『バレンタイン』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
食後に君が差し出した
1ダースのチョコレート
リボンは付かなくなったけど
このやりとりは途絶えずにいて
ほっと胸をなで下ろしたら
だらしないお腹に行き着く
リボンが付いていた頃は
ズボンに乗ってなかったな
運動不足が祟ったかな
はみ出たお腹をなで上げては
その日限りの反省をする
食べすぎるのはよくないし
このくらいにしておこう でも
もう一個だけを繰り返すから
今でも幸せ太りは続く
「バレンタイン」
君からのバレンタインも
僕からのバレンタインも
もう叶わないのだろうか
あんなに君のことを
想っていたのに
あんなに君は
眩しいくらいに見つめてきたのに
もうそれは叶わない
きっと僕もわかってた
だけどもう一度だけ
【バレンタイン】
君にバレンタインチョコをあげようと思う
えっ君、チョコ嫌いなの?
でも受け取ってくれるの…?
訳の分からない14歳のバレンタイン
疲れているのに全速力で走って来るとは思いもしなかった。
「まずは…っ、これ…、はぁ…」
ぜぇ、はぁと呼吸を整えながら、台風にでもあったと言いたげな小振りな花たちを渡されて花瓶に生けた。
彼を椅子に座らせて呼吸も穏やかになったところで、紅茶と私の想いをお皿に乗せて運んでいくと、食卓に飾った花が元気を取り戻し、本来の色を、部屋を明るく見せ始めている。
「紅茶をどうぞ」
ウェイトレス気取りで湯気のたつ紅茶を渡し「いつもありがとう」と日頃の感謝を込めチョコケーキを並べた。
「こちらこそ。いつも君のお陰で幸せだよ。ありがとう」
慣れた手付きで私の髪を耳にかけ、彼の整った顔を眺めているとシャラと金属が擦れウィンドチャイムのような軽やかな音がした。私は今日、アクセサリーを付けてはいない。
「?」
「うん、よく似合う」
自分の見立てに狂いはない、自信たっぷりに彼が微笑んでいた。彼の手を覆うように触れるといつの間にか髪飾りが。手触りから予想するに繊細で複雑そうな物。モチーフは花っぽい…かも?彼からの贈り物だ。
「これじゃ貰った私が見えないけど…?」
「付けたところを早く見たくて、外した後でゆっくり眺めてくれよ。」
ケーキを崩さないようにフォークをゆっくり動かして、
「一日中君が作ってくれたケーキのことで頭がいっぱいでさ。なんでひと口食べてこなかったんだろう…!って。やっと食べられる」
ゆっくり過ごすはずが急な仕事でスケジュールが狂い、名残惜しげにちらと覗いた箱の中身。ご褒美に相応しく、頭から離れなかった。
ケーキを刺して口を開ける。ひとりで食べるには少し大きいチョコケーキのはずだけど仕事で疲れてお腹を空かせた彼にはちょうどよかったみたい。
「ほろ苦いチョコケーキだ。すごくきれいに作ってくれたんだね」
ひと口いれてまたひと口。美味しい、おいしい。と夢中で食べてみるみる減っていく。苦いと顔をしかめられなくてよかった…!と私は胸を撫で下ろしていた。
大きなハートもペロリと平らげた彼の口の端にクリームが付いてる教えると見当違いな場所を拭う。
「全然違うってば」
「ん、どこだろう…。とってもらえる?」
「子どもみたい」
くすりと笑みを溢してちょこっと拭えば手首を掴まれ
「子どもはわざとクリームを付けて君の気を引いたりしないよ」
後頭部を引き寄せられてほろ苦いチョコの味。くちが離れるころには独特な苦味は消え失せ、ただただ甘い。
とてもあまくて、ビターチョコで正解だったと過去の私に拍手を贈って彼に抱き付いた。
耳もとで「ハッピー『バレンタイン』」と囁くと、大好きな優しい声色が、私の鼓膜をゆらしてとけた。
(三日連続でお題を繋げて書くなんて思ってもみませんでした…!)
きっとなんの意味もない言葉なのだと思う
「可愛い」だなんてお世辞でしょ。
そんなひねくれ者の私に貴方は
「今日も可愛いね」だなんて。
だから私はなんの意味も無い
チョコレートなんかを
唇なんかを、貴方にあげた。
--《バレンタイン》
「バレンタイン」
社内の義理チョコ習慣が消えてしまい寂しそうな夫
時代ですね....。
バレンタインは2月14日に主に女性が気になっている男性にチョコを作る、もしくは、買うなどしてプレゼントするものである。1人の男性が複数の女性から貰うこともあり、モテる指標となる。そして、チョコを貰った男性は女性にホワイトデー(3月14日)の日にチョコやプレゼントをお返しするという形で送る。モテない男性の中では毎年いくつ貰ったかを聞き合うこともあり義理チョコ、友チョコを貰うこともある。発祥はキリスト教の発祥であり、ローマ皇帝を祝うものでもある。名前の由来はヴァレンティヌスの名前から来ている。
「バレンタイン」
どんな思い出があるだろう。
私は,甘酸っぱい思い出など無かったな。
友チョコすら貰ったことがない。
あげたことがないからだろうか。
仕方がないだろう。
恋心?
というものがわからないのだから。
いつもとあまり変わらない日常。
周りが
「チョコ貰った?」
「貰ってない」
と騒いでいるときも,
私は一人で本を読んでいる。
この対応がだめなのだろうか。
友達を作ればよいのだろうか。
誰かにあげてみようか。
「ねぇねぇ。」
「ん?」
「友達にならない?」
えっ?
「まじで!?」
「い…いの?」
「うん。」
「やったー!」
「久しぶりの友達だ!」
私さ、今年こそは絶対に生チョコ作ってやるんだ!
それで、あの子に渡すんだ。
彼女は目をきらきらさせて私に言った。
生チョコが大好きな彼女。ざくざくしたクランキーチョコが好きな私とはチョコレートの趣味だけはひとつも合わない。
料理が苦手で。でも味方になってあげたくなるような子で。
子どもみたいに二つの大きな目を向けたら、きっとあの子だってチョコレートを受け取ってくれるんだろう。
それで、渡す日はきっとたくさんおしゃれして、いままでで一番可愛くするんだ。
私は彼女のことをよく知っている。あんなショートカットの女なんかよりもずっと。
ねえ、なんであなたは私にしてくれないの。私の方がずっと一緒にいるのに!
分かっている。きっとあの子は私なんかに振り向かないってことは。
だから、私は私であの子のためにチョコレートを作るんだ。
友チョコなら受け取ってくれるから。
中身はもちろん、ざくざくナッツのクランキーチョコレート!
夢の中へ落ちる寸前にかけたアラームで目が覚める。微睡みを許さないそれは、聞き慣れた声が止めてくれた。
肌に滑る白いシーツの感触、横にある温もり。
それらを断ち切るべく手足を動かそうとしたところで、口元に差し出される光沢。
これだけ、食べてって。頑張って作ったから。
売り物のように艶やかな表面、手入れを怠ることの無い綺麗な指先が摘むそれを、思わず指ごと食む。
勢いに負けて外側のコーティングが割れたのか、中からトロリと何かが薫った。
口から鼻に抜けるその香りに思わず吐き出そうとしてしまったが、くすり、と笑った君がそれを許さず、
こくり、と。
共に味わうことになる。
どうして、と声にならない言葉は相手に飲み込まれ、空洞へ吸い込まれていった。
後頭部にこびりついた眠気が、足りない酸素とむせ返る薫りによって全身へと回って。
微睡みを劈くアラームの音で再び目を開く。
慌ててスマホを探って今度は自分で止めるが、犯人の姿もない。
違和感と共に左手を見れば、誓いの証も姿を消していて。
慌てて立ち上がって部屋中を歩き回れば、離れた机にメモとともに転がっていた。
『おそよう
約束には遅刻かな?
上手く誤魔化せるといいね。
また来週、逢えるといいな』
『バレンタイン』
昨日は、バレンタインでした。数学の先生がバレンタインなので、チョコレートをもらえると思ったのでしょう、でも夜七時まで待ってもくれる人はおらず、靴箱を見ても入っていなっかたと言っていました。自分の家のポストに入ってるのでは、と思ったらしく見てみたらなく新聞だけだそうです。今日、話を聞きました。この話を聞いて私は、家は流石にみんな知らないだろ、と思いました。
昨日、友達(同じ中学)が好きな先輩にお菓子を渡したそうです。私は、思いました。青春、やってんな〜と、あとお菓子持ってきちゃダメなんですけど、こっそり持ってきたそうです。それを聞いて、勇気あるな〜と、感心しました。私は、その子の恋を応援しようと思った瞬間でした。(まあ〜結構前に応援してますけど、)
ついでに、日曜日にそのお菓子の味見役をやりました。おいしかったよ。
バレンタインに、関係ない話ですけど読みたい方は読んでってください。
頭も良い中学校に行っている友達のクラスは、とても話を聞いていて可笑しなクラスだと分かりました。
でも、とても楽しそうでよかったです。
その頭の良い友達は、腐っていました。
それで、百合が好きな男子と薔薇が好きな友達で、薔薇が一番良いと友達(腐)が言ったらその百合が好きな男子(姫)が百合が一番良いと言い合ていたそうです。
この話を聞いた私は、仲がいいのだなと思いました。
私は、人間関係が苦手で、人とはなるべく関わらない性格なのであまり友達がいません。なので、この話を聞いたとき羨ましかったんです。とても、本当にとても羨ましかったです。でも友達が楽しそうでよかったです。本当に、よかったです。
金曜日は、漢字テストがあります。なので、勉強を頑張ってやります。
毎年自分用のチョコをいくつか購入してる。
今年は時間がなくてあまり買えなかったなって思ってたけど、後から確認したら7個も買っててビックリした。
この時期しか出会えないチョコばかりなので、大切に食べたい。けど美味しくてあっという間に無くなっちゃうのよね。
去年買えなかったゴンチャロフのチョコ、今年も買えなかったので来年こそは手に入れたい。それと谷川俊太郎の詩が刻まれた“文学を味わう”チョコレートがあるというのを最近知ったので、こちらもいつかご縁があったら購入したい。
ちなみに職場は9割女性なので義理チョコのやり取りが無い。とても楽。
「好き」
どうやったら伝わるの?
「大好き」
いつになったら気づいてくれるの?
貴方に伝わりますように。
気持ちを込めるね
貴方に届きますように。
好きで、好きでたまらないこの気持ち
「大好きだよ」
#バレンタイン
気になるあの子にバレンタインチョコ。
勇気がなくてあげれないけど許してね…笑
『バレンタイン』
少し前から教室の隅っこで貴方のことを見ていたの。
嗚呼、またこの季節が来た。
貴方は人気者だからチョコで満たされてしまう。
私は本命なんて渡せない。
いつも義理チョコ。
私の恋心を煩わせないで。
早くこの恋に気づいて。
気づいて。
気づいて。
部屋に来るときにきみはきまってコーラを強請る、わたしはきまってソーダ
わたしの舌の上、魚の群れがぱちゃぱちゃとはしゃぎ回り、行き過ぎるのを感じている
きみは浮たった喉仏にうっとうしそうに触れたあとに、わたしのネクタイを唇で引く
きみはコーラの匂いを含んだその声と指でうっすらとわたしのシャツのボタンを外す
水風船みたいな頬にふれる、子の孕めない腹をさすったきみはやけに寂しそうだった
自分としたことが、バレンタインを忘れて、世間はチョコレートブームなのかと勝手に微笑ましく思っていた。
ましてや友達にチョコレートを頂いても気付かなかったのだから、季節感が瀕死を通り越してもはや戻ってこない気さえする。
自分と、母と、尊敬する先輩お一方の誕生日以外頭にない。どうしようもないので、寝ます。
現在も過去も、紛争や戦争をはじめ多くの争い事が繰り返されてきた。そして今まさに先頭の渦中にある地域もあるが、殆どの方がロシアとウクライナ間で起きている戦争であろう。戦闘が弱まることはなく、今なお両国ともに多くの命が失われている。一部を除き、多くの兵士が戦闘を拒み戦争を否定し嘆いているが逃げることは許されずやむなく戦地を駆けまわり引き金に指をかけている。現在はニュースでも周知の事実だが、PMCといった民間の企業や組織が戦争に介入している。そして各国が兵器の支援等を開始していることから状況は#益々悪化の一途辿ること必至。
激しい戦闘、命の奪い合いを伴う争いというのはなにもロシアとウクライナの間だけに限らず多くの国と地域で発生しており解決されないでいる。ミャンマーもニュースで取り上げられることから認知している人は多いだろうが、その他の地域でも悲劇は続いている。ロシアやウクライナのような国家間の軋轢によるものではなく、武装組織同士による戦闘や政府と武装組織の間で起きるものもある。情報操作され嘘八百を平然と報道するテレビや新聞、ネット記事などではなかなか見聞を得られない。しかし、事実として各地で人が人の命を奪い合っている。宗教観の考え方の違いや、国を憂い嘆く者たちによる革命。改革や革命をもって新時代を願う者たちによる決死の戦い。それは様々である。
誰もが簡単に想像出来る第二次世界大戦や、第一次世界大戦。これらの戦いは世界中が 混沌のなかでしのぎを削っていた。人と人の争いに機械が参入し、より残虐で凄惨なものとなったが、過去に置いては知恵や戦略でもって多くの人間同士が命を奪い合ってきた。妻子を残して帰ってこられる保証もなく戦地へ送られ、あちらへこちらへ駆け回り身を削った。一生を添い遂げると誓う若者が、帰ってきたら結婚をしようと手を握りあって涙を流し無念に散っていった。
若者が結婚をすることで愛するものを残して戦地に赴くことで指揮低下の懸念があると危ぶみ、抑止のために結婚を禁止した者がいる。ローマ帝政時代のこと。皇帝クラウディウス2世による施策であるが、これにより愛を誓うはずだった若者たちはその想いを叶えることが出来なくなった。これを哀れんだキリスト教聖職者であった司祭のヴァレンティヌス二世で、命令に背き極秘で結婚式を執り行っていた。若者たちにはこの司祭が神の遣わした御使いのようであっただろう、希望の光であったであろう。しかし、皇帝クラウディウス二世がこれを見逃すはずはなくヴァレンティヌスに対して幾度も警告をしていた。命令に従い余計な真似をするなと、釘を刺していたがヴァレンティヌスは己の信念を突き通した。つまるところ、皇帝の命令を無視することを貫いたのである。これにより多くの若者が婚姻にこぎ着くことができ、生涯の愛を誓い合うことが出来たのである。
しかし司祭ヴァレンティヌス二世の救済の手は長くは続かなかったのは、命令に背いたことにより皇帝により処刑されたからである。2月15日の豊穣祭のルカペリア祭り前日の2月14日、ヴァレンティヌスはその生涯を終えた。最後まで聖職者として、自分としての信念を曲げることなく救済に尽くしたのだ。毎年2月になると、このことを考えては現代と過去を比較し考え込んでしまう。そして、14日のバレンタインついて様々な想いが駆け巡る。
バレンタインにチョコを渡すというのは、日本特有の習慣であるがこれは国民性からなるものだ。しかしながら、様々な形や習慣あれど世界中で大切な人を想い合う尊くとても大事な一日であることは変わらない。どんな形や方法であれ、大切な人に大切な想いを伝えることはとても素敵なことである。
日本において、チョコ作りというのは社会に出れば半ば義務的な要素がある。しかし、これら無駄な習慣は無視してしまってよいと私は考えている。せめて2月14日の一日くらいは、想い人に特別な思いを寄せて欲しいのだ。ありったけの想いを、気持ちを伝えて欲しい。この一日くらい、二人で人生を噛み締めて欲しい。たとえ忙しくとも、電話でもいい声だけでもいいのだ。チョコよりも、豪勢な食事やあつい抱擁よりも言葉で想いを投げかけるということを意識して欲しい。大切にしてぽしい。
本命じゃない振りして
軽く渡したけど、
本当は、義理じゃないよって言ったら
君は、どうする?
なんて言えないから
今年も、義理チョコになっちゃうんだ。
#__バレンタイン__
今日で何回目だろう…
君を待って待って待ち続けた。
今日こそは来てくれるって
まってるよ来年のバレンタインまで