現在も過去も、紛争や戦争をはじめ多くの争い事が繰り返されてきた。そして今まさに先頭の渦中にある地域もあるが、殆どの方がロシアとウクライナ間で起きている戦争であろう。戦闘が弱まることはなく、今なお両国ともに多くの命が失われている。一部を除き、多くの兵士が戦闘を拒み戦争を否定し嘆いているが逃げることは許されずやむなく戦地を駆けまわり引き金に指をかけている。現在はニュースでも周知の事実だが、PMCといった民間の企業や組織が戦争に介入している。そして各国が兵器の支援等を開始していることから状況は#益々悪化の一途辿ること必至。
激しい戦闘、命の奪い合いを伴う争いというのはなにもロシアとウクライナの間だけに限らず多くの国と地域で発生しており解決されないでいる。ミャンマーもニュースで取り上げられることから認知している人は多いだろうが、その他の地域でも悲劇は続いている。ロシアやウクライナのような国家間の軋轢によるものではなく、武装組織同士による戦闘や政府と武装組織の間で起きるものもある。情報操作され嘘八百を平然と報道するテレビや新聞、ネット記事などではなかなか見聞を得られない。しかし、事実として各地で人が人の命を奪い合っている。宗教観の考え方の違いや、国を憂い嘆く者たちによる革命。改革や革命をもって新時代を願う者たちによる決死の戦い。それは様々である。
誰もが簡単に想像出来る第二次世界大戦や、第一次世界大戦。これらの戦いは世界中が 混沌のなかでしのぎを削っていた。人と人の争いに機械が参入し、より残虐で凄惨なものとなったが、過去に置いては知恵や戦略でもって多くの人間同士が命を奪い合ってきた。妻子を残して帰ってこられる保証もなく戦地へ送られ、あちらへこちらへ駆け回り身を削った。一生を添い遂げると誓う若者が、帰ってきたら結婚をしようと手を握りあって涙を流し無念に散っていった。
若者が結婚をすることで愛するものを残して戦地に赴くことで指揮低下の懸念があると危ぶみ、抑止のために結婚を禁止した者がいる。ローマ帝政時代のこと。皇帝クラウディウス2世による施策であるが、これにより愛を誓うはずだった若者たちはその想いを叶えることが出来なくなった。これを哀れんだキリスト教聖職者であった司祭のヴァレンティヌス二世で、命令に背き極秘で結婚式を執り行っていた。若者たちにはこの司祭が神の遣わした御使いのようであっただろう、希望の光であったであろう。しかし、皇帝クラウディウス二世がこれを見逃すはずはなくヴァレンティヌスに対して幾度も警告をしていた。命令に従い余計な真似をするなと、釘を刺していたがヴァレンティヌスは己の信念を突き通した。つまるところ、皇帝の命令を無視することを貫いたのである。これにより多くの若者が婚姻にこぎ着くことができ、生涯の愛を誓い合うことが出来たのである。
しかし司祭ヴァレンティヌス二世の救済の手は長くは続かなかったのは、命令に背いたことにより皇帝により処刑されたからである。2月15日の豊穣祭のルカペリア祭り前日の2月14日、ヴァレンティヌスはその生涯を終えた。最後まで聖職者として、自分としての信念を曲げることなく救済に尽くしたのだ。毎年2月になると、このことを考えては現代と過去を比較し考え込んでしまう。そして、14日のバレンタインついて様々な想いが駆け巡る。
バレンタインにチョコを渡すというのは、日本特有の習慣であるがこれは国民性からなるものだ。しかしながら、様々な形や習慣あれど世界中で大切な人を想い合う尊くとても大事な一日であることは変わらない。どんな形や方法であれ、大切な人に大切な想いを伝えることはとても素敵なことである。
日本において、チョコ作りというのは社会に出れば半ば義務的な要素がある。しかし、これら無駄な習慣は無視してしまってよいと私は考えている。せめて2月14日の一日くらいは、想い人に特別な思いを寄せて欲しいのだ。ありったけの想いを、気持ちを伝えて欲しい。この一日くらい、二人で人生を噛み締めて欲しい。たとえ忙しくとも、電話でもいい声だけでもいいのだ。チョコよりも、豪勢な食事やあつい抱擁よりも言葉で想いを投げかけるということを意識して欲しい。大切にしてぽしい。
2/15/2023, 6:22:35 AM