冊代理として、ここに記そうと思う。
「私の敬愛する方々のように、
読者に生きる希望を与える作品を作り上げる!」
「七夕」
わたしにはいちばん熱中してるものは部活動だ。陸上部で毎日キツくて辛いけど県大行くために頑張ってきた。
そんなわたしの願いが叶ったのか、リレーで県大に行けることになった。
再来週の県大で勝てば、世界大会。
だからわたしは短冊にこう書いた。
「世界大会行けますように。」
そしたら皆んながわらってくる。
お前みたいな努力不足には無理だと。
顧問にも言われた。
「普段がんばってる選手が行ける場所なのに、お前みたいな努力不足は行けるわけもない。」
うるさい。
部活でも、声かけや準備、アップ、トレーニング。全部頑張ってる。
だれよりも。
これだけは自信がある。
なのにボロクソ言われて悔しかった。
帰りにチャリを漕ぎながらボロボロと泣いた。
見返してやる。
絶対に。
それからいつも家でやってるストレッチを二倍にして、走り込みをして。
死ぬほど頑張った。
わたしは短冊なんてなくても世界大会ぐらいいける。
七夕
皆さんはなにかお願いごとをしましたか?
僕には七夕生まれの姉がおりまして、今日は誕生会をしてきました。ちょっと今日は疲れてしまったのでこれで終わり。良い夜を。
オワリ
『七夕』
短冊に願い事書いても、
意味無かったなぁ……
織姫と彦星は年に一度の
この日を楽しんでいるのに……
あぁ、この天の川も二人で眺めたかった。
星に願いを
皆から愛され、守られ、認められたい
誰よりも優れていたい
仲間が欲しい
特別な存在になりたい
「七夕」
笹の葉 サラサラ・・・。
うん、1番は覚えている。
2番目は・・・、忘れた。
年かなぁ。
七夕(2024/07/07)
星に願ったって叶いやしない。
頭でそう理解しているけれど。
子供たちに紙とペンを託すのは。
笹の流れ着く先に希望があると。
私たち大人の方が
きっとずっと信じていたいから。
七夕。
星に願いを、2人に祈りを。天の川のあの話を、どれだけの人が知っているのだろうか。いつから、語られているのか。
僕は信じていた。自分は、自分の思う凄い人と、なんの遜色も無く、いつか必ず輝くのだと。盲信し、懇願し、努力した。
私の希望はただ一つで、それは健康に死ぬこと。病気もせず、怪我もなく、レールの上を散歩する様な人生を望んでいた。その為に、運動をし、野菜も食べ、しっかり眠った。
信じた未来なんて、神様の小指に引っかかった小枝みたいに、容易く振り払われるものだと知らなかった。
あの、七夕の日に使った一生のお願いは、なんの効果も持たなかった。
全て、救うのは人で、落ちるのも人で、自分だった。
僕は、目を背け、ただ自分を諦めた。私は、1人の医者に助けられ、今生きている。この差異。
星に願いを。人に運命を。己に信条を。
ただそれだけを、渇望する。
短冊を
握る子供よ
祈る程
世界に絶望
していないだろ
あなたはね
覚えていない
だろうけど
あの日七夕
晴れていたのよ
傘をさす
願いは雨に
側溝へ
流しだされて
貼り付く短冊
「七夕」